伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

夜のヒットスタジオ・歌手別出演履歴<19> 中山美穂/工藤静香

2007-07-16 | 夜のヒットスタジオ/歌手別出演履歴
「夜ヒット・出演履歴」シリーズ、今回は番組晩期の常連であった中山美穂・工藤静香の出演履歴を振り返ります。

◆中山美穂-初出演:1985年7月24日(第868回)/最終出演:1990年8月1日(第1123回)、出演回数:37回
01 1985/07/24(0868) 『C』
02 1985/11/06(0883) 生意気
03 1986/02/19(0897) 色・ホワイトブレンド
04 1986/03/12(0900) 色・ホワイトブレンド
05 1986/05/21(0910) クローズ・アップ
06 1986/07/23(0919) JINGI・愛してもらいます
07 1986/09/10(0926) ツイてるね ノッてるね 
08 1986/10/01(0929) ツイてるね ノッてるね 
09 1986/11/05(0934) WAKU WAKUさせて 
10 1986/12/03(0938) WAKU WAKUさせて
11 1987/01/14(0944) WAKU WAKUさせて
12 1987/02/25(0950) Switch On(ハートのスイッチを押して)
13 1987/03/18(0953) 派手!!!
14 1987/04/08(0956) 派手!!!
15 1987/05/13(0961) 派手!!!
16 1987/06/24(0967) 50/50
17 1987/07/22(0971) 50/50
18 1987/08/26(0976) Liberty Girl
19 1987/09/30(0981) CATCH ME
20 1987/10/21(0984) CATCH ME
21 1988/02/24(1002) You're My Only Shinin' Star
22 1988/03/16(1005) You're My Only Shinin' Star
23 1988/03/30(1007) You're My Only Shinin' Star
24 1988/07/13(1022) 人魚姫-mermaid-
25 1988/08/31(1029) 人魚姫-mermaid-
26 1988/09/21(1032) 人魚姫-mermaid-
27 1988/11/16(1040) Witches-魔女たち-
28 1988/12/14(1044) Witches-魔女たち-
29 1989/03/15(1056) ROSECOLOR
30 1989/04/12(1060) ROSECOLOR
31 1989/07/19(1074) Virgin eyes
32 1989/09/06(1081) Virgin eyes
33 1990/01/17(1097) Midnight Taxi
34 1990/03/21(1106) セミスウィートの魔法
35 1990/04/11(1107) セミスウィートの魔法
36 1990/07/11(1120) 女神たちの冒険
37 1990/08/01(1123) 女神たちの冒険

中山美穂の初出演は1985年7月。当時のヒットスタジオは新人の出演者選考につき高い基準を設けていたこともあり、本田美奈子など他の同期組がなかなか番組に出ることができない一方で、彼女は番組との強いパイプを築いている「バーニングプロ」の所属であったことや、歌手デビューより前からドラマ出演などである程度、視聴者にも顔が知られていたことも有利に働き、異例のデビュー曲での初出演となりました。
その後、1986年に入ると、ほぼ準レギュラー格での出演
となりますが、同時並行的に女優としての活動も活発であり、歌手活動を優先する時期と女優としての活動を優先する時期を明確に分けて芸能活動を展開していたらしく、出演回数・頻度はそれほど多くはありません。特に1988年~1990年頃に関しては、新曲を出して2、3度、月1回ペースの間隔で出演する以外は、アルバム曲・B面の曲などで番組に顔を出すことはありませんでした。
ただ、小室哲哉・角松敏生・杏里ら一流のクリエーターによる楽曲の質の高さや、女優業でも確かな実力を発揮している彼女自身のタレントとしての華やかさもあってか、その都度都度の印象度は相当に濃かった記憶があります。
個人的に印象に残っているのは、1988年3月30日放送の「You're My Only Shinin' Star」。このとき、彼女は体調不良(確かのどを痛めていたと思います)を推しての出演で、声を出すのが辛そうだったのですが、それでも必死に歌を歌おうとしていたシーンは何となく、歌手業も女優業も疎かにしないという彼女のプロ意識の高さを垣間見せていたという気がします。
1990年代後半以降は歌手業はセーブし女優業に比重が置くようになり、ドラマでは「眠れぬ森」(フジテレビ系)や映画では「東京日和」(竹中直人監督作品)、「Love Letter」(岩井俊二監督作品)などに出演し評価を得るようになりましたが、元「ECOHES」のボーカルで作家の辻仁成との結婚後はパリに移住、これを機に現在は芸能活動の一切をセーブしています。
ただ、このまま完全にフェードアウトしてしまうには惜しい逸材。やはり復帰を願う声が多いのも事実で、年1、2度は日本に戻ってきてドラマや歌手業でその健在ぶりをアピールしてほしいところでもあります。

◆工藤静香-初出演:1988年1月20日(第997回)、最終出演:1990年9月12日(第1129回)、出演回数:32回(+3回<「うしろ髪ひかれ隊」名義>)
01 1988/01/20(0997) Again
※ 1988/03/02(1003) ほらね、春がきた(※うしろ髪ひかれ隊)
※ 1988/03/16(1005) ほらね、春がきた(※うしろ髪ひかれ隊)
02 1988/04/06(1008) 抱いてくれたらいいのに
※ 1988/04/13(1009) ほらね、春がきた(※うしろ髪ひかれ隊)
03 1988/05/04(1012) 抱いてくれたらいいのに
04 1988/06/01(1016) FU-JI-TSU
05 1988/06/29(1020) FU-JI-TSU
06 1988/08/10(1026) 証拠をみせて
07 1988/09/14(1031) 裸爪のライオン
08 1988/10/12(1035) 証拠をみせて
09 1988/11/30(1042) MUGO・ん・・・色っぽい
10 1988/12/21(1045) 恋一夜
11 1988/12/28(1046) 恋一夜
12 1989/01/11(1047) 恋一夜
13 1989/02/01(1050) 恋一夜
14 1989/03/01(1054) 恋一夜
15 1989/03/15(1056) 恋一夜
16 1989/04/12(1060) 嵐の素顔
17 1989/05/03(1063) 嵐の素顔
18 1989/05/31(1067) 嵐の素顔
19 1989/07/05(1072) 嵐の素顔
20 1989/08/23(1079) 黄砂に吹かれて
21 1989/09/06(1081) 禁断のテレパシー~抱いてくれたらいいのに~黄砂に吹かれて
22 1989/09/27(1084) 黄砂に吹かれて 
23 1989/11/01(1087) 黄砂に吹かれて
24 1989/12/20(1094) くちびるから媚薬
25 1990/01/10(1096) くちびるから媚薬
26 1990/02/21(1102) くちびるから媚薬
27 1990/03/21(1106) くちびるから媚薬
28 1990/04/18(1108) 千流の雫
29 1990/05/02(1110) 千流の雫
30 1990/05/23(1113) 禁断のテレパシー~嵐の素顔/千流の雫
31 1990/06/13(1116) 千流の雫
32 1990/09/12(1129) 私について 

「おニャン子最後の大物」ともいえる工藤静香のソロ歌手としての初登場はなぜか、ソロデビュー曲の「禁断のテレパシー」ではなく、1988年1月、2曲目の「Again」での初登場でした。
初めの頃は同時並行して「うしろ髪ひかれ隊」としての活動も続けていた関係で、ユニットでの出演が優先されていたようですが、このユニット活動も短期間で自然消滅のような形で完結して以降は、中森明菜・小泉今日子ら「82年組」に続く次世代のトップアイドルとしての座を確立。それを反映するかのように番組への出演頻度もきわめて多く、時には月2回出演ということもしばしばあったようです。カネボウCFソングの「MUGO・ん・・・色っぽい」が同番組のスポンサーに資生堂・ノエビアというライバル企業2社が名を連ねていた関係で披露できなかった時期にもアルバムの曲・B面の曲での代替出演という形で途切れなく出演をしていたり、1曲にかかる出演回数が4~5回ときわめて多かったことからもいかに彼女が当時、番組内において「確実に数字を取れる歌手」として理解されていたかが容易に推測できると思います(特に中森明菜が一時歌手活動を休養せざるを得なくなった頃からは、いわば「ポスト明菜」という位置づけの下に番組でもより重用される傾向が強まっていたように記憶しています)。
彼女も先輩アイドルである中森明菜や小泉今日子と同様に、アイドル色を早くより脱却し、「黄砂に吹かれて」「恋一夜」などの中島みゆき・後藤次利・松井五郎ら、中山美穂と同じく一流のクリエーターを作詞・作曲に迎えた質の高い楽曲を通じてより、広い支持を得るようになりました。また後年、二科展での連続出展により画家としての才能が評価されたり、また「千流の雫」などでは「愛絵理」のペンネームで作詞を手掛け、また、宝飾・衣服デザイナーとしての活動を展開したり
と幅広い創作活動を展開するに至ったのも、これらの音楽作品、またクリエーターとの出会いが大きく影響していたと思います。
彼女も一時、SMAPの木村拓哉との結婚後、妊娠・出産もあり一時活動を抑制していましたが、ここ数年は再び芸能活動を活発化させています。出産・育児経験を経て、家庭人としての視点をどう芸術活動にも反映してゆくか、期待がかかるところです。

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7 コメント

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疑問 (MACKY)
2007-07-16 16:49:34
中山美穂さんのところで、『26 1988/09/21(1032) Witches-魔女たち-』は?なのですが。この曲は同年11月14日発売なので、発売2ヶ月前に歌ったということになりますし、この曲はシングル・カットでもないし…
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番組での新曲披露と発売時期との間隔 (resistance-k)
2007-07-17 02:33:09
大変申し訳ございません。やはり1988年9月21日放送は「人魚姫-mermaid-」のほうだったようです。先ほど訂正させて頂きました。

ただ、最近このブログに時間を思うように割けず、かなりとり急いで記事を書けるときだけ書いてる(なので更新がかなりのスローペースになっています)状況なので、記載漏れや見落とし・脱字などかなり散漫な内容になっておりますこと、何卒ご理解ください。

ただ、重ねて申し上げておりますように「完全なデータ」を記載するようには努めてはおりますが、どうしても個人管理である関係上、「不完全」となってしまうことも多く、言い訳がましいかもしれませんが、やはりその点は「個人サイトの限界」だろうと思っております。あくまでも「非公式」「個人運営」であることを考慮頂いた上でこのブログを見に着ていただけると有難い訳ですが・・・。

発売2ヶ月前に早くも新曲を歌ったというケースが全く皆無であったかといえば、必ずしもそういう訳でもなかったようです。どうしても歌う歌がない(新曲発売間隔が長い、アルバムの発売予定もない等の理由により)が、番組に出したいという歌手になると、時折、かなりの「ウルトラC」的措置のような形で発売2ヶ月前であっても新曲が出来上がれば披露していた、なんていうケースもあったにはあったようですが・・・。確か布施明の「今夜は気取って」という歌は発売される2ヶ月ぐらい前から「新曲」ということで夜ヒットでも歌っていたような記憶があります。
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Unknown (タジィー)
2007-07-17 22:07:37
歌手活動の時期と女優活動の時期を分けていたと言えば斉藤由貴なんかも当てはまりますね。



彼女もデビュー曲から出演し(ただし、歌がヒットしてからですが)、85年は1曲につき2~3回出演してるのに、86年は女優業で多忙だったためか1曲1回くらいしか出演していません。

87年からはまた1曲あたりの出演ペースが増えてますが。
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「はね駒」・「トットチャンネル」 (resistance-k)
2007-07-17 23:00:47
たしかに斉藤由貴も女優業・歌手業どちらとも〃比重で最初期のころから活動をしていましたよね・・・。
1986年は斉藤由貴の女優としての側面が一気に注目された年で、映画「トットチャンネル」、NHKのテレビ小説「はね駒」のヒロインで一気に支持層を拡大した、っていう感じだったと思います。
確か「ベストテン」「トップテン」でもこの年はドラマ・映画の収録先からの出演が殆どでしたよね。
ただ、斉藤由貴の場合は中山美穂の場合とは異なり、1988年に入るとほぼ8:2ぐらいの割合で女優業を中心に活動していくようになっていましたね(晩期の夜ヒットでは彼女は「アイドル」という扱いでなく、「歌う女優」的扱いで出演する状態になっていたような…)。そもそも「歌手」をそれほど長いことやっていこうという考えはなかったのかもしれませんが…。
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訂正のお願い (ムスカ)
2007-07-19 21:38:17
お久しぶりです。いつも楽しく拝見しております。
工藤静香の初登場曲ですが、ANGELではなく、Againではないでしょうか?確認のほうお願いします。
現在、スカパーで再放送を見て楽しんでいます。この前の再放送では古舘のテレビ司会振りを久しぶりにじっくり見ました。やはり、井上さんのように全体的に面白い雰囲気ではなく、要所要所で笑いを取り盛り上げ役に徹しているのが特徴的でした。ただ早口すぎて聞き取れないことがたまにありましたが・・・。
ただ、彼のこの勢いは柴時代になってしまうと、相方がおとなしい柴であるせいか、一人で浮いてしまい、受け狙いのコメントをしてもすべったりして、空回りがめだってしまうのが残念でした。R&Nの方はすぐに降板させられましたが、R&Nはゴールデンタイムの夜ヒット以上に空回りが激しかったらしいですね。ただR&Nの方は当時あんまり見ておらず、VTRも戸川純の回ぐらいしか出回ってないので良くわかりませんが。
でもその後、紅白の司会、おしゃれカンケイ、しあわせ家族計画など、名番組をいくつも担当し、いつしかテレビには欠かせない一流の司会者になっていきました。そんな彼も今はニュースキャスターで、夜ヒットと同様、名司会者の後釜を必死になってやっている状況でありながらも、「報道ステーション」は毎回高視聴率を獲得しているが、私個人的には、キャスターよりも、司会業の古舘の方が良く、バラエティーや歌番組など娯楽系の番組には欠かせない逸材だったと思います。またいつかバラエティーの司会の方にも戻ってもらいたいです。
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追伸・質問 (ムスカ)
2007-07-19 21:52:23
たびたびすいません。質問があります。DELUXEのエンディングテーマですが86年ごろからDEE-DEEのユーガッタネームを使用していましたが、それ以前はどんな曲でしたか?無印夜ヒットと同じ曲か?それともオリジナルのテーマ曲でしたか?
難しい質問で申し訳ありませんが、オリジナルのテーマ曲だったら、どんな感じの曲調だったか教えてもらいたいです。宜しくお願いします。
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Unknown (resistance-k)
2007-07-20 00:07:15
ムスカさん、お久しぶりです。

>>DELUXEのエンディングテーマですが86年ごろからDEE-DEEのユーガッタネームを使用していましたが、それ以前はどんな曲でしたか?無印夜ヒットと同じ曲か?それともオリジナルのテーマ曲でしたか?

1986年の春頃までは、DXのオープニング音楽の延長バージョンをエンディングでも流していたようです(以前CSで再放送されていた1985年のDX放送分のエンディング部分から確認済み)。
しかし、あのテーマ音楽を誰が演奏していたかはちょっとわからないですね。明らかにニューブリードの演奏ではないのは確かですが…。

古舘伊知郎は夜ヒットの司会者としては可も不可もないといった感じだろうと思います。

ただやはり彼の司会手法の本領が発揮できたのは、芳村真理のパートナーとして司会をやっていた前期のみでしたね・・・。
この頃は芳村真理が古舘のことを高く評価しており、彼女が古舘がある程度自由に司会を行える土壌を整え(自分が去った後の番組の中心が古舘となることを念頭においてそうしていたとも言えますが)、その上で古舘がプロレス実況差ながらの独創的なワンフレーズを連発しながら司会をやっていた、という感じのコンビネーションでしたね。当時古舘も「真理さんがいることで安心して司会ができる」という旨の発言をしていました。
実際、古舘・芳村のコンビもさすがに井上順と芳村のコンビには適わないまでも、なかなかの名コンビだったと思います。まるで「菩薩の上でピエロが汗だくになって踊りまわっている」ようなこの2人のコンビネーションを見ていて、子供の頃、とても面白く感じていました。

ただ、後期はやはり相手役に恵まれなかった故に、その相手役のフォローに回らざるを得ない場合が多く、前期における彼の勢いも次第にトーンダウンしてしまったのはやはり残念なところ。この番組を「自分の番組」とし切れなかったのもやはり芳村の後の彼のパートナー人事の不可解さが最大の要因なんじゃないかなあ…と思います。

工藤静香の曲目、確かに「Again」でしたね。後ほど訂正させていただきます。


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