河野談話・村山談話は無効だ
(大川談話より)
日本政府は、1993年の河野談話で、戦時中に日本軍・官憲が慰安婦の「強制連行」に関わったと実質的に認め、謝罪した。慰安婦募集について談話は「官憲等が直接これに加担したこともあった」としている。
実際には、軍・官憲による「強制連行」を示す証拠は、日本政府の調査で一切見つからなかった。談話発表は、日韓関係悪化を恐れ河野洋平官房長官の“政治判断”だった。
根拠なき河野談話によって、日本軍が女性を拉致して「性奴隷」にしたという説は、国連人権委員会の報告書に盛り込まれるなど国際的に広まった。韓国は今でも、首脳会談を渋るなど歴史問題を外交カードにしている。
終戦50周年の95年には、村山富一首相が談話で過去の違法行為を謝罪。村山談話は「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」とした。
現在でも、これが日本政府の公式見解となっている。
(高橋談話より)
それに対し私は中国と韓国を除いた国々の考えを調べた結果まるで違っていた。これは公式に発表された文書です。
この村山談話に対して、マレーシアのマハティール首相は、はっきりと、「日本は謝る必要はない」と異例のコメントをした。
また、同じマレー語のインドネシアのスハルト大統領が、如何なるコメントをしたかは知らないが、彼は、日本軍が教育したインドネシア独立義勇軍の一員で、大統領になったとき、独立義勇軍時代の教官であった日本に住む土屋大尉に電話をかけて、「教官殿、私は大統領になりました」と報告した男であったのだ。マハティールと同様に、村山談話の謝罪に首を傾げていたことは明らかだ。
さらに、スハルトの前任者であったスカルノ大統領は、昭和二〇年八月一七日、ジャカルタの野村海軍少将の自宅でインドネシア独立宣言書を起案し、しかも、独立宣言の日付に、西暦ではなく我が日本の皇紀二六〇四年を使用した大統領であった。
そのスカルノ大統領が、開催したバンドン会議五〇周年の席上で、我が総理大臣は、あの村山という老人の妄想を朗読したというわけだ。
君が代
http://youtu.be/8iuYxdXFPbc