今日は山形マット事件をもう一度検証してみたい。
まず最初にネットを始めた頃、2007年2月18日マット事件を取り上げた。私は最初、山形マット事件をテレビのニュースで知った。
それから各局の番組等の報道を見ている内、段々と内容が分かりこの問題はどうしても放ってはおけないと我々の仲間のNNさんと一緒に山形の児玉さんの所へ飛び込んで行った。何故ならばとてもこの事件を起こしたガキどもを許せなかったからだ。
最初に有平君のお父さんに会い、それからお母さん、本当に初対面でもしっかりしたご両親でそして優しい方々まず最初に線香をあげさせてもらい、そして有平君の話しになり約2時間位話しをした。
それから明倫中学校に行き体育館を見せてもらいそして事件のあった場所にマットがあったので、1時間位いろいろ検証した結果、赤ちゃんじゃあるまいし、のこのこマットの中に頭から潜り込んで窒息全くふざけた話しだ。
こんなガキに本当の事を吐かせるのは我々のやり方をやれば簡単だ。とにかく弁護士が色々ガキどもに有利な話しを持ち掛け、この事件から関係のない状況を作り上げたに違いない。しかししっかりしたガキどもだ。
それで逃げ切ろうとした根性は大人並だ。とにかくその面に対しては利口な奴ら。しかし有平君を手にかけた事は生涯絶対忘れる事が出来ないだろう。社会はそんなに甘くはない。
だいたい過去に悪さをやった人間はいつかは天罰を喰う。話は戻るがそれ以来増々弁護士に対し敵意を持つようになった。確かに加害者につけば嘘をついても何をしても、加害者に有利になるよう弁護をするしかし限度があるだろう。
嘘をついてもいい加減な話しを作り上げ、加害者を弁護するのは我々は絶対許さないのだ。特に学校側がつけた弁護士はなおさらそうだ。それ以来今度は2回目、3回目は連合会の副理事長の鹿川氏とNNさんと一緒に児玉さん夫婦と会って、事件の事や有平君の事を聞きながら学校などに行った。
しかし地域も含めて皆口が堅い。特に気になるのは現場の地域には変な風習があると云う事を聞いた。その事が一体なんだろうと今でも頭から離れない。今頃有平君が生きていたら何をやっているんだろうと、どうしても考えてしまう。
私も多くの子供達を育てて来たので、大体一寸話せば話した子の性格や人間性がすぐ分かる。自分は子供が好きなので30数年ボランティアで空手を指導。現在も続けている。
山形マット死事件
画像は明倫中学校
1993年1月13日、山形県新庄市立明倫中学校の体育館用具室で、同校1年生・児玉有平くん(13歳)がマットの中に逆さに突っ込まれる形で死亡しているのが発見された。
児玉有平君は幼稚園を経営する児玉家の次男として生まれた。児玉一家は1976年頃に新庄市に引っ越してきたが、「裕福」であり、「標準語」を話す「地元出身」ではない家庭だったため「新参者」と言われていた。地元の人々にとって、児玉一家に対して妬みがなかったと言えば嘘になる。
有平君は小学校の高学年頃からいじめにあっていた。漫画家かアニメ製作の仕事を志すようになっていた。
「現代人が忘れた『心』を伝えたい」 家族にはよくそう語っていたという。
1992年夏頃、部活動でいじめられた経験のある兄(中3)が、「部活でいじめられていないか」と有平くんに尋ねると、有平くんは「いじめられてもギャグを言って切り抜けているから大丈夫」と答えていた。
1992年9月 集団宿泊研修から、有平くんが顔を腫らして帰宅したため、家族が学校に「いじめられているのでは」と相談。学校側は有平くんから事情を聴くが、いじめられたことを認めなかったため放置。
詳細はオワリナキアクム
~又ハ、捻ジ曲ゲラレタ怒リ~
http://yabusaka.moo.jp/yamagatamatto.htm
山形マット事件を読んでください。
画像は、漫画家の神様と呼ばれてる手塚治虫先生
夢を作る仕事(山形マット事件)六年 児玉有平くんの作文
僕は将来漫画家あるいはアニメスタッフになるのが、夢です。
他にもたくさんやりたいことがあるんだけどやっぱりこの二つが今一番です。
二つとも空想からキャラクターが、生まれ、時代が生まれ、世界が生まれます。すべてが、人の頭心から生まれます。
ぼくはそうやって人に話を聞かせたり、見せたりするのが、大好きです。
自分の作った作品を見て泣いたり笑ったりして、感動した人の心が晴れ晴れしたら僕は、何よりもうれしいし、作品が成功したら心から喜べるでしょう。
そしてもし出来るなら、映画を作り、自分が監督し、脚本を作り主演者を、チャップリンや、ヒッチコックみたいのをやってみたいです。
しかし僕の夢は、思ったより簡単にはかなえられません。
漫画家やアニメ業界などでは、貧乏で、プロちゅうのプロにならないと
食べていくのが、難しいそうです。
でも、くじけずにやっていこうと思います。
漫画家になりたいという人は、全国にたくさんいますが、漫画家は、宝くじよりあたらないといわれています。
自分でも、なんで僕の将来の仕事は、こう貧乏で苦労続きで、世間から
あまり認められないのだろうかと、思います
昔、漫画家なんていうのは、全く認められない仕事でした、
そこで、現れたのが、現在漫画家の神様と呼ばれてる手塚治虫先生です。
彼は、ライバルのいない天才だ。
数々の、作品には社会的なこともあり、もちろん夢を語ったものもありました。
彼は、漫画家を、世間に広く広めました。
そして、いまも数限りない多くのファンがいます。
そして、その手塚先生の後でも、どんどん漫画家が出てきています。
限りない夢を求めて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アニメを完成させるには、一作品に40人は必要です。
そのうちの20人は、アニメーターです。
アニメは、セル画、一枚約、一秒というから、例えば30分の番組だとするとものすごい、セル画の量だということが、わかります。
特に、アクションが、見せもののアニメなんかは、ふっとばされたり飛び上がるシーンなど、はっきり見るには、とてもスローモーションではわかりません。
アニメの素晴らしいところは、おもしろく、かっこよく、いろんなひとを自由自在にあやつることです。
ぼくが、アニメーターになりたいというのは、映画と同じように見た人が、感動して喜べるからです。
日本は、世界一の、経済大国です。
でも何か、貧しくさびしいです。心が・・・・・・・・・・・・・・・・・
かたっぽ一万円する靴を履き、たっぷりの肉を食べる現代っ子は、目先の欲にとらわれ、何か大切な、お金では買えないものを、忘れていないでしょうか。
その忘れものは、夢です。
その忘れかけた、大事な忘れ物を、届けるために、僕は漫画やアニメの仕事をしようと思います。
今日は☆彡生まれ変わった維新の志士・村上よしあきは、天下国家のため、今日も働きます!と日々頑張っている、村上よしあきさんのオフィシャルブログを紹介します。
メッセージありがとうございます。幸福実現党宮城県本部の村上です。
鷺沼支部の方々とは2年ほど前に一緒に私も活動させて頂いたことがあります。
貴団体のページ、拝見致しました。しっかりした理念のもとに活動されていらっしゃって、こちらこそ頭が下がる思いです。私のほうこそ、今後勉強のためにたびたび拝見したいと思います。
私のブログはその時々で感じたことを自分の言葉でかいているだけですので、どこまでご参考になるか自信がございませんが、お役にたてますなら、何なりと転載でも引用でもして頂ければと思います。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
村上善昭
自由を守る戦い
昨日、東京の日比谷、霞が関、有楽町周辺において、「増税が国を滅ぼす!一万人国民集会&デモ」が行われ、私も参加してまいりました。
これは始めに行われた日比谷公園での集会。
日本の神様が増税にお怒りの様子が、すごい風雨の天気にも現れていました。
みなカッパを着ててもずぶ濡れ。でも力強く増税反対を訴えました。
さてそういえば、
デモの開始前に、日比谷公園を散歩しておりましたら、こんなものを発見しました。
これは昭和27年にGHQを通じてアメリカ有志から日本へ贈られた「自由の鐘」です。
「自由の鐘」とは、
もともとアメリカ独立宣言を記念して造られた鐘で、
アメリカだけでなく、ひろく全ての国の住民へ自由を告げる目的も込められているそうです。
これが説明の石碑
そしてよく見ると、これが日比谷公園に設置される際、その受け入れと設置をした団体は「日本新聞協会」となっています。
自由を守る砦としてマスコミ協会がふさわしいとされたのでしょうか。
あらゆる増税は、国家が国民に対して行う合法的な略奪です。
使えるお金を減らし、自由を制限するこうした国家政策は、本来、主権者である国民の総意がなければできないことです。
にもかかわらず、2009年に、増税を全く公約にしないで大量の議席を獲得した民主党によって、増税が強行されるのは、
日本における自由の死を意味すると考えます。
そして本来、在野の精神で自由を守るべきマスコミも、それに同調、または黙認しています。
自由を守る戦いを引き続き皆様と続けてまいります。
ご支援頂けましたら幸いです。
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追記
現在、増税論の裏で、日本新聞協会は政府へ、自分たちだけは増税しないでという「軽減税率」要望を出してます。
すでに水面下では新聞業界には課税しないという密約があって、主要マスコミ界は増税を容認しているという噂もあります。
自由の鐘の精神が泣いています。
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