青少年育成連合会 | 日本の未来を【夢と希望に満ちた国】にする為に日本人の心に訴えたい
子どもは日本国の宝|私たちは【子どもをいじめと虐待、性犯罪から守る】為にあらゆる方法を講じ解決にあたります





 今日は大きな話題が3件。一つは千葉法相の2人に死刑執行広島小1女児殺害事件の裁判と相変わらず多い児童虐待など我々が何回も取り上げている問題。それに対し、司法にしても 児童相談所にしても、何回も事件・事故に対して警告をしたにも関わらず、一向に改善してないのは何故か。結局は司法は相変わらず遺族の立場になって、何も考えない能天気な奴らだ。結局、裁判官自身の質の問題、社会を余り知らないから余計に始末が悪い。もっと悪質な犯罪ぐらいは極刑で挑め・
 それに児童相談所
 元々、役人気質。そんな連中が虐待をやってい馬鹿親と話し合いなんか出来るわけ無いだろう。毎回、我々も忠告している通り、相手の親を脅しても、虐待を受けている子どもを助けるのは児相の仕事では無いのか。
 たかが虐待をしている親からどなられても、引くな。売り言葉に買い言葉、堂々とやりあえばいいではないか。いちいち恐がっていたら虐待を受けている子どもを助けることは出来ないよ。
 それに法的に相手が出て来なければ鍵を壊して乗り込む事だって出来るのに去年は全国でたった一回だけ。
もういい加減にしろ。だから子どもを虐待から救うことが出来ないんだ。私も知っている強い男達が沢山いるから、我々の方に連絡すれば何人でも紹介すると書き込んでいるのに、まだ一件も話しが来ていない。今の児童相談所の連中じゃ無理だね。考え直したほうがいい。






千葉法相の死刑執行命令 政治的演出のにおい 7月28日22時26分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100728-00000614-san-pol

 28日に就任後初めて死刑執行に踏み切った千葉景子法相は、死刑制度反対論者として知られてきた。27日にも「死刑は大変重い刑」と死刑に慎重姿勢を強調していたが、実は死刑執行の命令書に署名したのは24日のことだった。法相の職責をようやく果たしたともいえるが、国民をたばかる不意打ちだといわれても仕方ない。30日召集の臨時国会で野党側からの追及をかわす思惑も透けて見え、死刑囚の命をもてあそぶ政治パフォーマンスのにおいすら漂っている。

 千葉氏は28日、死刑執行の一方で、死刑廃止を検討する勉強会を法務省内で発足させることも表明し、本心は異なることをアピールした。この日死刑となった2人は、まるで千葉氏の政治的都合のために便宜的に命を奪われたかのようだ。



 千葉氏は昨年9月発足の鳩山内閣で法相に就くまでは「死刑廃止を推進する議員連盟」に参加。死刑反対の姿勢を貫き、平成元年には日本人拉致実行犯である北朝鮮の元工作員、辛光洙(シンガンス)元死刑囚の釈放嘆願書にまで署名したほどだ。

 鳩山由紀夫前首相は民主党幹事長時代、「法相は死刑執行をしなければ資格はない。死刑を多くの国民が求めている時代だ」と指摘していた。千葉氏は鳩山内閣時代、「そういう(鳩山氏の)発言があったことは覚えているが、適切に対応したい」と平然と無視してきたが、そうした信念も底の浅いものだったようだ。

 千葉氏は死刑を執行しないと信じ、しばしの安堵(あんど)を得てきた死刑囚たちは、心をなぶられた形だ。

 また、千葉氏は今回の死刑執行にあたり、最後の死刑執行からちょうど1年の28日を選び、法相としては異例の立ち会いもした。だが、そんな政治的演出めいたやり方は、厳粛であるべき人の死に際し、本当に必要だったのか。

 そもそも先の参院選での千葉氏の落選は、有権者が千葉氏の法務行政に「否」を突き付けたともいえる。法的に問題はなくとも、民意の承認を得られなかった法相による死刑執行は、どこか腑(ふ)に落ちない。(村上智博)




死刑が執行されたのは平成12年、宇都宮市の宝石店に放火、女性店員6人を殺害した強盗殺人事件で刑が確定した篠沢一男(59)=東京拘置所=と、15年、埼玉県熊谷市で男女4人を殺傷した尾形英紀(33)の両死刑囚。


次は広島女児殺害の差し戻し控訴審。この広島高裁の竹田隆裁判長、こいつ自分の子どもが同じ目にあったら、どうしますか?当然死刑適用とはっきり言うと思う。だから遺族の事なんか何も考えて無い。バカ野郎だ。こういう裁判官が居る限り犯罪は減らない。おそらくこれぐらいの犯罪を起こした人間には一般常識として死刑判決が常識。だからこいつは非常識な裁判官だということだ。こいつら税金で食っているんだから、国民の声を大事にしろ。とても話しにならない能無しだ。



<広島女児殺害>ヤギ被告、再び無期懲役 差し戻し控訴審
7月28日13時43分配信 毎日新聞

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100728-00000116-san-soci

 広島小1女児殺害事件で殺人や強制わいせつ致死などの罪に問われたペルー国籍のホセ・マヌエル・トレス・ヤギ被告(38)に対する差し戻し控訴審で、広島高裁(竹田隆裁判長)は28日、無期懲役だった1審・広島地裁判決を支持し、検察、被告側双方の控訴を棄却する判決を言い渡した。厳罰化の流れの中、死刑適用の有無が注目されたが、量刑は動かなかった。【中里顕】

 差し戻し控訴審では、社会の厳罰化の流れの中、下校中の女児に声をかけ、わいせつな行為をして殺害した犯行態様の悪質性などから、犠牲者が1人の場合でも死刑が適用されるかが焦点だった。


(画像は広島高等裁判所)

 竹田裁判長は、最高裁の永山事件判決(1983年)が示した基準にあてはめ、量刑を検討した。被害者が1人であることや、計画性がないことを考慮し、過去の事案とも比較したうえで、1審を「永山基準の要素を考慮し、総合的に判断している」と評価。「到底十分なものとはいえないが、被告には反省の態度がまったくないとも言えず、矯正不可能な程度までの反社会性や犯罪性があるとは裏付けられない」などと述べ、殺害方法を巡る事実認定を「片手で首を強く絞めた」から「手かひもで首を強く絞めた」に変更した以外は1審判決をほぼ全面的に支持した。

 差し戻し前控訴審で採用された被告のペルーでの性犯罪の前歴に関する書面については、ペルーでの刑事手続きでは黙秘権が実質的に保障されているかどうか疑いが残ると指摘し、「十分な検討がなされず、看過できない疑問もあるペルーの刑事手続きにおける前歴を国内での前科・前歴と同程度に取り扱うことは許されない」とし、量刑判断から排除した。

 裁判は、差し戻し前の控訴審が「犯行場所の特定につながる検察官調書の取り調べをせず、審理不十分」として1審判決を破棄して差し戻し、被告が上告した最高裁判決は高裁に審理を差し戻す異例の展開をたどった。

 

広島小1女児殺害事件

 05年11月22日、広島市安芸区の空き地で、小学1年生の木下あいりちゃん(当時7歳)の遺体が発見され、広島県警がトレス・ヤギ被告を逮捕。判決によると、あいりちゃんに性的暴行を加え、手かひもで首を絞めて殺害後、段ボール箱に遺体を入れて空き地に放置した。広島地裁は公判前整理手続きを採用し無期懲役判決を言い渡した。広島高裁は08年12月、1審の訴訟手続きを違法とし、審理を差し戻したが、09年10月の最高裁判決は1審手続きを適法とし、高裁に差し戻した。


 唸声北朝鮮/労働新聞7/28より、緊張を激化させているのは誰だ? 



写真は米韓軍事演習/BackChinaより、大判高画質写真27枚

http://news.backchina.com/viewnews-98936-gb2312.html

緊張状態をより一層激化させようとする凶計

http://www.uriminzokkiri.com/newspaper/rodong/2010/2010-07-28-B54.htm

南朝鮮傀儡らが米国と共に朝鮮東海上で展開する海上連合訓練は、私たちの共和国を海上と空中で奇襲先制攻撃するための非常に挑発的な核戦争演習として私たちに対する露骨な軍事的威嚇であり北侵略戦争挑発の前奏曲である。~中略~

朝鮮半島で核戦争の火種を炸裂させようとする米帝と傀儡好戦者の戦争狂気はすでに危険の限界線を越え、朝鮮半島情勢は極度に悪化している。

 私たちは戦争を望まないけれど、決して恐れない。

内外好戦勢力によって朝鮮半島に核戦争の黒い雲が押し寄せている今わが軍隊と人民は民族の尊厳と自主権、国益を守護するために敵の挑発には無慈悲な懲罰で、全面戦争には全面戦争で答える万端の準備体制を整えている。

読者の方もお分かりのように、自分たちの非は決して認めず、この半島の緊張を韓国と米国の所為にしている。緊張を高めたのは自分たちなのである。

韓国の李明博政権を傀儡、保守党、好戦国と決めてかかり、戦争はそちらが仕掛けるのであれば、北はそれに対応するとまるで朝鮮戦争の間違った教育のように、はじめに攻めたのは韓国と言わんばかりだ。

大韓航空機事件しかり、拉致問題しかり、よくもこれだけ嘘が吐けるものだ。今回の哨戒艦爆破事件も北朝鮮の釈明は過去の事件を見れば、彼らの言い分は信用できない。

明らかに好戦国は北朝鮮であり、火種を作っているのも北朝鮮、常に世界に嘘八百をアピールし続けることが、金世襲共和国の使命なのか?

北朝鮮が日本に向けてノドンを発射したとしても、彼らは知らぬ存ぜずで我々ではない米国の策謀であるといい続けるであろう。北の核攻撃で日本の地方都市が壊滅してはじめて日本の平和ボケが吹っ飛び、戦闘モードに入る。大きな犠牲がなければ、日本人はピンと来ないだろう。

『私たちは戦争を望まないけれど、決して恐れない』これはわが国にも言える金言である。隣国には日本人の感覚は通用しない。無慈悲な相手なのだ。彼らは着々と戦争の準備を進めている。


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