青少年育成連合会 | 日本の未来を【夢と希望に満ちた国】にする為に日本人の心に訴えたい
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子供の安全と女性が安心して生活が出来る社会作りを目指し内閣府認証・特定非営利活動法人・国際安心安全協会の川崎支部として活動。毎日の高津区を中心に地域防犯パトロールと夜間パトロールを実施。川崎市に限るが川崎支部として松濤館流空手道拳心会森道場を子どもを守り隊の相談本部として子供達の相談を受け付けています。 





今回、宗教研究家で坂戸御嶽神社総代の高橋さんを紹介。
私と高橋さんは20代の時からの親友中の親友で、私は社会運動、高橋さんは色々な宗教を勉強する為に40ヶ国を廻り回った。現在は地元の神社を改修し将来子ども達が引き継ぎ、坂戸の歴史を永遠に残して貰いたいと云うのが私たちの仕事だと言っていた。


子どもを守り隊地域防犯パトロールの活動を紹介




高橋会長が総代の~安らぎの杜~まちの鎮守

坂戸御獄神社(さかとみたけじんじゃ)を紹介します
<山岳信仰を受け継いだ鎮守
所在地  川崎市高津区坂戸2-20-1(旧番地 坂戸403番地)
創建時代 嘉永2年(1849年)新築
祭神   日本武尊(やまとたける)
     八幡神社(はちまんじんじゃ:右)
     彦火火出見命ひこほほでみのみこと
     豊玉比売(とよたまひめ)
     面足神社(おもたるじんじゃ:左)
     面足尊(おもたるのみこと)
     惶根神(かしこねのかみ)<旧大陸天(だいろくてん)
例大祭  10月第1日曜日


神奈川県神社誌では荏原郡調布村御嶽神社より分霊したとしています。荏原郡調布村の御嶽神社は現在の大田区北嶺町の御嶽神社で木曽御嶽神社の分社です。ですが御嶽神社の祭神の国常立命(くにのとこたちのみこと)は現在の坂戸の御嶽神社には祀られていません。明治初年に村内の八幡社と第六天社(現在の面足神社)を本殿に合祀しました。ところがその後、村で火災など凶事が多く発生し、それが合祀の祟りと噂されたことから今は本殿の左右に分けて祀られています。


高津村風土記より
村の総鎮守であるが創建年代も由来も不明である。安養院持ちであったが同寺の由来も詳らかでは無い。 現在祭神は日本武尊となっているが、これも明治初期の神仏分離令以降に定めたものであろう。 社名は古くから御獄社である。 現在の社殿についても正確な記録は見あたらず、古老の伝えによれば、嘉永2年(1849)に新築見積りを行い、2年後に完成したという。又この時の大工は近くの溝口家であったが職人気質のため仕事に熱中し家計を顧みる事が無く、ついに同家は社殿完成と共に一家離散したという。

当時の社殿は草葺であったので大正初期に改築され、さらに昭和41年(1966)9月屋根替を行いトタン葺となった。そして平成23年に修繕が行われた。神社統廃合により村内にあった八幡神社、第六天社を合祀したが、村内に火災が発生したり悪疫の流行や、些細な事から村民が争う事が多くなった。3神を同居させたため神々が怒り争い村内が乱れる、と考えた村民は再び3神を分離し、本社の左右に祠を建て末社とした。但しこの年代は不明である。明治末期の事らしい。



旧御獄社当時の祭礼は9月17日であるが明治5年(1872)太陽暦採用後、1ヶ月遅れの10月17日とした。現在は10月の第1日曜日となっている。祭礼幟は312番地に建てた。この地点は現在の311番地(富士電機坂戸寮)の角で古い公図ではわずかばかり社地となっている。

「末社」



「八幡神社」(旧八万社安養院持ち)
本社の右側にある八幡神社はもと坂戸569番地にあり、傍に上の稲荷があった。勧請の年代は不明である。八幡社の起源は神武天皇(カムヤマトイワレヒコノミコト)御東征の時、日向から海路を進まれて、船泊まりされた所と伝えられる。宇佐、黒崎、八幡、多那里、埃宮、宇野等に八幡神社が祀られている事から、古くは、海路の神、軍旅の神として祀られたものであるという。



祭神は彦火火出見命、豊玉比売とされ後に神功皇后が合祀された事によって仲哀天皇、応神天皇や武内宿弥などが祭神に変化した。神武東征に由来する事から軍神とされ、多くの武将に厚く信仰され、特に源氏の守護神とされた。全国的に八幡社は宇佐又は箱崎八幡を勧請したものが多い。但しこの八幡はいずれから勧請したものか不明である。合祀前の祭礼は正月晦日であった。




「面足神社」(旧第六天・大陸天社安養院持ち) 第六天、大六天、大陸天とも書く。もと坂戸287番地(新田耕地)にあった。この社の附近を「木の元耕地」とも呼んだ。第六天については農神であったらしいが細部は不明である。勧請年代も由来もまったく不明である。現在社名を面足神社となっているから祭神は面足尊、惶根神である。面足は面貌具足の意味で惶根は弥賢根の意味で心情を表し、心身共にそなわった神という。高天原におられた最初の神々天神七代の一神である。この社名も祭神も神仏分離以降に定められたものであろう。二社共間口0.8m奥行1.2mの小さなもので社前に高さ2mの鉄の鳥居が建っている。



大正15年(1926)5月武笠豊吉、同新吉は本社拝殿士留、敷石、石段を寄進した。
「手洗」
明治11年(1878)9月武笠、磯崎、武藤、軽部、荻島、野村、志村、前島の諸氏20人が手洗石を奉納し水屋が出来た。
昭和33年(1958)10月村民は36万9千円の浄財を集め、境内を整備し周囲に石の玉垣を設置し、同年10月5日、高さ1.75mの記念碑を建立した。



「社名碑」高さ2.30
昭和33年(1958)10月武笠清吉、同市造が奉納建立した。



狛犬一対」高さ2.00
 
昭和33年10月前島秀一郎、武笠栄一が奉納した。



鳥居」(石造)高さ4.00m 柱間2.4m
明治40年(1907)12月15日、日露戦争従軍者、前島弥太郎、志村林蔵、前島政経、武笠豊吉、前島礒五郎、高橋浅次郎、筒井軍司、高橋易備、出口善三郎、筒井勘蔵が神霊の加護に感謝し奉納した


川崎市高津区の坂戸御嶽神社で10月3日(土)と4日(日)の二日間に行われた秋季例大祭。

 

3日(土)宵宮の午後6時からのカラオケ大会

3日(土)宵宮の演芸(大江裕ショー)

 


4日(日)坂戸御嶽神社例大祭本宮-子供神輿 

 












4日(日)坂戸御嶽神社例大祭本祭-大人神輿-宮出~宮入~直会 












 その他の写真集(一部) 









昨年の「夏越の大祓え」より






昨年の例大祭より