青少年育成連合会 | 日本の未来を【夢と希望に満ちた国】にする為に日本人の心に訴えたい
子どもは日本国の宝|私たちは【子どもをいじめと虐待、性犯罪から守る】為にあらゆる方法を講じ解決にあたります





我々は3年前に始まった地域防犯パトロールをやって一番感じるのは、やはりスマホを持っている子供達の遊び方に危険を感じるようになった。とにかく公園とかで遊んでいる子供達を見ては、学校の中でいじめがあるかどうかとか、知らない男から声をかけられたかどうかを聞きながら子供達の様子を見るようにしている。我々はパトロール中、もし襲われている子供を見たら、襲っている奴を一撃で倒して子供を助けるようにしている。3年間も地域パトロールをしていると、色々な場面に遭遇しました。特に多くの子供達が持っているスマホについて、親御さん達はLINEの怖さを知らない。現在3人にひとりがスマホを持っている時代。そして中にはLINEを使って援助交際をする10代の子供達が増えている。こういう子供達を喰い物にする悪い男がゴロゴロいる。又、子供同士でデマを流し、中には事件をおこしとんでもないデマを流すなど、子供の間では仲間外れにされ悩んで苦しんでいる子供が沢山いる。それに対し地域には受け皿がない。今、苦しんでいる子供達を助けるには相当力のある人間が必要だ。川崎には我々の仲間がたくさんいるので多少安心だがいない所は大変だ。全国の皆さんLINEで悩んでいる子供達を守るのは大人しかいません。是非、助けてやって下さい。




皆さんから寄せられたコメント紹介
物欲、性欲、金銭欲を追い求める我欲の現れでありましょう。
これらを糺せるか否かに我が国の将来は懸かっているでしょう
小学生にスマホを持たせる親御さんは、サファリパークの中で車から子どもを降ろすのと同じだという認識がおありでしょうか?自己責任などと言わず、先生や周りの方が、危険性を教えてあげて欲しいと思います
大元は教育ですよ。
教育を改革し自分達の先祖代々受け(戦後教育ではない)継いできた教育を取り戻すことによりこうした問題は解決する事ができます。
『家庭の躾と教育』が一番と思います。学校教育が間違っていると感じたら、子供は教師に対して質問をします。「我が家とは違う」と…。…と小生は感じます。小生は父親から小学5年の時に『教育勅語』を教えられました。
国籍に関係無く断固たる厳罰を課すべきです。割に合わない行為だと思わせなければなりません。もちろん事件が起こらないように啓蒙(けいもう)活動も必要でしょう。私の知る限り、日本ほど悪い意味で自由な国は有りません。公のためなら多少の個の自由は制限される。こんな事当然です。みんな現実に仕事でそれをしてるじゃないですか。個人の行動の制限など有って当たり前です。
【道徳教育】
道徳教育とは、今からおよそ1400年も昔に、聖徳太子の唱えた「和をもって尊し」の教え、つまり憲法17条の象徴である「和の心」に端を発しています。果たして、この「尊し」、あるいは「志す」「仰ぐ」の精神が現代の親を始め、若者たちにどこまで浸透しているでしょうか。学校でのイジメ、職場でのイジメ・・・このイジメと道徳教育との要因は、どこから発生して、どう対応し、どう把握されているのかを考えてみたいと思います。
イジメという現象は、いつの時代にも多かれ少なかれありましたが、現代、特に日本経済の高度成長期に入ると、第一期のイジメの時代がやって来ました。(1986年、NHKにて私はイジメの発生と原因について論じました。)その後、「うちの子に限って」が流行語となり、1994年には全国的にかつてないほどのイジメを苦にした自殺が報じられるようになりました。イジメと道徳教育を結びつけるのは抽象的ですが、道徳とは、一言でいえば倫理感であり、人が生きていくために学ぶものです。そしてその根拠は冒頭で述べた「志す」にあるのです。
この根底には、親が子と接するにあたって、また育んでいく段階に、親自身が心から志しを持って人と関わったり、感謝をしたりしてきたかどうかが問われます。しかし、今述べたようなことを後まわしにして、まずは人より一つでも多く仕事をやり、家庭のために頑張りに頑張りぬいた人たちの「和の心」は、我が子には振り向かず、私欲を増やすことばかり考えてはいないでしょうか。それが、「うちの子に限って」の精神とつながるのです。かつての物不足時代の庶民感覚といえば、いかに借金をしないかが最も健全な庶民像でありました。しかし、それが便利で合理化された社会に画一化管理社会構造が入り、「志す」ことあるいは「仰ぐ」ことといった精神構造も改革されてしまいました。自由と平等も勝手なものになり、個人と利己の違いもわからず、教える側も、学ぶ側も、意識喪失してしまっています。このような麻痺人間の和と安穏化社会の官僚語のような責任逃れの言葉が飛びかう責任転嫁の現代では、倫理感も道徳教育もあってないものとなってしまったのです。
大家族制度の崩壊が利己主義の蔓延と日本人としての節度や誇りを失っているように思えます。遵法精神の前に、家門の恥となるようなことは慎み、名を高めることは家門の誉れとして、先祖代々誇り高く生きてきたのが戦後の劣化教育や核家族化の進展と共に恥知らずが増殖し節操と言う言葉が喪われているようです。年寄りの最後の大きな務めは死に様だそうですが、子弟の将来の安寧を望むなら自身の背中で生き様を教えるくらいの腹をくくるべきです。と自身に言い聞かせています。
昔は先祖に顔向け出来ないことや未来の子供達の為にと正直に良い事をして来たと思います。誘惑に負けそうな時でも御天道様が見ているからと出来ませんでした。テレビは低俗が多く自分の事が一番大切、そのためには多少は他人を犠牲機しても構わない、お金があると幸せになれると錯覚してると思います。誰も見ていない、少しぐらいは大丈夫、皆やってる…これが悪魔の囁きです。横田様達の地域防犯パトロールお疲れ様です。大変だと思いますがとても大切な事です。日本人として感謝しています
横田さんのおっしゃる通りだと思います。みんなで力を合わせないと、子供達を救うことはできません。頭では理解していても、行動できる人はごくわずかです。何とかしたいけど、何もしないでいる臆病なんですね。
横田さん方の地道な活動にはまさに頭の下がる思いです。ありがとうございます。先日、電車に乗っていたとき、高校生の女子が、4人で賑やかに話しているのです。様子を見ていると、それぞれ、スマートフォンに目をやって、相手の目を見て話していないのです。よくこれで会話が成り立つな?と不思議な気持ちになりました。どうなんでしょうか?今の子供達は、本音で話せているのでしょうか?「目は口ほどにものを言う」なんて、死語になってしまうのでしょうか?話がそれてしまったかもしれませんが、スマートフォンの悪影響ってこういうところにも表れているかもしれませんね。横田さん達の活動が子供達の救いになりますようにお祈りいたします。
横田さん、ありがとうございます。加害者には有無を言わさず一撃必殺の正拳あるいは蹴り!まさに真の正義からくる一撃!これは、本質的には厳愛の必殺拳であり、決して制裁ではありません。社会秩序の蹴りであり国家復興、家庭再建のための格闘でもありますね。難しい部分を本当にありがとうございます。