青少年育成連合会 | 日本の未来を【夢と希望に満ちた国】にする為に日本人の心に訴えたい
子どもは日本国の宝|私たちは【子どもをいじめと虐待、性犯罪から守る】為にあらゆる方法を講じ解決にあたります



拳心会、西谷師範の最も大切にしている言葉礼儀作法と社会のルール、両親への孝行、お互いの助け合い、おもいやり、優しさ、弱者救済、感謝、社会奉仕私も、尊敬する、師範の言葉を大切にしたい。不言実行やるのみ・・・・・

本文に入ります、

実は10日ぐらい前に、副事務局長の石塚君が、連れてきた63歳のSさん(男)初対面の時にがたがた震えていたので、何事かと思い話を聞いて愕然とした。今、ほんとに多い子供や、老人の事件皆、力のない無抵抗の人間に対して金や、性的欲望の為に簡単に、子供や老人を殺してしまう社会や、司法にも大きな原因がある。今回は、違う警察の対応にも問題がある、これは、話しを聞いて相手を直ぐに逮捕できる事案だ。相談者は、警察に被害届けを出すまでは、相当悩んだ上で出向いている筈だ。それなのに、逆に相談に行って、被害届けを出そうと思ったら、受理してくれなかった。逆に、いやな思いをして、帰ってきた話しはよく聞く話だ。今は、マスコミも入っているので詳しい話しはできないが、一ついえることは現在75歳以上の老人が1350万ぐらいいますが、これからますます、高齢化社会のなか、増えていくだろう夫婦ふたりとか、一人暮らしとか、力も無い無抵抗の老人を金を奪うまたは、金のために簡単に殺してしまう、こんなこと昔はなかった。今回の件は、加害者は少年16歳、ちょっとした因縁をつけ金を何回か取る、そればかりか、被害者の家に入り込み箪笥から何から、かきまわせ、ついには、脅し文句を言ったあげく ○○を売ってかねを作れとか、腕時計や自転車などをもっていった。別れ際に、今度年金から金を出せと言って帰った。被害者は、奥さんを実家に避難させ、現在本人は、連合会の事務所にかくまってもらったり外に出るときは、警護をしてもらったりしてますが、しかしいつまでも、この状態では、自殺も考えたくなるような、日々だと話しております。この状況下の状態でも警察は被害届けを受理しないと言うのはどういうことなのか、しかし、本人の事を考えれば苦痛を開放しなければなりません。我々は、すぐに相手を捕まえる作戦を開始。皆さん、この戦いの詳しい事はブログに乗せますので、一緒に考えてください。今、生活苦の中で、一生懸命生きている、1350万人の、お年寄りたち、それに、現在の経済大国を作りあげてきた大先輩達に対して、確かに法律の壁に警察官もやりずらいかもしれない、しかし、我々にだって何かできるはずだ。特に全国には、空手や、ボクシング、キックボクシング、柔道、古武道、など、道場やジムがたくさんあります。是非皆さんに窓口になって、子供や老人の相談の窓口になってやってください。被害者にとっては、一番頼りに成る場だと思っております。つまり我々が、いつも声をあげている、力無き正義は無能なり、我々も長年、全日本松涛館流空手道拳心会会長の、西谷賢師範の協力を得て、活動しております。ますます、増えていく子供や老人に対する犯罪に、歯止めをかけるよう協力してください。それから、加害者から追い込まれていく人の恐怖というのは、当事者でないと本当に理解できないと思いますが、いかかでしょうか。ここで紹介する、当会の副事務局長の石塚君の苦い経験を読んでくだされば恐怖で逃げ隠れしている人間の心境を、少しでも理解していただければと、本人に説得してやっと書いてもらいました。本人も、思い出したくないことなので、初めは断っていましたが、多くの人達の為に書いてもらった次第です。是非皆さんに恐怖という現実を理解していただければ幸いです。

 私の地獄の1年間

私の、地獄の1年間を聞いて下さい。私には2才年上の地元で危険人物と言われた先輩がおります。後輩と遊んでいたら、その先輩が現れ、いきなりカンパしろと、脅かされました。私も、堅い性格で頑固な為、どうしてカンパしないといけないのですかと聞いたところ、なにーと吼えてきて、本人が履いていたハイヒールのサンダルで頭をたたかれました。脳天から、血が流れ、恐怖のあまり小銭を出してしまいました。それが、地獄の黙示録の始まりです。その後も、さまざまな、暴力、恐喝、深夜の呼び出し、などがありましたが、すべて記事にしたら、一日では、収まりきれない為、一番、悲惨だった事件を、一つ聞いて下さい私が、新車で購入した、日産サニー1300GLという車を、購入して一ヶ月ぐらいでむりやり取られてしまい、乱暴な運転をして、ポンコツ同然にされた事件です。地元で見かけて車を返してくださいと言っても、そのたんびに暴力振るわれお金も脅し取られて、しかも時々深夜私の自宅に現れ、寝泊りされることもありました。覚醒剤打っている時は、特に乱暴になり、自宅でもよく殴られました。もう限界だ、ここでこの先輩と戦うしかない。堅い決意と、覚悟が出来たのも、この時です、親父に相談して、親戚の的屋のおじさんも、加わって、弟二人も参加して車両を盗難届けを出しました。もし、脅されたら、的屋のおじさんが、長野県小諸市の事務所にさらう予定でした。それから数日して、先輩は、車両を某スタンドに鍵を付けて乗り捨てて、姿を消しました。車両は、悲惨な状態でしたが、的屋のおじさんが、動いてるのを知ってか先輩はそれを最後に、全く姿を現しませんでした。その瞬間、約1年間の地獄の黙示録は、幕を閉じました。あの開放感は人質から開放された思いでした。現在私は、地元の横田道場で、稽古する傍ら、青少年育成連合会の副事務局長を務めお年寄り、障害者、児童、など、弱い立場の方々を、陰ながら助けて行く為自分と同じ恐怖にあっている人を解放するため、社会活動に参加しています。