あるかたのブログを読んでいたら、まねきネコのお話が出てきました。
まねきネコ、といえば、じーじのブログにもありましたので、再録します。
2018年ころのブログです。
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以前、家庭裁判所で離婚調停に立ち会っていた時のこと。
調停委員さんからたまに、調査官が立ち会ってくれると話し合いがまとまることが多い、と言ってもらうことがありました。
もちろん、お世辞が大部分だったとは思うのですが、たまにはそういうこともあったのかもしれません。
優秀な調査官が立ち会えば、適切なアドバイスをして、話し合いをうまく進めることも可能だと思います。
しかし、じーじのような落ちこぼれの調査官の場合は、特に有効なアドバイスもできずに、ただ茫然と立ち会っていたような気がします。
もっともそんなじーじでもできていたことが一つだけありました。
それは、お父さんやお母さんがいい発言をした時には大きく頷き、あまりいい発言でない時には動かないでいる、ということでした。
凡庸なじーじにできることはそれくらいのことで、ほとんど黙って立ち会っていることが多かったように思いますが、それでもそれなりに影響を与えていたのかもしれません。
じーじはそういう関与の仕方を「まねきネコ」としての調査官、と自称していました(じーじの顔はあんなに可愛くはないのですが…。それでもたまに手を顔のそばに近づけて、こっそりとまねきネコのまねをしてみたりしていました)。
いま振り返ってみると、アドバイスなどはしなくとも、ただニコニコとして、そこに存在をしていることこそが大切ではなかったかと思うのです(もっとも、深刻なお話の時に、なんで笑っているんだと怒られたこともありましたが…)。
そしてこのことは臨床家全般にも通じそうな気がします。
どんなに厳しく、困難な状況であっても、臨床家が多少は困っても、しかし、あまり動じずに、自然体で泰然として存在すること、このことがどれだけ多くの言葉よりもクライエントさんには重要なことではないかと今は考えています。
拙い文章を書いてしまいましたが、今後もさらに思索を深めていきたいなと思います。 (2018?記)
子どもがお母さんと二人でいる時に、一人で遊べる能力です。
安定したお母さんがいるからこそ、子どもは自立することができるという意味だろうと思います。