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ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや海岸カウンセリングなどを研究しています

村上春樹『職業としての小説家』2015・スイッチパブリッシング-小説家としての覚悟を語る+追記です

2025年04月24日 | 村上春樹さんを読む

 2015年のブログです

     *

 村上さんの『職業としての小説家』(2015・スイッチパブリッシング)を読みました(なぜかマックス・ウェーバーさんの『職業としての学問』を思い出したのですが,あまり関係はないのかな?)。

 とても刺激的な本です。

 小説家としての村上さんの覚悟が述べられていると思います。

 もちろん,村上さんのことですから,押しつけはしていませんが…。

 正直に,ご自分の立場,考え,小説の書き方,体の鍛え方(長編小説を書くには体力も大切らしいです)などが述べられています。

 意外だったのは(意外でもないか?),小説を書き上げると最初に奥さんに読んでもらうということ。

 よくエッセイなどで,奥さんが怒ってる時には小さくなってやりすごすしかない,などと書いているので心配をしていましたが,なんだ!仲よし夫婦なんですね。よかった,よかった。

 よき伴侶を得ることがよい小説を書く条件の一つであることがわかりました。

 冗談はさておき,もう一つ印象に残ったのが,何かをするときに,「楽しいかどうか」が大切であるということ,これも重要な指摘だと思いました。

 精神分析家のウィニコットさんは,遊びの中にこそ創造はある,遊びの中にしか創造はない,というようなことを述べていますが,共通するところではないでしょうか。

 さらに深く読み込んでいきたい一冊だなと思いました。   (2015 記)

     *

 2019年春の追記です

 4年ぶりに再読をしました。

 やはりとってもいい本です。

 村上さんが小説や人生や社会について、かなり真面目に、真剣に語っている本だと思います。

 今回も印象に残ったのは、生きることや仕事をすることが「楽しいかどうか」ということ。

 どうせいろいろとある人生だから、できるだけ楽しんで生きようよ、とおっしゃっているかのように聞こえます。

 一つ発見をしたのは、村上さんが河合隼雄さんと対談をするきっかけが、村上さんの奥さんが河合さんのファンだったということ。

 奥さんの導きで村上さんは河合さんと深いお付き合いをされたわけですから、村上さんの奥さんは偉大ですね(やはり女性のほうが偉いのかもしれません(?))。

 と、冗談はさておき(半分本気ですが…)、他にも村上文学に関する興味あるお話がいっぱい書かれています。

 次は4年といわず、もう少し早めにまた味わいたいなと思いました。   (2019.4 記)

     *

 2024年3月の追記です

 5年ぶりに再読をしました。

 今回、印象に残ったのは、村上さんも、結論を急ぎすぎないほうがいい、と述べている点。

 あまりにも早急に「白か黒か」という判断を求めすぎている、と書いています。

 そして、誰もがコメンテーターや評論家みたいになってしまったら、世の中はぎすぎすした、ゆとりのないもの、あるいは、とても危ういものになってしまう、と述べています。

 これは、わからないことに耐えることの大切さ、と同意でしょう。

 さすがは、村上さん、です。   (2024.3 記)

 

 

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村上春樹『街とその不確かな壁』2023・新潮社-喪失・疎外・魂

2025年04月23日 | 村上春樹さんを読む

 2023年4月のブログです

     *

 村上春樹さんの『街とその不確かな壁』(2023・新潮社)を読む。

 重厚な物語だと思う。

 まだ一回読んだだけなので、今後、印象は変わるかもしれないが、一回読んだところで連想したことは、喪失、疎外、魂、という言葉。

 激しい喪失が何度も描かれる。

 読んでいても胸が痛くなるようないくつかの喪失。

 そして、喪失による哀しみ。

 人生は喪失と哀しみの繰り返しなんだなあ、と思う。

 次に、疎外。

 現実社会でも、壁の「街」でも、人々は疎外されている。

 疎外されて、生き生きと生きられず、なかば死んだように生きる。

 何かを恐れるように、生きる。

 個性は潰され、人々は平板な人生を生きる。

 そこに魂はない。

 一方、信ずることの大切さが述べられる。

 何を信ずるかにもよるのだろうが、信ずることと魂の復権は関係するのかもしれない。

 重厚で重層な物語が進行する。

 続きは各人のこころの中で進めていくのだろうと思う。     (2023.4 記)

     *

 同日の追記です

 哀しみを十分に哀しまないと、明るくても虚ろな生きかたになる(精神分析では、躁的防衛という)。

 虚ろいには影がない。

 影がなければ、魂は十全にはならないのかもしれない。

 

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村上春樹 ・川上未映子『みみずくは黄昏に飛びたつ』2017・新潮社-ただのインタヴューでは「あらない」です

2025年04月18日 | 村上春樹さんを読む

 2017年4月のブログです

     *    

 村上春樹さんに作家の川上未映子さんがインタヴューをした『みみずくは黄昏に飛びたつ』(2017・新潮社)を読みました。

 すごく面白かったです。

 騎士団長ふうにいうと、ただのインタヴューでは「あらない」、です。

 とても深いインタヴューです。

 もともと村上さんの大フアンである川上さんが、周到な用意をしてのインタヴューで、しかし、その鋭い(?)質問に村上さんは飄々と答えています。

 時には、村上さんも熱く語る場面がありますが、やはり基本は真面目さに裏づけられたユーモアとゆとり、という印象です。

 そこが村上さんの真骨頂なのでしょう。

 個人的には、ここのところ、『騎士団長殺し』に出てきた、スバル・フォレスターのタイヤケース、が、そんなのあったっけ?と、少しだけ心配だったのです(村上さんのことだから間違いはないだろうとうは思いましたが、しかし、まさかということも人生にはありますからね)。

 しかし、このインタヴューで、そういう表現になっている理由がわかって、ひと安心でした(詳しくは本書210ページを読んでくださいね。よかった、よかった)。

 また、『騎士団長殺し』の中で、注目の(?)、ユーモラスな騎士団長のことば遣いについても、謎が判明してとてもよかったです(詳しくは本書277ページを読んでくださいね)。

 他にも、読みどころは満載です(なんか宣伝みたいになっちゃいました)。

 村上文学をさらに深く味わうことができるいい本だと思います。              (2017.4 記)

     *

 2019年4月の追記です

 2年ぶりに再読をしました。

 のんびり屋のじーじにしては異例の早さ(?)です。

 やっぱりいい本です。

 川上さんのするどい質問に触発をされてか、村上さんの深い発言が出てきて、インタヴューが創造の場になっている感じです。

 そして、そこにはユーモアも存分にあふれていて、心地良い世界です。

 少し疲れた時に読むと、きっとエネルギーをもらえるような、そんな素敵な本だと思います。         (2019.4 記)

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村上春樹『海辺のカフカ』(上・下)2011・新潮文庫-生きることの不思議さとユーモアの大切さを味わう本物の物語

2025年04月15日 | 村上春樹さんを読む

 2017年4月のブログです

     *    

 村上さんの新作『騎士団長殺し』を読んでいたら、『海辺のカフカ』を思い出しました。

 物語の底を流れるユーモアの質にじーじは同じような印象を受けました。

 特に、ホシノくんをめぐるユーモアと同質のように思える前向きなユーモアは絶品だと思います。

 どんなに苦しい状況でもホシノくんのようなユーモアがあれば、なんとかなれそうな気がします。

 『海辺のカフカ』については2012年にブログを書いていて、とても十分な文章とはいえませんが、しかし、全くの的外れでもないようなので、再録してみます。         (2017.  4 記)

     *

 2012年のブログです

 村上春樹さんの『海辺のカフカ』を再読しました。

 単行本が出てすぐ、ついこないだに読んだばかりのような気がしていたのですが(この間、いろいろな村上春樹論を読んでいたせいもあるかもしれません)、単行本は10年前に出ていますので、じつに10年ぶりの再読でした。

 一回目に単行本を読んだ時はやや急いで読んでしまったせいか、あまり深い感動というものまでは感じられないで終わってしまった印象でした(村上さん、ごめんなさい)。

 しかし、今回は自分が10歳、年を取ったこともあってか、一つ一つのエピソードがとても面白く、印象的でした(特にカーネル・サンダースとホシノくんのやり取りがとても面白くて、深刻な場面なのについ笑ってしまいました)。

 じっくりと味わいながら、終わりが来るのがもったいないような気持ちで読みました。 

 読み込んでいる最中には、時々、意識がどこかにいっているような感じもするくらいで、集中して意識や無意識を深めながら読めたように思います。

 そして、あちこちの箇所でいろいろな感情や気持ち、感覚、情動などを味わえたと思います。

 読後には精神的にリフレッシュしたような感じがしました。

 また、数年後に読みたいなと思うくらいに、とてもすごくて、いい小説だと改めて思いました。         (2012 記)

     *

 2019年6月の追記です

 7年ぶりに再読をしました。

 ゆっくり、ゆっくりと、味わいながら読みました。

 60代なかばで読む『カフカ』はまた魅力的でした。

 読む人の年齢、環境、生き方によって、それぞれの読み方ができ、感じ方ができるのでしょうが、年寄りになった今のじーじには、やはりホシノくんの存在が一番大きく感じられました。

 ただのヤンキーがナカタさんやカーネル・サンダースとのやり取りの中で成長する姿がとてもいいです。

 特に、カーネル・サンダースとのやり取りはすごく面白くて、電車の中で読むのは危険です。

 村上さんもおそらくかなり楽しみながら書いたのではないかと想像します。

 カフカ少年と母なる存在の佐伯さんとの関係では、覚えていることの大切さが印象に残りました。

 覚えていることで、死者は生きる者の中で意味を持ち続けるということでしょうか。

 また、虐待や遺棄については、いろいろな事情をわかることが赦すことにつながるということ、もテーマでしょうか。

 とにかく、一つの小説の中で、いろいろなことが重層的に語られている本当の意味での「物語」ではないかと思います。

 いい小説です。          (2019.6 記)

     *

 2020年12月の追記です

 先日、堀江敏幸さんと角田光代さんの『私的読食録』(2020・新潮文庫)を読んでいたら、角田さんが、『海辺のカフカ』は、理解するとか、解釈するとか、そんなことよりも、この物語のおもしろさをただ浴びればいいのではないか、と思った、と書いていて、同感!と思いました。         (2020. 12 記)

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2017年4月の「朝日新聞」村上春樹さんのインタヴュー「『騎士団長殺し』の執筆語る」

2025年04月05日 | 村上春樹さんを読む

 2017年4月のブログです

     *

 今朝の「朝日新聞」に載った村上春樹さんのインタヴュー「『騎士団長殺し』の執筆語る」を読みました。

 あまり自分の小説については語らない村上さんが、めずらしく少しだけ語っておられます(とはいっても、一面の半分程度のあいかわらず控えめな発言ですが…。小説について言いたいことは、できるだけ小説でしか表現しない、と日ごろからおっしゃっている村上さんらしいです)。

 印象的だったのは、やはり、子どもが誕生した結末について。

 何かを引き継いでほしいという気持ちがある、それが何なのか、自分でもよくわからないけれど、と正直に述べられています。

 また、びっくりしたのが、この小説を執筆中だった一昨年の秋に、東北の沿岸を一人で車で走ったということ(そういえば、そういう光景が小説の重要な部分として出てきます)。

 じーじも偶然、村上さんに少し遅れて昨年の5月の連休に車で走ってみましたが、精神的にかなり大きな衝撃を感じて、いろいろと考えさせられました(そのいきさつは昨年、ブログに書きました)。

 さらにはまた、最近、トランプさんに代表されるような、世界各地で見られる、異物を排除すれば世の中がよくなる、という考えへの危惧なども指摘されています。

 しかし、それらには、政治的な発言より、物語で語っていきたい、という小説家としての強い覚悟を持っておられるようで、そういったものを強く感じました。

 短く、質素な内容ながら、考えさせられることのとても多いインタヴューだと思います。         (2017.4 記)

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村上春樹 『国境の南、太陽の西』1995・講談社文庫-喪失と再生の物語を読む

2025年04月04日 | 村上春樹さんを読む

 2019年3月のブログです

     *

 村上春樹 『国境の南、太陽の西』(1995・講談社文庫)を再読しました。

 かなりひさしぶりです。

 この本も本棚の横の標高約120センチくらいの文庫本の山の中の標高10センチくらいのところに埋もれていて、読みたいなと思いつつも、なかなか読めずにいたのですが、今回、清水の舞台から飛び降りる覚悟で(?)、本の山を崩して、救出し、読むことができました。

 おもしろかったです。

 こんなに面白い本をしばらく読まずにいて、村上さん、ごめんなさい。

 しかし、少し、つらい本でもありました。

 あらすじは書きませんが、喪失と再生、がテーマでしょうか。

 いろんな読み方があるでしょうが、今のじーじには、そのように読めました。

 もちろん、何日かすると、別の感じ方ができるのかもしれません。

 それが村上さんの奥深さでしょうし、おもしろさでしょう。

 正解はないのでしょうし、いくつもあるのかもしれません。人生と同じように…(かっこういい!)。

 いずれにせよ、60すぎのじーじが熱中して読めるおもしろさ、わくわく感があり、いろいろと感じ、味わうことができる物語が確かにあります。

 名作の一つですね。

 また、数年うちに読みたいと、今回、思いました。

 本当にいい小説です。少しだけつらいですが…。

 蛇足ですが、この小説には奥さんと二人の女の子が出てきます。 

 以前、『騎士団長殺し』の感想文で、村上さんの小説の主人公に子どもが生まれたのは初めてでは、と書いてしまいましたが、この小説で出てきていました(村上さん、再びごめんなさい)。

 主人公に、お馬をねだる可愛い女の子です。

 ひょっとすると、やはり、子どもが救いの存在なのかもしれません。             (2019.3 記)

  

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村上春樹 『騎士団長殺し』(第1部・第2部)2017・新潮社-その2・驚きと穏やかさと

2025年04月03日 | 村上春樹さんを読む

 2017年3月のブログです

     *  

 少し迷いましたが、村上さんの 『騎士団長殺し』(第1部・第2部)(2017・新潮社)の感想文の第2報を書いてみます。

 まだまだ読み終えていないかたも多いと思いますので、あらすじは書きません。

 しかし、結末を少しだけ書きます(村上さん、ごめんなさい。でも、売り上げはひょっとすると上がるかもしれません)。

 結末はなんと(!)、主人公が生まれてきた小さな娘の保育園の送り迎えをする、というものです(!)。

 驚き(!)の、びっくりでしょう(!)。

 村上さんの小説の主人公に子どもが生まれるのは、じーじの記憶ではたぶん初めてではないでしょうか(?)。

 1Q84では、主人公が妊娠をしたところで終わりましたが、今回は子どもが生まれました。

 もっとも、本当に自分の子どもかどうかは科学的にはあいまいなのですが、ここで信ずるということが出てきます。

 父親にとって、子どもが本当に自分の子どもかどうかは完全にはわからないことですし、結局は信ずるしかないのかもしれません。

 じーじが思うには、村上さんのこころの中で、変化というか、成長というか、成熟というか、何かが確実に進んでいるようです。

 心理学的に偉そうなことをいうと、エディプスコンプレックスを乗り越えたという印象を持ちますが、どうなのでしょう。

 そして、小さな娘の面倒を見ている主人公は、小説の中で、ちょうどその時に起こった東日本大震災の津波を映像を、娘には見せまいと必死の努力をします。 

 そんな小さな子どもを守ろうとする主人公を見ていると、村上さんも年相応にじーじになってきたなと思いました(村上さん、再びごめんなさい。でも、じーじになることはとても大切なことではないかと思います)。 

 じーじの勝手な思い込みと連帯感からですが、じーじになりつつある村上さんと一緒に生きていく幸せを感じて、前向きに、しかし、深く考え、感じて、生きていきたいなと思います。          (2017.3 記)

     *

 2019年6月の追記です   

 すみません、その後、村上さんの『国境の南、太陽の西』(1995・講談社文庫)を再読していたら、子どもさんが出てくることに気づきました(気づくのが遅い!)。こちらも可愛い女の子です。           (2019.6 記)  

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村上春樹 『騎士団長殺し』(第1部・第2部)2017・新潮社-その1・哀しみとユーモアと

2025年04月02日 | 村上春樹さんを読む

 2017年3月のブログです

     *  

 村上さんの 『騎士団長殺し』(第1部・第2部)(2017・新潮社)を読みました。

 これからも読後感や印象がどんどん変化すると予想するのですが、第1報をとりあえず書いてみます。

 まずは、とてもおもしろかったです。

 じーじのこころの準備不足のせいか、エンジンのかかるのが少し遅かったのですが、途中から物語に引き込まれて、土日月の3日間で読んでしまいました(もったいない!)。

 テーマは重層的で深いです。

 あまり詳しくは書きませんが、善と悪、戦争、人殺し、死者と対象喪失、こころから哀しむこと、信ずること、その他もろもろ。

 偶然でしょうが、対象喪失とこころから哀しむことのテーマが出てきました(と、いっても、じーじがそう感じているだけで、普遍的なものとはいえないのかもしれませんが…、最近、そのようなことを考えている私にとっては、意味のある偶然です)。

 まだ読んでないかたも多いと思いますので、あらすじもあえて書きません(もっとも、村上さんの小説の場合、あらすじよりは、何を感じるか、のほうが大切な気がしますが…)。

 印象としては、ねじまき鳥と海辺のカフカの延長線上にあるような感じで、深く、重い内容ですが、カフカに出てくるホシノくんのユーモアのようなものにところどころ包まれているような印象を受けます。

 深く、重い物語を少しのユーモアが救ってくれるかのようです。

 われわれの人生は死や哀しみを避けられないものですが、しかし、ユーモアや信ずるということによってなんとか生き残っていけるのかもしれません。

 さらに、読みこんでいきたいと思います。          (2017.3 記)

     *

 2023年6月の追記です

 哀しみや別れや死は人生において避けられないですが、それを受け容れるためには、少しのゆとりやユーモアなどが大切なのでしょうね。

 そうすることで、逃げることなく、人生のわからないことにも耐えて、生きていけるのかもしれません。

 そして、それがこころの成熟ということなのかもしれませんね。           (2023.6 記)

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村上春樹『色彩を持たない田崎つくると、彼の巡礼の年』2015・文春文庫-村上版『悪霊』かな?

2025年03月01日 | 村上春樹さんを読む

 2015年のブログです

     *  

 村上春樹さんの『色彩を持たない田崎つくると、彼の巡礼の年』(2015・文春文庫)を読みました。

 単行本が出た2013年4月に一度読んでいますので、久しぶりの再読です。

 記憶力の悪さに加え、老化現象もあって、あらすじはかなり忘れてしまっており、ほとんど新作のように(!)、ハラハラ、ドキドキしながら、読みました。

 そして、とても感動しました(一作で二度、三度と楽しめるところが、じーじの特権です)。

 前回もいいお話だなと思ったことは記憶していたのですが、こんなにすごい話だったことはすっかり忘れていました(?)。

 なかでもラストがすばらしいです。

 決してハッピーエンドではないのですが…(詳しいことは書けません。ぜひご自分で買って読んでみてください)。

 人間の明るさと暗さ、意識と無意識、希望と絶望、苦悩と諦観などが丁寧に描かれています。

 「悪霊」という言葉も出てきました。

 この小説はドストエフスキーならぬ村上春樹版の『悪霊』なのかもしれません。

 また一つ、村上さんの小説が深くなったようにも思います。

 力のある、誠実な小説家と、同じ時代を生き、同じ時代に、一緒に考えながら、行動をしていることに、感謝したいなと思いました。       (2015 記)

     *

 2019年夏の追記です

 4年ぶりに再読をしました。

 このところ、村上さんの小説をずっと読み返しているのですが、いずれの小説も面白しですし、何度読んでも感動します。

 本書も例外ではありませんでした。

 テーマのひとつは、人間のこころの弱さや不可解さ、そして、生きる哀しさでしょうか。

 理不尽な攻撃とその裏に秘められた思惑、事情、願い、などなど。

 年を取って、いろいろな人生を見てきたせいか、特に、人の弱さがこころにしみて、反省をすることも多いです。

 だからこそ、弱い人間、ずるい人間、悪い人間の気持ちも多少は理解できるようになってきたのかもしれません。

 しかし、許せないものは許せません。特に、子どもを守れないおとなは…。

 事情はわかっても、責任は取らざるをえないのでしょう。じーじも含めて…。

 逃げずに、生きてゆきたい、そう思います。        (2019.7 記)

     *

 2020年10月の追記です

 岩宮恵子さんの『増補・思春期をめぐる冒険-心理療法と村上春樹の世界』(2016・創元こころ文庫)に本書についての論文が載っています。

 やはり思春期に焦点を当てて分析をしていて、なかなか刺激的です。        (2020.10 記)

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村上春樹『はじめての文学 村上春樹』2006・文藝春秋-村上さんが子ども向けに選んだ自選短編集です

2025年02月06日 | 村上春樹さんを読む

 2024年2月のブログです

     *

 村上春樹さんの『はじめての文学 村上春樹』(2006・文藝春秋)を久しぶりに読む。

 この、はじめての文学、シリーズ、日本のいろいろな作家さんが、自分の短編から子ども向けの短編を選んだシリーズで、よしもとばななさんや川上弘美さん、浅田次郎さん、などなど、じーじも大好きな作家さんが並ぶ。

 そして、ふりがながいっぱい。

 本書は、村上さんが選んだ自選集で、有名な「カンガルー日和」や「かえるくん、東京を救う」などが入っている。

 もちろん、それらも堪能させてもらったが、今回、じーじの印象に残ったのは、「シドニーのグリーン・ストリート」と「沈黙」の二つ。

 「シドニーのグリーン・ストリート」には、羊男と羊博士が出てきて、羊博士のハチャメチャぶりがすごい。

 しかし、中身の一部には、とてもシリアスな考察も含まれていて、考えさせられる。

 きっと、子どもたちは、すぐにはわからないかもしれないが、10年後くらいに、その大切さに気づくかもしれない。

 「沈黙」は村上さん自身が解説で、とてもストレートな話で、自分の作品の中では特殊な色合いのもの、だが、個人的な色合いの持った作品なので、入れたという。

 村上さんの小説の問題意識の一つだと思われる、現代社会における人間の無責任さとその怖さや破壊性などを描いている、とじーじには思われる。

 読んでいると、現代を正直に生きることのたいへんさや困難さなどを考えさせられるが、少しの勇気や救いにも思い至って、よい作品と思う。

 子どものための短編集ということで、楽しく読める作品が多いが、村上さん特有の暗い(?)作品やよく考えると怖い(?)作品もあり、子どもたちには大きな贈り物かもしれないし、おとなたちにも貴重な贈り物だ。

 いい短編集が読めて、幸せな数日間だった。                 (2024.2 記)

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小澤征爾・村上春樹『小澤征爾さんと、音楽について話をする』2011・新潮社

2025年02月06日 | 村上春樹さんを読む

 2024年2月のブログです

     *

 小澤征爾さんが亡くなられた。

 翌日の「朝日新聞」第2面全体に村上さんの追悼文が載った。

 すばらしい文章。小澤さんとの楽しい思い出や貴重な思い出が、温かく、綴られていた。

 そこには、子どものような、率直な姿の小沢さんが描かれていた。素敵な文章だった。

 しっかりとした「喪」の姿がそこには表れていた。

 そこで、じーじも、本棚の横に積んであった本書を読んで、喪に服そうと思った。

 小澤征爾・村上春樹『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(2011・新潮社)。

 悲しいときは、十分に悲しむことが大切。そうでないとこころが壊れてしまう。

 そして、本書を読むことで、小澤さんと村上さんの素敵なおつきあいを思い出したいと思った。

 本書を読むのは、たぶん3回目か4回目。5年に1回くらいのペースで、じーじの読み方としてはまあまあ。

 めずらしく(?)中身も少しだけ覚えていた。

 以前、どこかにも書いたような気もするが、村上さんの質問で小沢さんの記憶がどんどん思い出される。良質のカウンセリング見ているようだ。

 村上さんの質問や発言で、小沢さんがびっくりする場面があり、小沢さんが新鮮に考え出す様子は刺激的だ。

 記憶に新たな意味が付与される瞬間を見ているような興奮を覚える。

 時に子どものような小澤さんの姿が見られて楽しい。

 本当に率直な人なんだなあと思う。

 一方で、村上さんが心配するように、病み上がりなのに、音楽を愛するあまり、休みなく働きすぎたのかもしれないとも思う。

 しかし、それも男の生き方の一つかもしれないとも思う。

 偉大で、しかし、少しだけお茶目で子どもっぽい小沢さんの姿を堪能できて、悲しいけれど、幸せな数日だった。   (2024.2 記)

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村上春樹『辺境・近境』2000・新潮文庫-その場に立って、触れて、はじめてわかることがある。

2025年02月02日 | 村上春樹さんを読む

 2024年1月のブログです

     *

 村上春樹さんの『辺境・近境』(2000・新潮文庫)をかなり久しぶりに再読する。

 じーじにしてはめずらしく、少し内容を覚えているような気がしていて再読が遅れたが、いざ読んでみると、やはりほとんど覚えていなくて、またまた新鮮に読んでしまった(?)。

 本の帯に、その場に立って、触れて、はじめてわかることがある。とあるが、村上さんの言いたいことは、ずばりここなのだろうと思う。

 今は、テレビやSNSなどで、なんとなくわかったような気になってしまうことが多いが、やはり本物や本当のところは、現場に行って体感しなければわからないものなのだろうと思う。

 もちろん、現場に行ったからといって、本当のところがどれだけ理解できるかは、その人のちからや知識や出会いや時期などにも左右されるのだろうが、すべてがわからないにしても、現場に立って、現場の空気を吸うことは大切なようである。

 さて、本書で、村上さんは七つの旅をする。

 メキシコやノモンハン、アメリカ、といった海外の旅や、なぜか、村上島という無人島や讃岐うどん、そして、神戸などの国内の旅。

 シリアスな旅やユーモラスな旅がいっぱいで、深刻に考えたり、笑ったり、となかなか忙しい本だ。

 個人的には、讃岐うどんの旅に出てくる雑誌「ハイファッション」の担当のマツオさんという女性が面白かった。

 すごい美人ちゃんだったら困るが(?)、どうなのだろう。

 そして、一番印象に残ったのはやはりノモンハンの旅。

 ノモンハンの事件は、日本史ではあっさりと通りすぎてしまった記憶しかないが、ご存じのように、太平洋戦争の少し前に、モンゴルのノモンハンで、満州国とモンゴルの国境争いから、日本とソ連が戦った事件というか戦争で、日本が大敗した。

 日本はこの結果を直視せず、中国侵略やアジア侵略をさらに進めて太平洋戦争に突入するが、ノモンハンの戦争は本当に悲惨で、それが刺激の一つになって、村上さんは『ねじまき鳥クロニクル』を書いたようだ。

 この旅行記も戦場の様子などが詳しく書かれていて、参考になるし、村上さんの国家の冷酷さへの糾弾と、庶民の哀しさへの共感がすごく感じられる旅行記だ。

 正月早々、いい旅行記を読めて、幸せである。         (2024.1 記)

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村上春樹『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』2012・文春文庫-その2・インタビューの楽しみ

2024年12月19日 | 村上春樹さんを読む

 2019年のブログです

     *

 久しぶりに村上さんの『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです-村上春樹インタビュー集1997-2011』(2012・文春文庫)を再読しました。

 村上さんが夏目漱石さんの『坑夫』が好きだ、というお話をどこかで読んだ気がしていて、それでじーじも60を過ぎてから『坑夫』を読んだくらいなのですが、どこで読んだのかはっきりしなかったのですが、やはり本書だったようです(先日、ご紹介をしたジェイ・ルービンさんの本でもそのようなお話が出てきます)。

 本書はインタビュー集ですが(副題が『村上春樹インタビュー集1997-2011』)、じーじは島森路子さんと古川日出男さんのインタビューが個人的には好きです。

 お二人とも、村上さんのことや村上さんの作品をよく理解されたうえで、お話をお聞きしている様子が見えて、読んでいてとても心地いいです。

 村上さんも比較的リラックスをされてお話をしている感じがします。

 いいインタビューだと思います(じーじもこういうインタビュー、面接が目標なのですが…)。

 前回も書いたように、いろいろと大切なことが述べられていますが、あまり堅苦しく考えずに、楽しみながら読むことが一番良さそうに思いました。

 大切なことは自然にこころに入ってくる感じがします。

 いつかまた読みたいと思いました。        (2019.3 記)

     *

 2024年12月の追記です

 その後、漱石さんの『坑夫』を読みました。

 たしかに不思議な小説です。

 情けない男子の情けないお話なのですが、周りの登場人物がうまく書けているせいか、不思議と読ませます。

 意外といい小説なのかもしれません。        (2024.12 記)

 

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村上春樹『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』2012・文春文庫-その1・魂からの声をきく

2024年12月18日 | 村上春樹さんを読む

 たぶん2015年ころのブログです

     *

 村上春樹さんの『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです-村上春樹インタビュー集1997-2011』(2012・文春文庫)を再読しました。

 文庫本では2回目、単行本も含めると、たぶん3回目だと思います。

 今回も、小説の力や物語の力などについて語られているところに共感して、うなずくところが多くありました。

 表題は、村上さんにとって、小説を書くことは夢を見ることと同じで、自分の無意識からの声に耳を傾けるための作業である、という意味のようです。

 村上さんは、あらすじから小説を展開するという意識的な書き方ではなく、無意識からのメッセージを大切にして小説を書くという書き方をされているようで、ご自分でも先の展開はわからないといいます。

 いわば、生命全体からの訴えや叫びに丁寧に寄り添っているかのような印象を受けます。

 だからこそ、村上さんの小説からは、深い感動や大きな喜び、生きる勇気などが感じられるのではないでしょうか。

 また、村上さんは、物語の力についても述べられています。

 魂の力や物語の力、というと、河合隼雄さんを思い浮かべます。

 村上さんはユングさんやフロイトさんの本はあえて読まないようにしている、といいますが、河合さんに関しては、河合さんの生前に対談をされていますし、ご自身、河合先生、と本の中でも書くほど、河合さんを尊敬されており、村上さんにとってはとても大切な存在のように思われます(ちなみに、村上さんの奥さんはユングさんがお好きらしいです)。

 さらに、無意識の力といえば、じーじはフロイトさんも連想します。

 フロイトさんも無意識の力を重視していたわけですが、想像になりますが、物語の力をも大切にしていたのではないかと思います。

 自由連想や夢分析から、無意識に耳を傾け、なんらかの原因でゆがんだ物語を生きて苦しんでいる人たちに、無意識の声を大切にした力強い物語を生きていけるような手助けの方法を模索したのがフロイトだったのではないかと考えています。

 まだまだ勉強不足で、きちんとしたことが述べられず、歯がゆい思いもしますが、今後も思索を深め、力のあるカウンセラーになっていけたらと思います。          (2015?記)

     

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村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』1999・平凡社-村上夫妻のアイラ島・アイルランドのウィスキー紀行です

2024年11月25日 | 村上春樹さんを読む

 2024年11月のブログです

     *

 村上春樹さんの『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(1999・平凡社)を再読する。

 1999年の本なので、25年ぶり。

 この本は、じーじの部屋の本の山の一番下にあって、背表紙が見えてはいたが、なかなか読めずにいた本。

 読むとなると、本の山を崩さなければならず、躊躇して、日が過ぎていた。

 ところが、今年の能登半島地震で本の山が崩れ、なんとか救出できそうな状況が見えてきたので、このたび勇気をふるって(?)、救出作戦を敢行、ようやく読むことができた。

 これが期待どおりにとてもいい本。

 写真担当が村上陽子さん。そう、村上さんの奥さん!

 村上さんが奥さんと一緒に、ウィスキーの本場であるスコットランドのアイラ島とアイルランドを旅した紀行文だ。

 夫婦で本を作るなんて、すごい。

 二人で印税を稼ぐなんて、うらやましい(?)。

 冗談はともかく、村上さんが各地でウィスキーを楽しむ様子がとてもいい。

 アイラ島で牡蛎にウィスキーを垂らして食する場面などは、贅沢の極みだ。

 奥さんの写真も温かで、素敵。

 特に、羊さんへの愛情(?)がすごくうかがえて、楽しい。

 ということで、とても楽しくて、優しくて、いい本だ。

 本の山から苦労をして救出をした甲斐があった。

 明日からは、また本を積み直す作業が待っているじーじである。        (2024.11 記)

 

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