終戦の日である8月15日に放送されていたドラマですが、フィクションとは言え、実話が伴っていることもあって、涙なしには観れませんでした。以下、引用です。「昭和18年。海軍は航空兵不足の解消のため、全国の中学校(旧制)に甲飛予科練習生の志願者数を強制的に割り当てた。愛知一中の割当ては47人。しかし、名門校を自負する生徒たちは戦争を冷ややかに見ており、愛知一中の3年生・藤山正美(池松壮亮)もその一人だった。正美にとって、端艇部(ボート部)の親友・笠井光男(太賀)と文学や将来について語って過ごす時間が何よりも大切だった。志願者の少なさに焦った軍部は、校長を通じて『時局講演会』を開き、生徒への指導強化を命じる。」(オフィシャルサイトより引用) 光男が、下校時に川のほとりで、正美に語りかけます。「文学の中枢にあるものは、「人間は、何のために生まれてきたか。」という疑問なのだ。」と言って、ベルレーンの詩を朗読します。
「ちまたに雨が降るごとく、我の心に涙降る。
かくにも、心ににじみ入る、
この悲しみは、なにやらん。」
光男は、大好きだった文学の道を諦め、海軍に志願することを決意します。「国家、無くして、個人はありえない。今は個人的な夢は、意味がない。」と発言し、豹変した光男の姿に、正美は気後れしてしまいます。(正美は、身体検査で視力が悪く不覚にも、落とされたことも、重なりました。)そして、時は流れ、終戦を迎えました。正美は、光男の戦死を知ります。光男のお母さんより我が子の日記を読むようすすめられ、号泣しながらの朗読。
光男の最後の日記:
「昭和18年9月28日火曜。空は晴れて星がでている。私の心は澄みきっている。悔恨や未練は先日、あの川へ捨ててきた。わが友は、そんな私に、気兼ねをしているだろう。明日、わが友は、見送りにきてくれるだろうか。どうどうと見送って欲しい。そして、どうどうと生きて欲しい。私も、また、どうどうと生きるつもりだ。人間は何のために生まれてきたのか、その答えを探すつもりでいる。わが友よ、あの日、私は考えることをやめた。だけど、それは間違いだった。考えることをやめる、それこそが人間の敗北なのだ。だが、友よ、私は、あきらめていない。戦争しているのは人間で、戦場にいるのも、人間ならば、どこにいても、どこにいようと、私は、戦いの最中にも、崇高な芸術を描きだすことができるだろう。私は、人の心に向かって、心の目を向けようと思う。銃や剣ではなく、心眼を向けるのだ。そして、ペンをとるのだ。私は、戦場で人が殺しあうのではなく、人が生きるための魂を存分に描きだそうと思う。友よ、いつか私が見た人間の魂を描き、それを君に読ませたい。友よ、そんな日がやってくることを願わずにはいられない。早く、こんなつまらない戦争が終わることを祈らずにはいられない。友よ、それまで、さらばだ。」
志願兵として送り出した母が涙ながらに言います。「私に学問があれば、あの子の気持ちを知り、死なせずにすんだのですかね。」正美は、言います。「いえ、僕たちは学校で死ねと教わったのです。学問がなかったのは、この国です。」なんとも痛ましく、重々しい言葉です。
オフィシャルサイト
http://www.nhk.or.jp/nagoya/jyugosai/index.html
「ちまたに雨が降るごとく、我の心に涙降る。
かくにも、心ににじみ入る、
この悲しみは、なにやらん。」
光男は、大好きだった文学の道を諦め、海軍に志願することを決意します。「国家、無くして、個人はありえない。今は個人的な夢は、意味がない。」と発言し、豹変した光男の姿に、正美は気後れしてしまいます。(正美は、身体検査で視力が悪く不覚にも、落とされたことも、重なりました。)そして、時は流れ、終戦を迎えました。正美は、光男の戦死を知ります。光男のお母さんより我が子の日記を読むようすすめられ、号泣しながらの朗読。
光男の最後の日記:
「昭和18年9月28日火曜。空は晴れて星がでている。私の心は澄みきっている。悔恨や未練は先日、あの川へ捨ててきた。わが友は、そんな私に、気兼ねをしているだろう。明日、わが友は、見送りにきてくれるだろうか。どうどうと見送って欲しい。そして、どうどうと生きて欲しい。私も、また、どうどうと生きるつもりだ。人間は何のために生まれてきたのか、その答えを探すつもりでいる。わが友よ、あの日、私は考えることをやめた。だけど、それは間違いだった。考えることをやめる、それこそが人間の敗北なのだ。だが、友よ、私は、あきらめていない。戦争しているのは人間で、戦場にいるのも、人間ならば、どこにいても、どこにいようと、私は、戦いの最中にも、崇高な芸術を描きだすことができるだろう。私は、人の心に向かって、心の目を向けようと思う。銃や剣ではなく、心眼を向けるのだ。そして、ペンをとるのだ。私は、戦場で人が殺しあうのではなく、人が生きるための魂を存分に描きだそうと思う。友よ、いつか私が見た人間の魂を描き、それを君に読ませたい。友よ、そんな日がやってくることを願わずにはいられない。早く、こんなつまらない戦争が終わることを祈らずにはいられない。友よ、それまで、さらばだ。」
志願兵として送り出した母が涙ながらに言います。「私に学問があれば、あの子の気持ちを知り、死なせずにすんだのですかね。」正美は、言います。「いえ、僕たちは学校で死ねと教わったのです。学問がなかったのは、この国です。」なんとも痛ましく、重々しい言葉です。
オフィシャルサイト
http://www.nhk.or.jp/nagoya/jyugosai/index.html