ココロの居場所

平穏な居場所を求めるべく、日々、感じた事を掲載していきます。

駅弁販売のカリスマ女性、三浦由紀江

2012-08-29 18:29:16 | テレビ番組
潜在能力は、発揮できる機会をつかめば、そして、前向きの行動がとれれば、伸びていくものなのだと改めて感じました。仕事上のいろいろなしがらみも、リセットして、頑張れる機会をねらうのも、よいのかもしれません。以下、番組内容を列記します。

44歳でパート始めてから営業所長まで上りつめた、駅弁販売のカリスマ女性。
楽しむ心が道を開く。

「私だったら、こうして欲しい。」 →消費者の目で追うこと。
つかず、はなれずの販売。

売る側ではなく、買う側の論理に、耳を傾ける。
それが、三浦の販売哲学。

「現場が一番よくわかっている。」
だから、現場のパートに発注管理を委譲した。

「重要な話でも、現場だから話せることがある。」

楽しむことで、見方も、動き方も、変わる。

営業所長に抜擢された頃、指示通りに部下が動かなくて、会社から消えてなくなりたいとまで、追い詰められた。
 →ある人から、三浦さんの得意なところから始めてみたらいいとのアドバイスをもらう。
 →もっと素直に、やれることからやってみようと思った。

一つのことが、うまく行けば、大きな自信になる。

プロフェッショナル
http://www.nhk.or.jp/professional/2012/0820/index.html

いじめは、重大な人権侵害。

2012-08-19 12:47:22 | 社会情勢
朝日新聞に、小学6年の春名風花ちゃんのいじめに対するメッセージが掲載され、話題になってます。「いじめている君へ」というタイトルでシリーズにて掲載されてきたのですが、今回は実に本質をついている内容だと感心したので、列記します。

「今から書く言葉は君には届かないかもしれない。だって、いじめてる子は、自分がいじめっ子だなんて思っていないから。....ただ遊んでいるだけなんだよね。自分より弱いおもちゃで。....けれどぼくは、ぼくがいくら泣こうが、本当に自殺しようが、その人たちが何も感じないことを知っている。いじめられた子が苦しんで、泣いて、死んでも、いじめた子は変わらず明日も笑ってご飯を食べる。いじめは、いじめた人には「どうでもいいこと」なんです。」(朝日新聞(2012/8/17)より引用 )

私のいじめに関する考えですが、日本が人権を重んじる成熟した国を目指すのであるならば、いじめは、重大な人権侵害であり、頑固とした態度で、大人はもっと子供の学校生活に介在すべきだと思います。しかし、簡単ではないのは、風花ちゃんも、書いているように、いじめる子は、そのいじめの意識さえないということです。一緒に遊んでいるだけと言いながら、大人に見えないように巧妙な残虐性を閉鎖社会である学校で毎日、執拗に行使し、学校側も、モンスターペアレントに恐れ、見えないことにしているというお粗末な危機管理状況です。いじめは、30年前も存在してました。特に公立の中学校は荒れてました。いじめられる方も悪いと言う先生も、いたほどです。弱肉強食をよしとする大人がいる限り、大人の影響を受けて育つ子供の世界では、陰湿ないじめは、今後もなくならないでしょう。
そもそも、いじめは、人間の本性として私も含めて、どんな人間も持っているものだと思います。嫉妬や憎悪といったドロドロとした人間の本性を理性やモラルといった観念でコントロールしようと努力し続けるのが人間らしさであり、崇高さだと思うのです。大人の社会も、今や不景気で世知辛くなるばかりで、企業ではパワハラ等のいじめが横行してます。厳しい競争社会であるため、弱者や能力の劣る者は、切り捨てても良いのだという風潮を、断固、許してはいけません。また、そういう意見を憂いを持って提言する人を、排除する世の中であってはならないと思います。
(日本を衰退させている原因は、利権を守ろうとする政治家や官僚ばかりで、国家としての国益を成長させる戦略と実行力がないためだと思うのです。)

朝日新聞、いじめている君へ
http://www.asahi.com/national/intro/TKY201208160557.html?ref=aspmail_0817_07

いつかしら一縷(いちる)の希望の糸を

2012-08-13 23:20:33 | 言葉
今日も昨日と同じように、急に雨が降ったりやんだりの繰り返しの天候です。私たちは、このような手の届かない天候のようなものに翻弄されながら、生きる道を探しつづけているのでしょうか。太宰治のパンドラの匣を読み終わりました。その一部を列記します。

「船の出帆は、それはどんな性格のを出帆であっても、必ずなにかしらのかすかな期待を感じさせるものだ。それは大昔から変りのない人間性の一つだ。君はギリシャ神話のパンドラの匣(はこ)という物語をご存知だろう。あけてはならぬ匣をあけたばかりに、病苦、悲哀、嫉妬、貪欲、猜疑、陰険、飢餓、憎悪など、あらゆる不吉の虫が這い出し、空を覆ってぶんぶん飛び廻り、それ以来、人間は永遠に不幸に悶えなければならなくなったが、しかし、その匣の隅に、けし粒ほどの小さな光る石が残っていて、その石に幽かに「希望」という字が書かれていたという話。 それは昔からきまっているのだ。人間に絶望という事はあり得ない。人間は、しばしば希望にあざむかれるが、しかし、また「絶望」という観念にも同様にあざむかれる事がある。正直に言う事にしよう。人間は不幸のどん底につき落とされ、ころげ廻りながらも、いつかしら一縷(いちる)の希望の糸を手さぐりで探し当てているものだ。」(パンドラの匣、太宰治)

パンドラの匣 (新潮文庫)
太宰 治
新潮社


How does it feel (どんな気分だい?)

2012-08-13 23:18:17 | 音楽
体制に対するまっとうなる怒りと、意識改革をアジテートするボブ・ディランは、聞いていて、やはり、かっこいいと思いますし、強さを感じます。

How does it feel
How does it feel
To be on your own
With no direction home
Like a complete unknown
Like a rlling stone?

どんな気分だい?
どんな気分だい?
ひとりぼっちで
家路もなく
誰一人見向きもしない
転がる石のようにさ。

Bob Dylan、Like A Rolling Stone 今なら、聴けます。
http://www.youtube.com/watch?v=hk3mAX5xdxo

ボブ・ディラン、過去のブログ
http://blog.goo.ne.jp/rb_beat/e/82cc5ab32eb2c3f169e92967dc594abb


最も愚かなことは、他人の考えを馬鹿にすることである。

2012-08-06 23:56:07 | 言葉
アメリカの政治家・物理学者、ベンジャミン・フランクリンの箴言が、気になりましたので、備忘録として列記しておきます。

「教育が高くつくというなら、無知はもっと高くつく。人類の不幸の大半は、ものごとの価値を計り間違えることによってもたらされる。私はそう思う。」
知識に対する投資は、大切です。いくつになっても、そうありたいと思います。しかし、十分ではないといつも反省してます。


「愚か者の第一段階は、自分をよりよく見せようとする事である。第二段階は、それを他人にしゃべることである。最終段階は、他人の考えを馬鹿にすることである。」
ソーシャルスタイルとしても、よく見せることは、社会から求められていると思いますが、自分に嘘をついてまでとなると、どうなのかと思います。


「経験というのは、莫大なお金に匹敵する価値がある。ただ、ほとんどの人が、その経験を学びに使わない。」
自分が行なってきたことを棚卸することは、以外にもやれていないものです。きっと、そこから得るものは、多いと思うのですが。


「目上に対しては謙虚に、同僚に対しては礼儀正しく、目下には優しく振舞う。これはみんなが心地よく生きるための、「社会生活のルール」である。」
会社の組織に能力主義が導入されて以降、若い上司の指示に従うということは、よくある話です。そういう時、お互いにどういう接し方をしているでしょうか。年齢が逆転していても、上司は上司です。でも、その部下は、人生の先輩でもあるのです。
(ドライになっていく日本の社会に、憂慮します。)


「言い訳が得意な者に、他の事が得意であることは滅多にない。」
言い訳を自覚していないことが多いと思います。しかし、何かと理由を求められる世の中でもあります。悲しき処世術なのかもしれません。


「人間の幸福というのは、滅多にやってこないような、大きなチャンスではなく、いつでもあるような、小さな日常の積み重ねで生まれる。」
目の前あるひとつひとつを面倒だと、つい思ってしまいます。それを、愚直に行い、続けることができるか、言うほど簡単ではありません。