ココロの居場所

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弱き美しき純粋な魂を持った人々の代弁者か。「人間失格」太宰治

2009-08-20 23:20:10 | 言葉
「人間、失格。
 もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。
 ......
 いまは自分には、幸福も不幸もありません。
 ただ、一さいは過ぎて行きます。
 ......
 自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。」 (太宰治著 「人間失格」より引用)

やっと、「人間失格」を読み終えました。正直に言って大変、危険な小説(自叙伝)です。良くも悪くも優柔不断な言葉でしかいえませんが、凡人にとっては、モラトリアムである学生の頃には許されても、大人になって働く一庶民としては、これに共感すると、身を破滅するしかありません。しかし、否定できない、自分の心の中に触るものがある、それもそっと繊細にではなく、強引に見せつけられるといった趣です。この「人間失格」が完成してまもなく、太宰治は、身をもって入水自殺という形で、完結させます。(享年39歳)以下、解説を引用します。    「太宰治は反立法(アンチ・テーゼ)の役割を全うしマイナスの十字架につこうとしたのである。太宰治の生涯と文学は下降指向のそれと言ってよい。悪しき秩序、権力とたたかうためには、まず自分の中にあるそれらとたたかわねばならぬ。徹底した自己否定、自己破壊によってのみ、はじめて根源から秩序、権力を批判、否定することが可能になる。太宰はそう信じ、それを生涯かけて実行した。立身出世はもとより、自己完成、自己確立も、安息した幸福にひたることも自ら禁じた。.....太宰文学を全否定し認めようとしない文学者、大嫌いだという読書も少なくない。太宰に対しては全肯定か全否定しか許されない。そういう意味でも太宰治は、日本では稀な特別の存在と言わねばならぬ。」(奥野 健男 解説より引用)

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