臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日俳壇から(8月25日掲載・其のⅢ・水曜朝刊・超早刷版)

2014年08月27日 | 今週の朝日俳壇から
[大串章選]

(札幌市・樋山ミチ子)
〇  病葉や弖爾乎波ちぎれ落ちゆけり

 吹く風に「ちぎれ落ち」行く「病葉」の一枚一枚を、「弖爾乎波」即ち古典文法の「助詞」に見立てているのであるが、もう一つ見落としてはならないのは、「弖爾乎波(てにをは)ちぎれ落ちゆけり」と読む場合の語呂の良さである。
 そうした場合の「弖爾乎波(てにをは)」には、「津波てんでこ」の「てんでこ」のような意味、即ち「めいめいばらばらに」「てんでに勝手な方向に」といった意味が付与されているものと思われる。
 と言うことになると、この一句は「枯れて命の無くなった木の葉が、風のまにまにめいめいばらばらに勝手な方向へとちぎり落ちて行くことであるよ」といった意味に解釈する事も出来ましょうか?
 〔返〕  病葉や散りぬるを我が世こそ常なれ


(松戸市・大谷昌弖爾乎波・弘)
〇  尺蠖のようにランボー読みにけり

 「ランボー」とは、即ち「ジャン・ニコラ・アルチュール・ランボー(1854/10/20~1891/11/10)」であり、19世紀フランスを代表する象徴主義詩人であるが、彼の残した散文詩集は、『地獄の季節』にしろ『イリュミナシオン』にしろ、尺蠖虫が1センチ刻みで歩行して行くようにして、即ち「辞書を引き引きゆっくり読んで行かなければ解らないような難解なもの」では決してありません。
 と言っても、それは読者諸氏の学力程度に因りましょうか?
 つい、うっかり、自分の学力をひけらかすような事を口にしてしまってご免なさい。 
 〔返〕  ランボーを一瀉千里に読み終へつ


(長崎県小値賀町・中上庄一郎)
〇  夕凪の島に帰れば声若し

 本句の作者・中上庄一郎さんがお住いの長崎県小値賀町は、「五島列島北部の小値賀島及びその周辺の島々を行政区域とする町」であり、今年の6月末日現在の総人口は二千七百四人、世帯数は千三百十二世帯であるから、日本全国各地の農山漁村がそうであるように、「限界集落」とでも言うべき典型的な過疎地である。
 総人口と世帯数との比率がほぼ「2対1」である事から推して解る通り、同町の福祉行政上の第一番の悩みは、高齢者の一人暮らしとそれに就いての対応策である。
 また、小値賀町の主産業は、ブリやイサキなどの一本釣りを初めとして、曳縄、延縄、刺網などの小規模な漁業であるが、本句の作者の中上庄一郎も亦、ご家族の毎日の暮らしを支え、小値賀町の乏しい財政をも支える為に、海に出て働いている漁民の一人でありましょう。
 ところで、本句は「夕凪の島に帰れば声若し」となっているのであるが、当日の彼の漁獲量は、近頃では絶えて無かった程の大漁であったが為に、一日の仕事が終わって「夕凪」に静まる我が島の港に入港した時に発した声、即ち、仲間の漁師さんたちに大漁を報告した時の彼の声は、高齢者たる彼に相応しくない程の若々しい声であったのでありましょう。
 〔返〕  朝凪の浜の鎮もり老いの声


(東京都・菊地一彦)
〇  マルクスの生涯偲ぶ夜長かな

 本作の作者・菊地一彦さんは、秋の夜長を「光文社・古典新訳文庫版」の『賃労働と資本/賃金・価格・利潤』(森田成也訳)でも読みながら、起伏に富んだ「カール・ハインリヒ・マルクス(1818/5/5~1883/3/14)」の「生涯」を想い偲んでいるのでありましょうか?
 〔返〕  血塗れの一代(ひとよ)なりけむレーニン忌


(日南市・岩満まち子)
〇  雲の峰一直線の道の果て

 「一直線の道の果て」とした点から「雲の峰」の雄大さが覗われて非常に宜しい。
 〔返〕  東山魁夷描ける道の果て虹の彼方に雲の峰出づ


(青森市・小山内豊彦)
〇  炎昼の一人に一個影法師

 「影法師」が「一人」に二個もあったら事件である。
 しかしながら、本句の最大の魅力は「一人に一個影法師」と大胆に、かつ面白可笑しく言い切ったところに在り、こうした大胆な表現が、季題の「炎昼」をも、より生かす結果となったのでありましょう。
 〔返〕  自(し)が影と共に下校や夜学生
      自(し)が影を追って下校や夜学生


(加古川市・森木史子)
〇  夜濯ぎの異国の水の硬さかな

 仮にでも、一流商社の海外赴任社員の若奥様ともあろう方が、「夜濯ぎ」なんて事を遣らかして居てはいけません。
 人の噂に拠ると、「彼の地は人件費がものすんごく廉い!」とのことでありますから、明日の朝に現地で雇った家政婦さんに遣らせたら如何でありましょうか?
 〔返〕  アブダビの水の硬さよ夜濯ぐ


(船橋市・斉木直哉)
〇  蝉時雨我が俗塵の朝洗ふ

 「蝉時雨我が俗塵の」の迄は宜しいが、それに続けて「(蝉時雨我が俗塵の)朝洗ふ」としたのは、如何なる理由が在っての事でありましようか?
 或いは、「『朝』そのものが『俗塵』に塗れている」との事でありましょうか?
 だとしたら、本句の作者は、「昨夜、翌朝の空気や雰囲気を穢すような何事かを仕出かした」という事になりましょう。
 と言うのは、軽い冗談ですから、気にしないでやって下さいませ。
 〔返〕  蝉時雨我が俗塵の村洗ふ
      蝉時雨我が俗塵の耳朶洗ふ
      蝉時雨俗に塗れし魔羅洗ふ


(久慈市・和城弘志)
〇  浦まつり潜水服の歩きをり

 本句の作者が岩手県久慈市にお住いの方である事を考慮すれば、作中の「浦まつり」とは、
ネット上の久慈市観光物産協会のホームページに、「600年以上の歴史がある県北最大のまつり/道幅いっぱいの大きな山車と活気あふれる神輿が、久慈市内の目抜き通りを通ります。その華やかさは県北一を誇り、毎年多くの観光客が訪れる恒例のまつりとなっています。初日(お通り)と3日目(お還り)は山車と神輿の合同運行、2日目(中日)は郷土芸能大パレードとなっており、3日間存分に楽しめる内容となっています。まつり好きなら前夜祭もおすすめ。一同に揃った山車組の運行者が次々と放つ音頭は、山車運行者も一番熱くなる瞬間です」と記載されている「久慈秋祭り」、乃至は、同じホームページに、「歩行者天国もある、夏を代表する七夕祭り/歩行者天国も登場して、地域全体が祭り一色になる夏祭り。途切れなく続くイベントやたくさんの夜市は、華やかさをますます盛り上げます。大きな七夕飾りは、地元商店街の手づくり。ひとつひとつがアイデアあふれる工夫とデザインで、あっとおどろく傑作も飾られていますので、七夕飾りにも注目を」と記載されている「ヤマセあきんど祭り」の何れかが其れに該当するかと思われるのであるが、しかしながら、一口に久慈と言っても「かなり広うござんしょう」から、或いは、久慈市内の海端の集落に「浦まつり」と称する、それほど規模の大きくない夏祭りが在り、あの大震災から三年経った今年のそれには、「潜水服」姿の漁師さんが特別出演し、海端の街道をお練りするという運びになったのかとも思われる。
 〔返〕  観客が潜水服を着てたのだ!鳥羽さんほんとに察しが悪い!

 
(立川市・松尾軍治)
〇  人類は発明しすぎ原爆忌

 東京都下立川市にお住いの松尾軍治さんは、「人類は発明しすぎ原爆忌」などと脳天気な事を仰るのであるが、STAP細胞が怪しくなった現在時点に立って判断すれば、まだまだ不十分だと私は思います。
 〔返〕  国民は辛抱し過ぎ安倍政権


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