臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日俳壇から(10月20日掲載・其のⅡ)

2014年10月23日 | 今週の朝日俳壇から
[長谷川櫂選]

(岐阜市・阿部恭久)
〇  爽やかに天文学的ひとりかな

 右を見ても左を見てもほだしになるような者は一人として居ない。
 金輪際の一人、天地神明にかけての一人、天文学的な一人暮らしなのである。 
 ところで、昨今の我が国に於いては、「天文学的ひとり暮らし」を決め込んでいる男女ばかりで、国の将来を危うくしているのである。
 その事を思うと「爽やかに」などと言って、澄まして居てはいけません。
 〔返〕  国潰す若き男女のてんでんこ


(上野原市・天野昭正)
〇  それぞれの仕事の匂ふ夜学生

 今から半世紀以上も昔の事であるが、ある年の「歌会始の儀」の入選歌として、「夜学ぶ生徒らはみな鉄の匂ひ土の匂ひをつけて集ひ来」といった内容の作品(語句の詳細に就いては不正確かも知れません)が朝日新聞に掲載されていたのであるが、その作品の作者は、定年退職を迎えようとしている定時制高校の教師であったのであり、私が朝日歌壇の入選作や歌会始の儀の詠進歌に興味を持つようになったのは、その事が発端であったようにも記憶しているのである。
 ところで、昨今の後期高校教育施設には、通常の「全日制高校」や「定時制高校」に加えて「就学時間選択制高校・単位制高校・通信制高校・大学入学資格検定試験・専修学校」などの多種多様の就学形態が在り、同じ「定時制高校」と言っても、その実態は従来のそれとは、その内容が大きく異なっていて、「定時制高校生=勤労青少年」とは言えなくなっているのである。
 ということは、本句に詠まれている「夜学生」を「定時制高校生」と決め込んで解釈する事には、かなりの無理が在るようにも思われ、仮に本句に詠まれている「夜学生」を「定時制高校生」であるとしたならば、その内容は、従来の「定時制高校」のイメージに寄り掛かっての、想像上の出来事とも思われるのである。
 その点に就いての作者及び読者の方々のご意見を賜りたく存じます。
 〔返〕  それなりの選択あっての夜学生

 
(八王子市・徳永松雄)
〇  逃げ回る羊数ふる夜長かな

  かく申す私も、毎晩、眠れないままに「羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹、羊が・・・・・・・」と就眠儀式としての「羊」の員数を数え上げて行くのであるが、その「羊」の数が三桁台になってしまうと、数え上げられるのを嫌って逃げ回る者ばかりが多くなって、毎晩のように眠るのを断念してしまう始末なのである。
 〔返〕  眠れずに南無阿弥陀仏を五万遍


(徳島市・清水君平)
〇  落鷹を数へて一日岬の暮

 「鷹一つ見つけてうれし伊良湖崎」とは、俳聖・松尾芭蕉が、保美の里(現在の愛知県田原市保美町)に隠棲していた愛弟子の杜国を訪ね、伊良湖岬を清遊した、貞享四年(1687年)十一月に詠んだ句である。
 ところで、近頃の私は、「鷹」どころか「鳶」や「燕」さえも目にしたことが絶えてありません。
 「落鷹」などという、今どきとしては極めて珍しい現象、絶滅危惧的な現象は、この日本の何処の地に足を運んだら目にすることが出来るのでありましょうか?
 〔返〕  霜月や数えて拾ふ枯れ落葉


(豊橋市・河合清)
〇  白桃や水よりビーナス生るるごと

 「中年や遠くみのれる夜の桃」とは、昭和の俳聖・西東三鬼の遺作としてあまりにも著名な存在であり、本句はその亜流とも思われる。
 だが、本作は、イタリア、初期ルネサンスの名画「ヴィーナスの誕生」(ボッティチェリ描)に見られる、地中海の潮の中から誕生したしたばかりの美女・ヴィーナスの肌に見られる微細にして麗しい産毛と噴き井の「水より」掬い上げたばかりの「白桃」のそれとが重ね合せられていて、形容も出来ない程にも美しく敬虔なエロの世界を現出させることに成功しているのであり、その点に於いては、彼の西東三鬼の遺作とは、別種の趣きを醸し出しているのである。
 〔返〕  神無月老いたる妻に産毛あり


(富士宮市・渡邉春生)
〇  桐一葉真直ぐに落ちて動かざる

 「桐一葉」と聞けば、よほどの横着者で無い限り直ぐに思い起こすのは、あの「桐一葉落ちて天下の秋を知る」という諺であり、また、「桐一葉日当たりながら落ちにけり」という、高浜虚子の名句である。
 朝日歌壇の選者の一人、稲畑汀子氏の御祖父・高浜虚子が「日当たりながら落ちにけり」と詠み、桐の葉一枚が、折からの初秋の「日」を浴びながら落下して行く様を詠んだのに対して、本句の作者は、その同じ桐の葉一枚が、地上に軟着陸し、その後、微動だにしない有り様を詠んだのである。
 〔返〕  桐一葉西日を浴びて揺れもせず


(茂原市・鈴木ことぶき)
〇  鹿角を切られ鏡を見てをりし

 鹿は鹿でも、本句に詠まれている「鹿」は、野生の鹿では無くて、千葉県内の何処かの動物園か神社の境内に飼われている鹿のように思われる。
 〔返〕  遠藤はちょんまげ結って連敗だ


(北九州市・真島暢子)
〇  生きがひは弁当作り鰯雲

 本句の作者の真島暢子さんは、「生きがひは弁当作り」などと、悟り澄ましたような、或いは威張り腐ったようなことを平気な顔して仰るが、私が子供の頃には、何処の村の母親も、何処の家の母親も「弁当を作る」などとは言わなかったのであり、まかり間違ってそんなことを口にしようものなら、忽ち、姑さんから「弁当は<作るもの>では無くて<詰めるもの>だ!弁当を作る者はお前では無くて、弁当箱製造工場の職工さんだ!、この罰当たりのバカ嫁が!碌に口のきき方も知らないくせして、よく餓鬼ばかり産むものだ!」とどやされたものである。
 〔返〕  チンすれば直ぐ食べられるおかずだぜ


(岡山市・三好泥子)
〇  蓑虫の大中小とぶら下がる

 出来過ぎのようにも思われるが、ごくたまにはそんな事も在り得ましょうか?
 〔返〕  蓑虫の中小企業にぶら下がり


(川崎市・田中唯喜)
〇  粧ひの山一瞬に死に化粧

 作中の「粧ひ」とは錦秋、また、「死に化粧」とは火山灰の堆積。
 という事になると、本句の題材は、木曽の御嶽山の噴火騒動という事になる。
 〔返〕  下ネタの葱に躓くブタ娘


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