[大串章選]
(可児市・金子嘉幸)
〇 綿虫の掴めそうなる日々続く
掲句中の「綿虫」とは、「アブラムシ(カメムシ目ヨコバイ亜目アブラムシ上科)のうち、白腺物質を分泌する腺が存在するものの通称」とか。
体全体を綿で包んだようにして飛ぶので「綿虫」と呼ばれる一方、晩秋の晴れ上がった日の夕方の空に、突然、初雪が舞い降りて来たようにして飛ぶので、北海道などの北国に於いては「雪虫」とも呼ばれている。
掲句の作者・金子嘉幸さんのお住いの在る可児市は、岐阜県の中南部、木曽川南岸に位置する盆地町である。
近年、名古屋市のベッドタウンとして急速に発展しつつある可児市に於いては、毎年、十一月半ばになると晴れ上がった日が続き、夕方になると木曽川に面した往来には、綿虫がひらひらと飛び舞っていて、冬の訪れが近いことを人々に予測させるのでありましょう。
「綿虫」は、晴れ上がった夕空の手を伸ばせば届きそうな高さを飛び舞うのであるが、掴もうとして手を伸ばしてもひらひらと身軽く逃げ回るので、掴めそうで掴めないのである。
したがって、「綿虫の掴めそうなる日々続く」という句は、「綿虫」という昆虫の生態をよく捉えていると共に、木曽川南岸の盆地町という風土と、初冬という季節をもよく表しているのであり、更に言えば、その風土に包まれて暮らしていながらも、冬を迎えようとしている作者の心理、何かに憧れ、何かに携わろうと欲している人間心理をもよく表し得た佳作である、とも評価されましょう。
〔返〕 綿虫の掴めそうなる高さにて掴めざりける名古屋嬢かも
即興作とは言え、なかなかなる傑作ではありませんか。(なんちゃって、笑)
でも、下手にあの気位の高い名古屋嬢を掴んだりすると、土地柄が土地柄だけに、結納金や何やらで大変な物入りであろうし、結婚後も嫁さんの尻に敷かれてしまう怖れが大である。
因って、何かを掴もうとするならば、むしろ木曽街道を江戸方向に下って、信州馬籠の本陣の一人娘の心を掴んだ方が宜しいかも。(再び、笑)
そうそう、信州馬籠は、いつの間にか岐阜県中津川市に吸収されてしまいました。
したがって、島崎藤村は、岐阜県出身の偉人ということになるのである。
(埼玉県皆野町・宮城和歌夫)
〇 養生の行き着くところ新走り
「養生の行き着くところ新走り」とは、お惚けもいいところであり、本当のところは「不養生も極まりにけり新走り」としなければなりません。
ところで、掲句中の「新走り」とは、新米で醸造した酒、即ち「新酒」を指して言うのである。
昔昔、未だ東映時代劇が全盛を極めていた頃、私は未だ郷里の田舎町の住人で、格別に遣ることも無い週末の一日を、東映映画を三本立てで上映するU劇場に入り浸って過ごしていたのであったが、やくざ者や浪人どもが往来する街道沿いの造り酒屋の軒に杉玉が吊るされていて、「新走り売り〼」、「新走り出来」などとの看板がぶら下がっていたりするのを白黒画面で目にして、華の東京に心を躍らせていたものである。
それに、好色本全盛の昔から、不養生者の多くは「酒好きで女好きで博打好き」と相場が決まっておりますから、其処の辺りの事情を勘案すると、掲句も亦、なかなかなる傑作と申せましょう。
重ねて言うが、「養生の行き着くところ新走り」とは、なかなかなるご立派な申し状である。
〔返〕 不養生の行き着く先の新走り杉玉下がる冬の賑ひ
自分から言うのも何ですが、これ亦、なかなかの出来栄えではありませんか?
宮城和歌夫さんの御作が宜しいから、それに合わせて返歌も宜しいのである。
(玉野市・勝村博)
〇 冬の蠅日向の芯を動かざる
「梶井基次郎作の短編小説・『冬の蠅』をご参照されたし」とだけ申し上げておきましょう。
〔返〕 冬の蠅日向欄間を動かざる伊豆の湯ヶ島放蕩三昧
(神戸市・豊原清明)
〇 透明な雪の言葉や狂詩曲
「狂詩曲」とは「ラプソディー」、即ち「民族音楽風な叙事詩的な、特に形式が無く、自由奔放なファンタジー風の器楽曲」を指して言うのであり、その代表的なところは、リスト作曲の『ハンガリー狂詩曲』(全19曲)、同『スペイン狂詩曲』、ラフマニノフ作曲の 『パガニーニの主題による狂詩曲』、ガーシュウィン作曲の 『ラプソディー・イン・ブルー』でありましょう。
掲句は、ガーシュウィン作曲の 『ラプソディー・イン・ブルー』に取材しての作品でありましょうか?
思うに、ガーシュウィン作曲の 『ラプソディー・イン・ブルー』こそは、「透明な雪の言葉や」と褒めて詠むに相応しい名曲でありましょう。
〔返〕 謂うなれば「ぐうたら男の冬の夢」ガーシュウィン作曲『ラプソディー・イン・ブルー』
(大阪市・森田幸夫)
〇 般若湯古酒も新酒もなかりけり
「般若湯古酒も新酒もなかりけり」とは、よくしたものである。
昔から「お寺の台所を預かる大黒様は大の吝嗇家である」と相場が決まっていて、檀家の一昨年の法事の折に本堂や門前の六地蔵に供えられた酒なども後生大事に隠しておき、「般若湯」と称して亭主の住職に飲ませたり、檀家総代などの寄り合いの際に飲ませたりしたものである。
〔返〕 般若湯酔ひし挙句に抱き付きぬご本尊なる白衣観音
(岐阜県揖斐川町・野原武)
〇 善悪を見抜き梟目を瞑る
「善悪を見抜き梟目を瞑る」とは、胸に覚えがあるからこその言い条でありましょう。
ミネルヴァの聖鳥たる「梟」こそは慧眼の士、胸に一物有るが如き輩は、あの「梟」に一睨みされたら、胸の裡の何もかも曝け出してしまうのである。
〔返〕 ミネルヴァの神の使いの梟は圓楽師匠の心を見抜く
(川崎市・山根繁義)
〇 百歳の訃報の張られ時雨れけり
物事は考えようであり、「百歳」まで生きてから亡くなったと思えば、「大往生」と言って、祝宴を開くのであるが、「百歳」までしか生きられなくて死んだと思えば、涙雨の一粒や二粒ぐらいは流したくもなるのである。
掲句の題材となっている「百歳の訃報」は、時雨のそぼ降る夜に、町内会館の前の掲示板に、遺族の方々に拠って泣く泣く張られたものでありましょうか。
彼の死は、そのまま、是までに彼に支給されていたささやかな年金の消滅を意味するものであって、収入の当てのないままに、彼亡き後の暮しを支えて行かなければならない遺族の方々にとっては、到底耐え難いものでありましょう。
〔返〕 百歳の訃報貼られし夜さへも猪瀬追及都議会止まず
(八王子市・田中きよ子)
〇 冬将軍皇帝ダリアを一撃す
あの背高のっぽの「皇帝ダリア」こそは、まさしく裸の王様である。
あの高さで、しかも防御体制さえも整わない状態で、「冬将軍」に来襲されたらひと溜りもありません。
〔返〕 皇帝の名に負ふダリア丈高く街灯を避け栽培すべし
(旭川市・坂東きよみ)
〇 美術展熱き問い掛けありにけり
掲句に、「美術展熱き問い掛けありにけり」とあるが、莫大なる「円」を注ぎ込んで、世界各国の美術館の所蔵作品の出開帳の会場みたいな役割りを果たしているに過ぎない我が国の美術館は、今や、私たち美術愛好者に「熱き問い掛け」をしているようには思われません。
掲句の作者がお住いの旭川市内には、北海道立旭川美術館が在り、札幌市内にも幾つかの美術館が在りますが、北海道内の美術館は、私たち美術愛好者に向って、「熱き問い掛け」を出来るような「美術展」を企画・開催しているのでありましょうか?
私が美術館と言えるような美術館に足を運んだのは、その当時、開館したばかりの上野公園の国立西洋美術館であり、私が上京後、間も無くの事でありました。
その折に接した、松方コレクションの美術品の数々は、まさしく「美術展熱き問い掛けありにけり」といった感じでありましたが、その後、我が国経済の発展に伴って、東京都内のそれを中心とした我が国の美術館は、ヨーロッパ各国などの世界各国の美術館の分館のような趣きを呈し、世界各国・古今東西の美術作品が、入場料金さえ出し惜しみしなければ、居ながらにして鑑られるようになりました。
しかしながら、その頃になると、私たち美術愛好者の心を揺り動かし、私たちの心にストレートに「熱き問い掛け」をして来るような美術展には出逢うことが無くなってしまったような気がするのでありますが、その点に於いては、皆様方は如何お考えでありましょうか?。
私・個人としても、「ルーブル美術館」や「エジプト国立博物館」の名品は、あらかた見尽くしたような気がしますが、今になってみると感激らしきものが少しも残っておりません。
東京都内の美術館を中心とした我が国の美術館は、過去に於いて、「ウィーン美術史美術館/ニューヨーク近代美術館/ベルリン美術館/プラド美術館/エルミタージュ美術館/パリ国立近代美術館/ワシントンナショナル・ギャラリー/アムステルダム国立美術館/プーシキン美術館」等など、世界各国の美術館の選抜展を開催しましたが、それらの出品作品の殆どは、既に画集などで目にした作品であったので、私の素朴な心に「熱き問い掛け」をするようには思われませんでした。
個々の画家の選抜展に就いても同様に思われます。
以上、掲句の鑑賞に名を借りて、徒に作品の趣きを損ね、読者の方々を困惑させるような事柄を書き連ねて来ましたが、作者の坂東きよみさんに於かれましては、宜しくご許容下さい。
ところで、北海道立旭川美術館では、来春、2月16日(日)から4月6日(日)まで、「『無言館』所蔵作品による戦没画学生〈生命いのちの絵〉展」を開催する、とのこと。
果たして、「美術展熱き問い掛けありにけり」といった趣きを呈するに至るのでありましょうか?
〔返〕 美術展・出開帳の趣きを呈するばかりと成り果てにけり
(川西市・上村敏夫)
〇 セーターの色ほど若くなかりけり
この稿を記しながら、只今、私・鳥羽省三が着ているセーターは、真っ赤な地肌に灰色の毛糸で雪の結晶を描いたようなユニクロの特価販売品であり、古希を三年半も過ごしてしまったような私の年齢に相応しいものではありません。
「セーターの色ほど若くなかりけり」とは、よく言ったもの。
作者の上村敏夫さんのみならず、不肖・私もよくよく心しておきましょう。
〔返〕 セーターの色ほど若くはないけれど一日万歩は歩きたいもの
(可児市・金子嘉幸)
〇 綿虫の掴めそうなる日々続く
掲句中の「綿虫」とは、「アブラムシ(カメムシ目ヨコバイ亜目アブラムシ上科)のうち、白腺物質を分泌する腺が存在するものの通称」とか。
体全体を綿で包んだようにして飛ぶので「綿虫」と呼ばれる一方、晩秋の晴れ上がった日の夕方の空に、突然、初雪が舞い降りて来たようにして飛ぶので、北海道などの北国に於いては「雪虫」とも呼ばれている。
掲句の作者・金子嘉幸さんのお住いの在る可児市は、岐阜県の中南部、木曽川南岸に位置する盆地町である。
近年、名古屋市のベッドタウンとして急速に発展しつつある可児市に於いては、毎年、十一月半ばになると晴れ上がった日が続き、夕方になると木曽川に面した往来には、綿虫がひらひらと飛び舞っていて、冬の訪れが近いことを人々に予測させるのでありましょう。
「綿虫」は、晴れ上がった夕空の手を伸ばせば届きそうな高さを飛び舞うのであるが、掴もうとして手を伸ばしてもひらひらと身軽く逃げ回るので、掴めそうで掴めないのである。
したがって、「綿虫の掴めそうなる日々続く」という句は、「綿虫」という昆虫の生態をよく捉えていると共に、木曽川南岸の盆地町という風土と、初冬という季節をもよく表しているのであり、更に言えば、その風土に包まれて暮らしていながらも、冬を迎えようとしている作者の心理、何かに憧れ、何かに携わろうと欲している人間心理をもよく表し得た佳作である、とも評価されましょう。
〔返〕 綿虫の掴めそうなる高さにて掴めざりける名古屋嬢かも
即興作とは言え、なかなかなる傑作ではありませんか。(なんちゃって、笑)
でも、下手にあの気位の高い名古屋嬢を掴んだりすると、土地柄が土地柄だけに、結納金や何やらで大変な物入りであろうし、結婚後も嫁さんの尻に敷かれてしまう怖れが大である。
因って、何かを掴もうとするならば、むしろ木曽街道を江戸方向に下って、信州馬籠の本陣の一人娘の心を掴んだ方が宜しいかも。(再び、笑)
そうそう、信州馬籠は、いつの間にか岐阜県中津川市に吸収されてしまいました。
したがって、島崎藤村は、岐阜県出身の偉人ということになるのである。
(埼玉県皆野町・宮城和歌夫)
〇 養生の行き着くところ新走り
「養生の行き着くところ新走り」とは、お惚けもいいところであり、本当のところは「不養生も極まりにけり新走り」としなければなりません。
ところで、掲句中の「新走り」とは、新米で醸造した酒、即ち「新酒」を指して言うのである。
昔昔、未だ東映時代劇が全盛を極めていた頃、私は未だ郷里の田舎町の住人で、格別に遣ることも無い週末の一日を、東映映画を三本立てで上映するU劇場に入り浸って過ごしていたのであったが、やくざ者や浪人どもが往来する街道沿いの造り酒屋の軒に杉玉が吊るされていて、「新走り売り〼」、「新走り出来」などとの看板がぶら下がっていたりするのを白黒画面で目にして、華の東京に心を躍らせていたものである。
それに、好色本全盛の昔から、不養生者の多くは「酒好きで女好きで博打好き」と相場が決まっておりますから、其処の辺りの事情を勘案すると、掲句も亦、なかなかなる傑作と申せましょう。
重ねて言うが、「養生の行き着くところ新走り」とは、なかなかなるご立派な申し状である。
〔返〕 不養生の行き着く先の新走り杉玉下がる冬の賑ひ
自分から言うのも何ですが、これ亦、なかなかの出来栄えではありませんか?
宮城和歌夫さんの御作が宜しいから、それに合わせて返歌も宜しいのである。
(玉野市・勝村博)
〇 冬の蠅日向の芯を動かざる
「梶井基次郎作の短編小説・『冬の蠅』をご参照されたし」とだけ申し上げておきましょう。
〔返〕 冬の蠅日向欄間を動かざる伊豆の湯ヶ島放蕩三昧
(神戸市・豊原清明)
〇 透明な雪の言葉や狂詩曲
「狂詩曲」とは「ラプソディー」、即ち「民族音楽風な叙事詩的な、特に形式が無く、自由奔放なファンタジー風の器楽曲」を指して言うのであり、その代表的なところは、リスト作曲の『ハンガリー狂詩曲』(全19曲)、同『スペイン狂詩曲』、ラフマニノフ作曲の 『パガニーニの主題による狂詩曲』、ガーシュウィン作曲の 『ラプソディー・イン・ブルー』でありましょう。
掲句は、ガーシュウィン作曲の 『ラプソディー・イン・ブルー』に取材しての作品でありましょうか?
思うに、ガーシュウィン作曲の 『ラプソディー・イン・ブルー』こそは、「透明な雪の言葉や」と褒めて詠むに相応しい名曲でありましょう。
〔返〕 謂うなれば「ぐうたら男の冬の夢」ガーシュウィン作曲『ラプソディー・イン・ブルー』
(大阪市・森田幸夫)
〇 般若湯古酒も新酒もなかりけり
「般若湯古酒も新酒もなかりけり」とは、よくしたものである。
昔から「お寺の台所を預かる大黒様は大の吝嗇家である」と相場が決まっていて、檀家の一昨年の法事の折に本堂や門前の六地蔵に供えられた酒なども後生大事に隠しておき、「般若湯」と称して亭主の住職に飲ませたり、檀家総代などの寄り合いの際に飲ませたりしたものである。
〔返〕 般若湯酔ひし挙句に抱き付きぬご本尊なる白衣観音
(岐阜県揖斐川町・野原武)
〇 善悪を見抜き梟目を瞑る
「善悪を見抜き梟目を瞑る」とは、胸に覚えがあるからこその言い条でありましょう。
ミネルヴァの聖鳥たる「梟」こそは慧眼の士、胸に一物有るが如き輩は、あの「梟」に一睨みされたら、胸の裡の何もかも曝け出してしまうのである。
〔返〕 ミネルヴァの神の使いの梟は圓楽師匠の心を見抜く
(川崎市・山根繁義)
〇 百歳の訃報の張られ時雨れけり
物事は考えようであり、「百歳」まで生きてから亡くなったと思えば、「大往生」と言って、祝宴を開くのであるが、「百歳」までしか生きられなくて死んだと思えば、涙雨の一粒や二粒ぐらいは流したくもなるのである。
掲句の題材となっている「百歳の訃報」は、時雨のそぼ降る夜に、町内会館の前の掲示板に、遺族の方々に拠って泣く泣く張られたものでありましょうか。
彼の死は、そのまま、是までに彼に支給されていたささやかな年金の消滅を意味するものであって、収入の当てのないままに、彼亡き後の暮しを支えて行かなければならない遺族の方々にとっては、到底耐え難いものでありましょう。
〔返〕 百歳の訃報貼られし夜さへも猪瀬追及都議会止まず
(八王子市・田中きよ子)
〇 冬将軍皇帝ダリアを一撃す
あの背高のっぽの「皇帝ダリア」こそは、まさしく裸の王様である。
あの高さで、しかも防御体制さえも整わない状態で、「冬将軍」に来襲されたらひと溜りもありません。
〔返〕 皇帝の名に負ふダリア丈高く街灯を避け栽培すべし
(旭川市・坂東きよみ)
〇 美術展熱き問い掛けありにけり
掲句に、「美術展熱き問い掛けありにけり」とあるが、莫大なる「円」を注ぎ込んで、世界各国の美術館の所蔵作品の出開帳の会場みたいな役割りを果たしているに過ぎない我が国の美術館は、今や、私たち美術愛好者に「熱き問い掛け」をしているようには思われません。
掲句の作者がお住いの旭川市内には、北海道立旭川美術館が在り、札幌市内にも幾つかの美術館が在りますが、北海道内の美術館は、私たち美術愛好者に向って、「熱き問い掛け」を出来るような「美術展」を企画・開催しているのでありましょうか?
私が美術館と言えるような美術館に足を運んだのは、その当時、開館したばかりの上野公園の国立西洋美術館であり、私が上京後、間も無くの事でありました。
その折に接した、松方コレクションの美術品の数々は、まさしく「美術展熱き問い掛けありにけり」といった感じでありましたが、その後、我が国経済の発展に伴って、東京都内のそれを中心とした我が国の美術館は、ヨーロッパ各国などの世界各国の美術館の分館のような趣きを呈し、世界各国・古今東西の美術作品が、入場料金さえ出し惜しみしなければ、居ながらにして鑑られるようになりました。
しかしながら、その頃になると、私たち美術愛好者の心を揺り動かし、私たちの心にストレートに「熱き問い掛け」をして来るような美術展には出逢うことが無くなってしまったような気がするのでありますが、その点に於いては、皆様方は如何お考えでありましょうか?。
私・個人としても、「ルーブル美術館」や「エジプト国立博物館」の名品は、あらかた見尽くしたような気がしますが、今になってみると感激らしきものが少しも残っておりません。
東京都内の美術館を中心とした我が国の美術館は、過去に於いて、「ウィーン美術史美術館/ニューヨーク近代美術館/ベルリン美術館/プラド美術館/エルミタージュ美術館/パリ国立近代美術館/ワシントンナショナル・ギャラリー/アムステルダム国立美術館/プーシキン美術館」等など、世界各国の美術館の選抜展を開催しましたが、それらの出品作品の殆どは、既に画集などで目にした作品であったので、私の素朴な心に「熱き問い掛け」をするようには思われませんでした。
個々の画家の選抜展に就いても同様に思われます。
以上、掲句の鑑賞に名を借りて、徒に作品の趣きを損ね、読者の方々を困惑させるような事柄を書き連ねて来ましたが、作者の坂東きよみさんに於かれましては、宜しくご許容下さい。
ところで、北海道立旭川美術館では、来春、2月16日(日)から4月6日(日)まで、「『無言館』所蔵作品による戦没画学生〈生命いのちの絵〉展」を開催する、とのこと。
果たして、「美術展熱き問い掛けありにけり」といった趣きを呈するに至るのでありましょうか?
〔返〕 美術展・出開帳の趣きを呈するばかりと成り果てにけり
(川西市・上村敏夫)
〇 セーターの色ほど若くなかりけり
この稿を記しながら、只今、私・鳥羽省三が着ているセーターは、真っ赤な地肌に灰色の毛糸で雪の結晶を描いたようなユニクロの特価販売品であり、古希を三年半も過ごしてしまったような私の年齢に相応しいものではありません。
「セーターの色ほど若くなかりけり」とは、よく言ったもの。
作者の上村敏夫さんのみならず、不肖・私もよくよく心しておきましょう。
〔返〕 セーターの色ほど若くはないけれど一日万歩は歩きたいもの