臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日俳壇から(12月16日掲載・其のⅣ・決定版)

2013年12月21日 | 今週の朝日俳壇から
[金子兜太選]

(いわき市・馬目空)
〇  零戦の兄よ日本はまた凍る

 「特定秘密保護法」関連の作品でありましょうが、全国的な雪空の昨日(12/19)ならばまだしも、テレビの天気予報に反して、くっきりと晴れ上がった今日(12/20)の空の下で暮らしていると、「『零戦の兄よ日本はまた凍る」とは、余りにも時代錯誤的で、あまりにも大袈裟な言い方である!」と言いたくもなるのである。
 でも、ゆめゆめ油断はなりません。
 朝日新聞・朝刊の第一面に「首都直下地震/国想定/死者最悪2.3万人/経済被害95兆円」という見出しの記事が掲載されていました。
 末恐ろしい世の中になったものである!
 〔返〕  厄災が足音立てて遣って来る首都直下地震襲来必至


(三郷市・岡崎正宏)
〇  人といふ孤島に住みて冬に入る

 「人といふ孤島」とは、何という申し状でありましょうか!
 私には、呆れ果てて、ものを言う気もありません。
 「『人』という字は、一人と一人とがお互いに凭れ合い、支え合っている姿を象って造られているのですよ!」、なんちゃったりして。(笑)
 〔返〕  自我といふ孤高に籠り句を詠める金子兜太は九十五歳


(長野県蓑輪町・小川節子)
〇  励まされこらえし涙程の雪

 「励まされこらえし涙」とは、「ともすれば、激しく音を立てて流れ落ちてしまう程の熱い涙」なのでありましょうか?
 だとすれば、「励まされこらえし涙程の雪」とは、「今日、十二月二十日に、裏日本に住む人々の家々の屋根の上に重く圧し掛かる程にも降り積もる雪」の意ということになりましょう。
 それはともかくとして、「励まされこらえし涙」とは、「長野県蓑輪町にご在住の小川節子さんのお宅の屋根の上に厚く積もる雪」の比喩であって、掲句は、一句全体の全重量が、末尾の「雪」という弱々しい語に、どすんと音を立てて圧し掛かって来るような構造の作品である。
 〔返〕  励まされ堪へし程はよけれども堰を破りて流るる涙
 

(神戸市・豊原清明)
〇  冬鹿や旅人鬱鬱歯を磨く

 村野四郎作の詩『鹿』をご存じでしょうか?


    鹿      村野四郎

 鹿は 森のはずれの
 夕日の中に じっと立っていた
 彼は知っていた
 小さい額が狙われているのを
 けれども 彼に
 どうすることが出来ただろう
 彼は すんなり立って
 村の方を見ていた
 生きる時間が黄金のように光る
 彼の棲家である
 大きい森の夜を背景にして      (村野四郎作・詩集『亡羊記』より)
    

 「鹿が増え過ぎて、農作物に及ぼす被害が、近年、激増した」との報道が為されている。
 でも、その「鹿」さえも、「小さい額がねらわれているのを」知りながら、「生きる時間が黄金のように光る、大きい森の夜を背景にして、すんなりと立って」いるのである。
 それにも関わらず、我らが「旅人」は、「鬱鬱」として「歯を磨く」ばかりなのである。
 我ら人間にとっての、日本人にとっての、「黄金のように光る」「時間」とは、何時、如何なる時でありましょうか?
 年、七十三歳六ヶ月にして、日々老いさらばえて行くばかりの身で以って、迫り来る首都直下地震を前にして、私は、ただ鬱鬱として佇んでいるばかりなのである。
 〔返〕  「王将の社長、銃撃されて死す!」鹿は死せずして害を及ぼす!


(松江市・三方元)
〇  雲州の粘着質の時雨かな

 「稲畑汀子選」六席の田中静龍さんの御作「雪起し石見の海に居座れる」と、異工同曲とも謂える一首であるが、「雲州の粘着質」とした点には、「出雲の国の人々の気質は粘着質」といった言い方が為されているのかも知れません。
 過ぐる「山陰地方の大吹雪」の際は、斯かる趣旨の詩歌が如何に多く詠まれたことでありましょうか?
 〔返〕  山陰の石見出雲に居座れる寒冷前線豪雪を呼ぶ


(高岡市・池田典恵)
〇  本当は自由が苦手懐手

 「本当は自民が苦手公明党」と行きたいところである。
 〔返〕  本当はお金が欲しくてたまらない猪瀬に先を越された輩
      味〆し与党の椅子が柔らかく断つに断たれぬ連立政権


(廿日市市・頼経正道)
〇  電球の一つ切れたる神楽かな

 掲句の作者・頼経正道さんがお住いの広島県廿日市市は、尊くも「延喜式」に記載されたる「安芸国総鎮守・速谷神社」の鎮座まします所であり、毎年の10月12日に行われる「例祭」に際しては、「氏子による神輿の渡御や広島県内に伝わる神楽の奉納なども盛大に行われる」とか。
 掲句は、その例祭に際して奉納された「神楽」の中の一つに、「電球」の切れた八岐大蛇が登場して、目玉が光らなかった、という訳でありましょうか?
 だとしても、それはお愛嬌であり、神楽団の怠慢を憎むに値しません。
 それにしても、「電球の一つ切れたる神楽かな」とは、さすがに頼経正道さんである。
 頼経正道さんは、中国電力傘下のさる電化製品販売企業の役員をお務めになって居られますから、「眼の付け所」が、余の俳人とは厳然として異なるのでありましょう。 
 昨年の一月二十二日に行われた、「NHK全国俳句大会」に於いて、掲句の作者・頼経正道さんは、「甲板にコック出てをり後の月」という御作で以って、見事、大賞を受賞されたとのこと。
 頼経正道さん、大賞、御受賞、真におめでとうございます。
 遅れ馳せながら、この際、私・鳥羽省三からもお祝いの一言を申し上げます。
 〔返〕  電球が一個切れても火を噴いて八岐大蛇は暴れて止まず


(東京都・佐瀬はま代)
〇  鯖雲や先頭集団は黒人

 「先頭集団は黒人」という言いぐさはありませんよ!
 それに、オリンピックだって、世界選手権だって、我が国で行われる冠大会だって、マラソンや陸上の長距離レースの際に、「先頭集団」を形成するランナーは「黒人」ですよ!
 黒人に伍して「先頭集団」に割り込む勢いのあるランナーは、埼玉県立春日部高校職員のあの市民ランナーだけですよ。
 そもそも、マラソン選手を黒人ランナーだの白人ランナーだのと区別すること自体が、差別意識の権化のような者の為す行為だと思いませんか?
 それに、あの川内優輝選手を、未だに市民ランナー扱いにしているマスコミの連中や陸上競技界のボスどもは、気が狂っているとしか思われません。
 彼・川内優輝選手は、今年、正式なマラソンレースだけでも11大会に出場し、そのことごとくのレースで入賞しているんですよ。
 それに、彼の場合は、マラソンが開催されない週は、各地のハーフマラソンなどの長距離レースに出場して、それを練習代りにしているんですよ。
 名のあるマラソン選手と言えば、やれ、米国コラロド州のボルダ―での高地トレーニングだとか何とかと、お金の掛かることばかりを想像してしまいますが、彼の場合は、勤務先への往復が毎日のトレーニングであり、週末に、日本全国各地で行われる、各種の長距離レースにも、トレーニング代わりに出場しているんですよ。
 彼の真似は誰が出来ますか?
 彼こそは、我が国唯一のプロフェッショナル・マラソンランナーですよ!
 本当ですよ!
 私はたまには嘘を言いますが、この件に限っては、真実、ありのままに述べているんですよ!
 〔返〕  川内もそれなりに恰好付けるのか?「埼玉県庁」のマークを付けて!
 

(熊本市・寺崎久美子)
〇  面倒はかけないつもり寒卵

 不肖・私は、ゆで卵を1個を食べるにしたって、殻を剥いてもらったり、食べた後の皿を洗ってもらったりして、周囲の者に「面倒」を掛けています。
 尤も、第二婦人が居る訳はないし、息子二人は独立していますし、周囲の者と言ったって、その範囲は自ずから限られますけどね。
 それはどうでも、私には、「面倒はかけないつもり寒卵」なんて、ご立派なことはこれっぽっちも言う気がありませんよ。
 〔返〕  面倒は掛けるつもりだ死ぬまでは死んだらお骨を埋めて頂戴


(松戸市・大谷昌弘)
〇  或る阿呆無人駅にて落葉焚

 この頃、私が一番にしたい事の一つは「落葉焚」なんですよ。
 バス通りから私の家に来るまでの道路は、百段余りの石段になっていて、その石段は、私の家を通り過ぎてからも百段弱続いていて、その天辺はささやかな公園になっていて、公園の周りには、数十本の染井吉野や欅などの巨木が生えているのである。
 それから、言い忘れていましたが、併せて二百段弱の石段の両側にも花水木が植樹されていて、毎年、秋になると、紅葉した落葉が毎朝のように降り積もるのである。
 それらの紅葉した落葉を、花水木のも、染井吉野のも、欅のも、その他、名前の知らない樹木のも、みんな拾い集めて、上の公園で「落葉焚」と洒落込んだならば、どんなに気持ちがいいことだろうか?
 でも、消防署の方々に捕まって、牢屋に閉じ込められるのが怖いから、今のところは止しときましょうか。
 芥川龍之介に『庭』というタイトルの短編小説がある。
 その小説の梗概を示せば、「世間的には『或る阿呆』としか言いようの無い鰥の道楽男が、甥に当たる少年に手伝わせて、元の本陣であった自分の生家の零落し荒廃した庭を、池を掘ったり、樹木を植えたりして整備をする」というだけのことであるが、『或る阿呆の一生』の作者たる、芥川龍之介の自伝めいた趣きがあって、私の大好きな芥川龍之介作品である。
 インターネットの「青空文庫」でもお読みになることが出来ますから、一度、お読み下されたく、伏してお願い申し上げます。
 〔返〕  石段に落葉散り敷くわび住まい滑って転べばそれでイチコロ
 今のところは、石段を上り下りして外出することも出来ますが、それが出来なくなったら連れ合いと別れて然るべき介護施設で暮らすしか手がありません。
 したがって、石段の上り下りには、急がず、焦らず、まかり間違っても転ばないようにと、心して居る次第です。


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