臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の「朝日歌壇」から(11月28日掲載・そのⅠ)本日特出し大公開!乞う、ご期待!

2016年12月06日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]
○ 草を食む鹿の首すじしなやかに秋の陽射しは滑り落ちけり (奈良市)山添聖子

 一首の意は「春日野で『草を食む鹿の首すじ』が『しなやか』であるが故に、その鹿の首筋を射す『秋の陽射し』は『しなやかに』『首すじ』から『滑り落ち』てしまった」と、いったところでありましょう。
 三句目の副詞「しなやかに」が、「草を食む鹿の首すじ」という上の句と「秋の陽射しは滑り落ちけり」という下の句とを「しなやかに」繋ぐ役割を果たしている。
 また、言外の意として、小春日和の温かさが感じられる佳作である。
 他の作品を措いて、本作を首席入選作品となさった馬場あき子先生の選歌眼の健在振りにも、私たち本作の鑑賞者は留意するべきでありましょう。


○ 漆胡瓶つぶさに見んと単眼鏡のぞけば瞠る貌迫りくる (浜松市)松井 恵

 「『迫りくる』ところの『瞠る貌』」とは、「正倉院御物の『漆胡瓶』を『つぶさに見んと』して『単眼鏡』を覗いていらっしゃる作者ご自身の『貌』」でありましょうか?
 馬場あき子先生の選評に「正倉院御物の漆胡瓶の美と底力のある深さに魅了された。これも下句に迫力がある」とありますが、私・鳥羽省三も亦、全く同感であります。


○ 診療所の庭に小菊の咲きいでて富岡製糸に女工哀史なし (蓮田市)斎藤哲哉

 本作の作者・斎藤哲哉さんがお住まいの蓮田市と言えば、その昔、私が上野発、奥羽本線の学割付き九百八十円の片道切符をポケットに入れて帰省する時の途中経過駅の一つであり、件の片道切符の券面には、今となっては記憶の彼方にさってしまったもう一つの駅の名称と共に、「蓮田経由」と、墨黒々と印刷されていたものでありました。
 そうした次第で、その頃の私(二十歳前後の私)は、旅行鞄にアメ横で買ったバナナを一房詰めた私を乗せて上野駅を発車した急行津軽が、埼玉県の大宮駅を通過すると、「間も無くこの列車は蓮田駅を通過するに違いない」と予め見当を付けていて、「蓮田とは、一体全体、どんな町だろう。私の知らない蓮田の町に住んでいる人々はどんな顔をしているのだろうか。どんな仕事をして暮らしているのだろうか」などと、さまざまなる妄想に耽りつつも、急行津軽号が件の駅を通過する瞬間を今か今かと待ち構えて居たものでありました。
 それから四十年余り過ぎた頃になって、私はよんどころない事情に因って、一年間だけ埼玉県の川口市に住んで居りましたが、その時期の、とある秋の一日に、かつての私があらぬ妄想に耽った町である、埼玉県蓮田市を訪れましたが、〈何の事は無い、私の青春の夢の埼玉県蓮田市とは、首都・東京の衛星都市とは名ばかりで、畑の中に建坪二十坪足らずの安手の二階建て住宅が立ち並ぶ、ただの田舎町〉に過ぎませんでした。
 そもそも、埼玉県には「市」を名乗る田舎町が多過ぎはしませんか?
 さいたま市・川口市・川越市・熊谷市・春日部市・所沢市・上尾市ぐらいならまだしも、それ以下の、飯能市・秩父市・狭山市・羽生市・鴻巣市・深谷市・蕨市・戸田市・草加市・入間市・朝霞市・志木市・和光市・新座市・久喜市・桶川市・北本市・八潮市・富士見市・三郷市・蓮田市・坂戸市・幸手市・鶴ヶ島市・吉川市・ふじみ野市・日高市・白岡市などの類は、広大なる武蔵野の一郭に鍬入れをして切り開き、建坪二十坪足らずの二階建て住宅を立て並べただけの事であり、その彼方から有機肥料の匂いがほのぼのと漂って来る、ただの田舎町ではありませんか?
 妄想の赴くままに、つい、うっかり、大恩ある埼玉県の事を悪し様に言ってしまいましたが、よくよく考えてみると、動物でも植物でも、モノは何でも、体温の感じる所にしがみついて離れないと言うではありませんか。
 一例を上げて説明すれば、敗戦直後の私たち日本人の身体に棲み付いて離れなかった蚤や虱の類が然り、春の野山を散策しているといつの間にか衣服に喰っ付いて離れない〈ゐのこづち〉の類も然りでありましょう。
 そう言う次第でありますから、本作の作者の斎藤哲哉さんよ、貴殿がお住まいになって居られる埼玉県の悪口を立て並べた私の犯した罪をお許し賜りたくお願い申し上げます。
 閑話休題。
 ところで、本作の作者の斎藤哲哉さんは、本作の下の句に於いて「富岡製糸に女工哀史なし」と仰って居られますが、それは、〈件の富岡製糸場の世界遺産登録にご努力なさった人々を中心とした、同施設の関係者や研究者諸氏が、〈同施設をあまりにも神聖視し、その永久保存及び早急なる世界遺産登録を願うあまりに、いつの間にか喧伝し、独り歩きしてしまった都市伝説〉の類かと私は存じている次第でありますが、その点に就いての世の識者の方々のご識見を拝聴したいと、私は、かねてより深く念願している次第であります。
 それともう一点、上の句に「診療所の庭に小菊の咲きいでて」とあり、下の句に「富岡製糸に女工哀史なし」とありますが、一見しただけでは、この一首の上の句と下の句との関わりが判然としません。
 或いは、世界遺産に登録された富岡製糸場の施設内に、糸繰り女工さんたちの健康管理の為に設置された「診療所」が在り、その「庭」に、過ぎし日の女工さんのか弱くも可愛らしい姿を彷彿とさせる「小菊」が咲いている、と、作者は言いたいのでありましょうか?
 それとも、上の句中の「小菊」と下の句中の「富岡製糸」とは何らの関わりもないが、我が家の「庭」に咲いている「小菊」を目にするにつけても、作者は「この度、世界遺産に登録された『富岡製糸に女工哀史』が無かったことが偲ばれる」と言うだけのことでありましょうか?
 文意が曖昧な事に因って一首の趣が深まる場合がありますが、本作の場合は、必ずしもそのケースとは言えません。


○ 何ごとも自ら決める権利なき獄中に居て内なる自由 (ひたちなか市)十亀弘史

 本作の作者の十亀弘史さんは、それ相当の悪事を為してこその「何ごとも自ら決める権利なき獄中」生活を為さって居られる訳でありますから、とり立ててその事を弁明して言う必要はありません。
 だが、それにも関わらず、それを殊更に一首の中で述べた挙句に、「そうした私にも、例えば、短歌を詠んで朝日歌壇に投稿する自由や、朝日歌壇に掲載された自作の短歌を目にして満足する自由が在り、そうした自由は、私にとっての獄窓の中の自由であり、私の心の中の自由でもある」と作者は述べて居られるのでありますが、人間、欲を言っていたらきりがありませんから、そうした「内なる自由」を思う存分に活かされて、優れた短歌を沢山お詠みになられ、一日も早く収監を解かれるようにお努め下さい。


○ 代掻きを馬鍬でしてたホーさんがトラクター買う水牛売りて (所沢市)若山 巌

 作中の語「ホーさん」及び「水牛」から推してみると、この歌の題材となっているのは、我が国以外の米作地帯の出来事であろうと推察されます。
 作者の若山巌さんに問いますが、作中の「ホーさん」の現住地は、ベトナムでありましょうか、それとも、タイでありましょうか、或いは、インドネシアでありましょうか、ミャンマーでありましょうか?
 まさか、台湾ではありませんよね!


○ 鰤の子のフクラギ・ガンドまだ海で泳ぎたい目を光らせ並ぶ (石川県)瀧上裕幸

 富山県や石川県などでは、出世魚である「鰤」を、その成長の段階を追って、「ツバイソ → コズクラ → フクラギ → ガンド → ブリ」と呼んでいるそうである。
 で、あるならば、「フクラギ」及び「ガンド」の段階は、「鰤の子」が、出世魚としての最高段階である「ブリ」になる一歩手前の段階であり、それくらいの大きさになると、街の魚屋さんの屋台に載せられて売り捌かれて行くのを待っているのでありましょう。
 その「『鰤の子のフクラギ・ガンド』たちが『まだ海で泳ぎたい目を光らせ』て、街の魚屋さんの屋台に『並ぶ』」とは、私たち人間にしろ、鰤などの魚類にしろ、生きるという事は何とも哀れなことではありませんか!

 
○ 真っ白のマフラーでくるむ霜月の朝は空っぽ静かに始まる (芦屋市)室 文子

 ただでさえも冷え切っているが故に「霜月の朝」は「空っぽ」なのでありますが、その「霜月の朝」に、自らの身体を「真っ白のマフラーでくるむ」と、更に空白感がブラスされるのでありましょう。
 そんな「空っぽの朝」、否、「朝の空っぽ」が「静かに始まる」時空間を、本作の作者の室文子さんはお母さんと一緒に、芦屋市の台所を預かる大原市場にでも買い出しにお出掛けになられるのでありましょうか?


○ マイインコくいしんぼうで困るけど私のつかれも食べてくれるの (東久留米市)辻 夏妃

 「マイインコ」と来たもんだ!
 こう言う言い方が許されるところに、今の日本人の増上慢がもろに嗅ぎ取られるのである。
 私はかつて、〈元カノ〉に「マイインポ」と言われた事がありましたが、その女性とはすったもんだの挙句に喧嘩別れをしてしまいました。
 人間に対してにしろ、小鳥に対してにしろ、女性が誰かを「マイインコ」だとか「マイインポ」だとか、「マイ」付きで呼んだ場合、呼ばれた当事者は自分がさも件の女性から愛されているかの如くに錯覚しがちでありますが、女性が何かを「マイ」付き呼ばわりする場合は、必ずその女性の所有欲や支配欲がもろに発揮された時ですから、私たちオス族はよくよく注意しなければなりません。


○ 迷い亀押さえつけても尚もがく外来種は強し魚も草も (加古川市)境田正義

 「外来種」がいかに強いかは、前述の如く、西洋タンポポと日本蒲公英との繁殖振りを比較して見れば、一目瞭然でありましょう。
 また、人間界の出来事を例に取ってみても、マラソンにしても大相撲にしても、全て外来種に蹂躙されている始末ではありませんか!
 ところで、ミシシッピアカミミガメやカミツキガメやアカミミガメなどの外来種の亀は、押さえつけようとしてもなかなか押さえ付けられません。
 まかり間違って噛み付かれたら最期、指の五、六本ぐらいはたちまち喰い千切られてしまいますから、用心の上に用心を重ねて事に当たらなければなりません。
 要するに、公園の池などで外来種の亀を目にしたら、即刻最寄りの保健所に電話連絡しろっていう事ですよ!
 

○ 人よりも牛の頭数多き村穂芒揺らし霰降りくる (前橋市)荻原葉月

 「人よりも牛の頭数多き村」にさえも、神の恵は公平に分配されるものであり、晩秋ともなれば「穂芒」を「揺らし」て「霰」が「降りくる」のでありましょう。
 「穂芒揺らし霰降りくる」とは、「人よりも牛の頭数多き村」の住民の一人としての実感の込もった表現でありましょう。 


[佐佐木幸綱選]
○ 十日夜遥かに望む雁渡し関東平野稲架連なれり (朝霞市)青垣 進

 呼んで字の如く、一目瞭然の景色を題材にした作品であり、文意も極めて明瞭でありますから、これ以上の解説を無用と存じますが、私は、かつて柳田邦雄門下の民俗学者・大島建彦先生の膝下に居た者でありますから、以下の如く、本作中の語、「十日夜」及び「雁渡し」に就いて、気の赴くままに解説させていただきます。
 冒頭の名詞「十日夜」は「とおかんや」と訓み、旧暦の10月10日に、主として東日本で行われる収穫祭の事を言います。
 この夜は、稲の収穫を祝って餅を食したり、稲刈り後の藁を束ねて藁鉄砲を作り地面を叩きながら唱え事をして地の神を励ます行事が行われる、とのことでありますが、藁鉄砲で地面を叩くのは、農作物に悪戯をする土龍を追い払う為だ、とのことであります。
 昔は、この日には田の神様が里を離れ山に帰るとされ、稲刈りはこの日まで終わらせなければならないと考えられていた、とのことであります。
 また、「十日夜」に行う民俗行事には、地域に依ってさまざまに異なった特色があります。
 例えば、山国の長野県では、案山子を田の神様に見立ててお供え物をする「案山子上げ」が行われ、武蔵野のど真ん中に当たる東京都田無市では「大根の年取り」が行われる、とのことであります。
 田無市の民俗行事の「大根の年取り」は、大根畑にぼた餅を埋めて大根の豊作祈願をするのでありますが、同じ東京都内でも、他の地域の「大根の年取り」では、大根畑に入るのを逆に避ける風習があったそうです。
 私の故郷では、「お大黒様」と言って、黒豆の膾に、黒豆の煮付けに、黒豆入りの味噌汁といった、黒豆尽くしの食べ物を食べる行事が在ったように記憶しておりますが、この行事も亦、地方版の「十日夜」であったと、今になって思い出されます。
 事の序でに、更に敷衍して説明すれば、西日本では、十月の亥の日に同じような収穫祭が行われた、とのことです。
 この行事は、一般的に「亥の子」と呼ばれていますが、元来は、中国から伝来した風習で、豊作を祈願して餅を食する、と言うことであります。
 次に、「雁渡し」とは、「大陸から雁が列を連ねて渡って来る、初秋の頃に吹く北風」の事であり、「青北(あおぎた)」とも呼ばれ、俳句の秋の季語としても用いられて居ります。
 尚、当代人気の女性歌手・水森かおりの曲に「雁渡し」という、叙情性たっぷりの名曲が在る事は、先刻から皆様ご存知の事と拝察し、此処にあらためてその歌詞を引用するような野暮な事は、決して決して致しません。


○ 戦争は戦争の顔してこぬと雪崩の予感に眠りは浅し (鎌倉市)小島陽子

 鎌倉は三方が山に囲まれた地形でありますから、「雪崩」と言うよりも、住宅地への土砂崩れの怖れ無しとしません。
 それにしても、たかが「雪崩」や〈土砂崩れ〉の如きの災害を「戦争」に例えるとは、如何に〈鎌倉夫人〉と言えども、いささか大袈裟過ぎはしませんか?


○ 空港の騒音下に七観音と六地蔵の塔ひっそりと泣く (成田市)神郡一成

 「空港の騒音下」に鎮座ましますれば、「ひっそりと泣く」「七観音と六地蔵の塔」の泣き声は、滅多矢鱈に私たち庶民の耳に届くことはありません。


○ 離婚前夫婦でドライブ2ショット記念に撮りぬ秋の高野山 (大阪市)浜口真智佳

 能天気な事をおっしゃて居られますが、短歌の鑑賞者の私にだって選ぶ権利はありますから、私は、この一首を見なかったことにしてスルーパスする事にさせていただきます。


○ 通帳を処分診察券も処分亡くなった名が失くなってゆく (大和市)林 有美

 大和市にお住まいの林有美さん及び、その兄弟姉妹の方々は、遺言状の記載に従って、ご両親に当たる方がお亡くなりになった後で、亡くなった方名義の銀行預金額の全てを下ろした後の空っぽの預金通帳を処分し、元々何の役にもたたない病院の診察券を処分したのでありましょうが、それを掴まえて「亡くなった名が失くなってゆく」などと短歌に詠むとは、〈人間の業ここに見たか!〉とも言うべき業突張りでありましょう。
 言われて見れば確かに「亡くなった名が失くなってゆく」のでありましょうが、それが確かな事実であればこそ、人間は死人になりたく無いものである。


○ 夜の庭の主は狸偶さかに昼に出て来て落柿を食べる (日立市)鰐淵仁子
 
 俳聖・松尾芭蕉の高弟・向井去来は、儒医向井元升の二男として肥前国に生を受け、上京して堂上家に仕え武芸に優れていたが、二十七歳にして武士の身分を捨て隠士となり、貞享3(1686)年、三十五歳時に京都・嵯峨野に「落柿舎」と名付けるささやかな庵を構えて風雅の道に勤しんだと云う。
 落柿舎には、師・松男芭蕉も両三度に亙って訪れ、俳文『嵯峨日記』は落柿舎滞在時に執筆したとされている。
 向井去来は、彼と共に「蕉門十哲」の一人に数えられる野沢凡兆と共に、蕉風の代表句集『猿蓑』を編纂して名を上げ、師・芭蕉をして「西国三十三ヶ国の俳諧奉行」と云わしめたのであるが、次に引用する「落柿舎記」は、向井去来が別邸・落柿舎を営むに当たって草した記念碑的な俳文である。

   『落柿舎記』 向井去来

 嵯峨にひとつのふる家侍る。そのほとりに柿の木四十本あり。五とせ六とせ經ぬれど、このみも持來らず、代がゆるわざもきかねば、もし雨風に落されなば、王祥が志にもはぢよ、若鳶烏にとられなば、天の帝のめぐみにももれなむと、屋敷もる人を、常はいどみのゝしりけり。ことし八月の末、かしこにいたりぬ。折ふしみやこより商人の來り、立木にかい求めむと、一貫文さし出し悦びかへりぬ。予は猶そこにとゞまりけるに、ころころと屋根はしる音、ひしひしと庭につぶるゝ聲、よすがら落もやまず。明れば商人の見舞來たり、梢つくづくと打詠め、我むかふ髮の比より、白髮生るまで、此事を業とし侍れど、かくばかり落ぬる柿を見ず。きのふの價、かへしくれたびてむやと佗。いと便なければ、ゆるしやりぬ。此者のかへりに、友どちの許へ消息送るとて、みづから落柿舎の去來と書はじめけり。
    柿ぬしや木ずゑはちかきあらし山

 上掲・鰐淵仁子さん作の一首の鑑賞の道導として、向井去来の「落柿舎記」を上記の通り引用したのでありますが、本ブログの愛読者の方々は、その趣旨を十分にご理解なさった事でありましょう。
 元禄の昔の俳人・向井去来は、売却約定済みの柿の実が一夜の風に因って「ころころと」落下したが故に、銭・一貫文を儲け損なったのであるが、本作の作者・鰐淵仁子さんは、虎の子の柿の実を狸に食われたが故に上掲の佳作一首をものして、朝日歌壇の佐佐木幸綱選の入選作という栄誉を獲得なさったのである。


○ 猪が我が物顔に庭を掘る嗚呼!チューリップ嗚呼!ユリの花 (兵庫県)高垣裕子

 これまで度々に亙って記して参りましたので、当ブログの愛読者の方々に於かれましては、先刻よりご承知の事と拝察されますが、斯く申す、私・鳥羽省三は、今を去ること十六年前、神奈川県での国語教師暮しから足を洗って、北東北の田舎町に一戸の庵を営み隠棲したのでありましたが、その折り、風雅の嗜みの真似でもしようとして、カサブランカなどの百合の類やチューリップやサンダーソニアといった花の球根を代金・数十万円を費やして取り寄せ、庭一面に植えたのでありました。
 然るに、それらの花の球根の大方は、その翌年の冬に群を成して我が家の庭に襲来する鼠族に食べられてしまいました。
 思うに、彼ら鼠族は、我が庵に接して建てられていた、ある米穀販売業者の倉庫の地下にでも巣食っていたものと推察されます。
 そういう次第で、私には、兵庫県にお住まいの高垣裕子さんのお気持ちの程は極めてよく解ります。


○ 霜月に冬は突然やってきてアンソロジーを私に返す (東京都府中市)船越理絵

 「アンソロジー」とは、「詩撰集・詩歌撰集・詞華集」。
 本作の作者・船越理絵さんにとっての秋という季節は、彼女を夢の世界に誘い、夢想させる季節であったのであるが、それなのにも関わらず、未だ秋真っ只中の「霜月に冬」が「突然やってきて」ロマンチストの彼女を現実の世界に引き戻したのである。
 という次第で、作中の下の句の「アンソロジーを私に返す」とは、「私を現実の世界に引き戻す」といった意味なのかも知れません。


○ 晩秋のわが家を幾度もノックする啄木鳥のいてほうきふるわれ (アメリカ)西岡徳江

 「ほうきふる」とは、あまりに酷過ぎます。
 アメリカ合衆国のメリーランド州にお住まいの西岡徳江さんは、まるで魔法使いのお婆さんみたいな仕草をして啄木鳥を追っ払っていらっしゃるんですね!


○ 誰とでも繋がる世界その中で誰にも言えずつぶやく言葉 (東久留米市)森山のぞみ

 「つぶやく」とは、「小声でひとりごとを言うこと」であるが、それは必ずしも、この「世界」の「誰」とも繋がりたくないという話者の意志の現れとは限りません。
 現に、私・鳥羽省三などは、夜、ベッドに入ってからも、トイレの中で薀蓄を垂れている時でも、横断歩道で青信号になるのを待っている時でも、いつもいつも何かを呟いているのであるが、それは誰かと繋がりたいという、彼の意志を現れなのである。
 そもそも、「誰とでも繋がる世界」という能天気な断定自体が間違っているのである。