臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

結社誌「かりん」8月号(全国大会詠草抄より・其のⅡ)

2016年10月02日 | 結社誌から
○  おばんです菜の花ばたけももう見えぬにつぽん死ねといひし人はも  馬場あき子

 結社誌「かりん」の発行所であり、馬場・岩田両先生の永久なるご寝所でもある馬場あき子・岩田正邸は、小田急線柿生駅から私の脚でも約十分、私の妻の速歩では五分くらいの位置、即ち、川崎市麻生区片平三丁目にましますが、彼の地は川崎市内とは名ばかりの多摩丘陵の一郭であり、春になれば菜の花が咲き乱れる光景、夏の夜ともなれば、雌を求めて発光する源氏蛍の雄が乱舞する光景が、彼の有名なるサンコさんほどには遠目が利くとも思われぬ両先生のご自宅のお二階から一望できるほどの自然豊かな、かつての薄野の真っ只中に在るので、陽が傾いて「菜の花ばたけ」の菜の花が「もう見えぬ」頃に、馬場あき子先生が同じご町内の同じご年配の女性と出会った時に交わし合う挨拶が「お晩です」であったとしても少しも不思議ではありませんし、ましてや、そうした折に両者の間で交わされる立ち話の中に、例の「保育園落ちた日本死ね」と匿名ブログで絶叫したとされる女性の話題が出たとしても、是また、少しも不思議ではありません。
 否、むしろ、件の夕べのご挨拶が「おはようございます」や「ママ食ったか(標準語で言うところの〈ご飯食べたか)」であったりする方が、よっぽど不思議でありましょうし、立ち話の中に、『魏志倭人伝』や『大和物語』の成立年代に関わる話題が出て来た方がよっぽど不可思議事であり、不可解なる現象でもありましょう。
 ところで、本作の下の句は「につぽん死ねといひし人はも」となって居りますが、私たち本作の読者は、この下の二句の末尾の二音、即ち「はも」によくよく留意して、本作の鑑賞及び解釈に当たらなければなりません。 
 何故ならば、「はも」という、馬場あき子先生の深い詠嘆の情が込められた二音の存在こそは、「『につぽん死ねといひし人』に対しての、馬場あき子先生のお優しいお気持ち、及び、我が国の教育政策や福祉政策に対する、馬場あき子先生ご自身の抵抗姿勢」を余すところなくもろに証明しているのでありますから。
 [反歌]  おばんです決して乙女でありません保育園落ちた日本よ死ね  鳥羽省三


○  監視カメラだらけの春の街をゆく靴音しないくつを履きゆく  石井照子

 必ずしも肥満体とは思われない、本作の作者・石井照子さんが、「靴音しないくつを履」いて、「監視カメラだらけ」の「街」を「ゆく」時の、その「街」が、〈真冬の街〉や〈真夏の夏〉や〈紅葉前線襲来の頃の街〉では無くて、「春の街」であることに留意して、私たち、本作の鑑賞者は事に当たらなければなりません。
 何故ならば、他ならぬ「春の街」を行く時こそ、他の季節を行くとき以上に、私たち臆病な人間は、街中に張り巡らされた「監視カメラ」網の存在を意識せざるを得ないからである。
 [反歌]  街中に監視カメラの監視網張り巡らせて桜芽吹くも  鳥羽省三
      ものの芽の芽吹く頃とはなりにけり監視カメラに視られつつ行く  


○  防人のこころをもちてうたふこと吾にあらざりき子の世はいかに  坂井修一

 作中の「防人の心」とは、「我が国が憲法九条を廃棄し、彼の合衆国と一体となって世界平和ならぬ世界征服し得る軍隊を持つことを肯定する心」という意味でありましょうか?
 だとしたら、本作の作者・坂井修一さんは、「我が国が憲法九条の存在に依って海外派兵をする事から免れている現状」を良しとして、「ご自身のご子息の時代の世の中はどうなることだろうか?もしかしたら、彼らの時代は、愛する子供たちを戦場に送らなければならない時代になっているかも知れない」と、本作の表現を通じて、我が国の平和への危惧の情をお述べになって居られるのかも知れません。
 私が思うに、「才人・坂井修一の歌人としての本分は、こうした常識的かつ朝日歌壇の入選作的な社会詠を詠むことにあるのではない。しかしながら、一年に一度の、結社誌『かりん』の全国大会となれば、敢えて、こうした素朴極まりない反戦詠を詠むことを通じて、ご自身の平和を愛する心を、大会出席者の方々に示さなければならないと思ったが故の、斯かる一首の詠出」なのでありましょう。


○  ひとくきは系統樹のごと分かれゆきおのおの燃ゆる黄菖蒲のはな  浦河奈々

 作者の優れた観察眼がよく行き届いた佳作である。
 この一首の鑑賞を通じて、私は、「過ぐる日に馬場あき子氏及び岩田正氏を中心とした、短歌を愛する数人の方々に依って興された、短歌結社『歌林の会』が、その後、幾年の歳月を経るにつれて、同じ志を持つ人々を糾合し、今日の隆盛を見るに至った有様」を想像するを得ました。


○  晩春の湿れる夜をずいずいとヒスイカズラは地を目指し咲く  尾崎朗子

 何を隠しましょうか、過去に於いて、私・鳥羽省三にも、「短歌研究新人賞でも受賞して、〈逼塞状態に陥って久しい我が国の歌壇に、勇猛果敢にして有望極まりない高齢者新人が現れ出でたる〉とでも、全国紙を報道されん」と自惚れていた時期が在りまして、その時期は三年間に亘っていたのでありました。
 然るに、一年目の投稿作品こそは、同賞の〈最終選考合格作品=十首掲載〉に選出されましたが、その後の二回の投稿作品は、辛うじて〈新人賞佳作=五首掲載〉に選出されるという、自分の気持ちとしては、極めて不名誉極まりない扱いをされるに至って、「私の傑作が斯かる不名誉な扱いを受けなければならない理由の全ては、第二の俵万智ブームを現出して一儲けせんと企む出版社や、それを是とする不定見な選者に帰する」と言う思いで、それを堺として、その後の数年間は、短歌研究新人賞への応募を断念したのは勿論のこと、短歌を詠むことさえも止めていた次第でありました。
 ところが、つらつら慮ってみるに、その時期に私と同じ不名誉な扱い、乃至は、それ以下の扱いをされていた歌詠みには、佐藤羽美氏、金田光世氏、天野慶氏、遠藤由紀(季)氏、奥田亡羊氏、藤島秀憲氏、十谷あとり氏、染野太朗氏などが居られ、彼らは、後に、或いは新人賞受賞歌人として、或いは、所属結社内の受賞歌人として、名を成すに至ったことは、皆様方にとっては、先刻からご承知の事柄でありましょう。
 ところで、本作の作者・尾崎朗子さんは、今でこそ、傑作の誉れ高い歌集『蝉観音』及び『タイガーリリー』の作者として、更には、斯界の老舗「歌林の会」の幹部会員の一人として、その名を満天下の人々に知らしめ、羨望の眼差しを注がれて居られるのでありますが、不肖・私の応募作品が、短歌研究新人賞の〈最終選考合格作品〉として、短歌総合誌『短歌研究』九月号の紙面に十首掲載された平成十六年には、未だ、投稿歌人の位置に甘んじて居られたと思われ、彼女の投稿作品「鳩むつむ声の聞こゆる大寒の朝の駅舎に身震ひをせり」、「つぐみたち等間隔に草の上 分別は人をかなしくさせる」という、その歌ごころの豊かさと、その将来の栄誉を十分に予測せしめる、二首の秀作が掲載せられていた次第でありました。
 ところで、掲出の「晩春の湿れる夜をずいずいとヒスイカズラは地を目指し咲く」に認められる、彼女の詠風、即ち、「ずいずいとヒスイカズラは地を目指し咲く」様を映しながらも、その舞台を「晩春の湿れる夜を」という、明らかにマイナスイメージを伴った時間と空間に、敢えて設定しようとする詠風は、彼女が一介の投稿歌人の位置に甘んじられ、彼女の投稿作品が、短歌研究新人賞の「佳作=二首掲載」という、必ずしも、名誉なる扱いをされていたとも思われない作品にも、明らかに認められるのである。
 「晩春の湿れる夜をずいずい」と「咲く」「ヒスイカズラ」は、天上を目指して「咲く」のではなくて、「地を目指し咲く」のであるから、件の「ヒスイカズラ」には上昇志向は認められなく、明らかに下降志向のみが認められるのである。
 結社などの歌会の場で、高得点を得る作品は必ずしも奥行の深い作品とは限りませんから、本作は或いは、全国大会の歌会の場で、多くの方々から理解され、支持されて高得点を得たとは私には思われません。
 この傑作が「かりん」全国大会の歌会の場で、いかなる扱いをせられ、如何なる得点を得たのか?
 この点に就いて、私は、結社誌「かりん」の現状と今後の盛衰を占うべき、格好な指針として理解しているのである。


○  「生きたし」と空穂詠へり九十翁のいのちの讃歌ひもとく春は  高尾文子

 今年度の「かりん」全国大会に於いて、主宰・馬場あき子氏は「『いのちの歌』の特集にふれて」と題されて、基調講演をなされた、とか。
 そして、その中で、馬場あき子氏は、「近代歌人作『いのちの歌』」の特質の一例として、斎藤茂吉作及び齋藤史作と共に、窪田空穂作「命一つ身にとどまりて天地のひろくさびしき中に息をす」にもお触れになられた、とか。
 ならば、本作の作者・高尾文子さんは、結社幹部の一人として、また、全国大会開催の為にご奔走なさった方々の一人として、予め窪田空穂作の歌集をご精読なさったことでありましょう。
 「だから、どうした」と言いたい訳ではありませんが。
 [反歌]  生きたしと願ふ気持ちは変はらねど希望持てざる今の世の中  鳥羽省三


○  朝の鏡に勝手にふえてゐる皺よ 自分の顔に責任持てず  田中穂波

 本作の作者・田中穂波さんのご年齢を云々したい訳では、決して、決してありませんが、人間一般に、年齢を増すごとに、顔の皺はひとりでに増えて行くものであり、そうした自然の摂理に対しては、如何なる高級クリームを塗りたくっても、如何なるサプリメントを服用しても、到底、抵抗することが出来ません。
 従って、「自分の顔に責任持てず」と達観するのが、そうした自然の摂理に対応する為の、最も有効にして、最も経済的な手段なのかも知れません。

 以上、二回に亘って、その所属会員でもない私が、結社誌「かりん」の本年度の全国大会に於いて、会員の方々がお詠みになられた秀作に就いて触れさせていただきましたが、もしかして、それらの文言の中には、会員諸氏の名誉を甚だしく傷付けるような文言や、私の鑑賞眼の至らなさが目立つ箇所が在るやも知れません。
 だが、その全ては、斯界の初心者にして戯作者なる、私・鳥羽省三の不徳の致すところでありますから、曲げてご理解賜りたくお願い申し上げます。


結社誌「かりん」8月号(全国大会詠草抄より・其のⅠ)

2016年09月30日 | 結社誌から
○  すかんぽを折ればもれくる人の声だれかでんわをかけてはこぬか  佐怒賀弘子

 何方の作品の場合でも同じことであるが、奥行が深く優れた一首から読み取れるものは、時にはお互いに裏腹な関係にあるものを含めて、色々様々であり、多岐に亘るのであるが、佐怒賀弘子作のこの一首から、「郷愁と人恋しさと幼児性と女性性と甘え」、そして「欠落感と寂しさ」を指摘のは極めて容易なことでありましょう。
 私は、過日行われた麻生短歌会の九月歌会での彼女の詠草「ふりむけばだあれもいない炎昼よ極楽鳥花に狙われている」を解釈し批評するに際して、佐怒賀短歌のもう一つの特質であり魅力でもある「ナルシシズム・自己愛・自尊心」を、あまりにも声高に指摘したかったが故に、こうした要素と共に彼女の短歌のもう一つの特質であり魅力でもある、前述の「欠落感・人恋しさ・甘え・寂しさ」といった要素を指摘する事を忘れていたのでありました。
 就きましては、この機会を借りて、私は、前掲「ふりむけばだあれもいない炎昼よ〜〜」という一首に就いての、そうした点に就いても指摘させていただき、深くお詫び申し上げます。 


○  誤植多き資料読み終え疲れたり春をのったり鎮める夕陽  寺戸和子

 「誤植多き資料」を読むのは、如何なる場合に於いても、精神的にも肉体的にも「疲れ」るものであるが、本作の作者の場合は、その「誤植多き資料」の解釈などに就いて、さんざん悩まされ、ぶつぶつぶつと不平を言いながらも、とにもかくにも「読み終え」たのである。
 ところが、豈に図らんや、「読み終え」て頭を上げた作者の視線の彼方に在ったのは、「春」景色の中を「のったり」のったりと「鎮」み行く「夕陽」だったのである。
 ところで、件の「のったりのったりと沈み行く夕陽」は、疲れ果てた彼女の心にひと時の癒しを与えたのでありましょうか?
 それとも、本作の作者・寺戸和子さんは、件の夕陽に向かって、「のったりのったりと沈んで行く、このうすのろの夕陽め!目障りになるから、あの山の西の端にさっさと立ち去れ!」とばかり、金切り声を上げて罵ったのでありましょうか!


○  亀うらがへり濁る水槽青葉の日 こころが折れるといふ言ひ方きらひ  米川千嘉子

 若かりし頃は、前途有望な一青年・坂井修一をして、「青乙女なぜなぜ青いぽうぽうと息ふきかけて春菊を食う」と詠わしめ、「水族館にタカアシガニを見てゐしはいつか誰かの子を生む器」と悩ましめた作者も亦、ご子息が自立し、遠く離れた地に赴任してしまうと、短歌を詠む以外に時間の潰しようが無くなってしまい、ご夫君と二人暮らしの我が家の「水槽」に「亀」を飼い、彼が裏返しになって泳ぐ様をひがないちんち眺めていたりするのでありましょう。
 だが、本作の題材となっているのは、件の「亀」そのものでは無くて、せっかくの「青葉の日」だというのに、外出することも無く、例に依って例の如く,件の「亀」の奴が泳ぐ様を眺めていたところ、その「亀」が「うらがへり」になって泳いだことが因をなして「水槽」の水が濁ってしまった、と立腹して、「こころが折れ」てしまったのであるが、それでも尚且つ、強情にも「(私は)こころが折れるといふ言ひ方」が「きらひ」と言い張る歌人ご自身である。
 世間一般に「才色兼備の熟女という者は始末に負えない生き物である」とは言うが、つくばみらい市の坂井家の場合は、同じ生き物のご主人様もなかなか大変であるが、それ以上に水槽の中に飼われている亀も大変である!


○  青春は解けないテストの空らんを真夏で埋めていくような日々  貝澤駿一

 「解けないテストの空らん」が「空らん」のままで終わる「青春」も在るが、本作の作者の場合は、そのままでは終わらずに「真夏で埋め」られたのであるから、一応は充実した青春であったのだろう。
 ところで、「解けないテストの空らんを真夏で埋めていく」とあるのは、本作の作者の青春は、甲子園を目指したの野球練習に明け暮れした「青春」であったのであろうか?
 手抜きをせずに「空らん」は「空欄」と漢字書きにするべきである。


○  林檎の花透けるひかりにすはだかのこころさらしてみちのくは泣く  齋藤芳生

 「齋藤芳生」も、昔はともかくとして、今は一応は福島県民であり、立派な被災者でもありますが、その福島県民としての被災者意識が、「こころさらしてみちのくは泣く」という、下の句の表現を齎したのでありましょうか?
 「林檎の花透けるひかりにすはだかのこころさらして」という、四句目までの言葉の流れが素晴らしいだけに、それを受ける五句目が「みちのくは泣く」という、常套的にして安易な表現になっているが惜しまれる。
 このような作品の解釈に当たっては、意味を追って行くことを重視する必要は無く、言葉の美しい流れに浸って詠むべきなのである。 


○  方形に留められたる牛乳のこの世のかたち提げて帰りぬ  辻 聡之

 「方形に留められたる」、1リットル入りの「牛乳」パックの形こそは、正しく「この世のかたち」である。
 その「この世のかたち」を「提げて」、辻聡之さんはご帰宅なさったのでありましょう。
 ところで、辻聡之さんのお住まいは、「ⅠDKマンション」でありましょうか?


○  蛇口から零れる光に差しいだす手のひらのなかに子の手を洗う  平山繁美

 「(蛇口から零れる光に差しいだす)手のひら」とは、作中主体、即ち、本作の作者・平山繁美さんの「手のひら」でありましょうか、作中の「子」の「手のひら」でありましょうか?
 仮に、件の「手のひら」が作中主体の「手のひら」であったとしたならば、この作品から読み取れるモノは、一に、作中主体の心を領している〈ナルシシズム・自己愛〉でありましょう。


○  右胸に「ブラック・ジャック」の顔の瑕再建はせず女を徹す  石橋陽子


 「『ブラック・ジャック』の顔の瑕」とは、乳癌の手術痕でありましょうか?
 そうだとしたら、本作は、乳房を失った悲しみの情を詠った歌であると同時に、それとは裏腹な女性心理、即ち、「女性性としてのナルシシズム」を詠った歌でもありましょう。


○  夕暮れをシチューの香りキッチンに満ちて「待つ」とは確かなかたち  池田 玲

 「温かくて美味しいご馳走、即ち、『シチュー』を作って夫の帰宅を待つ事の嬉しさ、という、極めて普遍的な女性心理を詠った作品であり、深読みを許さない単純明解な歌である。


○  「八重桜の木があつたのよ」無きものは夕べの庭に人を立たしむ  桜川冴子

 件の「八重桜の木」は、かつては「庭」に立っていたのであるが、今、現在は「無き」が故に、「夕べの庭に人を立たしむ」るのである。
 何かの喩えみたいな内容の歌であるが、深読みすれば、「人間も長生きしたいなどと欲張らずに、適当な時期になったら死ぬのが宜しい」とでも言っているような気がする。


結社誌「かりん」8月号より(其のⅢ)

2016年09月25日 | 結社誌から
[岩田欄]

○  錆つかぬやうにアセロラドリンクを午前零時のわれに流しぬ  (川崎)尾崎朗子

 作者の尾崎朗子は、1965年生まれであるが、女性の体も、五十歳を過ぎ、「午前零時」まで歌を詠んだり読んだりしていると、錆び付いてしまうのでありましょうか!
 ところで、「アセロラドリンク」と言えば、一般的、常識的には、サントリーから発売されている〈ニチレイ・アセロラドリンク〉を指して言うのであるが、その効能書きの何処を探しても、「本飲料に防錆効果あり」などとは書かれていません。


○  「ああ愛が足りない」だなんて甘噛みする子猫のやうに女子高生が  (川崎)尾崎朗子

 「ああ愛が足りないだなんてセリフは、「甘噛みする子猫」や「女子高生」が口にするようなものではなく、五十歳を過ぎて未だ理想の男性に巡り合っていない、本作の作者のような熟女が口にするに相応しいものでありましょう。
 ところで、「子猫」が、飼い主の熟女の素肌を「甘噛みする」のは、あれは、「もっともっと愛されたい」との願望を込めての行為なのでありましょうか?


○  珈琲でなだめる頭痛あまぐもは万策尽きて雨をこぼせり  (我孫子)遠藤由季

 「珈琲」には「頭痛」を和らげる効果があることは私も知っていましたが、「あまぐも」が路上に「雨」をこぼす前に何かの策を施す、などということは、私にとっては初耳です。
 一体全体、彼は「雨」をこぼす前の事前策として、如何なる事業を為していたのでありましょうか? 


○  まなぶたをもつ魚に遇ふ「見ぬためにまぶたはあるの?」夢にわが声する  (さいたま)古志 香

 然り!、そうです。
 「見ぬためにまぶたはあるの」です!
 そして閉じるためにも!
 [反歌]  流すために貯めたのなら初めから瞼なんか要らなかつたのだ  鳥羽省三


○  街灯の明りの下で立ち止まり溜息ひとつ また歩きだす  (新座)角田利隆

 本作は、七首掲載中の六首目であるが、掲載作中の二首目に「妻が残した口紅がある 使ったりすることもなく立てておきます」であると知れば、本作は解説を要しないでありましょう。 

結社誌「かりん」8月号より(其のⅡ)

2016年09月25日 | 結社誌から
[岩田欄]

○  汚染土をひき受けたるは子どもらの学校といふ、黙すほかなし  (横浜)池谷しげみ

 「子どもらの学校」が、「吾が愛し子たちが通学している学校」という意味だとしたら、五句目の「黙すわかなし」は、一般的には、エゴ丸出しの言い方とも受け取られましょうが、「ごく平凡な母親の言い方としては、格別に非難するには当たらない」と評者には思われます。


○  一年の半分が夏のような島何か少し憎み始める  (沖縄)松村百合子

 この作品の鑑賞を通じて、「作者・松村百合子の石垣島暮らしを切り上げたい」という気持ちを伺うことが出来るので、評者の私には、短歌作品としての評価は別のこととして、とても興味深い内容の作品でした。
 大震災直後に仙台暮らしから逃亡した俵万智が、石垣島暮らしを続ける事ができた理由の一つには、「本作の作者・松村百合子があるから」だとは、短歌関係者から私が直接聴いたことであるが、その俵万智が石垣島暮らしから脱して、宮崎に転居してしまった今となっては、本作の作者にも、「そろそろ石垣島暮らしを止めようかな」といった気持ちになっているのかも知れません。
 どうせ他人のことですから、どうでもいい事かも知れませんが?


○  みづぎわに近づいてくる蟇蛙ゆるゆる地球の地軸をまわれ  (川崎)池内桂子

 歌材となっているのは、「一匹の『蟇蛙』が、松尾芭蕉作の〈古池や蛙飛び込む水の音〉よろしく、作者のご近所の古池に飛び込んだ後、その池の『みづぎわに近づいて』来て、その辺りをぐるぐると回って泳いでいる光景」である。
 作者の池内桂子は、「件の『蟇蛙』がぐるぐると回って泳いでいる古池の『みずぎわ(=平面)』を、『地球の地軸』と捉えている」のであるが、そもそも「『地球の地軸』とは、地球が自転する際の軸であり、北極点と南極点とを結ぶ、回転運動をすることがない直線」を指して言う言葉であり、北極点でも南極点でも無い古池、件の「蟇蛙」がぐるぐると回って泳いでいる古池は、「地球の基軸」であり得ようはずがないのである。
 と、言うことになりますと、本作に描かれている世界は、「老境に達しても尚、乙女のような夢を見ることを止めない老女が見た幻想世界」ということになりましょうか?
 とまで書いて来て、たった今気が付いた事ですが、私は、この作品を鑑賞するに当たって、作中の語「蟇蛙」と「みづぎわ」にこだわるあまり、ついうっかりと松尾芭蕉作の「古池や蛙飛び込む水の音」という俳句を枕に置いて論を展開してしまったが、その間違いに気が付きました。
 と言うのは、件の一句を頭に置くと、作中の「みづぎわ」は、芭蕉の句に登場する「古池」の如き極めて小規模な「みずぎわ」に限定されてしまい、件の「蟇蛙」は、「地球の地軸」から遠く遠く離れた、日本のとある古池の「みずぎわ」に「近づいてくる」事になってしまい、池内桂子作の本作のスケールの大きさに気付かず、「この作品に描かれているのは、老境に在りながら、未だに夢見ることを忘れない老女、科学的知識に欠けた老女の見た夢と憧れの世界である」などという、月並みで平凡な結論に到達してしまうからである。 
 よくよく熟慮してみると、作者の池内桂子が、作中の「みづぎわに近づいてくる蟇蛙」に「ゆるゆる」「まわれ」と願い、激励している「みづぎわ」は、前述の如き「みづぎわ」、松尾芭蕉の俳句の世界の古池の「みづぎわ」、小さくて枯れていて濁った水がたまっている、哀れな「みづぎわ」などでは無く、「地球の地軸」の最北端の北極点の周りに在る、測定しようもなく広大な池の「みづぎわ」でなければならないのである。
 本作の作者・池内桂子は、その途方もなく巨大な池の「みづぎわ」に佇んで、その「みづぎわ」の水面に「近づいてくる」幻の「蟇蛙」に向かって、「蟇蛙よ、私の心の中の幻の蟇蛙よ、お前は、私の眼前に在る、『地球の地軸』の周りの巨大な池を『ゆるゆる』と「まわれ」、『地球の地軸を』『ゆるゆる』と『まわれ』」と、祈るような気持ちで願い、激励しているのでありましょう。 


○  さみどりはさやげる山の色香ともマゼンダ燃ゆる卯月尽なる  (小野田)高崎淳子

 一首の意は、「今は、空や空に漂う空気や風までがマゼンダ色に燃える卯月尽である。その空の下に在ってさやさやと音を立てて揺れている山は、さみどり色に染まっているのであるが、その爽やかな山のさみどり色は、自然の恵の色であり、香りでもある」といったところである。
 内容、形式、共に整った佳作であり、老境に在る作者・高崎敦子の明るく爽やかなロマンチシズムを短歌形式で現出した一首でもありましょう。


○  なにとなく過差を好めるその猫をたの(も)しき美女とかねて思へり  (浜田)寺井 淳

 此処にも一個のロマンチストの存在を認めることが出来た。
 かつては〈裏日本〉なる蔑称で以て呼ばれ、今となっては、県単独では参議院議員を選ぶことさえも許されていない島根県の浜田市にも、寺井淳という、猫好きのロマンチストが棲息していたのである。
 「過差」とは、「分に過ぎたこと。分不相応なおごり。ぜいたく」の意であるが、かつての裏日本の島根県の浜田市には、果たしてそんな「猫」、浜田市のロマンチスト寺井淳をして、「たの(も)しき美女」を思わしめた「過差を好める」「猫」が棲息しているのでありましょうか?
 と、言うことになりますと、一般的かつ常識的な傾向として、私たち日本の男性は、美女と呼び得るような女性に対して、「『過差を好める』性格であれ、貴女ぐらいに美しかったら、どんなに贅沢三昧の生活をしていても、私は決して文句なんか言わないぞ!」と思い願っていることになりますが、事の真実は果たして如何ならむや?

○  真顔なし猫とコロブチカ踊るわれをつまは目を細めみしにあらずや  (浜田)寺井 淳

 私としたことが、迂闊にも、事の真実を見誤ってしまったようだ!
 と言うのは、島根県の寺井淳なる男性を、ついさっき、私は「此処にも一個のロマンチストの存在を認めることが出来た。/かつては〈裏日本〉なる蔑称で以て呼ばれ、今となっては、県単独では参議院議員を選ぶことさえも許されていない島根県の浜田市にも、寺井淳という、猫好きのロマンチストが棲息していたのである。」などと、褒め称えてしまったのであるが、仮にでも、彼が「真顔なし猫とコロブチカ踊る」としたら、彼は「一個のロマンチスト」なんかでは無くて、世間によく在る、単なる〈猫好き〉〈猫きち〉の一人でしかない、ということになりましょう。
 それにしても、彼の奥さんは大変だ! 
 

結社誌「かりん」8月号より(其のⅠ)

2016年09月24日 | 結社誌から
[岩田欄]
○  わが部屋に仏壇あれば不信心のわれも亡き父母とともに寝起きす  (川崎)岩田正

 「わが部屋に仏壇あれば不信心のわれも亡き父母とともに寝起きす」という一首は、読んで字の如し、格別なる解説や解釈を要しない作品と思われる。
 だが、私たち読者は、本作を鑑賞するに当たって、これを構成する、「わが部屋(に)→仏壇あれ(ば)→不信心のわれ(も)→亡き父母(と)→ともに寝起きす」いう、四個の連文節に込められた、岩田短歌一流の屈折した心理や批評精神や反骨精神、更には、斯かる事態が現出するまでに至った、経過や事情に対する怨念の情をまで感得せざるを得ません。
 そして、それと同時に、岩田短歌の傑作・代表作として知られている、「イブ・モンタンの枯葉愛して三十年妻を愛して三十五年」、「妻は書きその腰の辺にわれ眠る妻夜遅くわれ朝早し」、「オルゴール部屋に響けり馬場さんよ休め岩田よもすこし励め」、「妻にのばす稀となりたる両の腕どのやうに寝てもつくづくと邪魔」などの作品を鑑賞する場合と同様に、一首の表現の中に込められたユーモア精神や人間愛を読み取ることも忘れてはいけません。
 ところで、昨今の我が国の都市住民の住居・即ち〈食う寝る所、住む所〉は、秋田県などの辺鄙な地方のそれと比較した場合は、地価の高さが主たる原因となって、あまりにも狭小であり、彼ら、都市住民の間では、当座の暮らしに不必要な家具や家財道具などは、出来る限り買わないようにする事、室内に置かないようにする事が、家族同士で交わされた暗黙の約束事項のようなものとなっている。
 従って、本作にも登場する「仏壇」などは、信仰の如何を問わず、都会生活には不必要なものとして認識されていて、可能な限り小型化する傾向にあり、先祖代々伝えられるそれなどは、〈家庭生活を現代化し合理化し、便利なものにする為の余計者・邪魔者以外の何者でも無い〉という共通認識が広く行き渡っているのである。
 私は、容貌や姿かたちはともあれ、その内実は、決して、決して盗鼠小僧次郎吉や鬼平犯科帳に登場する〈引き込み女〉の如き存在ではありませんから、岩田・馬場ご夫妻の邸内に忍び込んんだり、その周辺を探索したりした経験はありませんし、ましてや、岩田・馬場ご夫妻の所持する、父祖伝来の「仏壇」が、どれくらいの大きさなのかも知りませんが、ご夫妻の年齢は、「足して二で割っても九十(歳)以上の数値を示す」ことになる訳ですから、それ相当の大きさであり、豪勢さでありましょう。
 ならば、その置き場を巡っての問題が、ご夫婦間の〈喫緊に解決すべき大問題〉としてクローズアップされること必定であり、そうした場合の判断の基準は、ご夫妻相互の力関係や来客の頻度などに依って決定されるのが、一般的かつ常識的かつ合理的な傾向でありましょう。
 とすると、岩田・馬場ご夫妻の場合は、その力関係から判断しても、来客の頻度から判断しても、その「仏壇」は、妻・馬場あき子の私室にも、来客の多いリビングルームにも、応接間にも、廊下や風呂場やトイレの隅などのも置くことが出来ないということになり、結果的には、我が国を代表する短歌作家であり、短歌評論家であり、歌人・馬場あき子の夫でもある、岩田正の〈寝室兼プライベートルーム〉が、岩田正・馬場あき子家の仏間を兼ねるということになり、夫・岩田正ご本人の父祖代々、ご両親のご位牌は勿論のこと、妻・馬場あき子のご両親や継母のご位牌までがぎっしりと詰まって置かれた「仏壇」が、必ずしも広くない、その室内に置かれる結果となるのは必定でありましょう。
 ところで、本作の二句目に「不信心(のわれ)」とあるのは、決して、決して、彼・岩田正が父祖を敬う心に欠けた人間、ご両親のご恩を忘れた人間であることを説明している訳ではありませんし、また、四、五句目が「われも亡き父母とともに寝起きす」となっているからと言って、彼・岩田正が妻・馬場あき子のご親族の霊を無視し、冷遇し、それと「ともに寝起き」することを嫌っている、せめてもの抵抗精神の発露として拒否している、と解釈する必要はさらさらにありません。
 とまで、岩田正・馬場あき子ご夫妻に対する、いわれの無い悪口雑言めいたことを、あれこれと書き連ねて参りましたが、本作に対して、こうした論評を為すことは、ややもすると大きな誤解を生む虞れ無しとしませんから、この論評の筆を措くに当たって、一言釈明させていただきとう存じます。
 こうした軽口めいた論評を為すことに依って、私・鳥羽省三は、何も、「岩田・馬場ご夫妻の間で、仏壇設置場所をめぐって、冷たく見苦しい陣取り合戦が交わされいる、その勝利者となったのは、短歌結社〈歌林の会〉の主宰の馬場あき子であり、夫・岩田正は、歌壇に於けるその地位や序列が低く、かつ、歌人としての力量や指導力が、妻・馬場あき子より劣っているが故に、自室を仏間とされるような惨めな立場に立たされている」などと主張している訳ではありません。
 その点に就いては、結社誌「かりん」に結集なさって居られる方々や、満天下の短歌ファン、馬場あき子ファン、岩田正崇拝者の方々には、よくよく申し添えておかなければなりません。
 何卒、宜しくご理解賜りたく、衷心よりお願い申し上げます。


○  雨の匂ひしんしんと身にしみとほり六月われはかならず病める  (市川)日高堯子
   じんましん夜の総身に噴き出でてかきむしる背を蛾があまた飛ぶ

 「六月われはかならず病める」とあるところから判断すると、歌人・日高堯子の胸底は、「梅雨期『六月』ともなれば、『われはかならず病める』ということが、〈確信〉と言うか、〈諦め〉と言うか、ほぼ間違いの無い確定的かつ自虐的な心理」に、占領されているのでありましょう。
 ところで、歌人・日高堯子が「じんましん」に罹ったのは、巷間にいわゆる、〈弱り目に祟り目〉という俗信の如く、「六月」になって、彼女の内蔵が弱ったからでありますが、それへの対応策として、傑出した歌人・日高堯子ご自身が、痒くて痒くてたまらなくなってしまって、我が背中を掻くことになり、そうした彼女の身体回りを、彼の憎っくき『蛾』どもが、ばたばたと奇しき羽音を立てて、『あまた飛』び回る光景こそは、まさしく〈六月の日高家の怪談〉であり、〈千葉県市川市の都市伝説〉の一つでもありましょうが、それにしても、お可哀想な一事ではありましょう。
 一首目に見られる「雨の匂ひしんしんと身にしみとほり」という表現、及び、二首目に見られる「じんましん夜の総身に噴き出でて」や「かきむしる背を蛾があまた飛ぶ」などの表現などは、ややもすると、わがままに生きんことを望む老女がよくする大袈裟な表現、過激にして自己本位な表現とも受け取られましょうが、決して、決して、そのような性質のものではありませんし、こうした表現こそは、傑出した歌人・日高堯子を特徴付ける傑出した表現として賞賛すべきでありましょう。


○  マツコデラックス消せばもひとりマツコデラックスあらはれてをり夜のテレビに  (千葉)川野里子

 「マツコデラックス消せばもひとりマツコデラックスあらはれてをり夜のテレビに」とは、「『夜』になって、他の家族の者たちも寝静まり、自分も格別に遣ることがないから、ひさしぶりに『テレビ』でも見ようかと思ってリモコンのボタンを押したところ、たまたま現れた画面に、格別に好きなタレントでもない『マツコデラックス』の大きな図体が現れたので、「ああ、初っ端から嫌なものを見てしまった!」という気持ちになり、他のチャンネルボタンを押してみたら、其処にもあの『マツコデラックス』の巨大で醜悪な図体が映し出された」という感じの言い方であり、描写である。
 こうした私の解釈とは別に、本作の作者・川野里子さんにとっての「マツコデラックス」という存在は、格別に嫌悪するべき存在として、この作品に登場させているのでは無いかも知れません。また、彼(彼女か?)の存在が格別に大きいと言いたい訳では無いかも知れません。
 即ち、「遣ること無しの深夜に、たまたま点けてみたテレビの画面にあの大きな図体が映っていて、そのことを格別に嫌悪した訳でも無しに、他のチャンネルボタンを押してみたら其処にもあの大きな図体が現れた、という偶然が、作者をして一首を為さしめたのでありましょう。」
 それはそれとして、昨今の民放テレビの「マツコデラックス」ブームには呆れ果ててしまって、ゲテモノ嫌いな私としては、「民放テレビの画面に、あの巨大で醜悪な図体が存在するが故に民放テレビは低俗である」と言いたい気持ちにさえなってしまいます。
 斯くして、私・鳥羽省三は、あの巨大で醜悪な図体に向って叫びたくなるのである。
 人間は〈シン・ゴジラ〉でも〈シロナガスクジラ〉でもないから、大きければいいと言うものではありません!
 また、特に女性は、一貫目いくらで売る〈豪州産の牛肉〉でも、〈隣国製の豚肉入り餃子〉でもないから、肥っていれば太っているほど喜ばれると言うものでもありません!
 しかも、あの「マツコデラックス」と言ったら、いつもいつも、吉野熊野の山奥に捨て置かれている、何だか知らない古代宗教の御神体の守護神が怒ったような、あの醜い面貌をしているのである。
 我が家のテレビには、あの肥満体は、絶対に絶対に映らせたくはありません!
 何がデラックスだ!
 何が人気タレントだ!
 「マツコデラックス」よ、お前はこの際、三途の河原まで彷徨って行き、此岸と彼岸の隙間を塞ぐ役割でも果たしなさいよ!
 「マツコデラックス」よ、お前は地獄の底まで墜ちて行き、閻魔大王の尻の穴でも拭いていなさいよ!
 斯くして、本作の作者のそれはともかくとして、本作の偏屈な評者・鳥羽省三の、「マツコデラックス」に対する嫌悪の情の披瀝は、いつ果てることもなく続いて行くのである。 

『かりん』(4月号)掲載の愛川弘文さんの短歌七首(コメント御礼宅配便)

2014年06月15日 | 結社誌から
        『夕 景』

(千葉・愛川弘文)
〇  縹から茜に変わる夕景が胸に沁み入る教室の窓

 年の頃五十代半ばとも今少し若いとも思われる男性が、二月上旬の夕方、千葉県内のとある高校の、とある部屋の窓辺に置かれた生徒用の椅子に腰掛け、辺り一面が縹色に染めて晴れ上がった冬空を眺めている。
 彼はこの高校の国語教師であり、彼の居るこの部屋は、彼の受け持ちクラスが使用している教室なのだ。
 彼は先程から身動き一つせずに、この教室の窓辺で何かを待ち続けている様子なのだ。
 彼が待っているものは何か?
 彼は、終鈴が鳴って帰宅時間が訪れるのを待っているのか?
 彼は、この高校の体育館でバレーボールの練習に励んでいる少女が、練習を終えて彼の許へ進路相談に訪れるのを待っているのか?
 否、否、彼は何かを、誰かを待っている訳では無くて、彼は先程から身動き一つせずに、この教室の窓辺の小さな椅子に座り、刻刻と変わり行く冬空の景色を眺めながら、彼自身の残り少ない、この高校の国語教師としての時間を眺めていたのかも知れない。
 彼が眺めていたものが何なのかは、彼が待ち続けていたものが何なのかは、この佳作の評者の私には勿論、作者の彼自身にさえ判然としないかも知れない。
 然し乍ら、斯くしている間にも、彼の腕に嵌められている電波式腕時計の針は少しずつ進み、先程までは縹色に染まっていた冬の大空が、今は先程よりは赤さを増して、軈ては茜色に染まって行くのである。
 「縹から茜に変わる夕景」は、彼のこの高校の国語教師としての残り少ない時間を、彼の残り少ない人生の時間を刻一刻と消耗させながら、この頃、頭髪に少しずつ白髪が目立って来た、彼のセンチメンタルな胸の奥に染み入るのである。
 帰宅時間を告げる終鈴はまだ鳴らない。
 進路相談を予約している少女は、体育館からまだ帰って来ない。
 彼に与えられた人生の時間はますます少なくなり、彼の表情と、灯りの点いていないこの教室内の光景とは、少しずつ暗さを増して行き、間も無く夜が訪れようとしているのである。
 〔返〕  縹から茜に変る夕景色 帰宅時間をスマホが告げる
      縹から茜に変る夕空を電波時計の六時が走る
 本作の表現に就いて一言することが許されるならば、評者としての私は、次の一点に就いて僅かながらも不満を感じているのである。
 即ち、作者の愛川弘文さんが、本作を「縹から茜に変わる夕景が」という色彩感覚豊かな十七音を以って詠い起こし、四句目に「胸に沁み入る」との感情表現を介在させた上で、「教室の窓」という体言止めの七音で以って収束させている点、つまり、本作に用いられている語句の全てが、修飾文節として末尾に置かれた「(教室の)窓」という名詞一語に重く圧し掛かって行く、一文一首の形式に拠って詠まれている事が、評者としての私にとっては、あまりにも惜しまれるのである。
 ならば、如何に詠むべきか?
 かく申す私にも、さしたる代案を示す事は出来ませんが、「『教室の窓』から見える『夕景』が、時間の進行と共に『縹から茜』に変り行く様子」を、「胸に染み入る」といった余計な感情表現を介在させずに、即物的かつ客観的に捉えて表現すれば、そろそろ老境に差し掛かろうとしている国語教師の追い詰められたような心境を表す事が可能だったのかも知れません。


 〇  海越しの冬の夕富士あかあかと定年近き教師と話す
 
 本作の作者の愛川弘文さんは、千葉県にお住いの高校教師であり、彼が勤務する高校は、眼下に東京湾を望む丘の上に建てられているものと推測される。
 だとすれば、彼の勤務する高校の教室からは、東京湾の「海越し」に富士山の雄姿を一望する事が出来るはずである。
 仄聞乍ら、愛川弘文さんが所属する結社誌「かりん」には、「作品締め切りは前々月の十日」といった、厳格な投稿規定が定められているとのことでありますから、愛川弘文さんが本作をお詠みになった時期は、寒さ盛りの一月下旬もしくは二月上旬と思われる。
 上の句に「海越しの冬の夕富士あかあかと」とあるが、作中の「夕富士」は、折からの夕陽を受けて「あかあかと」染まり輝いている「富士」であり、しかも「冬の夕富士」と、その季節が限定されているのであるから、葛飾北斎の描く「凱風快晴」に見られる「赤富士」とは似ていて非なる、「全山一色に真っ白な雪を戴いた上に、赤々と夕陽に染まり輝いている富士」なのである。
 本作の作者の愛川弘文さんは、そうした「夕富士」を遠望する教室の窓辺に居て、同僚の「定年近き教師」と、先刻から何事かに就いて話し合っているのである。
 愛川弘文さんと「定年近き教師」との対話の内容に就いては、評者の私としては、いちいち忖度するつもりはありません。
 だが、本作に接して、私が拘ってみたいのは、三句目の「あかあかと」という5音の「係り」及び「働き」に就いてなのである。
 即ち、作中の「あかあかと」という5音は、「海越しの冬の夕富士」という連文節を受け、それを修飾しているのであるから、作中の「冬の夕富士」が、単なる雪の綿帽子を被った「夕富士」であるばかりでは無くて、「山麓から山頂まで皚皚と雪化粧した上に、折からの夕陽に染まって『あかあかと』光り輝いている夕富士」である事を示しているのであるが、それと共に、この「あかあかと」という修飾語には、後続の「(定年近き教師と)話す」の連用修飾語としての役割りもあるから、作者と「定年近き教師」との間で交わされている対話の内容や彼ら二人の対話の様子が、「あかあかと」熱を帯びたものであることをも示しているのである。
 〔返〕  海越しに冬の赤富士望みつつ窓際教師の語る繰り言


〇  あと四年 定年までの年月を想い夕べの富士に向かえり

 開口一番、本作の作者は「あと四年」と、覚悟とも諦念ともつかない一言を発してしまうのである。
 その言葉通りに、作者の愛川弘文さんに残された「定年までの年月」は、まさしく「あと四年」でしかないのである。
 その、ほんの「四年」でしかない「定年までの年月を想い」ながら、本作の作者の愛川弘文さんは、この三月末に定年退職の日を迎える先輩教師の方と、赤々と光り輝く「夕べの富士」に向かいながら、あれこれと尽きなき思い出話に耽っているのである。
 赤々と燃え輝いているのは、何も東京湾の海越しに一望される、名峰・富士山ばかりではありません。
 定年退職後に遣ろうとしている事に就いて語る時の先輩教師の頬や目、また、在職中に果たそうとして果たし得なかった事柄に就いて語る時の先輩教師の頬や目、そして何よりも、彼の心の奥底に未だ消えずに残り燻っている胸の燠は、折からの夕陽を受けて、赫赫として燃え輝いていたはずである。
 また、先輩教師の話に耳を傾けつつも彼の心の奥底を慮っている、本作の作者・愛川弘文さんの胸底の燠も、赫赫として燃え輝いていたはずである。
 〔返〕  あと二年待たねばならぬ初戦にて心ならずも負けたるジャパン


〇  両肺に針先ほどの転移ありと父は努めて明るく語る

 題材が突如として、勤務校での体験に取材したものから、身辺事情に取材したものに移り変わったのは、如何なる事情に因るものなのか?
 冒頭に本連作の総題として置かれた「夕景」の二字が、単なる形式的なものでは無いとしたら、十首連作中の六首のみが選歌されて、結社誌「かりん」誌上に掲載させれたものとも判断されるが、本作の内容が、不治の病とも言われる癌を患っている作者の父親の健康事情に取材したものであることを思うと、総題としての「夕景」と本作の内容との間には、それ程の齟齬
が認められないものとも判断されるのである。
 それともう一点。
 前掲の二作品と本作の間には、「夕景」という連作のタイトルに相応しく、「薄暗闇の中で、静かに静かに流れて行く時間の気配」が窺われ、後出の三作品も含めて、そうした点に於いても亦、作者の愛川弘文さんが、本連作の総題として「夕景」の二字を置いた事に、評者の私は納得する事が出来るのである。
 「両肺に針先ほどの転移あり」という、必ずしも平常心では語れない事柄を「努めて明るく語る」「父」こそは、いかにも本作の作者の父親に相応しい父親であり、平常からの「父」と「子」との語らいの様子なども窺わせて、連作中第一番に推奨するべき作品かと判断されるのである。
 〔返〕  「両肺」と「針先ほどの」に覗える父の思いと子の思いやり


〇  いじらしき重さありけり揺れ残る小枝を去れる冬の雀に

 一首の意は「父の病室の窓から見える、椿の木の『小枝』が、未だ微かに『揺れ残』っているが、それはこの木の枝に止まって花を啄んでいた『冬の雀』が、ついさっき、飛び去っていったからであろう。とすると、あの小さな『冬の雀』の身体にも、いじらしいくらいにささやかな『重さ』というものがあったのだなあ」といったところでありましょう。
 「冬の雀」のいじらしい程の身体の「重さ」に心を寄せる作者は亦、父の病状にも心を寄せている作者でありましょう。
 作品の背景となった場所や作者の立ち位置をそれと指定していないところが、一首の内容に深みと温かみを持たせていて素晴らしい。
 前掲の「両肺に針先ほどの」と比較しても、甲乙付け難い程の秀作であり、評者好みの作品でもある。
 〔返〕  いぢらしき心なりせば若草の雀の子らを犬君が逃がす


〇  さりげない言葉のうらにさす潮の満ち干を感じ生徒相談

 ついさっき、私は、この連作の一首目の鑑賞文を記すに際して、「彼は、この高校の体育館でバレーボールの練習に励んでいる少女が、練習を終えて、彼の許へ進路相談に訪れるのを待っているのか?」という件を、「彼は、この高校の体育館でバレーボールの練習に励んでいる少年が、練習を終えて、彼の許へ進路相談に訪れるのを待っているのか?」としようか、それとも、そのままにして置こうかと迷ったのであるが、そのままにして置いたのが、やはり正解でありました。
 と言うのは、この傑作の三句目から四句目への渡りの叙述が「(さりげない言葉のうらに)さす潮の満ち干を感じ」となっているからである。
 「さす潮の満ち干を感じ」とは、作者・愛川弘文さんのご勤務なさっている高校が、海端に位置する事をさりげなく示しているのかも知れませんが、私たち読者は、それと共に、「潮の満ち干」と女性の生理との関わりを忘れていてはなりません。
 という事になると、謹厳実直を以って知られる、国語教師・愛川弘文教諭が、定年退職を四年後に控えているにも関わらず、「今、目前の小さな椅子に腰掛けて、担任教師である彼に進路相談を持ち掛けている少女に微かな性欲を感じている」という事にもなりかねませんが、人間誰しも生殖機能を持ち、特に男性の場合は、遣い古し、貪り尽くした古女房よりも若い女性の方が良い、と考えがちでありますから、それはそれで致し方の無い事でありましょうし、その上、そうした点が少しぐらい在るのが、この連作の魅力でもありましょう。
 〔返〕  さりげなき言葉の裏に射す影を感じられつつ進路相談


〇  「先生は」で途切れたままの作文の続き聞きたく聞かずに過ぎぬ

 本作鑑賞の要諦は「『先生は』で途切れたままの作文の続き」を、あれこれと推測してみることにもありましょうか?
 「先生は」と言い差した後、一刹那の間を置き、その後、何を言い出すのかと、身体を堅くして待ち構えていると、それっきり何も口にしなくなる少女が居て、私も現役教師の頃にさんざん悩んだものでありましたが、本作の作者の愛川弘文教諭も亦、同じような思いをなさったのでありましょうか?
 〔返〕  先生は潮の満ち干に教え子の生理を感じ慄いている

『かりん』(3月号)掲載の愛川弘文さんの短歌六首鑑賞(再訂版)

2014年06月14日 | 結社誌から
 福島県喜多方市の熱塩温泉山形屋で行われた第七十二期将棋名人戦の第二局は、羽生三冠の第一局に続いての二連勝で終わった、とのこと。
 これまで、森内名人との名人戦での対局は、その実力にそぐわず、羽生三冠に分が無かったのであるが、本七十二局に関して言えば、このまま羽生三冠の一方的な勝利に終わってしまうように予測されるのである。
 私はと言えば、久しぶりに向かった歌評へのパソコン打ちなので、昨日は自分の思いの丈を充分に述べ尽くすことが出来ずに、今朝も裏山から聞こえて来る鶯の渓渡りの声に耳を傾けながら、起き抜けにパジャマ姿のままで机に向っているのである。


(千葉・愛川弘文)
〇  霜月は人を恋う月公園の桜紅葉が入り日に映える

 ひと口に「紅葉」と言っても「伊呂波紅葉・蔦紅葉・楓紅葉・漆紅葉・ぬるで紅葉・空木紅葉・満天星紅葉・草紅葉・公孫樹紅葉・渓紅葉・イタヤ紅葉・柿の葉紅葉」などと、七十路半ばになって、今や地獄の閻魔大王の前に引き出されようとして悪あがきをしている私の朦朧とした記憶の中に在るそれでさえも、十指を以ってしても数えきれない程である。
 本作の作者・愛川弘文さんは、数多い「〇〇紅葉」中から、虫食いだらけで格別に色彩鮮明とも思われない「桜紅葉」を選び出して、この一首の歌を成したのであるが、よくよく熟慮してみると、本作を佳作たらしめた要因の一つは、そうした数多い「〇〇紅葉」の中から作者が選んだ(と言うか、作者の目に入った、と言うか)のが、私たちの身辺に有り触れた「桜紅葉」であった点である、と思われるのである。
 歌材として「桜」を採り上げながら、今を盛りの満開の桜花を選ばずに、殊更に「桜紅葉」を選ぶ歌人はそんなに多いとは思われません。
 しかしながら、あれはあれでなかなか風情の感じられるものであり、近藤芳美の名著『新しき短歌の規定』の中に、「秋雨のしとしとと降る療庭の桜紅葉の音なく散りぬ」という、病気療養中の無名の一青年の作品、病める者の情念が込められた佳作が引用されている。
 ところで、「霜月」とは旧暦十一月の異名であり、私の季節感覚からすれば初冬半ばといったところである。
 然るに、本作の作者の居住地が千葉市内であることや本作から享けるイメージから推すと、作中の「霜月」は、初冬というよりも晩秋といった感じであり、「作中の霜月」=「新暦の十一月」と受け取っておいた方が適切かも知れない。
 とすると、その十一月の半ば過ぎの、とある小春日和の夕刻(その日は日曜日ででもあったのでしょうか?)、本作の作者の愛川弘文さん、即ち、五十路半ばの千葉市ご在住の高校国語教師は、ご自宅の近所の公園のベンチにでも腰掛けながら、「入り日」に照り映えている「桜紅葉」に見惚れているのである。
 と、その時、彼の脳裏に浮んだのは、目前にしている「桜紅葉」の輝きが今年最後の輝き、即ち、この年の命の最後の輝きであり、その輝ける命の在り様は、教師生活三十数年を閲して、生涯平教師のままで終わろうとしている、ご自身のそれと何ら変わりがないという、切ない思いであった。
 それと同時に、彼の脳裏には、彼ご自身の半生の中で出逢った、数々の人との思い出が去来するのであり、その多くは、恋多き彼の青年時代に袖擦り合った女性であったのでありましょうか?
 本作は、私が尊敬して止まない馬場あき子氏主宰の結社誌『かりん』(三月号)の「作品Ⅰ・A」欄の二席、しかも、その冒頭を飾った佳作ではあるが、何事につけても一言申し添えずに居られない評者の駄弁を以ってすれば、「霜月は人を恋う月」という詠い出しの二句は、何時か何処かで目にしたような感じの月並みな十二音であり、「如月は人を恋う月」「水無月は事多き月」「長月は人呪う月」「極月は金恨む月」などと、幾らでも言い替えが可能なような気がする、とも申せましょう。
 しかしながら、そうした思いは、結局のところ、この佳作を前にしての、評者の嫉妬心が起因する言い掛かりであり、「公園の桜紅葉が入り日に映える」という下の句と「霜月は人を恋う月」という上の句との、生涯一教師の思いの丈の籠った組み合わせは、やはり、不即不離の関係を持つものと感じざるを得ず、一言居士の私・鳥羽省三と言えども、この際は潔く脱帽せざるを得ません。


〇  くしゃくしゃの白山茶花をくしゃくしゃの笑顔に眺む試歩の老夫は

 作中の「白山茶花」の花期と、前作中の「桜紅葉」の見頃とは重なり、たまに訪れた孫娘たち二人に裏山の公園の鞦韆を漕がせながら、目前の桜紅葉に見惚れながら思念に耽っている折に、ふと後方に視線を遣ると、其処の生垣には、「白山茶花」の花が清楚な顔をして微笑んでいた、といった図柄が、私の最近の体験の中の場面にも、確かに在ったような気がする。
 と、すると、本作も亦、前作同様に、とある小春日和の一日に、作者のご自宅最寄りの公園ででも、作者ご自身が実見なさった光景に違いありません。
 「くしゃくしゃの白山茶花をくしゃくしゃの笑顔に眺む」と、本作の作者は、「試歩の老夫」の姿に、ユーモラスで温かい目を向けておりますが、彼の「くしゃくしゃの白山茶花をくしゃくしゃの笑顔に眺む」る「試歩の老夫」こそは、軈て、そんなに遠くない時期に、必ずや遣って来るに違いない、作者ご自身の姿であり、今、こうしてこの作品の鑑賞文を綴るために頭を捻っている私、即ち、川崎市南生田在住の鳥羽省三の今日の午後の姿なのである。
 人間、七十路を越えてしまえば、手足の動きや耳目機能の低下など、身体の衰えは目に余るものがあります。
 残された定年までの数年間を、健康には十分にご留意なさり、奥様及び生徒諸君を大切にして、稔り多き教師生活をお過ごし下さい。


〇  石炭を知らぬ生徒に語りつつ『舞姫』という古書を繙く
〇  ディベートにならぬ『舞姫』豊太郎を弁護する者たじだじとなる
〇  豊太郎の気持ちもわかると言いしゆえに女生徒全部を敵にまわしぬ

 「石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと靜にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒なり。今宵は夜毎にこゝに集ひ來る骨牌仲間も『ホテル』に宿りて、舟に殘れるは余一人のみなれば」とは、森鷗外作の『舞姫』の書き出しである。
 神奈川県立の高校の教壇に国語教師として立ち、彼の「国定教科書向きの著名な教材」を、少なく見積もっても十回ぐらいは扱ったことがある私も、本作の作者・愛川弘文教諭と同様に、「石炭を知らぬ生徒」たちに、この作品を語ることの虚しさに四苦八苦したものでありました。
 したがって、二首目「ディベートにならぬ『舞姫』豊太郎を弁護する者たじだじとなる」とは、その時、その折の、私の実感そのものでもありましたが、私の場合は「豊太郎の気持ちもわかる」とまでは口に出しませんでしたので、「女生徒全部を敵にまわしぬ」といった段階にまでは至りませんでした。


〇  夜明けまで不思議な時間を共有す流星群を妻と眺めて

 「しし座流星群」を観測しようとして、私が、折からの寒さに震えながらも、我が家の狭庭の片隅の鋳物製の椅子に二時間以上も座っていたのは、確か、昨年の十一月十八日の深夜のことのように思われます。
 丁度、その日のその深夜に、数多ある組み合わせの中から不思議なご縁で選ばれて結ばれた、本作の作者・愛川弘文さんとその愛する奥様とは、「夜明けまで」眠らずに「流星群」を「眺めて」いたのでありましょうか。
 「夜明けまで不思議な時間を共有す」という上の句は、「しし座流星群の神秘的な輝きを目にした事もさることながら、数多い女性の中から選ばれて結ばれた奥様と共に、この夜、こうして、夜明けまでの長い時間を眠らずに共有している事の不可思議さをお思いになっての感慨を託されての十七音」でありましょう。                          

山本かね子作「遙かになりぬ戦も友も」(角川『短歌』六月号より)

2013年10月07日 | 結社誌から
        戦ありき

〇  生涯に悔しき戦あしこと戦始めし人ありしこと

〇  灰色の歳月なりき銃剣に人を突けよと教へられたり

〇  殺し合ひせし歴史消すすべあらず暗き歳月の跡ひび割れて

〇  いま聞いてもあの音なりき空を航く爆音は防空壕に聞きて恐れき

〇  いまに知るまこと切なき真相の特攻隊員若き死五千

〇  同時代を生きて残りしをみなわれ祈らんための手も老いにける

〇  空行くと乗りて機上の人となる戦はぬ乗物なれば乗るなり


        禎子逝きて十一年

〇  どの辺りにゐるか眠りは足らへるか空腹に悩むことなどなきか

〇  見えぬものを詠めよと禎子言ひをりき新しくあれと常言ひをりき

〇  常凡を排し個性を尊びたり新しくあれと座を緊めて言ふ

〇  類型と平凡を難と断じては狭き道行けり孤影厳しく

〇  近代短歌といふそれだけで容れざりき強かりしなり自説曲げずに  

庄司天明さんの歌(『かりん』4月号掲載)

2010年07月26日 | 結社誌から
 去る7月19日の<朝日歌壇>馬場あき子選に「戦死にて骨なき墓を祀りたるわが村四戸に一戸の割合」という作品が掲載されていた。
 作者は山形県東根市在住の庄司天明さんであり、私も亦、それに感銘を受け、数行の観賞文をものしたのである。
 朝日歌壇での彼の入選作については、それまでにも触れたことがあり、それは「バレンタインのチョコを頬張り雛僧は托鉢へ発つ涅槃会の朝」という傑作であった。
 その作品を読んだ時、私は、作者名が<庄司天明>であることや、その作品内容から推して、作者の職業はお寺の住職ではないかと思ったのであるが、この度、インターネットで検索したところ、昭和三十四年の山形県立天童高校の野球部員名簿に「庄司天明(東根市)」と在り、山形県東根市にお住いの<庄司天明>という歌人が僧侶であるかどうかは別として、往年の彼が甲子園を目指して白球を追った、高校球児であったことは知ることが出来た。
 私が何故、庄司天明さんのストーカー紛いのことをしたかと言うと、昨日たまたま目にした、結社誌『かりん』の四月号の「作品Ⅰ・A」欄に彼の六首詠が掲載されていたからである。
 そこで今日は、それらを本ブログに転載させていただいて、観賞に及ぼうと思うのである。
 暇だから、見ず知らずの歌人の作品について云々しようとするのでは無い。
 一日の時間を四十八時間にしたい程に多忙ではあるが、『かりん』四月号に掲載された庄司天明さんの作品が、私の観賞意欲をそそるような内容の作品だから観賞したいと思ったのである。
 『かりん』に掲載されている彼の作品については、これからも注目して行くつもりである。


○  重箱の隅に残りし草石蚕(ちょろぎ)だけふるさと産のおせち食材

 「重箱の隅」を突付くのは評者・鳥羽省三であり、おせち料理にも食べ飽きた頃、「重箱の隅」に残った「草石蚕だけ」が「ふるさと産」の「おせち食材」であって、それ以外の食材、即ち<蒲鉾・きんとん・田作り・昆布巻き・伊達巻・数の子>などの「食材」は、全て他県産か外国産であることを知って、驚き悲しみ嘆いているのは、郷土愛の権化のような、本作の作者・庄司天明さんである。
 とは言え、庄司天明さんの愛する山形県は、隣接する東北各県と比較すればなかなかの研究上手、商売上手で、近頃は果物を中心とした農産物の一大生産地として、また、山形県産米「はえぬきどまんなか」の生産地として、更には、本酒の酒蔵などを観光客に公開するなどして、一躍観光地としても注目されている。
 その中でも、特に有名なのは、庄司天明さんの故郷の東根市であり、この地を主産地とする<さくらんぼ>や<ラ・フランス>は、東京市場の人気を独占しているのである。
 それにしても、JR東日本の奥羽本線の駅名が、いつの間にか「さくらんぼひがしね」になっていたのには、呆れてものが言えない。
  〔返〕 駅の名は<さくらんぼひがしね>乗客は両手に花の佐藤錦持ち   鳥羽省三


○ 夕陽背に犬引く影が畦わたるジャコメッティの「歩く男」が

 「夕陽背に犬引く影が畦わたる」とは、夕方、犬の散歩かたがた稲田の見回りをしている年老いた農夫の姿を写したものであろう。
 その農夫の姿が余りにも痩せこけていて、骨と皮ばかりで出来ているように思われたから、それを、手足や胴体が針金のように異常に細い、<アルベルト・ジャコメッティ>の彫刻作品に見立て、下の句で「ジャコメッティの『歩く男』が」と詠んだのでありましょう。
 <アルベルト・ジャコメッティ>はスイス出身の20世紀の彫刻家であり、具象彫刻から出発した彼が、数年の習作期間を経て第二次世界大戦後に創り始めた、<手足や胴体が針金のように極端に細く、異常に長く引き伸ばされた人物彫刻>は、「現代に於ける人間の実存を表現した抽象芸術」として、フランスの実存主義の哲学者<J・P・サルトル>によって高く評価されるなどして、世界的な人気を得た。
 それにしても、<人間の実存を抽象的に表現した>彫刻家・ジャコメッティに関心を抱く歌人が、<さくらんぼひがしね>という、現実的、即物的な駅名を持つ駅の在る田舎町に居住して、人付き合いして行くことは、なかなかの力業でありましょう。
 わずか十年足らずではあるが、庄司天明さんと同様に、お米や果物の生産地に暮らし、夕方になると、犬にこそ牽かれないが、妻に牽かれて稲田の畦道を散歩することを、雪が消えてから雪が降るまでの間の日課としていた評者にとっては、「夕陽背に犬引く影が畦わたる」という上の句の措辞に詠まれた風景は、涙無しには読めないような、懐かしく切ない風景である。
 「夕陽」を「背」に受けて、稲田の「畦」を渡るのは犬を連れた人では無く、犬に牽かれた人の「影」なのである。
 その「影」とは、他ならぬ庄司天明さんご自身の「影」なのかも知れない。
 北東北地方に於いては、犬の散歩のお供をしている人間の殆んどは、「ジャコメッティの『歩く男
』」のように、老いさらばえ、骨と皮ばかりになってしまった<後期高齢者>であり、彼らは、犬を牽いてと言うよりも、犬に牽かれて、田圃の畦道に「影」を落としてとぼとぼと歩いているのである。
 ところで、かく言う私は、病み上がりの身の上とは言え、決して「ジャコメッティの『歩く男』」のような痩身では無い。
 昨日の昼過ぎ、この頃の日課の一つとして、毎日出掛けている温泉施設の浴室で体重測定をしたら、何と64㎏も有ったのである。
 これでは幾らなんでもあんまりである。
 「ジャコメッティの『歩く男』」程には痩せたくないが、最低でも、もう6kgないしは7kg程度は体重を落としたい。
  〔返〕 愛妻に牽かれ水田に影落としそれが日課の散歩にぞ行く   鳥羽省三


○ この世には居るはずのなき友ひとりふたりが加わる還暦の会

 昭和三十四年に高三か高二であったとすれば、作者の今の年齢は、六十八歳か六十九歳でありましょう。
 したがって、本作は、数年前に行われた作者らの「還暦の会」を回想して詠んだ作品かと思われる。
 「この世には居るはずのなき友ひとりふたりが加わる」とは、その時の「還暦の会」が、その日が来るのを唯一の楽しみとして待っていながら、その日を迎えないままに亡くなってしまった同級生、「ひとりふたり」の話題で持ちきりとなったからであり、彼らの不幸な人生に同情する余り、その話に熱中し、いつの間にか、彼らが生きて居て、その「会」に出席しているようなかのような気分に、作者ご自身が陥ったからでありましょう。
 「良馬と晋作が死んだなんて信じられないなあ。中学時代、人一番元気だった彼らが黄泉路を行く人となって、彼らに苛められて小さくなっていたこの私が、ジャコメッティの『歩く男』のように痩せこけながらも生きているなんて、誰が思っただろうか。今日、この祝宴に来ている者の誰一人として、そんなことは思わなかったに違わない。ああ、彼らが生きていれば、この祝宴もどんなに盛り上がったことか。どんなに楽しかったことか」などと、お人良しの本作の作者・庄司天明さんが言えば、「野球少年、なにを言うか。今さら死んだ者の話をしたって、しょーがねーだろう。それに何だ、おめーの話に出て来る『ジャコメッティ』ちゅうヤツは。<ざっこ蒸し>なら、おらも知ってるけど、『ジャコメッティ』など誰も知らねーど。おめーは、何処の大学に入ったか知らねーが、時どき訳の分からないことを言うから、未だに人に嫌われていて、市会議員にもなれないで居るのだ。この俺だって、<どんべ大学>ぐらいは三回も入ってるど。そんな訳の分からない話ばかりしてねーで、先ず、飲め、飲め、この旨い酒を。俺の盃を受けられねーが、この馬鹿の差し出す酒など飲まれねーが」などと、その昔、クラスでげっぴりだったが、今では<ラ・フランス>作りの名人と言われている田仲一郎さんが、声を荒らげて言う。
 その隣席では、田仲一郎さんの家に手間取りに行って稼いでいる鷹嘴登さんが、田仲一郎さんの言葉に、しきりに相槌を打っている。
 「還暦の会」の下準備を殆んど一人でし、当日の宴会の司会者でもあった高階肇さんは、「いつ<中締め>をしようか。校長を定年退職した蠣崎栄作さんにいつ挨拶させようか」と、気が気で無いような状態に陥っている。
 宴会はいよいよ盛り上がり、いつ果てるとも知れない。
 そのうちに、ゲロを吐く者や宴席に居ながらおしっこを洩らしてしまう者などもいて、元の美少女たちが甲斐甲斐しくお世話をするのであるが、元の美少女たちの中には、甲斐甲斐しくも甲斐甲斐しく無くもお世話をしない<つわ者>が二、三人いて、彼女らはめぼしき男にダンスをせがんだり、宴果ててからの行動をしめし合わせたりもしているのである。
 田舎住まいの人々の<還暦祝い>に賭ける情熱はすさまじいものがある。
 彼らはその数年前から下準備に掛かり、当日の朝には、参加者全員が夏の熱い盛りに一張羅を羽織ってお宮参りをし、それと並行して、生存者と同数の昼花火を揚げ、それが終わると、死者への手向けと称して、一尺球や二尺球と言った、馬鹿でかい音響を伴った大花火を揚げるのである。
  〔返〕 亡くなった関晋作のカラオケでいよよ酣<還暦の会>   鳥羽省三


○ 葬列は本道歩み訣別す帰路は裏路わらぢ脱ぎ捨て

 本作は、例えば実の父母など、作者に極めて近い関係の者の葬式の次第をお詠みになったのでありましょうか?
 亡骸を棺に納め、火葬場に運んで行って荼毘に付し、骨上げをし、<三十五日>と称する<飲食の供>に至るまでの次第には、全国各地、様々の習俗が在るという事であるが、本作の作者が居住する山形県東根地方に於いては、亡骸を火葬場に送って行く際に、喪主などの主だった者が草鞋履きで行き、行きと帰りでは道を変え、草鞋履きの者は帰りの道の途中の何処かでその草鞋を捨てて、下駄や靴などに履き替えてから帰宅する、という習俗が、今でも行われているものと思われる。
 そうした習俗は、死者がこの世との繋がりの一切を断ち切り、迷わずに成仏するように、との願いを込めてのことだと言われている。
 「葬列は本道歩み訣別す」とは、「亡骸」を火葬場まで運んで行き、荼毘に付すまでの次第を説明したものである。
 「帰路は裏路わらぢ脱ぎ捨て」とは、火葬が終り、骨上げをして、死者に追いつかれないようにと、行きとは別の道、即ち「裏道」を選んで帰り、その「裏道」の途中で、さり気無くそれまで履いていた「わらじ」を脱ぎ捨て、靴か下駄か他の履物に履き替えたことを指して言うのでありましょう。
 庄司天明さんの居住地の辺りでは、火葬場へ向かう道を「本道」と称し、火葬場からの帰りの道を「裏路」と称しているのかも知れません。
  〔返〕 しずしずと歩むは行きで荼毘終えて帰る裏路すたこらさっさ   鳥羽省三


○ しがみつき急かされ進むおもむろに棺は出口で黄泉こばむ

 鑑賞者泣かせの一首である。
 先ず、詠い出しに「しがみつき」とあるが、これは、「誰が何にしがみつく」と言うのであろうか?
 これに続く言葉と合わせて考えると、「しがみつき急かされ進む」のは、作者たち、亡骸の近親者たちが、亡骸を納めた「棺」に「しがみつき」、予定時間に「急かされ」ながらも、火葬場への道を「おもむろ」に進んで行く、という意味ではないかと思われる。
 ここの辺りの表現には、「亡骸とは言え、自分たちがしがみつくようにしている「棺」の中に納められている者は、自分と血の繋がりを持つ者であるから、なるべくならば簡単には別れたくない。しかし、この葬式に関わって下さる、血縁者以外の方々のご迷惑を考えたら、葬式は予定時間通りに、いや、予定時間よりも速やかに進行させなければならない」といったようなジレンマに立たされた作者の、微妙な心理が反映されているものと思われる。
 此処までのところは何と無く解るが、その後の表現については判断に苦しむのである。
 「棺は出口で黄泉こばむ」とあるが、「棺」に納められている亡骸は、どうして「入り口」では無く「出口で黄泉」に行くことを「こばむ」のであろうか?
 事ここに至っては、今更じたばたしたって仕方が無いではないか。
 それも、「入り口」でなら未だしも、火葬場の「出口」でじたばたしてまで「黄泉」に赴くのを「こばむ」のは、所詮、無駄な抵抗と言うべきではありませんか。
 思うに、「棺」は竈の入り口で「黄泉」に行くのを「こばむ」としないで、「棺は出口で黄泉」に行くのを「こばむ」としたのは、焼き上がって消火された後、お骨が竈から出て来るまでの間の時間の長さを言ったものであり、死者がお骨になってからまでも無駄な抵抗を試みているものと思ってのことかとも思われる。
 早々に別れたくないのは、使者のみならず、生きて息をしている近親者の於いても同じことだろうと思われる。
  〔返〕 しがみ付き別れ難きは生者にて骨の熱さに命感じる   鳥羽省三


○ 人だれもわれといふ名の迷子連れひとり歩めり哀しさに堪へ

 本作の作者は、一首目から五首目までの作品の背景となった出来事を経験して、「『人』は『だれもわれといふ名の迷子』を『連れ』て、たった『ひとり』で『哀しさに堪へ』ながら、この世の道を歩いているのだ」と、感じるところがあったのでありましょう。
 「人だれもわれといふ名の迷子連れひとり歩めり哀しさに堪へ」。
 全くその通りである。
 「重箱の隅」に残った「草石蚕だけ」が「ふるさと産のおせち」の「食材」だなどと、下らないことを言って嘆いている者は、「われといふ名の迷子」を「連れ」て、「ひとり」「哀しさに堪へ」ながら、あの世に続くこの世の道を彷徨い歩いている者である。
 ジャコメッテイの『歩く男』のように痩せこけながら、「夕陽」を「背に」して「犬」に牽かれる自分の「影」を畦道に落として歩いている者は、「われといふ名の迷子」を「連れ」て、「ひとり」「哀しさに堪へ」ながら、あの世に続くこの世の道を彷徨い歩いている者である。
 「還暦」の祝宴の賑わいに酔えずに居る者も、酔っている者も、「われといふ名の迷子」を「連れ」て、「ひとり」「哀しさに堪へ」ながら、あの世に続くこの世の道を彷徨い歩いている者である。
 火葬場からの帰り道の途中で「わらぢ」を下駄に履き替えて、「ああ、これで喪主としての責任を無事に果たした」と、ほっと胸を撫で下ろしている者は、「われといふ名の迷子」を「連れ」て、「ひとり」「哀しさに堪へ」ながら、あの世に続くこの世の道を彷徨い歩いている者である。
 火葬場の竈から、身内のお骨がなかなか出て来ないことを気にしている者は、「われといふ名の迷子」を「連れ」て、「ひとり」「哀しさに堪へ」ながら、あの世に続くこの世の道を彷徨い歩いている者である。
  本作の作者ばかりか、評者である私もまた、「われといふ名の迷子」を「連れ」て、「ひとり」「哀しさに堪へ」ながら、あの世に続くこの世の道を彷徨い歩いている者である。 
 その孤独の道、彷徨いの道は、遠く遠く何処までも続くのである。
  〔返〕 人はみな犬に牽かれて杖突いて田圃の畦を歩むとは知る   鳥羽省三