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私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『ブラッド・メリディアン』 コーマック・マッカーシー

2010-12-22 21:02:15 | 小説(海外作家)

少年は、十四歳で家出し、物乞いや盗みで生計を立て各地を放浪していた。時はアメリカ開拓時代。あらゆる人種と言語が入り乱れ、荒野は暴力と野蛮と堕落に支配されていた。行くあてのない旅の末、少年は、以前より見知っていた「判事」と呼ばれる二メートル超の巨漢の誘いで、グラントン大尉率いるインディアン討伐隊に加わった。哲学、科学、外国語に精通する一方で、何の躊躇もなく罪なき人々を殺していくこの奇怪な判事との再会により、少年の運命は残酷の極みに呑み込まれるのだった――。
《ニューヨーク・タイムズ》紙上で、著名作家の投票によるベスト・アメリカン・ノヴェルズ(2006-1981)に選出。少年と不法戦士たちの旅路を冷徹な筆致で綴る、巨匠の代表作。
黒原敏行 訳
出版社:早川書房




コーマック・マッカーシーの文体は、どこか突き放したかのような冷徹な感じがある。
その叙事的でクールなタッチが僕好みの文体である、はずだった。

だが、この『ブラッド・メリディアン』の文体はなぜか好きになれなかった。
やはりどこか冷たいタッチの文体なのに、文章に乗ることができない。多分それは以前読んだ作品よりも、文章の修飾表現が多いからかもしれない。

おかげで、物語そのものにもなかなか入り込むことができなかった。
最初は普通に読めていたのだけど、中盤から退屈になり、読むのをやめようかなとも考えた。

しかしなぜかはわからないけれど、後半から物語が突然おもしろくなり、ラストまで一気読みしてしまった。
これは読み手である僕のせいなのか、書き手のせいなのかはわからない。


何かどうでもいいことばかり書いた。
だがそんなことを長々と書くのは、要するに評価に迷ってしまう作品だからなのである。


本書は19世紀の西部を舞台にしており、インディアン討伐隊に参加した家出少年の話となっている。

ここで描かれるインディアンの殺戮シーンが本当にひどい。つうか、えぐい。
元々白人がインディアンを討伐しに行く理由も、「自らを統治できない連中」に代わってほかの者が統治するのだ、という身勝手な理屈でしかない。
治安や作物、物流の維持の関係もあり、インディアンと白人は対立していることが根本にあるとは言え、その論理は一方的だ。

そしてその誤った(と現代人の僕には見える)正義の元、彼らはインディアンたちを殺していく。
彼らはインディアンの村に突入して、住人を銃で撃ち、棍棒で頭を叩き割っていく。そして捕らえたインディアンたちの頭皮をはいでいく。
平たく言えば、彼らのやっていることは虐殺である。討伐隊は殺人集団と断言してもいい。


実際この討伐隊に参加しているのは、基本的に無法者ばかりで、犯罪集団と言えなくもない。
近隣の住民たちはインディアンを殺しまくる彼らを英雄して迎え入れているが、数日経つと、住民たちも彼らの無法行為におびえるようにもなっているからだ。

どれだけ大層な理念を掲げようと、内実なんてものはそんなものでしかないのだろう。
それは本当にただの殺人でしかない。
そしてそれは現代アメリカにも通じる、歴史的な負の側面なのかもしれない。


そんな討伐隊の中で、圧倒的存在感を放っているのが、ホールデン判事だ。
彼は『血と暴力の国』の暗殺者シュガーにどこか似ている。
命を奪うことに何のためらいもなく、それを当然の権利と思っているような輩だからだ。

「万物のうちのどんなものであれ(略)私の知らないうちに存在しているものは私に無断で存在しているということだ」って語るくらいだから、その程度がわかる。
言うなれば暴力の肯定者であり、あらゆる事物への支配欲求が強いのだろう。
それでいて、彼は人に対して紳士的にふるまうこともできる。その二面性が独特だ。

ラストシーンで踊り続ける判事の姿はどこかこわく見える。
血の栄光を賞賛し続ける判事の姿勢に寒気を覚えてしまうのだ。
しかしその判事のラストの姿に覚える寒気こそ、この小説全体を象徴する感覚と言えるのかもしれない。

物語に入り込めなかったポイントも多いので、誉めづらいのだが、独特の冷たさが余韻を残す一品である。

評価:★★★(満点は★★★★★)



そのほかのコーマック・マッカーシー作品感想
 『ザ・ロード』
 『すべての美しい馬』
 『血と暴力の国』

『ある家族の会話』 ナタリア・ギンズブルグ

2010-12-16 21:06:55 | 小説(海外作家)

イタリアを代表する女流作家ナタリア・ギンズブルグの自伝的小説。舞台は北イタリア、迫りくるファシズムの嵐に翻弄される心やさしくも知的で自由な家族の姿が、末娘ナタリアの素直な目を通してみずみずしく描かれる。イタリア現代史の最も悲惨で最も魅力的な一時期を乗り越えてきた一家の物語。
須賀敦子 訳
出版社:白水社(白水uブックス)




この話は、一体どこに向かいたいのだろう、と読んでいる間、ずっと考えていた。

「まえがき」でも書かれているが、これは作者の「家族の歴史として書かれたもの」である。
そのため、どのようなプロットでどのような着地点が待っているのか、読んでいてもまったく見えてこない。
そういうこともあってか、彼女の家や、彼女の友人たちに関わることをダラダラと書き連ねているだけのように見え、散漫な印象を受けてしまった。

また登場人物が多く、錯綜しているため、少しだけ混乱してしまう。
イタリアの著名な人物が多く出ているようだが、僕はパヴェーゼ以外一人も知らない。
そのため、本国の人より物語に入り込めないのかもしれない。

個人的には、そういうこともあり、読むのがしんどかった作品だ。


だが光る部分もあるので、途中で投げ出すようなこともなく、読み終えることができる。

すばらしいのはキャラクターだろうか。特に作者の父親がいいキャラクターをしている。

父は古き良き時代のガンコ親父だ。
とにかくこの人はよく怒る。自分の息子たちや妻や周囲の人間をくさして、すぐ怒鳴る。
そのくせ、怒る基準はものすごい偏見の塊で、公平さには大いに欠ける。
しかし端で見ている分には、これほどおもしろいキャラクターもいない。
父自身はというと、ひどいヘビー・スモーカーだった。しかし、自分以外の人が煙草を吸うと腹を立てた。
父は友人にたいしても、自分の子供たちにたいしても、病気のあいだだけはやさしく親切になった。しかし、病気がなおった途端に、扱いが荒くなった。
という部分があったが、彼のキャラクターをシンプルに現しているような気がする。

そのほかにも、陽気な母親や、個性的な兄弟たちもそれぞれ味がある。


また作者は周囲の現実を冷静に描いており、読んでいてはっとする場面も多い。
戦争が始まるころの描写が個人的には心に残っている。

この小説は第二次大戦前後のイタリアが舞台で、作者が反ファシストを謳う家庭に育ったためか、近親者や作者の友人の中からも逮捕者が出ている。
だがそれを重々しく書いていないところが、目を引く。
近くで戦争が起き、彼女自身、夫の流刑地で暮らすことになっているのに、そこに深刻な響きは少ないような気がする。それでいて、むちゃくちゃポジティブかというと、そうでもない。
その絶妙なバランスがおもしろい。

もちろん、彼女らは貧しく、ときに悲惨なことだって起きる。
けれど、彼女らは基本的にいつもの暮らしを続けており、そこが個人的には新鮮に映った。


そのように、身近にいる人間を個性的に描き上げ、現実をそのままの雰囲気を保ちながら描くのは、作者の観察眼が優れているからだろう。

僕はプロットのわかりやすい物語が好きなので、ピンと来ないポイントもある。
だが上記のように、この作者の観察眼は確かなものであり、そのニュートラルな視点にはただただ感服するばかりである。

評価:★★(満点は★★★★★)

『巫女』 ラーゲルクヴィスト

2010-12-09 20:56:11 | 小説(海外作家)

山のあばら家から,老いた目でデルフォイを見下ろす1人の巫女.苛酷な運命に弄ばれ,さすらいながら神を問いただす男にむかって巫女が物語る数奇な身の上,神殿の謎,狂気の群集,息子の正体-神とはなにか,人間とはなにか.ノーベル文学賞『バラバ』に次ぐスウェーデン文学の巨匠の,悪と崇高と愛にささげた傑作小説.
山下泰文 訳
出版社:岩波書店(岩波文庫)




哲学的思惟に満ちた物語、それが読み終わった後に感じたことだ。
その思惟とは『巫女』というタイトルが示しているが、神と人間の関係に対する思索だ。

そう書くととっても難解そうに聞こえるが、読んでいて、難しいな、とまでは感じなかった。
それは、述べられている内容はともかくとして、プロット自体がシンプルであり、物語としてもおもしろいことが大きい。
それに訳文もこなれていて、日本語として違和感なく、読みやすかったこともあるのかもしれない。


物語は、キリストを思わせる「神の子」に侮蔑の言葉を吐いたため、永遠に生き続けなければいけない、という呪いを受けた男が、山の上に住む老女を訪ねるところから始まる。
永遠の生ゆえに、生きることの喜びを奪われた男は、心の平安も奪われ、永遠の不安を生きることになる。
「神の子」は人間愛を説いているけれど、彼を信じない者を地獄に突き落とすというのは、悪意があるではないか、苦しませることに何の意味がある、というような内容のことを男は老女に訴え、神を憎んでいる。そういうような状況だ。

言うなれば、神という存在は、人を救うものではなく、人を苦しめる存在でもあり、そんな神をどうしても許すことができない。そういう風に言っているものと僕は受け取った。
それは一面では確かに真実である。


そんな男の話を聞いて、老女は身の上話を始める。

老女の一生は、物語として非常におもしろい。
それは一つの恋物語であり、人から阻害され、運命から裏切られる人間の話とも言えるだろう。

貧しい娘だった彼女は、巫女となり、神との一体感に喜びを感じる。
しかし巫女の周囲にいるのは、神を信じるものではなく、神の権威を利用したい人間ばかりで、文字通り神がかった彼女を敬して遠ざけている状況だ。
それはいかにもありそうなことである。そういう物語構造は見事だ。


そんな彼女は一人の男と結ばれる。
その展開は甘いラヴストーリーで、結末はわかるものの読んでいて普通におもしろい。

そうして子を成した彼女は、神を裏切ったとされ、暴徒と化した民衆に殺されそうになる。
そのような展開を企図したのは、どうも神であるらしい。神は自分を裏切った巫女に、嫉妬して群集に襲わせた。少なくとも巫女はそう思っている。
そうして危機を迎えた巫女だが、彼女を追いつめたはずの神の手により、救われることとなる。

それは言うまでもなく、理不尽な話である。
人を散々苦しめておいて、最終的には手のひらを返したように手を差し伸べてくる。
運命と言えばシンプルだが、人間がいいように翻弄されているように見え、いやな気分になってしまう。

結局、神は無常で荒々しく気紛れなのだ。
だからこそ、老女となった巫女は神に対し、無力な拳を振り上げ、憎しみを覚えることもあるのだろう。
その気持ちは大変よくわかる。


だが一度神の恍惚を知った彼女は、神を憎みきれないところがあるらしい。
神は「存在するために存在する謎」という不可知論的な存在として、巫女は、神のポジティブな面も、ネガティブな面も受け入れようとしている。
そして神に対して恍惚であれ、憎しみであれ、一身に向かい合ったとき、それ自身が、一つの神体験であると悟っている。

そういう態度は僕にとっては、いまひとつ納得のいかない世界だ。
そういうものを受け入れ、悪意や憎しみを抱えることを神とつながる体験だというのなら(僕の誤読か?)、そんな神など全否定したくもなる。
だがそれもまた宗教ってやつの一側面なのかもしれない。


ともあれ、平易な文章と、シンプルなプロットのわりに、ずいぶんと深いことを語っており、読んでいていろいろ考えさせられる。
個人的にはなかなかおもしろい一品だった。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『蜘蛛女のキス』 マヌエル・プイグ

2010-12-01 20:43:50 | 小説(海外作家)

「触ってもいい? こんな風に触ってもいい? こうしても? あたしに撫でられて、気持悪くない? よかったら、あたしに好きなことしていいのよ……」。ブエノスアイレスの刑務所の中で生まれた、テロリストとホモセクシュアルな中年男との、妖しいまでに美しい愛。監房という小さな密室を舞台に、巧みな会話で綴るラテンアメリカ文学の鬼才ブイグの野心作。
野谷文昭 訳
出版社:集英社(集英社文庫)




ダイアローグ形式で進んでいく話である。

そのため、最初は誰と誰が話しているか、という背景がわからず、これはとっつきにくい物語じゃないか、と不安になってしまう。
だが読んでいくにつれ、どんどんと物語に引き込まれてしまった。これは予想以上におもしろい作品だ。


物語は、女言葉を使う人物が、映画のあらすじを男に向かって語り聞かせるところから始まる。
登場人物の背景はまったくわからないのだが、徐々に、どうやら二人は投獄されているらしく、モリーナと呼ばれる人物がゲイであり、バレンティンが政治的な理由で捕まっていることが判明する。

その薄皮を剥ぐように、背景が見えてくる流れがなかなかスリリングだ。
何より本作で語られる映画談義も普通におもしろい。
そしてその会話を通して、彼らの心理的な関係も見えてくる。


会話の最中に、ときどきゴシック体の文字が挿入されるが、それは意識の流れの部分であるらしい。

そしてそこから、モリーナはバレンティンを嫌っているらしいことが見えてくる。
特に自分の好きな映画が、ナチ映画でしかない、とけなされるところは傷ついたらしく、バレンティンに反発を強めている。
そういう心理背景があるからこそ、モリーナはバレンティンを裏切ろうと考えるのだろう。


だがバレンティンが刑務所の謀略で体調を崩しから、微妙にトーンが変わってくる。
モリーナはバレンティンを献身的に介護をし、その結果、バレンティンに情が移り始めるのだ。
その心理的変化に非常に魅せられる。

もちろんほとんどの文章が会話体のため、ちゃんとした心理が綿密に描かれているわけでもない。
だが二人の会話の行間からは、濃密な心の動きが感じられるのが良い。

ついでに言うと、性行為もダイアローグ劇のため、何が起きているのか、はっきりとは書かれていない。
僕はヘテロなので、男同士のセックスに拒否反応はある。
だがセックスの間、二人が沈黙しているので、生々しいことを想像しなくて済むのだ。
そのため、純粋にエロティックな雰囲気を感じることができる。
その会話体の特徴を存分に生かした文体に魅せられてしまう。


後半になるにつれて、物語はおもしろさを増してくる。
その理由は、ラストに向かうにつれ、サスペンスフルな展開になり、ハラハラさせられる点が大きいだろう。
だがそれ以上に、後半以降、モリーナとバレンティンのつながりがどんどんと強くなっていることの方が重要なのかもしれない。

モリーナは最後になって、バレンティンの期待に応えようと決意する。
それは普段のモリーナからしたら、絶対に行なわないような行動だ。しかし最終的に、モリーナはバレンティンのために何かをしようと決意する。
もちろんそこにあるのは、バレンティンに対するモリーナの愛だ。
そんなモリーナの行動に僕は共感を覚える。だがそれゆえ本作は悲劇的なラストを迎えてしまったのだろう。


ともあれ、特異な文体で、濃密な愛を描いてなかなか楽しい。
ラテンアメリカ文学と言えば、マジックリアリズムのイメージが強いけれど、それとはちがう、実にユニークな小説である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

『アウラ・純な魂 他四篇』 カルロス・フエンテス

2010-11-13 03:07:25 | 小説(海外作家)

「…月四千ペソ」.新聞広告にひかれてドンセーレス街を訪ねた青年フェリーペが,永遠に現在を生きるコンスエロ夫人のなかに迷い込む,幽冥界神話「アウラ」.ヨーロッパ文明との遍歴からメキシコへの逃れようのない回帰を兄妹の愛に重ねて描く「純な魂」.メキシコの代表的作家フエンテスが,不気味で幻想的な世界を作りあげる.
木村榮一 訳
出版社:岩波書店(岩波文庫)




いかにも文学的な作品である。
それゆえのおもしろさ、つまらなさというのはあるのだが、読み手の想像力に訴える力は嫌いじゃない。


たとえば表題作の『アウラ』。
先に言っておくと、アホだからか、僕はこの作品をまったく理解できなかった。

コンスエロ夫人とアウラが分身であることは感じられるし、恐らくコンスエロ夫人ができないことを、アウラが代償的に行なっているだろうことは見えてくる(それすらちがうのか?)。
だが、それ以外のところはまったく意味不明だ。僕なりに仮説を立てたけど、どうもしっくりこない。
はっきり言ってこの作品は、想像力が平凡な一般人を拒絶すること甚だしい。

だが全編に漂う、いかにも思わせぶりな雰囲気やセリフ、グロテスクと幻想が入り混じったイメージは結構好きだったりする。
個人的には、「コンスエロ、悪魔もまたその昔は天使だったのだ……」ってセリフが気に入っている。
そのいかにも意味ありげな(コンスエロ夫人が、その悪魔ではないか、と想像したくなるような)雰囲気と不気味な感じがおもしろい。


文学的という点では、『純な魂』もそうだ。
僕は解説の読み方には、作者の意図がどこにあれ、賛同しない。けれど、それを抜きにしても、この作品はおもしろい、と思う。
それは一人称で語られるクラウディアの独白が、鬱陶しいくらいにねっとりしているからだ。

クラウディアの独白からは、彼女の情念が伝わってくる。
そこにあるのは、兄に対する妹の濃密な愛だ。近親相姦的で、独占欲に近いとも言える。
その愛や、兄の恋人クレールに対する妬みのような描写が、読み手の心に迫ってきて、重たさがあるのがいい。おかげで読後はずしりとした手応えを感じることができた。


ほかの作品も、それぞれ存在感を放っている。

手記に描かれる、狂気じみた雰囲気が印象的な、『チャック・モール』。
死をめぐる各人の心理のゆれに読み応えがあり、皮肉なラストが心に残る、『生命線』。
老いに伴う不安と嫉妬と強がりを描く、心理描写が克明な、『最後の恋』。
ラストが唐突とも感じるが、郷愁とゴシック調の雰囲気に味わいのある、『女王人形』。


どの作品も個性があって、なかなかおもしろい。
文学がもつ、おもしろさとつまらなさ、難解さと味わい深さがよく出ている。
個人的にはそこそこ楽しめた作品集である。

評価:★★★(満点は★★★★★)

『冬の犬』 アリステア・マクラウド

2010-09-21 20:52:09 | 小説(海外作家)

舞台は、『灰色の輝ける贈り物』と同じ、スコットランド高地の移民が多く住む、カナダ東端の厳寒の島ケープ・ブレトン。
役立たずで力持の金茶色の犬と少年の、猛吹雪の午後の苦い秘密を描く表題作。
ただ一度の交わりの記憶を遺して死んだ恋人を胸に、孤島の灯台を黙々と守る一人の女の生涯。
白頭鷲の巣近くに住む孤独な「ゲール語民謡最後の歌手」の物語。
灰色の大きな犬の伝説を背負った一族の話。
人生の美しさと哀しみに満ちた、完璧な宝石のような8篇。
中野恵津子 訳
出版社:新潮社(新潮クレストブックス)




個人的に、この短篇集の作品は、以下の2つのジャンルに分かれると感じた。
1つ目は、ケープ・ブレトン島の苛酷な自然状況を中心に描いた物語。
2つ目は、ケープ・ブレトン島で生きる人たちのルーツを探るための物語である。

僕個人の趣味で言うならば、前者の作品群に心を惹かれた。
というのも、このカテゴリーの作品たちは、自然の描写が本当にすばらしかったからだ。


前者のカテゴリに含まれるのは、『すべてのものに季節がある』『二度目の春』『冬の犬』あたりだろうか。

『二度目の春』では、農場の日常の描き方がすばらしいと思った。
そこではむちゃくちゃリアルで、イメージ喚起力に富む風景が展開されている。

動物をするとき、「食べ物も飲み物も与えられ」ず、「体重と体液を減らしておく」というところには驚いてしまうし、殺した牛の中から出てきた牛の胎児の話には、呆然としてしまう。
それらのシーンに、僕は読んでいてショックを受けた。
家畜を相手に生きるというのは、これだけ大変なのか、と心底思ってしまう。


同様に、すごかったのは、『冬の犬』だ。

これは、流氷の氷原で死んだアザラシを見つけた少年の話だ。彼はそれを持って帰ろうとするのだが、流氷が離岸してしまい、吹雪の中、脱出行をくりひろげる。
この話でも、暴力的で苛烈な風景が展開される。

ケープブレトン島の冬は尋常ではない。
たとえば海に落ちてしまったとする。そのとき何とか海から上がったとしても、海水で濡れたところは簡単に凍ってしまうのだ。それだけでも恐ろしく寒いというのはわかる。
また、吹雪が目に入りでもすれば、出てきた涙がすぐに凍ってしまい、目をふさいでしまうらしい。

ここでくりひろげられる、そんな冬の風景に、僕は本当に戦慄してしまう。
そして、この自然を描くタッチは力強い。その叙事的な筆致に心を奪われる。
読んでいる間、小説世界にぐいぐいと惹きこまれてしまった。


もちろん、後者のカテゴリの作品だって、すばらしい。
個人的には『完璧なる調和』と、『島』がおもしろかった。

『完璧なる調和』の老人は、いろんなことに傷ついている。
それだけにラスト、そんな老人を乱暴な方法で慰める友人の行動に、僕は感動してしまった。
読み終わった後、なんとも暖かい気分になれる、優れた一品だろう。

『島』は、寓話的な雰囲気がすてきだ。
こちらもラストがすばらしいのだが、その奇跡のようなラストが、狂人とみなされた老女に救いをもたらしているように見える。
その雰囲気が美しく、いつまでも胸に残る一品だ。


それ以外も、いちいち感想は書かないが、いい作品は多かった。
苛酷な自然を生きる人々の生活と、歴史とを知ることができるし、物語としても楽しい。
幾分地味ではあるが、イメージ喚起力に富んだ、優れた短篇集である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

『サキ短編集』 サキ

2010-08-31 21:23:57 | 小説(海外作家)

ビルマで生れ、幼時に母と死別して故国イギリスの厳格な伯母の手で育てられたサキ。豊かな海外旅行の経験をもとにして、ユーモアとウィットの糖衣の下に、人の心を凍らせるような諷刺を隠した彼の作品は、ブラックユーモアと呼ぶにふさわしい後味を残して、読者の心に焼きつく。「開いた窓」や「おせっかい」など、日本のSFやホラー作品にも多大な影響をあたえた代表的短編21編。
中村能三 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)




解説でもある程度、触れられているけれど、サキの短篇は悪意と強烈な皮肉に満ちている。
O・ヘンリーと並び称されているようだが、O・ヘンリーの作品にある暖かさとはずいぶん対照的だ。


それを個人的に強く感じたのが、『運命』、『休養』、『おせっかい』あたりである。

特に『おせっかい』の毒には、軽くへこんでしまった。
ラストに来る直前まで、暖かい予感に満ちていて、希望さえ見えたのに、ラストの一文で、登場人物をすべて絶望へと追いやっている。
正直、これは読んでいて、ショックだった。
確かにこのオチは意外だけど、あまりにも後味が悪すぎでしょ、と言いたくなる。

それ以外にも読んでいて、居心地悪くさせられる作品が目立つ。


だが、それゆえに否定的なことを言いたいわけじゃないのだ。
中には皮肉や、人間に対する悪意が、いい意味で利いている作品も見られる。
そういった作品は、読んでいて普通におもしろい。


たとえば『二十日鼠』。
このオチが秀逸。他人の目を気にする男の自意識が非常に滑稽で、苦笑してしまった。
このブラックユーモアはなかなか機知に富んでいて、見事だ。

それに『親米家』にも笑ってしまう。
自分の判断で、物事を評価できない人たちをからかっているのが伝わってくる、ずいぶん皮肉な作品だ。
作者の視線は悪意に満ちているけれど、登場人物たちの行動のバカバカしさに、にやりとさせられる。


そのほかにもいいと思える作品は多い。

大人の賢しらな考えなど、所詮子どもには通じないということを皮肉に語る、『平和的玩具』。
後味の不気味さが余韻を残す、『狼少年』。
どう見てもただの嫌がらせにしか見えない男の行動に唖然として笑いたくもなる、『話上手』。
少女の悪趣味としか思えない行動ににやりとさせられ、ホラーな雰囲気がすてきでもある、『開いた窓』。
善意というものに対して嘲笑しているかのようなラストがおもしろい、『宵闇』。
中途半端に労働者に共感する富裕層を、小ばかにしている点が印象的な、『ビザンチン風オムレツ』。
自分の理想を勝手に重ねて、結局同じ結末に至る男の浅ましさが滑稽な、『家庭』。
結果的には自業自得だよな、と思えるような結末がシニカルな、『七つのクリーム壺』 など。


ときに露悪的で、アンモラルで、これはないよ、と思うときもあるけれど、黒い雰囲気はなかなか忘れがたい。
O・ヘンリーの方が個人的に好みだけど、これはこれで悪くない作品集である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『人間の絆』 サマセット・モーム

2010-08-26 22:10:21 | 小説(海外作家)

幼くして両親を失い、牧師である叔父に育てられたフィリップは、不自由な足のために、常に劣等感にさいなまれて育つ。いつか信仰心も失い、聖職者への道を棄てた彼は、芸術に魅了され、絵を学びにパリに渡る。しかし、若き芸術家仲間との交流の中で、己の才能の限界を知った時、彼の自信は再び崩れ去り、やむなくイギリスに戻り、医学を志すことに。誠実な魂の遍歴を描く自伝的長編。
中野好夫 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)




『人間の絆』は、上下巻合わせて1300ページ近くという、きわめて長い小説である。
もっとも主人公フィリップ・ケアリの9歳から30歳近くまでの人生を描いた、いわゆる教養小説だから、それも当たり前だけど、それでも結構な量だ。

それだけ長い小説になると、ある程度、小説内人物に共感しないと読み進められない部分がある。
そういう意味、『人間の絆』は、そのような共感からは程遠い小説だと感じた。

というのも、この主人公のフィリップ・ケアリという男が、困ったことに読んでいて、幾度もいらっとさせられる人物だからだ。
そして、そう感じた理由は単純に、彼がアホだからという一点に尽きるのである。


とは言え、ドイツに行くくらいまでは、フィリップに悪い感情を持つことはない。
元々、フィリップは本が好きな、内気な少年である。そういう少年の姿は普通に共感もできる。
フィリップはオックスフォード進学をやめ、ドイツに行こうと決意するが、そのときの聖職につきたくない、独立したい、自由になりたい、という感情だって、僕にも理解はできるのだ。


でもそれ以降のフィリップに、僕はいらいらとさせられる。

フィリップはその後、年上の女ミス・ウィルキンソンと恋をし、一方的に捨て、特許会計士になるが長続きせず、芸術家になろうとパリに向かうが、結局は挫折し、ミルドレッドという絶対にフィリップに気がないであろう女に夢中になって自滅し、傷心の彼をなぐさめてくれたノラに甘え関係を結ぶものの、ミルドレッドが戻ってくるや、あっさりとノラを捨ててしまう。そして……、っていう感じに生きていく。

そして、そんなフィリップの姿を、僕はどうしても受け入れられないでいた。

基本的に彼は、ここではない場所に行けば、自分にとって満足のいく人生を送ることができる、と夢想しているのだろう、と思う。
それは非常に若い発想である。若い者なら、一度くらいは通りそうな道だ。

だが、そう考えるフィリップの行動は、まったくもって地に足がついていない。
それが見ていて、もどかしいし、いくつかの点で僕の感性とも合わなかった。
僕には彼がアホで、ずるくて、自意識とプライドが強くて、身勝手なやつにしか見えず、軽くむかついてならなかった。
特にミルドレッドとの恋愛の場面では、フィリップの行動にうんざりしてしまう。

もっともビルドゥングスロマンだから、主人公が最初未熟なのは、当然である。
だから本来的には、しょーもないやっちゃな、とでも思いながら、笑って読んでいればいいのだろう。
だけど僕にはそれだけの鷹揚さも持てず、読んでいる間、フィリップに心の中で反発し続けていた。


何かさっきから非難してばかりだが、本書にだってもちろんいい面はある。

たとえば、プロット。これがまた波乱万丈そのもので、キャラに目をつむりさえすれば、単純におもしろい。
おかげで最後まで、それなりに楽しく読み進めることができる。

それにところどころで、はっとさせられるシーンもあるのだ。
特にミルドレッドがらみのシーンはすばらしい。
正直フィリップの行動にはうんざりさせられるのだけど、心理描写などは精緻で、すごみさえ感じられる。ミルドレッドの行動の描き方もなかなか上手い。

圧巻だったのは、ミルドレッドが、フィリップの部屋のものを徹底的に破壊するところだ。
その破壊っぷりを見て、フィリップは呆然としているが、それも無理ないよな、と思えてくるようなすさまじいシーンで、読んでいて僕はしびれてしまった。このシーンがこの小説中でも、圧倒的な存在感を放っていた。


さてそのようにして読み進めていた本書だが、ラストでは、強烈なハッピーエンドが待っている。
見ようによっては、これは大甘のハッピーエンドだが、とっても暖かいシーンでもある。
僕は読んでいて、心を打たれた。

だが同時に若干、腑に落ちない面があったことも否定できない。
実際、そのラストは、ハッピーエンドだけど、正確に言うなら、ハッピーとは言いかねる面もあるからだ。

ラストの幸福は、フィリップの人生はまちがいでしかない、と突きつけるような形で訪れている。
それは捕らえようによっては苦い事実だろう。

しかしフィリップはその敗北を、幸福感を抱きながら受け入れている。
何かをあきらめることを大人になったというのなら、フィリップはその瞬間、大人になったと言えるのかもしれない。そしてそれゆえにいくらか苦くあるのだ。

僕はフィリップの人生を読みながら、散々こいつはアホだ、と思ってきた。
けれど、こうやってあっさりと引き下がられると、少しだけさびしく思ってしまう。
彼の若さを僕はあざ笑った。だが僕は心のどこかで、彼にその生き方を貫いてほしいと思っていたのだろう。

若さが何かに敗北することは、往々にしてあることだ。
そして、それでも若さを貫けるのは、少数の人間と、結局物語の中にしかいない。
だからこそ僕は、フィリップに若く愚かなままでいてほしかったのかもしれない。非常に身勝手な意見ではあるけれど、わりに真摯に思ったりする。


何かまとまりがなくなってしまったが、トータルで見れば、非常に上手い作品ということは認めざるを得ない。いくつかの部分では圧倒されることもあった。
ただ個人的には、いろいろな部分が気に入らず、好きになれない作品でもある。
これは言ってはおしまいだけど、最終的には好みの問題でしかない、ということなのだろう。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



●蛇足
中野好夫の訳は悪くないけれど、さすがに少し言葉が古くなっている。
「ミーチャンハーチャン向きの安小説本が、決まって、ドンドン売り出されていた」なんて箇所を読んだときは、がっくり来てしまった。
そろそろ新訳の時期ですよ、と地味に新潮社に訴えておく。



そのほかのサマセット・モーム作品感想
 『月と六ペンス』

『一九八四年 [新訳版]』 ジョージ・オーウェル

2010-06-22 20:37:46 | 小説(海外作家)

“ビッグ・ブラザー”率いる党が支配する全体主義的近未来。ウィンストン・スミスは真理省記録局に勤務する党員で、歴史の改竄が仕事だった。彼は、完璧な屈従を強いる体制に以前より不満を抱いていた。ある時、奔放な美女ジュリアと恋に落ちたことを契機に、彼は伝説的な裏切り者が組織したと噂される反政府地下活動に惹かれるようになるが…。
二十世紀世界文学の最高傑作が新訳版で登場。
高橋和久 訳
出版社:早川書房(ハヤカワepi文庫)



本書は物語を物語る作品ではなく、設定を物語る作品なのだな、と読んでいて思った。
抽象的な言い方だが、この小説は人物の動きを描くことで、物語にダイナミズムを生み出そうという一般的な小説手法からずれていると感じたからだ。

本書はまず確固とした設定の物語世界を描き、その設定の枠組みから、キャラクターを照射しようとしているように感じられる。


実際、本書の設定は練りに練られている。

この作品の中で、党員たちはテレスクリーンを通してビッグ・ブラザー率いる社会から監視されている。
言葉はいろいろと制限されており、言葉が制限されているせいで、思考は表現手段を失い、結果的に思考の幅は狭まってしまう。そして過去は党の手により、改変され、歴史から何かを学ぶことも、党の誤った方針を批判することはできない。
この世界では、本能の衝動も抑圧されていて、たとえば性的なものは抑圧されている。
物語の設定を大雑把に語るならば、そんなところだ。

もちろん、それらは時代がかった設定である。
こんなわかりやすい監視方法は、村上春樹が『1Q84』で述べているように見え透いているし、長続きする類のものではないだろう。
この世界にはまだ独裁国家はあるし、現実的かもしれない要素はあるが、そんなシステムを持つ国を国際社会は黙っていない。それに内部矛盾で、自壊する可能性も高い。


しかし当時は、このようなスターリニズムを意識した作品は重要な意味合いがあったのだろう。
少なくとも当時の人々にとって、ここに描かれた社会は、間近に迫り来る危機として受け取られていたのかもしれない。

その危険性を警告するために、スターリニズムを意識した社会を、著者は徹底して描写している。
その綿密な世界観の構築っぷりには感心するほかない。


しかしその強固な世界観のために、描かれている人間たちは、いくらかないがしろにされているようにも感じられる。
もちろん本書には何人かのキャラが登場して、それぞれの思惑で動いている。
だがそれはどちらかと言うと、物語の都合で動かされているように見えるのだ。

本書において、物語の設定が主であり、キャラクターはその設定から照射される程度の存在でしかなく、あくまで従的な立ち位置にいる。

特にジュリアが個人的にはどうもピンとこない。
性的に大胆になることで、党に叛逆するという設定はいいとは思うし、ピンチョンも誉めているけれど、どこか作り物めいて見えて、僕には合わない。


けれど当時の危機感は概ね伝わってきて、部分的にはぞくりとさせられる。

特にラストの拷問のシーンはいい。これは言うなればマインド・コントロールなのだろう。
その方法は、お世辞にも効率的とは言い難い。
だが、そこにある徹底した方法と、絶望を植え付け、党の詭弁をふりかざし、それを信じざるをえない状況に追い込んでいくという描写は、なかなか鮮やかだ。こわいと感じる部分もあり、感心することもできる。


いまとなっては時代に合わないポイントもあるし、個人的に物足りないと感じる部分はある。
しかしこれは文学史的にも、社会学史的にもは一つの成果だと思う。
退屈なところもあるが、読ませるポイントもあることは事実だ。

絶賛しないが、これはこれで悪くない作品かもしれない。

評価:★★★(満点は★★★★★)

『精霊たちの家』 イサベル・アジェンデ

2010-06-14 21:17:45 | 小説(海外作家)

不思議な力をもつ少女クラーラは、美しい姉の死から9年間の沈黙の後、姉の婚約者と結婚し、精霊たちが見守る館で暮らしはじめる。三世代の女たちの運命を描く、驚異と幻想に満ちた傑作。
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集Ⅱ-07
木村榮一 訳
出版社:河出書房新社



『精霊たちの家』は、とにかくおもしろい作品である。

魅力的で個性的なキャラクターが多く、イマジネーション豊富で中身が濃く、ちょっととぼけた味わいのあるエピソードに満ちている。
これでおもしろくないわけがないのだ。
少し長くはあるけれど、この個性は賞賛するほかない。


この作品はエステバーン・トゥルエバと、クラーラ、ブランカ、アルバの女三代のお話である。そして、多くの脇役たちが登場する。
そしてどの登場人物も皆が皆、総じて実に個性的だ。
作中のクラーラの言葉を借りるなら、「この家には本当に頭のおかしい人間はいないけど、でもみんなどこかおかしいのよ」と言った人間ばかりが出てくる。

たとえば主役の一人のクラーラ。
彼女は最初、おっとりしたお嬢様然としたところのある少女だった。言うなれば不思議ちゃん。
それが後半になるにつれ、意外にしっかりしたところを見せるところなどは忘れがたい。
「変わったのは私じゃなくて、世界なのよ」と言うところはちょっとかっこいいな、なんて思ったりする。

また個人的には、エステバーン・トゥルエバも好きである。
彼は野心的で、使命感のようなものを持った人物だけど、性格は粗野だし、差別主義者で、はっきり言ってあまり好きにはなれないタイプの人間でもある。
しかし妻クラーラに対する愛情は深く、彼女の心を決して手に入れることができないところは読んでいても切なく、心を動かされる。
また娘や息子たちとは良い関係を築けなかったせいか、孫のアルバを溺愛するところなどは、かわいいところもあるじゃん、って思え、特によかった。

そのほかにも、クラーラが口を聞かなくなったときに口を聞かせようと、始終クラーラを驚かす乳母。
老母の介護に人生を尽くし、後半は義妹の世話に尽くすようになるフェルラ。
蟻に話しかけたりと仙人のような雰囲気のあるペドロ・ガルシア老人。
マジメで律儀で正義感のあるハイメ。
軽薄で浮ついたところのあるけれど、どこか愛らしいニコラス。

といった面々も、忘れがたいインパクトをもつ。
これだけの個性あふれる人物を描きあげた、作者の観察力と筆致には、つくづく感心してしまう。


キャラだけでなく、エピソードも豊富だ。

個人的には、ブランカとペドロ・テルセーロの幼い時代の恋が好きだ。
二人の恋物語を読んでいるときは、何度も胸がきゅんきゅんした。これは非常にすばらしい。

恋つながりで言うなら、ハイメがニコラスの恋人だったアマンダに恋愛感情を寄せるところも好きだ。
弱っているアマンダを優しく抱きしめるところなんかは切ない気分になってしまう。
またハイメの姪アルバに対する感情も少し切ない(もっともこれは記述をそのまま信頼していいのか迷うけれど)。
そのほかにも魅力に富んだエピソードが多く、いちいちあげたら、キリがないほど。


そしてこれだけ豊富にエピソードがあるのに、ラストに向けて、物語がさらにおもしろくなっていくところにはびっくりしてしまった。読んでいてぞくぞくしてしまう。
エピソード単品のおもしろさでは、前半から中盤の方が上かもしれないが、エピソードの力強さはラストの方が上である。

だが、それがここまで力強いのは、著者がこの作品を上梓した十年弱前に、これと似たようなことを経験していることが大きいのだろう。
作者の叔父であるアジェンデ大統領はピノチェトに殺され、多くの人々が虐殺された。
その事実に対する恐らく怒りがあるのだ。

ラストで描かれた世界は、本当にえぐいものだ。
クラーラはこの世界のことを「神様が冗談半分でお作りになったものだと考えていたので、それを生真面目に受けとるのはばかげたことだとみなしていた」。
確かにそうだと思うし、作者もラストにおいてさえ、現実に起きたことを深刻めいて書かないよう努めているように見える。
でもそこで起きた事実を世界に伝える必要があるのだ、という意思が見えてくるようだ。


本作で描かれている物語の世界は、最初から最後まで非常に豊かなものである。
そして同時に悲しくもあり、重たくもあり、しかしどこか滑稽な側面もある。
そしてその不可思議な世界を再現した作者の手腕と、その世界の大きさに圧倒される。


『百年の孤独』と比較されることが多いらしいが、僕は『百年の孤独』よりも、こちらの『精霊たちの家』の方が好きである。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集』作品感想
 Ⅰ-02 マリオ・バルガス=リョサ『楽園への道』
 Ⅰ-05 ミハイル・ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』
 Ⅰ-06 残雪『暗夜』
 Ⅰ-06 バオ・ニン『戦争の悲しみ』
 Ⅰ-11 J・M・クッツェー『鉄の時代』
 Ⅱ-02 フランツ・カフカ『失踪者』
 Ⅱ-02 クリスタ・ヴォルフ『カッサンドラ』
 Ⅱ-04 メアリー・マッカーシー『アメリカの鳥』

『ダブリナーズ』 ジェイムズ・ジョイス

2010-06-11 20:42:41 | 小説(海外作家)

アイルランドの首都ダブリン、この地に生れた世界的作家ジョイスが、「半身不随もしくは中風」と呼んだ20世紀初頭の都市。その「魂」を、恋心と性欲の芽生える少年、酒びたりの父親、下宿屋のやり手女将など、そこに住まうダブリナーたちを通して描いた15編。
最後の大作『フィネガンズ・ウェイク』の訳者が、そこからこの各編を逆照射して日本語にした画期的新訳。
『ダブリン市民』改題。
柳瀬尚紀 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)



『ダブリナーズ』を読み終えた後に僕が感じたことは、この作品はあくまでスケッチでしかないのだな、ということだ。


本書はダブリンに生きる人々の日常を切り取った短篇集である。
そのため、人々の行動の描写や姿や会話などを丁寧に、適切に描いていることは確かだ。

でもそれはあくまで、スケッチでしかなく、だから何? って問いかけたくなるような作品も多い。
本書は15編の作品を収録しているが、そのうち5つは(どれとは言わないが)微妙だった。
またそれ以外の4つは僕からすると、そこそこだね、という程度のものでしかない(それでも充分だけど)。

スケッチ的世界観から立ち上がってくるものは、とかく淡い印象のものばかりだ。


でもそんなこじんまりとしたスケッチ的世界から、ときに切実なものが浮かび上がってくる瞬間もある。

たとえば、個人的に一番好きな作品の、『小さな雲』。

この作品の主人公、リトル・チャンドラーはいかにもな小市民なのだが、そんな小市民の心理を繊細に追っていて、なかなか読み応えがある。
成功した友人に対して、憧れを抱いていたのが、その粗野な雰囲気に接して、彼を軽蔑するところ、それでも自分よりも優れた人間であることを認め、卑屈にも似た感情が立ち上がるところ、そして満たされない自分の生活を省みて、不満を抱き、多くの物事を憎むところなどは、実に鮮やかに描かれている。
その意識の流れはなめらかで、引き込まれるように読んでいける。

そしてそんな心理の果てに訪れるラストの主人公の姿が、とても印象的だった。

そこに至って、リトル・チャンドラーは、自分は結局小市民的な生活を生きる人間であり、そんな小市民的な自分と向き合わざるをえない、という事実をつきつけられる。
えらくなった友人に嫉妬したり、憧れたりするが、結局、彼自身ははどこにもいけず、行動できない。
その姿があまりに悲しく、妙に心に残った。


そのほかにもすてきな作品はある。

支配的な父親から逃げたいと思いながらも、父と一緒に暮らしてきた時間が、心をゆさぶときもある、という心理の描き方が鮮やかで、ラストがほんのりと悲しい予感に満ちている点が印象的な、『エヴリン』。
男や女、女の母らのそれぞれの思惑や打算が透けて見えておもしろい、『下宿屋』。
主人公の悲しいまでの小者っぷりが、妙にリアルで苦々しい、『写し』。
プラトニックな関係を求める男と、現実的な愛情を求める女の姿が目を引き、ラストの男の心の動きが少し哀れですらある、『痛ましい事故』。
お互いのやり方がまずかったために起こるごたごたの気まずさが心に残る、『母親』、など。


何てこともない話がほとんどで、淡い印象で終わっているものもある。
だが、ときに切なく、ときに苦々しく、ときに滑稽な瞬間を適切に描き取っていて、達者だ。
解説を読む限り、訳も相当力が入っているようで、読みやすく、すんなり頭に入ってくる点も良い。

絶賛はしないけれど(それぞれの作品を平均したら、点数は3.4になった。ただ全体の評価はそれより甘めにする)、これはこれで悪くない作品集である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『ザ・ロード』 コーマック・マッカーシー

2010-05-01 09:56:54 | 小説(海外作家)

世界は本当に終わってしまったのか?荒れ果てた大陸を漂流する父と子の旅路を独自の筆致で描く巨匠渾身の長篇。
ピュリッツァー賞受賞。
黒原敏行 訳
出版社:早川書房



学生のころの歴史の授業で、江戸時代の飢饉について勉強したとき、あまりの飢えのため、農民たちは人間の死体を食べたという話を聞いたことがある。
またむかし読んだ、大岡昇平の『野火』も、飢えのため、戦場で人間の死体を食べる話だった。

とかく空腹というものは人間の理性を壊す力があるらしい。

だが彼らが食べているのが死んだ人間である分、まだマシなのかもしれない。
そんなことを『ザ・ロード』を読むと思ってしまう。


『ザ・ロード』で描かれる世界には、空腹感が満ち満ちている。

舞台は人類の大半が死に絶えた世界で、そんな世界の中、父子が「火を運ぶ」ため、南を目指している。
基本的に物語は謎めいていて、どういうことかわかりにくい部分が最初のうちはある。

それでも飽きずにぐいぐいと読み進められたのは、それらを語る文章も魅力的だからだ。
文章は抑制がきいていて、過度な説明描写はなく、読み手の想像力にゆだねている。
それらのすべてが読んでいて非常に好ましい。


そして、その描写の果てに見えてきた世界はずいぶんと絶望に満ち溢れている。

道ばたには普通に人々が死んでいるし、食料を奪い合うために、人は殺し合いもする始末。この世界では慢性的に食料が不足しているらしく、大半の人間はガリガリにやせている。
父親が息子の痩せ細った体を見て、心臓がとまりそうになるシーンがあるが、読んでいるこっちまで痛々しい気分になってしまう。
比喩にあったこともあり、彼らの姿と、ユダヤ人収容所の記録映像を重ね合わせながら読んでしまう。


そういう飢えが充満しているためか、人は他者を排斥し、自分の利益を守らねばならない。
父は後半で、荷物を奪われた後、復讐心もあってか、泥棒にずいぶんえぐいことをしている。
それも飢えが慢性的なものであり、自分の身を必死で守らなければならないからだ。

だがそんな暴力的な手段をとりながらも、彼らの行動はまだまだマシな方なのである。
もっとひどい者になると、人の肉まで食べようとする輩まで現われてくるのだ。


中盤に地下室に閉じ込められた人間たちの描写があるのだが、これがむちゃくちゃこわかった。多分下手なホラーよりよっぽどこわい。
その場面を読む限り、恐らく地下室に閉じ込められている人たちは生きながら、誰かに食べられてしまうのだろう。これは僕の想像だが、肉が腐るといけないから、生きたまま、少しずつ肉をそぎ落とし食べているのだ。

極限下に置かれた人間が、死体を食べるという事実は、過去にも見られる行為である。
だがここで描かれているのは、生きている人を狩り、それを牛や豚のように食べるという行為だ。
そこには、根深い絶望がある。そんな場面を読んでいると、こっちはどーんとへこみそうになってしまう。


だがそんな時代だからこそ、理性が必要なのだろう。

少年は最後、南まで着いて、火を運ぶことに成功する。
火を運ぶ、ということが、その場面に来て、比喩であることがわかるのだが、その解釈は解説にもあるように多様なのだろう。
個人的には、人間として大切なものを守り、持ち続けることが「火を運ぶ」ということだと判断した。
それは平たく言えば、思いやりである。

少年はどんな場面にあっても、他者に対する真心を忘れなかった。
困っている人がいれば、その人のことを心配した。助けられる余裕がないことを知って、父親が静止したから思いとどまっているものの、死にそうな人を助けたいと願っている。

人は飢えによって、理性を失うかもしれない。
だからこそ、極限下であろうと、正しいことを希求し、理性を保つことが重要なのかもしれない。

それはひょっとしたら理想論かもしれない。だがそのイノセンスな感覚はどこまでも美しい。
そんなことを感じさせるラストシーンがちょっと感動的で、胸を震わせるものがあった。


また父子の描写もすばらしく、父親の深い愛情と、聡明な少年の父を思う気持ちは読んでいて、幾度も心をゆさぶられた。これも一つの思いやりの一形態なのだろう。
そのため絶望的で、こわくて、ダークな面もあるものの、あまりに爽やかな読後感となっている。実にすばらしい一品であった。


今夏公開のヴィゴ・モーテンセン主演の映画も楽しみである。宮城でやるかは不明だが、ぜひ見たいものだ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)



そのほかのコーマック・マッカーシー作品感想
 『すべての美しい馬』

『スーラ』 トニ・モリスン

2010-04-27 20:22:56 | 小説(海外作家)

ボトム(どん底)と呼ばれる丘の上で育った黒人の少女、奔放なスーラとおとなしいネル。正反対の性格をもつゆえに、少女たちは固い友情で結ばれた。二人で犯した許されざる罪でさえ、隠し続けられるほどの絆。だが時がたち、ネルの結婚式の日を迎えると、なぜかスーラは町を去ってしまう。十年後に二人は再会を果たすものの、その友情は…。
黒人社会の光と影を、女性たちの成長とともに描く、ノーベル賞作家初期の傑作。
大社淑子 訳
出版社:早川書房(ハヤカワepi文庫)



以下の文章は、すべて誤読だとわかっていて書いていることを、先に記しておく。


さて、本書は少女二人の友情を描いた作品である。
だがこの作品、少女二人の物語だけに集中せず、わき道に逸れることが多い。

大体冒頭でシャドラックという心を病んだ男の話が登場するのだが、このエピソード、メインである少女二人の物語と、そこまで深く関わりはないのだ。
もちろん、これはこれでおもしろいし、後々恐ろしい事件へと発展して読ませる力があるのだけど、全体的には蛇足なんじゃないかな、という気はしないではない。
そしてそのほかにも蛇足だな、と感じる部分はある。

だがエレーヌとネルの旅で感じた白人男性のいやらしい視線のように、作者は、黒人蔑視を含め、物語を取り巻く全体の空気を描きたかったのかもしれない。
メインの部分はこじんまりとしたモチーフだが、全体として見ると、大きな物語である。


もちろん、メインの少女の友情の話もおもしろい。
二人の関係には、いろいろな曲折があるし、感情が入り乱れている。
だが、ラストのネルの涙からして、ネル自身が思っている以上に、二人の間には強いきずながあったようだ。

だが最初にそのシーンを読んだとき、いまひとつ僕にはピンと来なかった。
ネルが、スーラのために涙を流すに至った流れは理解できるものの、あまりに抽象的に感じられて、実感に乏しかったからだ。
それは、僕の頭が悪いからなのか、それとも僕が男で、女の友情が理解しづらいからかはわからない。

もちろん二人の友情の堅さを示すエピソードは多い。
二人が白人の男にいじめられたとき、スーラは自分の指を切り落とし、相手をおどして、ネルを守っている(ただしその行為にネルはドン引きだったことが後から語られるけれど)。

だが、ネルはそのスーラに、自分の夫を寝取られることとなる。
けれどネルは夫に逃げられたとき、夫の不在ではなく、スーラの不在をさびしいと思った。
それはネルにとって、夫のこと以上に、スーラとの関係が大事であり、真に深い部分で結びついていたのは夫ではなく、スーラだったという証拠でもあるのだろう。

しかしこの関係が、どうも僕にはピンと来ないのだ。
すなおに受け止めればいいのだろうけれど、何かが、僕の心にしっくり来ない。


あるいは、二人の関係は、ラストでネルが感じた以上に、美しく、真摯なものでない。
そう、ふいと邪推したことが、ラストにしっくり来なかった原因かもしれない。

その邪推の理由は何かというと、二人の関係が、ことによると、悪徳によって結びついているかもしれない。そう見えなくもない点にある。

僕個人の見立てだが、スーラもネルも、結果的に見れば、悪徳に惹かれる部分があったように感じられる。
スーラは母親が焼死したとき、ぞくぞくした、と語っているし、ネルの方も、チキン・リトルが溺死したとき、その場面に快感を覚えたことを、エヴァに指摘されて思い出す。

それを好奇心と、解説では片付けていた。だが、それを好奇心とだけで片付けていいのだろうか。
あるいは、二人とも、悪徳に惹かれるという概念を共有しており、互いが似たような人間であることを嗅ぎ取っていたのかもしれない。そう僕は誤読してしまうのだ。

「尽くしたのは誰か」と最後にネルと会ったとき、スーラは言っていた。
ひょっとしたら、スーラとネルは、その悪徳に惹かれるという互いの感性を共有するうち、互いに尽くしあうという、相補的な関係を築いていったのかも、って気もしなくはない。


だがネルとスーラは、エレーヌに育てられたか、ハナに育てられたかのちがいもあるゆえか、悪徳に対する見方も異なっている。

スーラは結果的にネルの夫を寝取ったわけだが、それはスーラが「わたし」を生きたからにほかならない。
彼女はあくまで自分の悪徳に惹かれるという感性に正直だった。
だからネルが「ほかの人々と同じ行動」を取ったことに、スーラはショックを受けているのだ。
彼女らの悪徳は、必ずすべてが交わるものではないらしい。

だが、それでも二人が、悪徳によって結びついていたという事実は断ち切れることはないのだ。
実際、ネルは無意識のうちに、悪徳を果たすことによって、スーラのことが好きだったことを自ら証明することとなる。

ネルはスーラの葬列に、一人で参列した。
普通の人の感性だと、スーラの葬式に参列しないのが、共同体的には正しい行動だ。
だが彼女は、自分でも自覚のないまま、共同体に反する行動を取った。

それもまた一つの悪徳だ、と僕は思う。
そしてその悪徳において、彼女はスーラとの強いきずなを見出す結果となっている。
二人のきずなは確かに強い。それはまちがいないだろう、と思う。
だがそのきずなは、本当に美しいものだろうかって気もしなくはない。
それはむしろ、しがらみと言ってもいいのではないか。

ネルがラスト、スーラのために流した涙は、本当の気持ちから来たものだろう。
しかし、それはひょっとしたら、ネル自身、気付いていない領域から来た涙かもしれない。


そんな見当違いなことを、僕はうだうだと考えた次第である。

評価:★★★(満点は★★★★★)

『神を見た犬』 ブッツァーティ

2010-02-08 20:57:50 | 小説(海外作家)

とつぜん出現した謎の犬におびえる人々を描く表題作。
老いたる山賊の首領が手下にも見放され、たった一人で戦いを挑む「護送大隊襲撃」……。
モノトーンの哀切きわまりない幻想と恐怖が横溢する、孤高の美の世界22篇。
関口英子 訳
出版社:光文社(光文社古典新訳文庫)



短篇集である以上、短篇の出来にむらがあるのは避けられない。

この本には、イタリアの作家、ディーノ・ブッツァーティの22の短篇が収められている。
どの作品も水準に達していると思うが、まずまず水準、というレベルでとどまっている作品が半分近くある。


しかし、出来のいい作品は本当にすばらしいレベルにまで達しているのだ。

中でも、『コロンブレ』は本作品中の白眉である。
より正確に言うなら、傑作、そう断言しても良い。

内容としては謎の魚コロンブレにつけねらわれる男の話であり、枚数としては十数ページと実に短い。
だがそこで描かれた世界は、本当に深いのだ。

死ぬまでコロンブレにつけねらわれて、逃れることができないという主人公の恐怖心も、つけねらわれているというおびえから来る強迫観念も、凄みがあって読ませるものがあって、なかなかいい。
だが、この作品でもっともすばらしいのは、そんな風にコロンブレの存在におびえ、苦しめられながらも、コロンブレがいる海に惹かれずにはいられないという、男の感情にあるのだ。

それは作中の言葉を借りるなら、「奈落の底をのぞいてみたいという誘惑」に由来するものだろう。
そこには悲壮とも、狂気ともつかない男の姿がうかがえ、読んでいてぞくぞくとしてしまう。
ひょっとしたら男は、つかまれば死んでしまうという絶望の中に、生の実感を見出していたのかもしれない。

だがそんな主人公に待っていたのは、残酷としか言いようのない結末である。
それを読むと、人生というものがわからなくなってしまう。
それはときに苛酷で、皮肉めいていて、無情であるのかもしれない。


表題作の『神を見た犬』も見事だ。

村人たちが犬に対しておびえているのは、自分たちの身勝手な生き方に対して、後ろめたさを覚えているからだろう。
その結果、犬に対して強迫観念を抱き、傍目から見れば、滑稽としか言いようのない行動に出ている。
それは人間の愚かしさの、一つの形とも映る。

そして最後の一文にこめられた痛烈な皮肉には、にやりともさせられるし、苦笑もさせられる。
人間が見ているのは本質ではない。自分の感情というフィルタを通してしか、物事を見ることができていない。
そんなことを少しだけ思ったりした。


そのほかにもいい作品はある。
奈落へと落ちざるをえない状況が恐ろしく、主人公の恐怖心の描き方も見事な『七階』。
滑稽で、ちょっと悲しく、ガンチッロの姿がいくらか哀れな『聖人たち』。
大隊を襲おうとする老いた男の悲壮感あふれる引き際が印象的な『護送大隊襲撃』。
富を得た反動で、自らが追いつめられる姿が不気味で恐ろしげな『呪われた背広』。
典型的な喜劇で、それゆえにおもしろい『一九八〇年の教訓』。
オチの上手さが冴え渡る『マジシャン』など。


物足りない作品も多いが、紛れもない傑作も含んだ短篇集である。
少なくとも、読んで良かったと、すなおに思える本である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

『リンゴの木』 ゴールズワージー

2010-01-05 22:06:22 | 小説(海外作家)

銀婚式の日に妻と英国南西部の田園を車で旅する上流階級出身のアシャーストは、途中ある村に立ち寄る。そこは26年前、彼が村娘ミーガンと恋に落ちた場所だった。当時は駆け落ちまで企てながら、結局身分差を理由に彼女の元から逃げ去ったのだった……。甘い感傷で彼女との思い出に浸る彼は、地元の農民から、かつて自分が行った無慈悲な行為の結末を初めて知らされる……。
ノーベル文学賞作家による名作。
三浦新市 訳
出版社:角川書店(角川文庫)



文庫の裏表紙に書かれたあらすじと、旅先で自殺者のものと思われる墓を見つけるというプロローグを読めば、物語はどんな内容なのかは容易に想像がつく。
そういう意味では、ベタと言うか、古典的な物語である。

それでもそれなりに楽しく読めた理由は、心理描写が細やかだからという点に尽きると思う。


主人公であるアシャーストは、大学出という特権階級ということもあってか、基本的には農民階級を小ばかにして、上から目線で見ている。
その彼なりの思想信条に関して、丁寧な描写がなされているため、彼の価値基準をよく知ることができて、ある意味おもしろい。

そんな彼は若さゆえの勢いから、ミーガンに理想の女性像を見出すこととなる。だが同じ階級の女ステラと出会ったことで、ミーガンから気持ちが離れることに。それに対しアシャーストは、ミーガンとは階級が離れているし、彼女には知性がないから、結婚をしたら、彼女のことを慰みものにしかしないだろう、と言い訳がましく述べている。
そんな彼のあからさまな気持ちを追う筆は丹念で、なかなか読ませるものがある。

そしてその丁寧な心理描写があるからこそ、主人公であるアシャーストの不誠実さが、この上ないほどはっきりと暴かれることとなるのだ。


別に彼がミーガンから心が離れていくこと自体はいいのである。
自分と感性が近い女性の方に、心が惹かれていくというのは、不自然なものではない。
ただその後の対応の悪さが、無性に気になって仕方がなかった。

アシャーストはその場のノリでミーガンと結婚の約束をするけれど、結果的に彼女との約束を破り、彼女の住む村には帰らない。そして心配して街まで追ってきたミーガンを見つけても、アシャーストは彼女と会うことを、いろいろ理由をつけて避けようとする。

それを読んで、いやいや、その対応はどうよ、とどうしても僕は思ってしまうのだ。
そんな風に逃げているだけではなく、もうちょっと上手い対応だってできたはずだ。少なくとも、アシャーストは、一度ミーガンに会って、嘘を交えてもいいから、事情を説明するべきだった、と僕個人は思う。
だがアシャースト自身は、そんなことに思いも及ばなかったらしい。

そして最後は言うにことかいて、「彼の節操は報いられ、恋の女神シィプリアンに復讐されてしまったのだ!」って語る始末だから手に負えない。
その部分を読む限り、アシャーストは自分の不誠実さに最後まで気づかなかったらしい。
のみならず、どうやらミーガンを、愛に狂って自滅した、かわいそうな女としか見なしていないようだ。
アシャーストのナルシスティックな面を、そこから垣間見るようである。あるいはただの偽善者と言った方がいいのかもしれない。

だが、その独善っぷりが読む分には、それなりにおもしろいのも事実である。
そう感じる辺り、僕も相当性格が悪いのかもしれない。


個人の感情はともかくとして、物語自体はそれなりに楽しめるものとなっている。
だが古典的な物語ゆえに、凡庸な面はぬぐえない。佐藤優の解説はおもしろいけれど、僕個人は強いてこの時代に、この作品を読む必要を見出せなかった。
それでも、その心理描写の味わいは悪くない。

人に薦める気になれないが、少なくとも退屈な作品ではないだろう。

評価:★★★(満点は★★★★★)