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私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『可笑しい愛』 ミラン・クンデラ

2009-12-24 21:58:38 | 小説(海外作家)

「あの軽やかさと楽しみは、あのとき私がはじめて自分自身を見出したこと、私の調子、世界と私自身の人生にたいする皮肉な距離、つまりは小説家への道を見出したことを意味していた」(クンデラ)
人間と世界に対する醒めた距離感、ユーモアとアイロニーにみちたクンデラ的な調子。
のちに小説こそみずからの「根源的選択」であり「存在理由」なのだとくりかえし語ることになるクンデラ文学の原点となる唯一の短編集。
西永良成 訳
出版社:集英社(集英社文庫)



本作は短篇集なのだが、これはいいな、と感じる作品もあれば、これはどうもなぁ、と感じるような作品もある。
もっとも、それは短篇集の場合では往々にしてあることだ。いくつも作品が載っている以上、出来の良し悪しはどうしても出てこざるをえない。
問題は、良いと思った作品の印象が、いくらか薄いということにある。

この感想を書くのは、本書を読んでから、ある程度時間が経っている。
そのような状況で、各作品をふり返っているのだけど、すべての作品の印象は淡いものでしかない。

クンデラ作品は、ほかに、『存在の耐えられない軽さ』を読んだことがあるが、そのときも似たようなことを思った。
作品自体は非常にすばらしい。読んだ直後は、いい作品を読んだな、と感じることもできる。
にもかかわらず、読んでしばらくすると、自分の中に、何も残っていないことに気づく。

その理由は、女漁りをくり返す男に(クンデラはそのモチーフを好んで使っている)、さほど興味が持てないことが原因かもしれないし、ある種の押しの弱さがあることが原因かもしれない。
ともあれ、僕にとってクンデラは、実力を認めつつも、好みに合わない作家ということなのかもしれない。


しかしもちろん、作品自体が良いことは事実なのである。
この作品集の中で、もっとも良いと思ったのは、『エドワルドと神』だ。

共産主義という支配体制の中、自分に与えられた役割を演じざるをえないという現状の描き方がすばらしかった。
その結果、校長がエドワルドに迫ってくるという事態になるが、そのシーンはグロテスクで、ちょっとこわくて、おもしろい。
それになかなか落とすことができなかった女が、偶然も重なったおかげで、簡単に手に入ってしまうという部分の描写もすばらしかった、と思う。その後に感じるエドワルドの手応えのなさなど、なかなかリアルだ。

だが本書で、本当にすばらしかったのが、それら二つの要素が、本質的なものを見つけられない、というテーマ性と有機的に結びついていくところにあるのだ。
このリンクのさせ方は絶妙であり、読んでいて思わずうなってしまう。ちょっとシニカルな感じもすばらしい。
クンデラの実力を見せつけるような一品だろう。


そのほかにもいい作品はある。

最低で独善的でエゴ丸出しの男の姿が印象的であり、またそんな男が袋小路にはまっていく部分などはちょっとこわくもある、『だれも笑おうとしない』。
手堅い結婚生活と、恋愛遊戯への渇望とのあわいを描いていておもしろい、『永遠の欲望という黄金の林檎』。
遊びの領域を超えたために、関係が崩壊していく様がちょっとこわい、『ヒッチハイクごっこ』。
支配的にふるまう男性性に対しての復讐なり悪意を見るかのような、ラストの老女の選択が興味を引く、『老いた使者は若い死者に場所を譲れ』。

個人的にバリバリ好みです、とは言いかねるのだが、興味深い作品集というのは確かだろう。

評価:★★★(満点は★★★★★)

『アメリカの鳥』 メアリー・マッカーシー

2009-11-03 20:33:19 | 小説(海外作家)

大ベストセラー『グループ』著者の最高傑作、新訳決定版。
ヨーロッパに渡った米国人青年が自身の内なる反米主義に悩んだり自分流の哲学につまずいたりしながら成長を遂げていく姿を描く。
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集Ⅱ-04
中野恵津子 訳
出版社:河出書房新社



この作品は何を書きたいんだろう、どこに着地したいんだろう、と読みながらずっと思っていた。
実際、ビルドゥングス・ロマンだということはわかるのだけど、プロットに一貫した方向性があるとは言えない。
ただ主人公が毎日を過ごしながら、どうでもいいよ、って言いたくなるようなことで、うんうんと悩んでいるようにしか僕には見えなかった。
そういう点、プロットだけを抜き出せば恐ろしく退屈なのだろう。

だが、僕はこの作品を楽しみながら読めた。
その理由はやはり、主人公が(ついでに言うと彼の母親も)魅力的だからにほかならない。


主人公のピーター・リーヴァイには共感できる部分が多い。
特に、人と簡単に打ち解けようとしないところなどは僕と似ている。

個人的には、フランスの列車で相席になった女性とのエピソードがおもしろかった。
相席になった年配女性たちと、顔を合わせないよう、こそこそと逃げ回っているうちに、自分のバイクを見失ってしまうところなどはちょっと笑える。
そういう風に、相手に合わせきれず、気まずさから相手を避けようとする心情はよく理解できるし、何よりそういう仕様もない失敗を犯してしまう主人公に親近感が湧いてくる。

そのほかにも彼の繊細な心をうかがわせるエピソードが多く、共感できるポイントは多い。


そんなナイーブな主人公は、様々なできごとにぶち当たり、自分なりに考え、童貞らしい青臭い感性で物事に当たっていく。

個人的に目を引いたのは、アメリカ人としてどうふるまうのかという問題だ。
ヨーロッパが舞台ということもあってか、ピーターは祖国アメリカや、アメリカ人を強く意識している。
彼自身はアメリカ人の俗物っぷりを軽蔑しているけれど、彼自身も、軽蔑するアメリカ人と同じ国の人間であるという点は否定できない。

たとえばデモの場面。
彼はそこで不正を見つけ、その不正を非難するけれど、その非難の基準がアメリカの価値観にあるという点が興味深い。
どれだけアメリカを憎んでも、結局彼もアメリカ人でしかないのだろう。
しかし、そんな風にアメリカの良心を体現したかのごとくに、正義感にまかせて行動する姿は爽やかで、読んでいて胸がすくのだ。
またベトナム空爆をめぐる反論のシーンも、彼の正義感と倫理観をうかがわせて心に響く。

だが彼の倫理的な行動のすべてが、必ずしもうまくいくとは限らない。
クロシャールを自分の部屋に入れるところなどは完全に失敗だったし、スモール先生と交わした美術の話を見る限り、彼の価値観には幾許かの傲慢や偏りもないわけではない。

だがそういった不完全さも含めて、ピーター・リーヴァイという人間の魅力なのだろう。


そういうわけで、この作品は主人公の魅力が存分に出ている作品と思った。
だが裏を返せば、主人公のピーターを好きになれない人には退屈だ、ということなのかもしれない。
でも少しでも主人公に親近感を持てたならば、本作は非常に楽しい作品となる。僕はそう感じた次第である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集』作品感想
 Ⅰ-02 マリオ・バルガス=リョサ『楽園への道』
 Ⅰ-05 ミハイル・ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』
 Ⅰ-06 残雪『暗夜』
 Ⅰ-06 バオ・ニン『戦争の悲しみ』
 Ⅰ-11 J・M・クッツェー『鉄の時代』
 Ⅱ-02 フランツ・カフカ『失踪者』
 Ⅱ-02 クリスタ・ヴォルフ『カッサンドラ』

『すべての美しい馬』 コーマック・マッカーシー

2009-10-21 20:40:32 | 小説(海外作家)

1949年。祖父が死に、愛する牧場が人手に渡ることを知った16歳のジョン・グレイディ・コールは、自分の人生を選びとるために親友ロリンズと愛馬とともにメキシコへ越境した。この荒々しい土地でなら、牧場で馬とともに生きていくことができると考えたのだ。途中で年下の少年を一人、道連れに加え、三人は予想だにしない運命の渦中へと踏みこんでいく。
至高の恋と苛烈な暴力を鮮烈に描き出す永遠のアメリカ青春小説の傑作。
黒原敏行 訳
出版社:早川書房(ハヤカワepi文庫)



本作は決して読みやすい作品ではない。
理由はその独特の文体によるところが大きいのだろう。

この小説の文体で特徴的なのは、会話と地の文の区別がないという点が一つ。
そしてもう一つの特徴は、無駄な描写がかなり大胆にそぎ落とされているという点だ。
たとえば、ときどき何の説明もないまま、一気に時間が飛躍したりするし、何の説明も前触れもないまま、物語の流れを変えるような突発事が起こったりする。
そういった説明は後からちゃんとされる。とは言え、慣れないうちは、えっ、つまりどういうことなの?と戸惑うことも多い。

だが慣れてしまうと、逆にその大胆な飛躍や、無駄のなさが楽しく、心地よいとすら感じられるのだ。
それは文体が非常にクールだということが大きいだろう。
淡々と情景を積み重ねているためか、何気ないシーンの中にも詩情が感じられ、胸に響いてならない。
たとえばジョン・グレイディとロリンズが野営するシーンや、野性の馬を馴致するシーン、街の子どもたちと雑談するシーンは、文章の力もあってか、雰囲気も良かったと思う。

そしてそのクールな文体は詩情だけでなく、冷徹さを描くのにも大きな役割を果たしている。
この小説では、グロテスクなシーンが後半になるにつれて、目立つのだが、感情を排除した文章のため、より生々しく感じられる点が目を引いた。
特に刑務所に入ってからの乱闘騒ぎや、銃創を治療するときの描写は本当にすさまじかった。
いくつかの場面では、読みながら、顔をしかめてしまうほどで、文章から痛みが伝わってくるかのようだった。

好き嫌いはわかれそうだが、この文体は小説においては、大きな要素となっているだろう。


文章のことばかり書いたが、物語の方もかなりおもしろい。

主人公のジョン・グレイディは言ってしまえば、家出をしたようなものである。その旅の途中、ブレヴィンスという少年と旅の道連れになるのだが、その少年が原因で、犯罪に巻き込まれることになる。
その過程が単純にエンタテイメントとしておもしろい。
暴力的な要素もあってか、緊迫感が小説中には漂っており、ワクワクしながら読み進めることができる。

犯罪以外のエピソードも充分おもしろい。
牧場で知り合ったアレハンドラとの恋愛なんかは、読んでいてもドキドキさせられるし、メキシコの歴史と絡めて物語を進めるところは、知的好奇心を刺激される。


と基本的には満足なのだが、あえて難を言うなら、結局何が言いたかったのか、よくわからなかったことだろう。
本作は内容的に言うなら、主人公の通過儀礼的な意味合いがあると思うし、この理不尽な世界を、主人公は生きていかなければいけない、という事実も示されている、と思う。
だが小説の着地点がいまひとつ、はっきりとしていないため、ラストは弱かったような気がする。
けれど、それもささいな瑕疵でしかない。

特徴的な文体が美しく、プロットも優れていて、個人的には結構満足している。
気楽に読める類の作品ではないが、僕はこの作品が好きである。

評価:★★★★(満点は★★★★★)


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『怪談・奇談』 ラフカディオ・ハーン

2009-09-14 22:39:15 | 小説(海外作家)

その魂の底に清らかな情熱をたたえた庶民詩人は、日本の珍書奇籍をあさって、久しく塵にまみれていた陰惨な幽霊物語に新しい生命を注入した。
壇の浦の合戦というロマンティックな歴史的悲劇を背景に、盲目の一琵琶法師のいたましいエピソードを浮き彫りにした絶品「耳なし芳一のはなし」等芸術味豊かな42篇。
田中三千稔 訳
出版社:角川書店(角川文庫)



この作品を読んでいるとき、僕が思い浮かべたのは、怨霊信仰という言葉だ。
よその国は知らないけれど、むかしの日本人は無実の罪で死を遂げた人物を畏れる気持ちがずいぶんと強いように見える。
それは中国から渡来した怨霊信仰が、日本的に発展したものだ、って感じのことを、井沢元彦は言っていた。
でもそれがここまで長く続いたってことは、違う見方をするなら、むかしの日本人はそれだけ、人が何を思い死んでいったのかということを気にかけていたのだ、と(むっちゃ主観だけど)思うのだ。
そういう意味、むかしの人は、人間の思いというものを大事と見ていたのかもしれない。


ここにはラフカディオ・ハーンこと小泉八雲の、『怪談』を始めとした主要な作品が収められている。
基本的に幽霊や霊魂がらみの作品が多いのだが、大抵の幽霊や霊魂は生前にできなかったことを気にかけたり、生前に果たされなかった約束を守ってくれるかどうか、案じている場合が多い。
生霊にしたって、自分の思いを遂げるために、化けて出たりする。

たとえば『葬られた秘密』では、たった一つの手紙を破棄できなかったことを気にかけ、幽霊となって現れるし、『十六ざくら』では、桜が咲くことを強く願いながら腹を切ることで、死にかけた桜に自分の魂を乗り移らせている。
『おしどり』では、夫を思う気持ちから妻が生霊になって、夫を殺した男の夢枕に現われている。
そのほかにも、死者の妄念や執念から、幽霊が現れるパターンが多い。

そういった作品の要素は、どこかむかしの人の精神性を示唆しているようで興味深い。
古くから語られている作品を翻案しているだけのように見えるが、そこから日本という国が透けて見える。
そしてそのような仕事を成しえたのが、日本人ではなく、外国人であったという点も興味深い。
あるいは外部の人間だったからこそ、そういった日本人の価値観がうかがえるような作品を残せたのかもしれないのだけど。


物語として見ても、いろんな作品があって楽しめるつくりだ。
『耳なし芳一のはなし』『むじな』『雪おんな』のように有名な話から、知らない話まで種類もいろいろある。

基本的に、古典的な物語のテンプレに沿って進む話が多いのだけど、どの作品も短いゆえに切れがある。
たとえば、『約束』という作品。
これは『雨月物語』にも収録されている『菊花の約』が元ネタっぽいのだが、お話がずいぶん簡略化されているので、物語にダイナミズムが生まれているように見えて楽しめる。

また怪談を中心に集めているため、すごくとまではいかないが、そこはかとなくこわい作品が多いのも、一つの特徴だ。
『鳥取の蒲団のはなし』の幼い兄弟の会話はちょっとした恐ろしさがあるし、『因果ばなし』や『破約』の嫉妬の激しさも、ひどい話であるだけにこわい。


個人的には『いつもあること』が気に入っている。
どう見てもそこで起きているのは異常なことなのに、それを定常状態と受け入れているところがおもしろい。
ある意味マジックリアリズムに通じるって言ったら誉めすぎか。

また『果心居士のはなし』は、人を煙に巻いて、ほくそえんでいるような果心居士の姿がおもしろい。
『梅津忠兵衛のはなし』では、梅津忠兵衛の律儀っぷりが良かった。
「妖魔が恐ろしいために親切にしてやりたい気持を抑えてしまうのは男らしくないと思った」っていうところを読んで、いいやつだよな、とほとほと感心。
ほかにも上で触れた作品以外で言うなら、『お貞のはなし』『幽霊滝の伝説』『生霊』『おかめのはなし』『蝿のはなし』『鏡の乙女』が楽しめた。


いろいろ書いたが、総じて言うなら、怪談や民話めいた話を通して、古き良き日本の姿をよく伝えてくれる、興味深い作品集ということである。
個人的には結構好きだ。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『体の贈り物』 レベッカ・ブラウン

2009-07-16 21:06:18 | 小説(海外作家)

食べること、歩くこと、泣けること…重い病に侵され、日常生活のささやかながら、大切なことさえ困難になってゆくリック、エド、コニー、カーロスら。私はホームケア・ワーカーとして、彼らの身のまわりを世話している。死は逃れようもなく、目前に迫る。
失われるものと、それと引き換えのようにして残される、かけがえのない十一の贈り物。熱い共感と静謐な感動を呼ぶ連作小説。
柴田元幸 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)



訳者があとがきでも書いているように、本書は要約だけを抜き出せば、陳腐な物語に見えかねない。
「エイズ患者を世話するホームケア・ワーカーを語り手として、彼女と患者たちとの交流をめぐる、生と死の、喜びと悲しみの、希望と絶望の物語」と聞けば、確かに安っぽいお涙頂戴ものに見えるだろう。

だけど、本作は決して安っぽい話には陥っていない。
その理由はいくつもあるけど、語り手である「私」の叙述によるところが大きいと、僕は思う。


「私」は患者のケアをしているが、その語りは患者にべったり寄り添っているわけではない。
患者の様子を見て、主人公なりに苦しんでいるときでも、自分の苦悩を、切々と訴えるわけではない。
また患者の苦しみや悲しみを描いていても、その様を読み手の感情を煽るように描いているわけでもない。かと言って、突き放すようでもなく、あくまで適度な距離をもって、患者の様子を表現している。
それは『家庭の医学』でも見られた特長であり、それが本書の良さを高めている。

その描写はリアルで、ディテールは実に丁寧だ。
そのため、患者の姿を描きながら、患者と、患者をケアする「私」の苦しみや悲しみまでもが、その中から浮かび上がってきている。その辺りの技巧はさすがの一語だ。


そしてその静かな語りがあるからこそ、「私」の携わる仕事の重さがはっきりと見えてくるのだ。

「私」が向き合うエイズ患者はそう遠くないうちに死ぬことがわかっている。
それだけに、「私」は真摯に思いやりをもって接している。
実際、彼女の対応は実に丁寧で、非常に繊細である。
患者がどのようなことを考え、その心情を考えるなど、気遣いを決して忘れない。
だが、彼女がどれだけ思いやりを持っていても、死を前にした患者と同じ立ち位置に立てるわけではない。

『涙の贈り物』がわかりやすい例だ。
その中で、エドという患者は、エイズ患者を受け入れるホスピスに行くことを拒否する。それは、エイズという自分の病気を受け入れたくないがゆえの行動だ。
そういう自分の現在の状況にいらだち、エドは「君にはわからないよ、どんな気持ちがするか」と「私」に向かって言うことになる。それに対し「私」は「うん、わかんない。ごめんなさい」としか返すことができない。

どれだけ心を尽くしても、死期が近い者と、健康な者との間には、決して埋めようのない距離がある。
エドの言葉は、その事実を突きつけているようで、すこぶる重くつらい。


また、「私」は患者と同じ立ち位置に立てないだけでない。そもそも、「私」には、基本的に何もできることはないのである。
「私」ができるのは、あくまでサポートのみ、それ以上のことはほとんどできない。

たとえば、『飢えの贈り物』の中で、食事をとることが難しくなってきたコニーの食事を手伝うシーンがある。
そのときの「私」は食事のサポートをしている。だが、「私」がサポートをすることで、コニーが食事ができると限らないのだ。
どれだけサポートをしても、コニーの胃は食事を受け付けず、戻してしまうこともある。
最終的に「私」にできるのは、「吐かないで」と祈ることくらいしかできない。
そしてその祈りは、必ずしも届くとは限らないのである。その事実の重さは本当に苦い。


そしてサポートをする過程で、「私」は何人もの患者の死を、実際に見ることになる。
多くの死を見ているだけあり、患者の死に対する対処法を、主人公は主人公なりには知っている。
だがどんなに、患者の死に対する覚悟はできていても、「でもときには、そうしたくてもできない」こともあるのだ。
それだけに、「そういう場合、彼らがいなくなったときは、とても辛い」という一文が胸に迫ってならない。

こういうとき、人は心が折れてしまっても仕方ないだろう。「私」は実際、離職を考えるが、それは自然なことだ。
そんな中、これから死に行く立場のマーガレットが、主人公に向かって、「もう一度希望を持ってちょうだい」というシーンがある。
「私」の状況は希望を持てるような代物ではないだろう。だがそれでも希望を持たなければいけない場面もある。
何より贈り物というタイトルが示しているように、そのような自分の心に悲しみをもたらしたものですら、自分にとっては大きな財産になりうるのだ。
それこそが希望なのかもしれないな、と読んでいて何となく感じられた。


連作短編ということもあり、少し散漫な部分もあるが、少しの感動と、哀しさにあふれた佳品であることは確かだ。
本作は、レベッカ・ブラウンの実力を改めて知らしめる一品と言えるだろう。

評価:★★★★(満点は★★★★★)


そのほかのレベッカ・ブラウン作品感想
 『家庭の医学』

『星の王子さま』 サン=テグジュペリ

2009-06-20 21:56:29 | 小説(海外作家)

砂漠に飛行機で不時着した「僕」が出会った男の子。それは、小さな小さな自分の星を後にして、いくつもの星をめぐってから七番目の星・地球にたどり着いた王子さまだった…。
一度読んだら必ず宝物にしたくなる、この宝石のような物語は、刊行後六十年以上たった今も、世界中でみんなの心をつかんで離さない。最も愛らしく毅然とした王子さまを、優しい日本語でよみがえらせた、新訳。
河野万里子 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)



『星の王子さま』は十代のときに、内藤濯訳で読んだことがある。
だからこの作品がすばらしいのは知っていたのだけど、河野訳で再読してみて、こんなにも心をゆさぶられるとは正直思ってもいなかった。

そんな風に心を動かされたのは、年齢のせいもあろうが、訳の違いも大きいだろう。
実際、内藤訳に比べると、こちらの河野訳の方が、雰囲気がやわらかく、全体的に若々しい。
一文の長さが短いためか、文章のリズムが小気味良く、おかげで語り部である「僕」はどこか意志的な若者であるという印象を受けるし、「僕」や「キツネ」やそのほか登場人物たちの年齢も、話し言葉の影響もあってか、内藤訳よりも若いように感じられる。何よりどの登場人物も女性の訳のためか、優しげだ。
そういった要素が上述の印象を生んだのだろう。

そんな文章がもたらす効果は、この物語のテーマに非常にマッチしていると感じられた。
そのテーマとは、一言で片付けるならば、愛なのである。


この物語の登場人物は、何か、あるいは誰かに対して愛情を抱いている場合が多い。
端的なものとしては、王子さまと花の関係があげられるだろう。
王子さまは花を大事に扱っていたのだが、わがままな花の態度に疲れて、星を出てしまう。だが花の元を離れても、王子さまにとって、その花は何者にも変えがたい大事な存在であることは変わりない。
「トゲなんて、なんの役にも立たない」と「僕」に言われた後の王子さまの言葉はそれだけにまっすぐ響く。
そこからは王子さまの愛情が伝わってきて、胸を打つのだ。


その花のシーンでもそうだが、本作は、何かを、あるいは誰かを愛した瞬間、世界が大きく変わるというシンプルな事実を静かに教えてくれる。
キツネが語っていたように、誰かのために費やした時間が、その世界を美しくするのだ。
それは自分以外のもののために行動する、ガス灯の点灯人のような人にしか気づき得ない世界だろう。
自分の時間を費やしたいと思う相手がいるから、星々が美しく見えてくる。
そしてその感情が、自分を潤してくれる。井戸があることを知っているから、砂漠も美しく見える、という言葉があるが、それはひとつの重要なメタファーなのだろう。
それらの言葉に示される事実はシンプルだけど、実に深い真理だ。


個人的には、砂漠で眠ってしまった王子さまを抱き上げて、「僕」が井戸を探すシーンが好きだ。
そのシーンで「僕」は、花に対して抱いている王子さまの愛情について思いを馳せている。
そして、同時にそこからは、王子さまを大事に扱い、慈しみ大切に扱おうとする「僕」の愛情もうかがえるのだ。その「僕」の優しさが、心に響いてならない。
何より優しさだけでなく、そこからは愛情に伴う悲しみすらも感じられ、少し切ないのが印象的だ。


本作は非常に短く、2時間くらいあれば、読破できる。だが短くとも、読み手の心をつかんで離さない。
シンプルな問題を、易しい言葉で語り起こし、読み手の感情を力強く揺さぶる。
本作は紛れもない傑作だ。再読してその事実を強く再認識した次第だ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

『月と六ペンス』 サマセット・モーム

2009-06-08 21:13:53 | 小説(海外作家)

新進作家の「私」は、知り合いのストリックランド夫人が催した晩餐会で株式仲買人をしている彼女の夫を紹介される。特別な印象のない人物だったが、ある日突然、女とパリへ出奔したという噂を聞く。夫人の依頼により、海を渡って彼を見つけ出しはしたのだが……。
土屋政雄 訳
出版社:光文社(光文社古典新訳文庫)


本作、『月と六ペンス』はゴーギャンをモデルにした人物が主人公の小説だ。
であるはずなのに、僕の印象にもっとも残ったのは、主役であくの強いストリックランドではなく、誰がどう見ても脇役のストルーブなのである。

このストルーブという人は、悪い意味でだが、いい人だ。
彼は、ストリックランドの才能を誰よりも早く見抜き、彼を支援する善人である。妻に対しても愛情をもって接しており、そこからは優しい家庭人の姿がうかがえるだろう。
優しさが度を越して、卑屈にすら見えてくるところもあるが、愛すべき小人物であることは事実だ。

だが、そんな彼の卑屈な態度が、ストリックランドに妻を奪われるという結果を生んでいる。しかも情けないことに、妻を寝取られながら、彼は自分を裏切った妻を憎むこともできない。
そのため彼の行動のすべては、どうももどかしく見える。その姿はどこか愚かしく、滑稽で、悲しい。

ストルーブという人物の悲劇は、独善的で、身勝手な個人主義者という、自分と正反対のストリックランドの才能を認め、賞賛し、ひざを折ってしまったことにあるのではないだろうか。
ストルーブはひょっとしたらストリックランドを憎んでいたのかもしれない。だが、同時に彼の才能に惹かれずにはいられなかったのかもしれないなと思う。
多分、彼の場合、ストリックランドと出会ったこと自体が悲劇なのだろう。

そう考えると、人間の運命というものは相当、不可思議だ。ストリックランドを見ているとそう思わずにいられない。


もちろん主役のストリックランドにも強烈な個性を感じる。
彼はあらゆる価値観や、愛情をニヒルに笑い飛ばす、いくらか謎めいた人物だ。内面が描かれないこともあり、彼の行動基準はほとんどわからない。
だが彼の中には、絵に対するあくなき欲求があるのだろう。そうでなければ、家族を捨て、金もない状況で、絵だけに専念しようとは思うまい。

そんな彼が最終的に納得できる絵をかけたのは、死の直前だ。
クートラ医師が見た絵は、彼の全精力が注ぎ込まれた大作だと思う。ストリックランドもその絵に対して満足していたらしいことはうかがわれる。
だが彼はその作品を自分の死後、焼き払うことを要求する。
そこに身勝手な個人主義者の彼らしい個性が見出せて、興味深い。

絵を描くことは、彼にとって、あくまで自己満足の領域だったのかもしれないなとそういう場面を読むと思えてくる。誰かに理解されることは、あくまで二義的なものでしかなかったのだ。
そういう意味、傑作を残せたことは、彼にとって幸せだったのかもしれない。
たとえ他人からはむちゃくちゃやっているとしか見えず、他人を愛することができない自分勝手な人間としか見えなくても、彼は少なくとも幸福だった。

人間の価値観っていうものは、主観の領域なのだなと、そういう場面を見ると、つくづく思ってしまう。人間ってやつは本当によくわからない。


本作は、ストーリー自体も起伏に富んでいて大変おもしろい作品である。
上で触れたように、人間存在の不可思議さや、価値感についても考えずにはいられない。
学生のころ読んだときはさほど楽しめなかったが、今回は楽しく読めた。再読して初めてわかったが、本作は実にいい作品である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『海を見たことがなかった少年 モンドほか子供たちの物語』 J・M・G・ル・クレジオ

2009-05-07 21:33:04 | 小説(海外作家)

「どこから来たのか、誰にも言えなかったに違いない」モンドは、「両膝を抱えて砂浜に腰をおろし、陽がのぼるのを眺める」のが好きだった。コートダジュールのさざ波もまばゆい南仏ニースの海辺、そして憧れの異国はひなびた町にこだまする子供たちの遊び声が今にも聞こえてくるようだ。ありふれた子供たちの風景から、神話的な雰囲気すら醸し出す素敵な物語が八話。珠玉の短篇集がついに文庫化。
豊崎光一/佐藤領時 訳
出版社:集英社(集英社文庫)


最初に結論を書いてしまうが、この短篇集ははっきり言って、つまらない。
理由は、シーンの描写に力点が置かれすぎるあまり、物語性が乏しいからだ。

だが、情景の描写に力点を置いているだけのことはあり、どれも美しいイメージが漂っているのは事実である。それはさながら散文詩のような味わいすら感じられる。

たとえば表題作の「海を見たことがなかった少年」はどうだろう。
そこでは少年たちが、海を目指したダニエルを追想しているというスタイルで物語が展開している。話だけみれば、退屈そのものだ。
だが一つ一つのシーンの描写は実に際立っているのである。
ダニエルが逃亡して海を目指すシーンの昂揚感とか、海を初めて見るシーンの「何ひとつ大きな声では言えなかった」という言葉に秘められた少年の興奮などは、丁寧な言葉でつづられていることもあり、読んでいるこちらまで、登場人物と同じように胸が高鳴った。
また、ダニエルが波をかぶるシーンや、蛸と戯れるシーンののどかさと美しさ。大波から逃げ走るシーンの心の昂ぶりなどに、一読忘れがたい美しさと繊細さがある。これらのイメージ描写は本当に見事だと思う。

また描写の方法が、作品全体のトーンに影響を与えている点も注目に値する。
たとえば、個人的に本書で一番好きな作品だった、「リュラビー」。
この作品では、基本的に具体的なことはほとんど語られていない。だが主人公のリュラビーという少女が厄介な問題を抱えているということはぼんやりだが、仄めかされていく。
そういうこともあってか、リュラビーが海の近くにいる情景や、風に紙を投げるシーンはどこか麗しく見えてならないのだ。
そこからは、自由と、開放感と、清々しさが感じられ、読んでいるこちらまで気持ちいい気分になることができる。
そこにあるのは、環境の呪縛から一時とは言え逃れたリュラビーの姿だ。そんな少女のイメージの爽やかさを描くトーンは繊細で、一読忘れがたいものがある。

ほかにも、自由な生き方をする少年のイメージと、小説中の視線の柔らかさが印象深い「モンド」。
ラストの幸福とは限らない描写が印象的な「アザラン」。
互いに言葉を発してないのに、互い同士が密接に結びついているという関係性がおもしろかった「牧童たち」。
などに光るものがあった。

基本的に、この作品集には好きなタイプの話はそろっていない。だが、この美しい世界観は心に残るし、評価できると僕は思った。

評価:★★(満点は★★★★★)

『カッサンドラ』 クリスタ・ヴォルフ

2009-04-13 19:42:42 | 小説(海外作家)

この物語を語りながら、わたしは死へと赴いてゆく。自国の滅亡を予見した王女カッサンドラは、だれからも予言を聞き入れられぬまま、歴史を見守ってゆく。自らの死を前にして女性の側から語り直されるトロイア滅亡の経緯。アキレウス、アガメムノン、アイネイアス、パリスら、ギリシャ神話に取材して展開される壮大な物語。
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅱ-02
中込啓子 訳
出版社:河出書房新社


主人公カッサンドラの一人称で語られる本作は、いわゆる意識の流れが用いられている。そのため時系列がぐちゃぐちゃにいじられていて、何が何やらわからない部分も多い。
アホな僕のような読み手に、極端に集中力を求める、優しくない小説だ。正直読んでいて、何度いらっとしたかわからない。

だがしばらく読み進めれば、叙述スタイルに慣れることができる。最後まで読めば、いろいろなことを考えることができ、何かと示唆に富む。ところどころのシーンでは、感情をゆさぶられるし、ラストに向かうにつれて、テーマ性が鮮明になる辺りも構成としては憎い。
好き嫌いが分かれそうだが、最後までがんばればいいこともあるさ、という典型のような作品だ。


主人公のカッサンドラはトロイア戦争に登場する人物の一人で、アポロンから予言の能力を授けられたが、アポロンの愛を拒んだため、その予言を誰にも信じられないようにされた女性だ。
確かに本書でも、いくらか神がかり的なシーンはあるし、予言能力があることをうかがわせるシーンはある。
けれど僕は、カッサンドラという女性を、予言ではなく、真理を語り、真理を追う者として描かれているものと受け取った。

実際、彼女は「真実を真実と言い、真実でないものをまちがっていると言う」ために、様々なアクションを起こす。
みんなが触れたがらないのに、捨て子だった弟パリスの来歴を調べるため、アリスベの元に向かうし、戦争を終わらせるため、トロイアにはすでにヘレネーはいないことを公表するよう進言する。

この小説には彼女と同じように真理を知る者は多く登場する。恐怖心もあって斜に構えて皮肉をかましているだけのパントオスもそうだし、政治のために真理を黙殺するエウメロスもそうだ、と思う。
その中で、カッサンドラは意見を言える立場ということもあってか、アクティヴで、いくらか誠実だ。

彼女の誠実さは平和主義と、人権意識から来るのではないかと僕には見える。
それは人間を信頼しているアンキセスの影響もあるかもしれないが、やはり、けだものアキレウスの存在が大きいだろう。アキレウスは彼女の目の前で弟トロイロスを殺すし、自らの勝利のため、手段を選ばず悪逆非道を尽くす男だ。
そのためもあり、「助かるだけの目的で、アキレウスのようになってはいけない」と彼女は主張をする。
それを言い換えるなら、人間として貫くべき倫理はあるはずだといったところだろう。

実際ポリュクセネのシーンで、カッサンドラは、全体のために個の人間を利用するような、権謀術数主義に反発を試みている。
たとえ「首尾よくいった者が、結局は正しい」ように見えても、彼女はそんな個人の尊厳を無視する行動にノーを訴え続ける。パリスのような全体に対する迎合するのではなく、自分の倫理観を信じ、大切な真理を貫こうとしているのだ。

だが当然、そんな一個人の声が全体に届くわけがない。「自らを信じ」る盲目な集団の、根拠のない熱狂に対して、彼女一人の声などあまりに弱いものでしかないのだ。
それでも彼女は折れようとしない。個や平和を押しつぶしかねないヒロイズムを忌避し、そのために死をも覚悟することを厭わないのだ。
そんなカッサンドラの誠実さは麗しく、人間として貫く一面について考えさせられる面が多かった。


僕はヴォルフの人生や、冷戦下の東ドイツのことを何一つ考慮せずに読んだのだが、解説を読んでからふり返ると、さらに興味深い部分も多く見つけられる。
必ずしも好みではないし、読んでいる最中、幾度か苛立ったが、トータルで見れば納得の一品だ。

評価:★★★★(満点は★★★★★)


同時収録: フランツ・カフカ『失踪者』

そのほかの『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集』作品感想
 Ⅰ-02 マリオ・バルガス=リョサ『楽園への道』
 Ⅰ-05 ミハイル・ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』
 Ⅰ-06 残雪『暗夜』
 Ⅰ-06 バオ・ニン『戦争の悲しみ』
 Ⅰ-11 J・M・クッツェー『鉄の時代』
 Ⅱ-02 フランツ・カフカ『失踪者』

『失踪者』 フランツ・カフカ

2009-04-09 13:44:47 | 小説(海外作家)

17歳の青年は、新天地アメリカで何を見たのか。故郷プラハを追われた青年は、剣をもつ自由の女神に迎えられ、ニューヨーク港に到着する。しかし、大立者の伯父からも放逐され、社会の底辺へとさまよいだす。
従来『アメリカ』という題名で知られたカフカ3大長編の一作を、著者の草稿版に基づき翻訳した決定版。
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅱ-02
池内紀 訳
出版社:河出書房新社


解説で池内紀も触れているが、17歳というのは子どもと言うには大きすぎるし、大人というには未熟な移行期だ。
だがそれゆえに、この時期の(少なくとも)男子は、たとえひねていても、大人にはないまっすぐな部分がどこかにある。

主人公のカール・ロスマンも充分にまっすぐな部分があって、それが読んでいて好ましく映る。
たとえば冒頭の火夫の章などは、そんなまっすぐさが出ているのではないだろうか。
「正義が問題なんです」と言うセリフなんかは特にまっすぐさが際立っている。一度は言ってみたいよなって思うような言葉で、その青臭い若造らしさが僕は好きだ。

だがそんなまっすぐで未熟な青年が生きるには、カフカの世界は結構厄介なのである。
たとえばアメリカで出会った伯父は原理を重んじないという厳しすぎる理由でカールを捨てるし、ホテル・オクシデンタルではボーイ長からは冷たくクビにされ、門衛主任からは勘違いによる理由で不当な扱いを受ける。それにドラマルシュやロビンソンのような小悪党からはとことんつきまとわれる始末だ。
調理主任やテレーゼみたに優しい人物もいるけれど、基本的にカールは呪われているんじゃないの?っていうくらいに、運命に翻弄されている。もっともカールにまったく責任がないわけではないけれど。

そんなカールの運命の変遷は物語としては荒っぽいくらいに、むちゃくちゃで、何で、そうなるのって、問い返したくなる部分が多い。
そのストーリーのわけのわからなさが学生時代、本書(『アメリカ』のタイトルの方)を挫折するきっかけになったのだが、そのむちゃくちゃさが今回読んでみたら、おもしろいとまではいかないまでも、くせになるからふしぎなものだ。
その不条理な世界の中にいながら、それでもまっすぐなカールの姿が印象的である。

基本的にカフカは『変身』と『城』を読んでおけば充分だと思うし、そちらの方がおもしろいが、これはこれで悪くない。絶賛はできないが、それなりの作品だと僕は思う。

評価:★★★(満点は★★★★★)


同時収録: クリスタ・ヴォルフ『カッサンドラ』

そのほかの『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集』作品感想
 Ⅰ-02 マリオ・バルガス=リョサ『楽園への道』
 Ⅰ-05 ミハイル・ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』
 Ⅰ-06 残雪『暗夜』
 Ⅰ-06 バオ・ニン『戦争の悲しみ』
 Ⅰ-11 J・M・クッツェー『鉄の時代』
 Ⅱ-02 クリスタ・ヴォルフ『カッサンドラ』

『ぼくと1ルピーの神様』 ヴィカス・スワラップ

2009-04-01 19:00:09 | 小説(海外作家)

クイズ番組でみごと全問正解し、史上最高額の賞金を勝ちとった少年ラム。警察は、孤児で教養のない少年が難問に答えられるはずがないと、不正の容疑で逮捕する。しかし奇蹟には理由があった―殺人、強奪、幼児虐待…インドの貧しい生活のなかで、少年が死と隣あわせで目にしてきたもの。それは、偶然にもクイズの答えであり、他に選びようのなかった、たった一つの人生の答えだった。
話題の映画『スラムドッグ$ミリオネア』原作、待望の文庫化。
子安亜弥 訳
出版社:ランダムハウス講談社(ランダムハウス講談社文庫)


いかにも物語らしい物語、というのが読み終えた後の印象だ。
それは主人公の一生があまりにドラマチックだからということに尽きるだろう。
クイズ番組で最高賞金を獲得した後、不正を疑われて逮捕されるという冒頭のエピソードに限らず、主人公のラム・ムハンマド・トーマスは次々と災厄に見舞われる。
しかもそのエピソードの一つ一つがあまりに劇的であり、波乱万丈そのもの。加えてそんなにきれいに物事は進むものなの?っていうくらいに、伏線が鮮やかに回収されていく。それはきれいすぎるくらいで、あまりにつくりものめいたものに見えてならない。

しかしそれらを理由として、この作品に対してネガティブな印象を持つことはなかった。
それは単純に、その劇的さも含めて、この作品がおもしろいからにほかならないのだ。そして小説においては、その、おもしろい、という一点こそがもっとも重要なことだろう。

そして本書は楽しめるだけでなく、主人公の一生を通し、インドの暗部をも照らし出している。その点も僕は良かったと思う。
この作品では、スラムなどの貧困の問題や、少年を性的対象として扱う行為、シャンカール(なかなか悲しいエピソードだ)を始めとする幼児虐待の問題、イスラム教徒という理由でヒンドゥー教徒に殺害されたサリムの家族の話のような宗教対立の側面、同じデリーの大学生とタージマハルで観光ガイドをするラムとの間にあるインド内における格差の問題、などが、エピソードを通して語られていく。
ラムが『さいごの妻』という悲劇映画を見て、そんなものは通りをはさんだ向かいの家で見ることができると考えるシーンがあるが、それだけ、悲惨なできごとというものは、ありふれたものとして、周囲に存在しているのだろう。

だが、多くの人間は、周囲に悲惨なことが存在し、近くの他人に悲惨なことが起きても、基本的に無関心である。その点が、個人的に目を引く。
それは多分貧困が重なり、他人にまで気を向ける余裕がないこともあるのだろう。身分不相応な夢を願えば、必ずしっぺ返しを受けるような社会構造も、そのような無関心を生み出しているのかもしれないな、などと思ってしまう。
それらの状況のどうにようもなさは、読んでいて切ない気分にさせられる。

だがそのような社会的な問題をあぶりだしながら、この作品は決して暗いものにはなってはいない。
それは主人公のラムの心情に依るところが大きいのだろう。
貧乏であることはラムに対して苛酷な人生を強いているし、それに対してラムなりに悔しさや悲しさなりを抱いている。
だがそれにより、彼は生き方も心情も沈み込もうとはしていないのだ。ラムはラムなりに、人生をたくみに生きて、サリムやグディアやシャンカールやニータらのために行動する。
そんな彼の姿からは、前に進んでいるという確かな手応えが感じられて、非常に好ましい。

おもしろくも考えさせられる面の多い、優れたエンタテイメント作品と言っていいだろう。満足の一品だ。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『日はまた昇る』 ヘミングウェイ

2009-03-09 21:12:58 | 小説(海外作家)

禁酒法時代のアメリカを去り、男たちはパリで“きょうだけ”を生きていた――。戦傷で性行為不能となったジェイクは、新進作家たちや奔放な女友だちのブレットとともに灼熱のスペインへと繰り出す。祝祭に沸くパンプローナ。濃密な情熱と血のにおいに包まれて、男たちと女は虚無感に抗いながら、新たな享楽を求めつづける……。
若き日の著者が世に示した“自堕落な世代(ロスト・ジェネレーション)”の矜持!
高見浩 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)




小説でなければ表現できないものはいくつもあるけど、文章が生み出す雰囲気もその一つだ。

『日はまた昇る』は、そんな文章の力や描写力の力強さがきわめて目立つ作品である。
そう感じた理由は、文章自体のセンテンスが短く、場面の転換が部分的に早いという点が大きい。
そのため物語の展開速度が非常にスピーディで、テンポよく読み進められる。

そしてその文章力が独特の味わいを生み出しているように思う。
特に、若者の風俗描写が際立っている。

この作品では、当時の若者の生活形態をくわしく描いているが、そこからは若造らしく、どことなく刹那的で享楽な空気が感じられる。文章の即物的な雰囲気が、その印象をさらに強めており、さすがに上手い。
また描写も文章同様、大変鮮やかである。
特に闘牛のシーンなどは、迫力が文面から伝わってくるようだった。


さて肝心の物語の方だが、メインのエピソードは疑いなく、ジェイクとブレットの関係にあるだろう。

本質的に二人が愛し合っているのは明白である。
だけど、ジェイクが不能であるという、致命的な一点のために、二人の間に微妙な距離ができてしまっている。
「あのことだけがすべてじゃない」と言いながら、「結局はいつもそこにもどってきちまう」というやり取りが二人の間にあるが、そんなやり取りから二人の間に、根深く、深刻な距離のあることが感じさせられる。

その距離ゆえに、ブレットは次々と男と関係を持ち、ジェイクはときに嫉妬しながら、その関係を容認する。
そのために、互いがさらに傷つくことになっている点が痛ましい。


本作の最大の悲劇は、二人がその関係に対して、決定的な行動を取ろうとしない点にある、と僕は思えた。

実際、ロメロを捨てる行動力を持つブレットも、ジェイクを切り捨てることができないでいる。
それは二人の間に愛情があるから、ということもあるだろう。
だがそれ以上に、そんなあいまいな関係が、二人にとってもっとも居心地が良いという点が大きいのだ、と僕は思った。

二人の現状はどう見ても悲劇的なものでしかない。しかしその悲劇的な形が、二人にとって一番安定しているのじゃないかと思う。
そしてたぶんそれこそ本当の意味での悲劇ではないかと、個人的には思うがどうだろう。辛らつで、一方的な意見にすぎるだろうか。


ともかくも本書は読ませる力があって、(学生時代に挫折した作品だったが)興味をひきつけられてやまなかった。
『老人と海』や『武器よさらば』のような世界の方が好みなので、高い点はつけないが、これもまた味のある作品である。

評価:★★★(満点は★★★★★)

『楽園への道』 バルガス=リョサ

2009-02-19 20:44:12 | 小説(海外作家)

ラテンアメリカ文学巨匠の待望の新作を本邦初紹介。画家ゴーギャンと、その祖母で革命家のフローラ・トリスタンの激動の生涯を、異なる時空をみごとにつなぎながら編み上げた壮大な物語。
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅰ-02
田村さと子 訳
出版社:河出書房新社



この作品では、後期印象派の画家ゴーギャンと、その祖母で社会活動家のフローラ・トリスタンという、二人の主人公の人生が交互に語られる。


その一方の主人公、怒りんぼ夫人、こと、フローラ・トリスタンが本当にすばらしいのだ。
彼女ほどキュートで、うざくて、はた迷惑で、人間としての活力と魅力に富んだ人はいまい。

フローラは行動的で、情熱に満ちている。
彼女の行動理由は、労働者を、そして女性を、不利な立場から解放しようという、利他的なものだ。
彼女は労働者を(留保をつけながらも)信じ、労働者の側から労働組合をつくるべきだ、と下からの改革を訴え、社会変革を試みようとしている。

そのためなら、教会の人間や、ほかの社会活動家と渡り合うことも辞さない。
論争をしようものなら、もっと違った言い方があるだろうに、という言葉で相手を打ちのめすこともある。男がセクハラまがいの行動でも取ろうものなら、怒りんぼ夫人の名にふさわしく、癇癪を起こして平手打ちをぶちかます。

それらの行動は、基本的に、彼女のまっすぐで、誠実で、徹底された正義感に裏打ちされたものなのだ。

もちろんそこには、夫との不幸な結婚生活や、私生児としての過去という個人的な動機もあろう。
だがそのまっすぐさは悲惨な労働者の現状をこの目で見て、義憤に駆られたことも大きいんだろうな、と素直に思うことができる。
その悲しくなるくらいのまっすぐさが僕の胸に強く響いてならない。
ラストに向かうにつれ、理想を突き詰めて突っ走るフローラの姿が、前面に出てきており、一層感動できる点も良かった。

そしてそんな風に、彼女がひたすら理想を追い求めることができたのは、彼女に魅力があったればこそじゃないか、とも僕は思う。
そうでなければ、誰も彼女を助けたり、ついて行こうと思ったりはしないだろう。
僕は史実をまったく知らない。けれど少なくとも小説内の彼女は、周囲を巻き込むだけのバイタリティにあふれている。
そんなバイタリティと魅力が、彼女に世界を少しだけでも変える力を呼び寄せたのだと思う。

社会活動家以外の側面としては、オリンピアとの関係や、結婚なるものに怒りを覚えながら、男を手玉に取るシーンがおもしろい。
シャブリエ船長があまりにかわいそうだし(男の純情を弄びすぎ)、それはどうよ、と言いたくなるポイントも多い。
だけど、そんな困った部分を見せられても、彼女の魅力が(主観の入りまくった語り口のおかげか)これっぽちも損なわれないのがすごい。
「小説の読者には作中人物を愛する権利がある」と、池澤夏樹が述べているけれど、その言葉の通り、僕は本書を読みながら登場人物であるフローラ・トリスタンを愛することができた。
そう感じることができただけでも、読書としては幸福な体験だろう。

そしてフローラ・トリスタンという女性は、読み手にそれだけのものを訴える、優れたキャラクターなのである。


一方の主人公、ポール・ゴーギャンはの人物像は祖母とはまったくちがう。
性に対する認識はあからさまに異なるし、祖母が嫌った本能による行動に、孫の方は心の底から惹かれている。
だが彼もまた祖母と同じくとことん情熱的な男であることは変わりない。何と言っても、絵のために家庭を捨てる男なのだからだ。

画家として生きようと決意したゴーギャンは、西洋からの脱却を目指して、タヒチで生きていくことになる。文明から抜け出して、本能のまま、原始人のように生きたいと願い、その衝動を芸術という形で昇華するためだ。

それはある意味、西洋人の勝手なエキゾチシズムに見えなくはない。
だがその中には、野蛮人たちを彼なりの価値観の中で尊敬したいという意志が見えてくる。
それは西洋人の傲慢に対する反逆とも言えなくはない。
そういう点、彼もまた祖母と同じく反逆児なのだろう。

そういったゴーギャンなりの価値観もあり、彼は西洋的調和をぶち破るような作品を描くことに成功している。

ところで本書の語り口は独特なのだが、特にゴーギャンの絵を語る際の筆が冴えていると感じた。
特に「われわれはどこから来たのか。われわれは何者か。われわれはどこへ行くのか」についての文章にはうなってしまう。
個人的に感心したのは、中央の人物に関する考察だ。
これを作者は、タアタ・ヴァヒネ(男‐女)だ、と述べているのだが、その考察にはハッとさせられた。
言うなれば、両性具有的存在なわけだが、その異教徒的な視点こそ、西洋的、キリスト教的価値観の破壊と見えておもしろい。

とは言え、ゴーギャンのように何ものかに反逆し続ける人生を送ることが、幸福かどうかは難しいところだ。
意地悪な言い方だが、ゴーギャンは西洋の価値観から逃れるために、永遠の楽園遊びをくりかえしているだけと言えなくはないからだ。

結果的に、自分の生き方を貫いたゴーギャンは孤独のうちに死を迎えた。
それは、敵を多くつくりながらも、愛されて死んだ祖母とはずいぶんと違う死に様だ。

しかし彼なりの価値観でまっすぐ進んだ後には、まぎれもない傑作が残されているのである。
それは本当に皮肉な話だろう。

人生というのは本当にわからない。
そして情熱というものが、どのような結果を産み落とすかわからないものだ。
そんなことを考えてしまう。


ともあれ、読んでいる間は、主人公二人の強烈なキャラクターに圧倒されるばかりだった。
構成としては効果的とは見えないのだけど、強く個性的なキャラのおかげで、読み手をぐいぐいと惹きつける力がある。
まとまりがない上に、長くなったが、魅力とパワーにあふれた優れた一品だということだけは強調しておこう。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)


◎どうでもいい追記

この本の第4章まで読んだところで、僕は図書館に行き、『ゴーギャン 私の中の野性』(創元社)という画集(?)を借りてきた。
画集があるとないとで、この小説の場合、ずいぶんと受ける印象が異なってくる。ネットでも画像自体は落ちているけど、手元でくわしく見ることができたのは大きい。

正直僕にとって、ゴーギャンはかなりどうでもいい画家だったが、本を読み、多くの絵を見て、印象が変わった。小説で取り上げられている以外の作品でもいいのを描いていたのだな、と素直に思うことができる。
個人的には『未開の物語』が好きだ。

またゴーギャンの実際の人生を小説がどう脚色したか確認することができ、楽しかった。僕が読んだ本では、フィンセントとの関係が細かに記されていたので、16章とよく比較できて刺激的である。
画家を描いた作品には、こういう楽しみ方もできるらしい。結構、新鮮な感動があった。


そのほかの『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集』作品感想
 Ⅰ-05 ミハイル・ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』
 Ⅰ-06 残雪『暗夜』
 Ⅰ-06 バオ・ニン『戦争の悲しみ』
 Ⅰ-11 J・M・クッツェー『鉄の時代』

『ティファニーで朝食を』 トルーマン・カポーティ

2009-01-17 18:26:45 | 小説(海外作家)

第二次大戦下のニューヨークで、居並びセレブの求愛をさらりとかわし、社交界を自在に泳ぐ新人女優ホリー・ゴライトリー。気まぐれで可憐、そして天真爛漫な階下の住人に近づきたい、駆け出し小説家の僕の部屋の呼び鈴を、夜更けに鳴らしたのは他ならぬホリーだった…。
表題作ほか、端正な文体と魅力あふれる人物造形で著者の名声を不動のものにした作品集を、清新な新訳でおくる。
村上春樹 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)


龍口直太郎訳で読んだことはあったが、新訳で読んでみて改めて、表題作の主人公、ホリー・ゴライトリーは個性的な人だということを思い知らされる。
夫の元から逃げてきて、男たちに貢がせて生きる彼女は、世間の価値観を、さながら否定するように生きている。性に対して保守的な時代において、あけすけに性や同性愛を語るコケティッシュな彼女は、端から見たら破天荒そのものだ。
そしてその破天荒さこそ、彼女の自由な生き様をまざまざと感じさせてくれて、読んでいても興味深い。

彼女がそのような態度をとるのは、現実とつながることに対する拒否でもあるのだろう。
実際、彼女は嘘の話をするのが好きで、まやかしで自分自身の姿をくらますように生きている。
そうして貧しい過去や、結婚していた時代の自分自身の過去から、言うなれば「いやったらしいアカ」から逃れていたいのだろう。

だが自由であり続けるということは果たして幸福なのだろうか、とこういう作品を読むと思ってしまう。
確かにしがらみやいやな過去はホリーを決して幸福にはしていない。
だが同時に、自分を束縛しない自由もまた彼女を幸福にはしそうに見えないのだ。
ラストの方で、「あの子を、あの子自身から保護してやった方がいいかもしれんぜ」というセリフが登場するが、それはあまりに示唆的だろう。
自由であるがゆえに、彼女自身、自分がこの先、正確に何をどうすればいいのかわかってはいないのではと、僕には見える。
多分、自由というものもまた彼女にとっては一つの「いやったらしいアカ」なのだ。

自分という存在を生きる、ってことはどうにも難しい、とホリーの姿を見ていると思う。
人間ってのは、表面で見えるよりも厄介な生き物なのかもしれない。


併録の短篇も悪くはない。
「花盛りの家」の幸福な雰囲気や、「ダイアモンドのギター」の幾分の苦み、「クリスマスの思い出」の悲しいが美しい余韻に満ちたラストが印象的だ。

個人的にはカポーティは「冷血」が一番いいと思うが、本作もまた、粒揃いでそれなりに楽しめる仕上がりとなっている。

評価:★★★(満点は★★★★★)


そのほかのトルーマン・カポーティ作品感想
 『遠い声 遠い部屋』
 『冷血』

『アンナ・カレーニナ』 トルストイ

2009-01-09 21:30:33 | 小説(海外作家)


青年将校ヴロンスキーと激しい恋に落ちた美貌の人妻アンナ。だが、夫カレーニンに二人の関係を正直に打ち明けてしまう。一方、地主貴族リョーヴィンのプロポーズを断った公爵令嬢キティは、ヴロンスキーに裏切られたことを知り、傷心のまま保養先のドイツに向かう。
激動する19世紀後半のロシア貴族社会の人間模様を描いたトルストイの代表作。
望月哲男 訳
出版社:光文社(光文社古典新訳文庫)


僕は基本的に小説を読んでいるとき、テーマ性を探しながら読んでしまうくせがあるのだが(すべてではないが、難解な小説ほどその傾向が強い)、この『アンナ・カレーニナ』という作品においては、あまりそのような読み方をしなかった。
人それぞれ受け止め方は違うだろうが、僕の場合、『アンナ・カレーニナ』の魅力は、結婚に関する考察のようなテーマや、解説で触れられているような小説の構造ではなく、登場する多彩な人物たちの接触や衝突が生み出す、感情の機微やドラマ性にこそある、と受け取ったからだ。


そのドラマ性を生み出す上で、キャラクター造形が大きな力を果たしていることは言うまでもない。
全4巻ときわめて長く、学生のころ挫折したこの作品を、今回楽しんで読むことができたのは、半分はそのようなキャラクターの力があったからだ、と思っている(あと半分は訳が優れていたからだ)。


特にリョーヴィンの存在が光っている。
このリョーヴィンという人は理想主義者であり、行動主義かつ実利主義者というちょっと変わった人だが、時として偏った意見を語ることもめずらしくない。
以前読んだ21歳くらいのころの僕は、そういう点がムカついてならなかったのだが、しばらく付き合ってみると、これはこれで愛らしい人物だということに気付かされる。

リョーヴィンは、家庭生活に関してはオブロンスキーとは違って堅物であり、自分に自信がないせいか、なかなかキティに告れない。田舎では農業に精を出しているが、青臭さ全開で作男たちと折り合いがつかない。結婚すれば、もっと嫁を信じろよと言いたくなるくらい嫉妬するし、嫁への愛は伝わるものの、視野狭窄だなと感じる面もないわけではない。はっきり言って、彼は欠点まみれだ。
だがそういう未熟で、うぶで、寛容さのないところが、読んでいるとかわいらしく思えてくる。
ゼムストヴォの意見の辺りは、僕には受け入れがたいのだが、それでも彼なりに考え、ゆらぎながらも結論を出そうとしており、誠実である。要は根はいいやつなのだ。
読んでいると、仕様がないな、と思いながら、彼を応援したくなってくる。
そう思わせるキャラクターをつくり上げたトルストイの手腕は見事な限りだ。


それ以外のキャラクターも魅力も欠点も含めて、丁寧に造形されていて、生身の人間のような手応えを感じることができる。

たとえば、もう一方の主人公アンナの造形はどうだろう。
彼女は夫との関係の平坦さに嫌気が差して、情熱に駆られるように不倫の恋に溺れていく。その姿はさながら『ボヴァリー夫人』のようだが、不倫後も社交界に行って無礼な目に合うというエキセントリックな側面や、女として恋に溺れても、母である自分を捨てきれないという部分を作り上げていくことで、ボヴァリー夫人以上の強烈な個性を感じさせてくる。
またその後、せまい社会に追い込まれ、ひたすらヴロンスキーを嫉妬する執念深さは強烈であり、彼女の鬱陶しさも忘れがたいものがあった。

他にも、いかにも娘らしかったキティが、結婚してから彼女なりに強さを発揮していく様も印象に残っている。
特にリョーヴィンの兄、ニコライを看病するエピソードは胸を打つものがある(個人的に一番好きなエピソード)。相手本意に考えるという姿勢に、彼女の人間的魅力のすべてが表れていたと思う。

また、ヴロンスキーの享楽的で情熱性も持ち合わせているが、男として一人立ちしたいという功名心に燃える点もすばらしい。
オブロンスキーの家庭を顧みないという欠点はあるものの、人当たりもよく、細やかな気配りができる点もおもしろく読むことができる。
カレーニンの現実から目をそむけ、体裁を重んじるという弱さを見せつつも、彼なりに妻のことを考えている点は個人的にはツボであった。


そんな多彩な人物群が生み出すドラマ性の豊かさは何よりも魅力的だ。読んでいる最中は浸るように読み進むことができる。

だが統一したテーマ性が見えない、というか見ようとしなかったために、長いわりに、物語の奥底から訴えかけてくるものが少ないという点は否定できない。まあ僕のせいなのだが。
そのため、後々まで残るほどのインパクトはないのだけど、本作が抱え持っている物語の豊かさは一級品であることは確かだろう。
やはり挫折した作品をほったらかしにするのは良くないと、改めて思い知らされた次第である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)


そのほかのレフ・トルストイ作品感想
 『イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ』