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私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

「クィーン」

2007-04-22 19:55:47 | 映画(か行)


2006年度作品。イギリス=フランス=イタリア映画。
1997年8月31日、チャールズ皇太子と離婚したダイアナが自動車事故で死亡する。ダイアナの死に対し、若き首相トニー・ブレアはいち早く対応し存在感を示すが、エリザベス女王はじめ、イギリス王室は何のコメントもせず、民衆の不信感は増していく。
監督は「ヘンダーソン夫人の贈り物」のスティーヴン・フリアーズ。
出演は本作でアカデミー賞主演女優賞を獲得したヘレン・ミレン。「サハラに舞う羽根」のマイケル・シーン ら。


実話風につくられていて、まずその手法に驚かされた。王室内でのやりとりのどこまでが事実かは知らないが、リアリティを感じさせ、なかなか見応えのある作品に仕上がっている。

保守的な王室の中にあって、基本的に女王の意見は筋が通っているように見える。
特に中盤の、母を失った孫を置いて出て行けるか、とか、いまは静かに悲しみに浸っている時間なのだ、といったニュアンスの発言は一人の人間としても、共感できるものがある。それにエディンバラ公の、会ったこともない人間になぜそこまで悲しむことができるのだ、とか、ヒステリックだ、という意見も核心をついていて皮肉を感じさせる。

だがそんな筋を通しても、だれがどう見ても彼らの対応は問題がある。
女王は私人として行動することは許されず、常に公人としての行動が望まれる存在なのだからだ。
王室の人間として、それにふさわしい行動を取り続けようと願いながら、時代の変化によって変わらなければいけないという現実。それに悩む女王の姿が胸に迫る。
特に花束の言葉を読むシーンは秀逸である。女王はなんだかんだ言って、敬意を集めているものの、必ずしもその目に見える敬意だけがすべてではないのだ。そういったときに女王として、どう行動すべきなのか、そういった苦悩がよく感じられる。
自分で車を運転したり、快活そうに見えるけれど、こうやって見ると、女王というのはなんとも生きていくのがつらいものだ、ということを思い知らされる。

そしてそういった女王の苦悩をヘレン・ミレンうまく体現できていたと思う。彼女の演技で映画により真実性を加味できていた。ブレアといい、それぞれの役者もうまく人物を再現できていた。
派手さはないが、なかなかの佳品といったところである

評価:★★★★(満点は★★★★★)


制作者・出演者の関連作品感想:
・マイケル・シーン出演作
 「ブラッド・ダイヤモンド」

「幸福な食卓」

2007-01-29 20:21:31 | 映画(か行)


2006年度作品。日本映画。
瀬尾まいこの同名原作を映画化。家族がそろう朝の食卓、そこで佐和子の父は、父さんをやめると宣言。そんなすこし壊れかけた家庭で暮らす佐和子は学校で、転校生の大浦と出会う。
監督は「奇談 キダン」の小松隆志。
出演は北乃きい。「亡国のイージス」の勝地涼 ら。


原作は未読である。そのため見ている最中、どのような形で物語が着地するか、まったく読めない作品であった。大概の映画は大きなラインがあり、それに沿って物語は展開するものだが、この作品にはそういうものがないからだ。
その手の映画は大体において、ダラダラして物語にたるみがある。
だけど、本作にはそのようなものがなく、2時間きっちりと楽しむことができた。脚本と演出がうまいのだろう。

映画としては家族映画と青春映画の融合といったところである。
青春映画部分である、主人公たち若いカップルの描写は見ていて非常に微笑ましいものがあった。なんと言うか甘酸っぱく、もどかしいような気恥ずかしいような面があって、見ていて楽しく、見守ってあげたい気持ちになった。

一方の家族映画としては若干の重みもはらんでいる。
しかしそこを重くなりすぎるでなく、泣きをあおるわけでもなく、それらを巧みに回避し、手ごたえのあるものをしっかり伝えている。その演出は鮮やかなくらいだ。

ひと言で本作をまとめるなら、人はひとりでは生きていないといったところだろう。映画のセリフではないが、「人は見えないところで守られている」。
物語の表面に目立っては出てこないが、母親も父親も兄もラスト近くの主人公のことを思いやっているのが(書きこみ量は少ないけれど)、よく伝わってくる。それだけに見ているだけで温かい気持ちになれるのだ。

人間関係は近すぎると、むだにがんばってしまい、気を使いすぎてしまう。それによってときには心が追いこまれることがあるかもしれない。
しかしそれでも家族である以上、その一員を思いやるものだ。そしてそんなことを無条件にしてくれるのは家族以外にはありえない。そんなことを思った。
良作であることはまちがいなかろう。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)


制作者・出演者の関連作品感想:
・勝地涼出演作
 「空中庭園」
 「花よりもなほ」

「カンダハール」

2007-01-11 19:10:32 | 映画(か行)


2001年度作品。イラン=フランス映画。
アフガニスタンから亡命していた女性ジャーナリスト、ナファスはアフガニスタンにいる妹から日蝕の日に自殺するという手紙を受け取る。ナファスは妹のもとへ向かうためカンダハールを目指す。
監督はモルセン・マフマルバフ。
出演はニルファー・パズィラ。ハッサン・タンタイ ら。


この作品をストーリー映画と呼んでいいのか疑問だ。一応、妹のいるカンダハールまで行くというストーリーの体裁をとっているが、結末はきわめて中途半端、尻切れとんぼである。

これはストーリーものというよりもタリバン占領下のアフガニスタンの状況を伝えるドキュメンタリーと見るのが適切だろう。
実際そこには、ブルカという(西洋的価値観では)抑圧の象徴を着用する女性が多く出てくる。それに地雷により足を失い、義足ができるまで1年も待つという悲惨な状況が描かれる。住民は貧困にあえぎ、金を稼ぐためにあらゆる手段を駆使しようとする。

そういうアフガンの状況を知る分には実に優れた作品だ。僕も彼らの状況や文化等に興味を抱くことができた。
だがお勉強映画という以上の意味をもたないとも言える。そういう意味で扱いに困る作品であった。

同じアフガンを描いた作品なら、個人的には「アフガン零年」の方が好きである。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

「薬指の標本」

2006-12-17 16:03:53 | 映画(か行)


2005年度作品。フランス映画。
『博士の愛した数式』で知られる小川洋子の同名原作をフランスで映画化。イリスはある夏、働いている工場で薬指の先端を失ってしまう。仕事を辞めた彼女は新しく標本作成室の事務職を勤めることに。
監督はディアーヌ・ベルトラン。
出演はオルガ・キュリレンコ、マルク・バルベ ら。


正直眠気との戦いであった。まったりとしたフランス映画特有のトーンで進むために意識を保つのが正直きつかった。

しかし映画自体はメタファーに富んでいて、見ていて印象に残るものはある。
僕は原作を知っているので、そのときに解釈したとおりに映画をなぞってみた。そのため意味が読み取れなくなり困惑するということもなかった。

一言で語るなら、これは女の成長と、男性関係とを描いた映画と言えるだろう。
少女から女に成長する過程で男と出会い、服装は女らしく変化していく。しかし所長との愛はどこか支配と被支配の関係にある。そのイレギュラーな危うさがエロティックな雰囲気とマッチしている。

女はそんな恋愛ではなく、船乗りと普通の恋愛もできただろう。その可能性も物語内では与えられていた。しかし彼女の運命はそちらには向かわずに、所長との恋愛関係を続けることに向かって突き進む。支配されて自由を奪われる、さながら所長の標本になるとも言える関係に。
僕の解釈はそんなところだ。

支配される。それを美しい言葉に変換するならば、彼だけの愛に一生を費やすということだろう。それが幸せというのなら彼女は幸せかもしれない。
しかしそれはものすごく恐ろしいことでもある。耽美と恐怖は実は似通ったものかもしれない、と見終わった後で思った。

評価:★★★(満点は★★★★★)


原作者 小川洋子の作品感想:
 『完璧な病室』
 『博士の愛した数式』
 『ホテル・アイリス』

「敬愛なるベートーヴェン」

2006-12-10 17:07:01 | 映画(か行)


2006年度作品。イギリス=ハンガリー映画。
1824年ウィーン。第九の初演を控えたベートーヴェンのもとに、女性作曲家アンナが写譜師として訪れる。ベートーヴェンは冷たくあしらうが、彼女の才能を知り仕事を任せることに……
監督は「太陽と月に背いて」のアニエスカ・ホランド。
出演は「アポロ13」「ビューティフル・マインド」のエド・ハリス。「トロイ」「ナショナル・トレジャー」のダイアン・クルーガー ら。


本作は激しやすく独善的性向の強いベートーベンと女性写譜師との交流を描いた作品である。
そういうわけで当然のごとく、二人がぶつかるシーンはあるのだが、そのつくりがいまひとつ収まりが悪い。それは、ベートーヴェンと女性とがケンカするという状況をつくりたいために、強引にエピソードをつくり上げたという感じがして、幾分つくり物めいて見えるのだ。
そのために話の流れがどこか唐突で、心理描写の流れの面から見ても、腑に落ちない部分がちらほら見られた。
そういった影響もあり、ストーリーにうまく乗れず、退屈にすら感じられてならなかった。

しかし音楽のシーンはさすがにすばらしい。特に第九のシーンは圧巻の一言で、心地よさすら感じた。
たとえストーリー的にいまひとつでも、音楽がすばらしいと、そのまずさもカバーしてくれる。音楽ってやつは本当に偉大だな、とつくづく思い知らされた次第だ。

評価:★★★(満点は★★★★★)

制作者・出演者の関連作品感想:
・ダイアン・クルーガー出演作
 「戦場のアリア」

「暗いところで待ち合わせ」

2006-12-04 22:51:17 | 映画(か行)


2006年度作品。日本映画。
乙一の同名作品を映画化。交通事故によって視力を失ったミチルは父も亡くなり、一人でひっそり生きていた。その家に殺人事件の容疑者アキヒロが忍び込む。
監督は「AIKI」の天願大介。
出演は「がんばっていきまっしょい」「きょうのできごと」の田中麗奈。「藍色夏恋」「幻遊伝」のチェン・ボーリン ら。


ゆったりとしたテンポの映画だ。
とにかく淡々としたトーンで物語が進むこともあって、この映画には派手さというものはほとんど感じられなかった。しかしそのトーンとエピソードの内容とは見事に合致していた、と思う。

目の見えない女性の家に殺人事件の容疑者が忍び込むという映画である。数年前に原作を読んだときは強く感じなかったが、映像化されると極めてへんてこな設定だと思い知らされる。
しかしその設定に違和感はない。きっとそれは丁寧にエピソードを積み重ねたことにより説得性が出ているからだろう。

二人の男女はそれぞれ孤独の中で生きている。他者とうまく馴染めない男と、外の世界を恐れる盲目の女。それぞれが生き辛さを抱えている中で、奇妙な同居生活を続けていく。
エピソードのテンポはスローだが、スローに丁寧に取っていくことで、それぞれの心理状況が確かに伝わってくるのが興味深い。そうなった要因は演出も当然だが、田中麗奈の演技力があるからこそできたものであろう。
そしてそういったエピソードの積み重ねが合ったからこそ、二人の交流の暖かさが胸に沁み入ってくるのだ。
特にミチルとアキヒロが一緒に外に向かうシーンは美しい。それにラストの公園のシーンも好きだ。そこでのアキヒロのセリフは二人の交流のすべてを象徴している。こちらも実に美しいシーンであった。

もちろん本作にはいくつかもどかしい面はある。しかしここでそれらを述べることは実につまらないことだ。
ただ丁寧につくられたことにより生み出された、その繊細さで暖かい物語を楽しめばいい。
最近とみに元気な日本映画を象徴するような一品である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)


原作者 乙一の作品感想:
 『失はれる物語』の感想はこちら
 『ZOO』の感想はこちら

「カポーティ」

2006-10-17 21:55:24 | 映画(か行)


2005年度作品。アメリカ映画。
1959年、作家として名声を獲得していたトルーマン・カポーティは、カンザス州で起きた一家惨殺事件に興味を持つ。カポーティは綿密な取材を開始、やがて彼の中で「冷血」の構想が生まれるが……。「冷血」の執筆過程を映画化。
監督はベネット・ミラー。
出演は「25時」「M:i:III」のフィリップ・シーモア・ホフマン。本作でアカデミー賞主演男優賞受賞。「マルコヴィッチの穴」「ザ・インタープリター」のキャサリン・キーナー ら。


鑑賞前に「冷血」を読んだのだが、本の方で意識的に存在が排除していた作者の姿がここではクローズアップされている。

カンザス州で起きた事件に興味を持ち、その取材を重ねるカポーティ。その過程でこの作品が傑作になる手応えを感じるのだが、それが完成するには犯人が死刑になることが絶対条件だ。
だが、カポーティ自体は取材の過程で、その犯人であるペリーと自分とが似ている(彼流に言えば表から出るか、裏口から世界に出たかの違いでしかない)ということに気付いてしまう。映画の内容をまとめるとそういう形になる。

ここで大事なのは、作家トルーマン・カポーティと、人間トルーマン・カポーティの葛藤という構図だ。
作家としての彼はペリーの死刑を望んでいるわけで作品のために弁護士を探してほしいという頼みを無視することも辞さない。しかし人間としての彼は自分と似たものを持ち、自分を信頼し、頼ってくる犯人を無視することができない。
最後、犯人は当然の如く、死刑に処される。それに対し、友人のハーパー・リーはカポーティに向かって、あなたはペリーを救いたくはなかったというニュアンスのことを言う。だが、果たしてそれは真実だろうか。それはハーパー・リーが作家だから出てくる言葉なのではないだろうか。
カポーティにとっては救いたいという気持ちも、救いたくないという気持ちも真実だったはずだ。ただ折り合いの付け所が見つからなかっただけのことでしかない。それだけにカポーティの苦しく重々しい感情が明確に伝わってくる。

カポーティはペリーの死後、長編小説が書けなくなってしまう。つまりは作家としての彼が、人間としての感情に屈したということになる。
そう考えるとどこか苦々しい。彼は作家として天賦の才があったかもしれない。だが、その才にまかせて、作家稼業を走り続けるにはあまりに繊細に過ぎたのだろう。「冷血」という作品は繊細な彼には選ぶテーマが悪すぎた作品なのかもしれない。見た後にそんなことを思った。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

「グエムル -漢江の怪物-」

2006-09-04 21:23:43 | 映画(か行)


2006年度作品。韓国映画。
漢江に突然現われた謎の怪物を描いたパニック映画。怪物にさらわれた娘を救うため一組の家族が怪物に立ち向かう。
監督は「殺人の追憶」のポン・ジュノ。
出演は「殺人の追憶」でもタッグを組んだソン・ガンホ。「クライング・フィスト」などのピョン・ヒボン ら。


いかにもB級な作品である。
エイリアンもどきの怪物といい、韓国映画特有のこゆいテンションで泣きまくる遺影の前でのシーンといい、心の中で幾度となく失笑をした。しかしそういったノリこそB級の良いところではないだろうか。
この手の作品は深い考える必要はない。実際、アメリカ軍のウィルスの隠蔽といい、ホルマリンによる環境汚染といい、誰一人として理解してくれず一人の人間を隔離する無理解なシステムといい、監督が社会風刺をこめた部分は特に心には響いてこなかった。
やや要領の悪い、直裁的な頭の悪い行動をとってしまう家族を見守ってやるくらいの距離感がちょうどいいだろう。

冒頭でいきなり怪物を登場させるという思い切った展開といい、最後の戦いでの娘の扱いといい(でも娘のあの扱いはやっぱり少しだけ許容したくない)、かなり思い切ったことをしている部分もあって、それなりにはっとさせられる。
B級ゆえに高得点はあげられないが、エンタテイメントしては充分すぎるほど及第点ではないだろうか。

評価:★★★(満点は★★★★★)

「ゲド戦記」

2006-08-06 21:53:03 | 映画(か行)


2006年度作品。日本映画。
ル=グウィンの代表作を映画化。
竜が共食いを始めるなど世界の均衡が崩れた世界。その災いの根源を突き止めようとするハイタカ(ゲド)と父を殺した心に闇を抱える少年アレンとの旅を描く。
監督は宮崎駿の長男で、初監督作品となる宮崎吾朗。
声の出演は「花よりもなほ」の岡田准一、手嶌葵 ら。


ビックリするくらいつまらない映画である。
世評が悪かったので、イヤな予感はしていたのだが、ここまでとは思っていなかった。日テレでいずれ放送するのだから、それまで待っておけば良かったと本気で思うほどであった。

つまらないと思った理由としては映画全編にわたって説得力がないからだろう、と思う。
特に主人公のアレンの描き込みが不十分だったのは致命的だろう。影に怯えるに至った過程、父親を殺すに至った過程、そしてラストで能動的になる転換の唐突さなど、すべてにおいて、説明が物足りないため、共感には程遠く、ただのネクラな少年になってしまったのは残念である。

基本的に、演出も含め、この新人監督は物語作りが未熟であるという印象を抱いた。大きなお世話だが、もう少し勉強してから、第二作を製作した方が良いであろう。

評価:★(満点は★★★★★)

「ココシリ」

2006-06-26 19:55:22 | 映画(か行)
2004年度作品。中国=香港映画。
チベットの秘境ココシリ、そこに生息するチベットカモシカを密猟から守るために有志の山岳パトロール隊が結成される。死と背中合わせの隊員の戦いを追った迫真の作品。
監督は「ミッシング・ガン」のルー・チューアン。
出演はデュオ・ブジエ。チャン・レイ ら。


男の戦い、っていう言葉がある。多分、この映画ほどその言葉が似合う作品はないだろう。

ここに出てくるパトロール隊は全部有志で行っている。上から金が出るわけではない。無報酬だ。
しかしそれでいて、行なっている作業自体は常に死と隣り合わせである。
チベットの大自然はあくまで苛酷で暴虐。もしも車が壊れ、立ち往生したらそこには猛吹雪が待っている。ちょうど車から降りたところで流砂が起きたら生き埋めになってしまう。そして彼らが追っている密猟者は銃をもっている。密猟者を追っているパトロール隊自体が返り討ちにあう危険だって十二分にある。家族や恋人とも離れ離れにならざるをえないし、あくまで孤独感が付きまとう。
それでいて、彼らの行なっている作業自体、矛盾にまみれていたりする。彼らの活動を維持するために、密猟者の毛皮を売ることだってせざるをえない。

はっきり言って、彼らの作業は割に合わないのだ。孤独で矛盾まみれで、報酬もなく、危険に満ち溢れている。

しかし男たちはその作業をせざるをえない。それは彼らにココシリを守り抜こうという意志と信念があるからだ。たとえ敗北が目の前に待ち受けていようとも、そのために何もかもを犠牲にしなければならなかったりする。

はっきり言って彼らはアホだと僕は思うし、あまりに不器用だとも思う。
そしてそれゆえに僕は彼らの行動を崇高だと思うのだ。その姿の偉大さと信念のための行動に心打たれずにはいられないのだ。そんな風にして、この作品は僕の中のエモーショナルな部分に深く訴えてくる。
このような作品をこそまぎれもない傑作と呼ぶのだろう。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

「嫌われ松子の一生」

2006-06-01 22:13:53 | 映画(か行)


2006年度作品。日本映画。
山田宗樹の小説を映画化。教師からソープ嬢、果ては殺人まで犯す松子の転落人生を華やかかつコミカルに描く。
監督は「下妻物語」の中島哲也。
出演は「電車男」の中谷美紀。「サマータイムマシン・ブルース」「「好きだ、」の瑛太 ら。


華やかな色彩の映画である。
監督の前作「下妻物語」でもそうだったが、本作でもCGを駆使して色鮮やかな映像を作り上げている。そしてそれをポップなメロディとコミカルな雰囲気で描いている点がまず目を引くところだ。
特にミュージカルっぽいタッチと軽いノリで、ストーリーを推進させていく様は見ていて心地良いものがあった。

だが残念ながら、全体的に見たとき「下妻物語」には及ばない作品だと僕は思った。もちろん合格ラインを軽くクリアしている作品ではあるし、見終えた後には満足感を覚えたのだけど、やはり前作と比較しては見劣りする。
きっとそれは映像の割に、笑いなどの明るい要素がストーリー自体に足りなかったせいだと思う。
もちろんその暗いストーリーをまじめに作ったら、かなり悲壮な作品になるのはまちがいない。その悲壮さを回避するために、取ったその方法は見事ではあるのだけど、若干ストーリーと映像に齟齬が出ていた面も否めない、という気がした。

しかし松子もなかなか派手な人生を送ったものだ。彼女が愛を求めていく姿は見ていても切なくて、心に残った。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

「グッドナイト&グッドラック」

2006-05-16 21:18:42 | 映画(か行)


2005年度作品。アメリカ映画。
1950年代アメリカに吹き荒れた赤狩りに立ち向かったニュースキャスター、エド・マローと、共に闘った男たちの姿を描く。
監督は俳優としても本作に出演するジョージ・クルーニー。監督2作目。
出演は「L.A.コンフィデンシャル」のデヴィッド・ストラザーン、本作でヴェネチア国際映画祭主演男優賞を受賞。ロバート・ダウニー・Jr. ら。


俗に言う赤狩りというものを僕は知らないのだけど、この映画を見ていて、これは50年も前の古い話ではないのだな、と強く感じた。恐怖を利用して、国民を支配する。これってまんま9/11以降のアメリカと一緒だからだ。
人間ってやつは、時間が経ったからと言って賢くなれるものでもないのだな、とちょっとだけ暗澹とした気分になってしまう。

主人公のマローの姿は極めてかっこいい。そんな暗澹とした愚かな時代だからこそ、自分の良心で権力に立ち向かっていく姿勢は、毅然、そのものだ。「グッドナイト&グッドラック」の決めゼリフと言い、この人は存在そのものがダンディズムで、ハードボイルドといったところであろう。

この映画は一方的に権力側が悪だ、と訴えているわけではないところも個人的には好印象だ。良心に従いながらも、それが正しいのだろうか、と迷うこともあるし、偽証罪という点を説明しないところも、マスコミの恣意性を感じさせる。
それでも、ジャーナリズムというものは、迷いながらも、自分の信じる正しいであろう事に対して、真摯に立ち向かっていくことしかできない。そんな宣言めいたものを感じて、僕は感銘を受けた。

だがはっきり言って、この映画は一般には受けないだろう。ラストのセリフじゃないけれど、娯楽とは言いがたいし、地味だし、世間的に受ける要素が少ない。映画としても、記者の自殺などエピソード的に意味がわかりにくい部分もあり、キズはある。
でも、硬派な良作だと僕は思う。これはこれで一度見ても、損はない作品ではないだろうか。

P.S.
映画そのものとは関係ないが、モノクロの画面のために、白い字幕が極めて見づらかった。せめて配給側も、色をグレーにするなどの工夫をしてほしかったと思う。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

「かもめ食堂」

2006-04-03 21:54:01 | 映画(か行)
北欧フィンランドの首都ヘルシンキ、そこでおにぎりをメインとした小さな食堂をはじめた日本人女性たちのささやかな物語。
監督は「恋は五・七・五!」の荻上直子。
出演は小林聡美、片桐はいり ら。


やはり女優3人の味がこの映画の特色だろう。
特に小林聡美が光っている。さばさばしてあっさりした彼女の雰囲気がこの映画、全編に漂っていて見ていて心地良くさえある。もちろん片桐はいりやもたいまさこのキャラも充分に活きていて、それぞれが個性的な味を添えているのが印象深い。

物語自体に大きな出来事があるわけではない。しかし3人の女性たちのあるがままの姿を映し出しており、映画の中に優しい視点と雰囲気を持ち込んでいる点などは秀逸だ。
細かい笑いもありで、心おだやかになれる映画であることは間違いない。

はっきり言ってしまえば、ただそれだけの映画でしかないのだけど、こういうまったりモードで楽しむ作品というのも、ありではないか、と僕は思う。

評価:★★★(満点は★★★★★)

「カミュなんて知らない」

2006-03-27 21:18:56 | 映画(か行)
2000年、愛知県豊川市で実際に起きた主婦刺殺事件を元に、その映画を作製する学生たちの姿を描く。
監督は「十九歳の地図」の柳町光男
出演は「きょうのできごと」の柏原収史。「TOKYO EYES」の吉川ひなの ら。


「人を殺してみたかった」という理由で実際に殺人事件を犯した少年の事件を素材にしている。
多分、大抵の人は何かを経験してみたいという衝動はもっているはずだ。もちろんそれは殺人に限るものではない。日常生活でも、このように行動したらどうなるだろう、と考える事がある。それが悪いことだと知っていても、一瞬でもちらりと考えることはある。行動するかは別問題だけど、人は時として悪いと知っていても暗いものに惹かれてしまうものだ。

映画自体は青春群像劇の味わいだ。単純に明るいだけの題材ではなく、上に触れたテーマに触れた仕上がりになっている。
「人を殺してみたかった」と語る少年の映画を撮ることで撮る側の方も、その暗い狂気のような「してみたかった」という衝動に絡め取られていく。その描き方が興味深い。

そしてその物語の流れがラストで巧妙に生かされてくる。とにかくラストシーンはただただ圧巻の一言である。
「してみたかった」ことの中に殺意は含まれているのだろうか? 
その恐ろしい疑問の噴出がラストになって浮かび上がり、虚構と現実の入り混じった展開へと突き進んでいく。その不気味さには目を見張り、息をのむものがあった。
幾分、気に入らないシーンや無駄なエピソードもあったけれど、この不気味さは秀逸である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

「クラッシュ」

2006-02-13 22:04:16 | 映画(か行)


ロサンゼルス、一つの出来事から、刑事、自動車強盗、地方検事とその妻、TVディレクターとその妻、鍵屋とその娘、雑貨屋の主人、様々な人々に思いも寄らない衝突の連鎖が生み出されていく。
監督は「ミリオンダラー・ベイビー」の脚本を手がけ、本作が監督デビュー作となるポール・ハギス。
出演はサンドラ・ブロック、ドン・チードル・マット・ディロンら。マット・ディロンは本作でアカデミー賞助演男優賞ノミネート。


この映画は複雑にエピソードと人物が入り組んでいる。そのため、観ている最中はかなりの集中力を要する作品だ。
加えて、登場人物がやたらに多くて、その多さにはさすがに閉口した。その中には白人、黒人、メキシコ系、ペルシャ系と様々な人種が登場する。いかにも人種のるつぼというべきアメリカらしい一面だ。
それは面白いのだけど、主要なエピソードがさしはさまれている人物だけで、優に10人は超えているってのもどうかと思う。そのため一部の人物のキャラ造詣エピソードが薄くなっている面も否定できない。加えて物語が複雑になりすぎて、若干わかりにくくなっている面もあった。
だが、ここまで人物が多く、下手したら破綻しかねないプロットをこれほどのレベルに押し上げた監督のセンスはなかなかのものである。

物語は複雑化しているけれど、収斂しているエピソードはシンプルで、人種差別の一点だ。これがアメリカという奴の現実なのか知らないが、とにかく白人優位の視点があまりに強い。
物語の前半で警官が黒人だという理由でセクハラ行為に及ぶシーンがあり、観ている最中かなり不快な印象を受けた。またペルシャ系の老人に銃砲店の店長が吐く、飛行機で突っ込むというセリフも気が滅入るような感覚を覚えた。ほかにも黒人だから言葉が汚いはずだという意見に従わざるをえないディレクター、正義感溢れる男のはずなのに人種差別の偏見というものにとらわれてしまった若い警官など、人種差別の連鎖に巻き込まれ、各人がそれに傷つかずにいられないという状況が見えてくる。

個人的には、TVディレクターが印象に残った。彼は人種差別の中で自尊心を切り売りしなければその世界で生きていけない状況に陥っている。
だから黒人のカージャックに対してとった行動は、「お前みたいな奴らがいるから、誤解されるんだ」という叫びのようにも僕には聞こえた。何かとっても観ていて痛切な思いだ。

冒頭で黒人の刑事がここでは誰もが隠している、という言葉を吐くシーンがある。あるいはそこでは何かを隠さなければ、自分を支えていくことができないのかもしれない。
そんな人種差別を打破するのは結局、人間性という基本的な部分なのだろう。
特に感動的だったのは人種差別主義の警官が、自分が差別した黒人女性を助けるシーンだ。そのシーンはあまりに美しく、観ていて涙が出てきそうになるほどすばらしかった。
警官は人種差別をするが、決して悪人ではないのだ。父親思いで、警官として命を賭けて職務を全うしようとする、そんな男なのだ。そこには黒人だとか、白人だとかは全く関係ない。人が人を思い、行動するという点で人と人は通じ合えるのだ。

だから若い警官も本当は黒人の若者と笑い合えるはずだったのだろう。その基本にあるのは同じ人間だからという、語りつくされた普遍性のある基本的な面なのだ。
そしてそう至るためには、結局冒頭の言葉にもあるように何らかの形でクラッシュするほかに無いのかもしれない。

この作品はえぐるような感覚を後に残す。そしてそれに対し、深い余韻を抱かずにいられない。
あまり触れられなかったが、天使のマントに関するエピソードもすばらしかった。
この映画の良い所は人間を決して一面的に捕らえようとしていない所にあるのだと思う。
何かまとまりがなくなったが、間違いなく本作は傑作だ、と最後に言っておく。今年はこの先どんな作品に出会えるか知らないけれど、確実に本年度の上位に来る作品であることは間違いない。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)