我が家から歩いて15分程の所に、円覚寺と言う有名なお寺があります。
地元にも関らず、境内に初めて入いりました。
ここは座禅道場と書いてありますので精神修行には持って来いだと思います。
一度、体験するのも良いかもしれませんね
円覚寺
鎌倉時代の弘安5年(1282)、元寇で戦死した戦死者の供養と自らが深く信仰した禅を広める目的から、鎌倉幕府8代執権・北条時宗が無学祖元を招いて創建しました。延慶元年(1308)、9代執権・貞時の代に、朝廷から定額寺に列せられ、官寺になり、塔頭(子院)も42院を備え、隆盛を極めました。
鎌倉幕府滅亡後も後醍醐天皇や足利氏の庇護を受け、康永元年(1342)には鎌倉五山の2位の位置を占めるに至りました。
しかし、戦乱の波には逆らえず、応安7年(1374)には全山焼失し、開山以来の文化財を多く失いました。
江戸時代には幕府から保護されて復興しましたが、元禄16年(1703)の大地震で全山崩壊し、さらに近代になって関東大震災でも大被害を受けています。
現在の境内の広さは約6万平方米で、ほぼ全域が国史跡に指定されています。
この他、円覚寺の凄さを考える場合、全国に存在する末寺が約200箇所、所有する国重要文化財が約800点という数字が裏付けになるでしょうか。
北鎌倉周辺は、鎌倉時代の執権北条氏や室町時代の関東管領山内上杉氏の館があったため、その庇護を受けた寺社が少なくなく、現在も古都の雰囲気を存分に残しています。見所自体も豊富なため、どうしても駆け足で見学しがちですが、円覚寺に限らず、じっくりと拝観すると新たな発見も少なくありません。
なお、国宝の舎利殿や開山堂、無学祖元の墓地がある正続院などは常日頃は見学することができません。
この事に関して、雑談程度にお話をお聞きすると、未遂も含めて骨董泥棒が頻繁に現れて治安が不安なこと、また多くの文化財を収蔵していることから火災の恐怖が常に頭を占めているそうです。
地元にも関らず、境内に初めて入いりました。
ここは座禅道場と書いてありますので精神修行には持って来いだと思います。
一度、体験するのも良いかもしれませんね
円覚寺
鎌倉時代の弘安5年(1282)、元寇で戦死した戦死者の供養と自らが深く信仰した禅を広める目的から、鎌倉幕府8代執権・北条時宗が無学祖元を招いて創建しました。延慶元年(1308)、9代執権・貞時の代に、朝廷から定額寺に列せられ、官寺になり、塔頭(子院)も42院を備え、隆盛を極めました。
鎌倉幕府滅亡後も後醍醐天皇や足利氏の庇護を受け、康永元年(1342)には鎌倉五山の2位の位置を占めるに至りました。
しかし、戦乱の波には逆らえず、応安7年(1374)には全山焼失し、開山以来の文化財を多く失いました。
江戸時代には幕府から保護されて復興しましたが、元禄16年(1703)の大地震で全山崩壊し、さらに近代になって関東大震災でも大被害を受けています。
現在の境内の広さは約6万平方米で、ほぼ全域が国史跡に指定されています。
この他、円覚寺の凄さを考える場合、全国に存在する末寺が約200箇所、所有する国重要文化財が約800点という数字が裏付けになるでしょうか。
北鎌倉周辺は、鎌倉時代の執権北条氏や室町時代の関東管領山内上杉氏の館があったため、その庇護を受けた寺社が少なくなく、現在も古都の雰囲気を存分に残しています。見所自体も豊富なため、どうしても駆け足で見学しがちですが、円覚寺に限らず、じっくりと拝観すると新たな発見も少なくありません。
なお、国宝の舎利殿や開山堂、無学祖元の墓地がある正続院などは常日頃は見学することができません。
この事に関して、雑談程度にお話をお聞きすると、未遂も含めて骨董泥棒が頻繁に現れて治安が不安なこと、また多くの文化財を収蔵していることから火災の恐怖が常に頭を占めているそうです。