“「音楽を書きながら経営者になるアーティストがいないんなら オレがなってやるよ」“
1970年代から現在まで第一線で活躍し続けているロックミュージシャン、矢沢永吉氏。多くの経験を積んできたカリスマが語る「成功」とは──。
矢沢:若い頃は、目的がはっきり定まっていたわけじゃなかった。ただ、漠然と必死に、なにかを掴みたいといった感じだったと思います。
漠然と必死に掴みたい。なにを? なんだかわからない。「安心できるところ」に行きたい。安心を手に入れたい、ということなのかもしれない。
僕はロックをしたい、ビートルズになりたいと思って広島から出てきているわけだから、それを利用してなにかを掴みたい。そう思っていました。
まぁ、ようは波風を立てないといけないんです、人生は。
新しい扉を開けようとすると、 「もっと、もっと、もっと......」とやっていくと、自然と波風が立つ。
人間関係などのいろいろなしがらみが嫌だからといってじっとしている人もいるけど、僕にはそれができなかった。
波風を立ててきたのが、僕のこれまでの人生。いわゆる“YAZAWA流”だったんです。
「キャロル」の解散も、僕にとっては青天の霹靂だった。今考えれば、思い出ですよね。でも、当時はビビっていました。ビビりまくり。こうやって食べられるようになった今だからこそ、思い出として語れるんです。
だから、人は勝たなければいけないんですよ。新しいものを創るには、ロックはリッチにならなければいけない。リッチにならなければ、ロックンローラーじゃないんです。
矢沢氏を象徴する言葉に「成りあがり」がある。むきだしのハングリーさで時代の先端を走り続けてきたロックスターにとって、現代の日本社会、そして若者たちはどう見えているのか──。
僕は「突っ走らなかったら、突っ込まなかったら、俺は死ぬしかないんだ」と思ってやってきた。
最近の若い人は、ゆとり世代、さとり世代なんて言われているらしいけど、でも、ゆとりがあるから、余裕があるから、そうなったわけでしょう。
突っ込まなくていいと思う人が多いんだから、今の日本は幸せなんだと思う。「もう後がない」と思ったら、突っ込んでいくしかないんだから。
ゆとり世代、さとり世代、偉くなりたくない若者たち。息子でもないんだから、僕からとやかく言うことはない。
でも、これだけは約束してほしい。50代、60代になって、「この国は、悪い国だ」と言うなよ、と。責任を背負わされたくない、偉くなりたくないと自分で望んだのなら。
そういう意味で、僕は20歳ごろから、同じことを言っていますね。安心できるところに行きたい。安心を手に入れたい。
そのために、どうすればいいのかわからなかった。ただそういう思いだけで突っ走ってきた。なにを引っさげて? ロックを引っさげて。
人の上に立つための覚悟
アーティストでありながら、優れたビジネス感覚を併せ持つ矢沢氏。人間として、経営者として「人の上に立つ」とはどういうことのなのか、その本質を語った──。
昔、「人の上に立つことは、どういうことか」と深く考えたことがありました。
僕は、ある時から人の上に立ってやろうと思った。でも、最初からそうだったわけじゃない。責任を持つ、矢面に立つ。そういうことを、初めからしたがる人なんて滅多にいないじゃないですか?
基本的に人は「矢面に立ちたくない」と思っている。ほとんどの人が、矢面に立つよりは、命令されたいんです。なぜなら、そのほうが楽だから。
一方、命令する側は、ごく一握りしかいないんじゃないかな。その人たちも初めからその立場だったわけじゃない。
「嫌だな」「なにくそ」という戦いを繰り返して、ある日、「俺は前に立っているよ」と言えるようになる。そうやって、その場所に立っているんです。
僕も最初は、なにかを決めなければいけない時に、「おいおい。俺の顔ばかりみるなよ」と思っていました。でも、人の上に立つという気持ちが固まったからこそ、矢沢はここまで来られたんだと思います。
ただ、いくらできる奴だって、ハートの部分は清くなければ駄目だね。頭の回転がバリバリじゃなくても、勘がバリバリじゃなくてもいいけど、心が澄み切った人と、僕は出会いたいと思う。ハートがなによりも大事です。
とにかく人が一番大切だし、面倒くさいし、手強い。ものは金を払ったら手に入るけど、人はそうじゃない。だから、いい奴らと、仕事ができたら最高ですね。
──ミュージシャンとして、経営者として、人一倍の苦悩・苦難を乗り越えながら、長年に渡って“YAZAWA”の価値を自ら舵取りしてきた矢沢氏の言葉は重い。
人の上に立つとは、“矢面に立つこと”にほかならない。
「その覚悟はあるのか」。矢沢永吉はそう問いかける。
(矢沢永吉自伝「アー・ユー・ハッピー?」より)