タミアのおもしろ日記

食文化・食育のお役立ちの話題、トンデモ食育、都市伝説、フードファディズムなどを分析して解説します!(^.^)

宮沢賢治「ビジテリアン大祭」ダイジェスト版です。

2020年07月17日 | Weblog
宮沢賢治先生の短編小説「ビジテリアン大祭」は、有名なのに実物を読んだ方は意外に少ないです。1世紀前に書かれたから、現代とニュアンスが異なる単語が多いため、読了できなかった読者もいると思います。そこで今回のブログは、あらすじを紹介して、最後まで読む手助けをしたいと思います。関心を持ったら原文でお読みください。

なお、オチは宮沢賢治が書いたと思えないほど皮肉たっぷりで、さらにそのオチに、登場人物が突き抜けたコメントをして物語が終わります。オチは原文で楽しみたいと思う方は、【ネタバレ】印以降は読まないでくださいね。

それでは、あらすじをご紹介します。
 主人公の「私」は、外国の小さな村で行われた宗教的なベジタリアン祭りに、日本の仏教徒一同の代表者として参加します。
会場に着く前に、ベジタリアン批判のビラを受け取って困惑し、教会広場のテント会場に行くと大勢の方々が集まっていて、「異教徒席」に20人前後の人が座っています。

大祭が始まると「異教徒」はベジタリアンを批判し、一問一答でベジタリアンの先生方が反論します。
例えば、異教徒が「人間の犬歯は肉を割くためにあるのだから肉も少しは食べるべきだ」と言うと、子供じみている発言だとベジタリアン側は爆笑し、「自然だから良いという話は間違っている。自然が良いなら畑を作るのは悪いことだし、泥棒は良いことになる。自然が良いなら鉄道を使って会場に来てはいけません。」と諭します。

こうして異教徒は1人また1人と言い返せなくなって、ベジタリアンに改宗します。
最後に残った1人の異教徒が、「だったらどうして君たちは羊の毛の帽子をかぶるのか?」と叫ぶのですが、このような発言は、執筆された当時は頭が悪い人と見なされる発言なので会場は大爆笑となります。
合成繊維や合成皮革のない時代、寒さから体を守るためには羊の毛はとても重要でした。
その時代背景でも羊毛を使うななんて発言すれば、爆笑されてもしかたないこと。

笑いものにされて、紳士は「自分もベジタリアンになる、いや、前からベジタリアンだったような気がします」と言います。
そして、不思議なことに、「本日異教徒席に座った方はみんな私のように席をちがえたのだろうと思う」とまで言い出します。

【ネタバレ】

しかも、ベジタリアン側の神学者も彼に同意するのです。
この奇妙なシーンの後、驚異のネタバレ。
紳士が、裏話を明かすのです。

実は、私は有名なあの人気一座の喜劇俳優です。
祭りの余興として祭司次長に頼まれてみんなでお芝居をやっていただけです。
私は気の弱い人間ですので、このお芝居が不愉快だと思った方は次長を攻撃してください。

この後、「私」がすごい言葉をつぶやくのですが、その内容は今日のブログの最後に記します。
肯定派と否定派の激論の正体が、ベジタリアン運動を内輪で盛り上げるためのお芝居だったという強烈なオチから、賢治先生がベジタリアン運動に疑問を抱いていたことが明らかです。おそらく「我々は世間から疎まれている!」と扇動して結束力を高めようとするベジタリアンを見て、情けないと思ったのでしょう。

さて、いよいよ、本日のラスト。全てがお芝居だと知った主人公の「私」は、脱力して、読者にこう語りかけます。

「愉快なビジテリアン大祭の幻想はもうこわれました。どうかあとの所はみなさんで活動写真のおしまいのありふれた舞踏か何かを使ってご勝手にご完成をねがうしだいであります。」
活動写真というのは、現代の言葉では映画や動画のことです。つまりラストの一文は、令和の今の言葉に置き換えるとこうなります。
「愉快なベジタリアン祭りのライブ動画やってんのに、裏を暴露されてww。時間余ったので、残り時間はテキトーにダンス動画で埋めて草。」

うん、1世紀前に書かれたとは思えないぐらい現代的なコメントですね。ダンスもいいけど子猫のスライドショーで埋めてもいいね。
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