タミアのおもしろ日記

食文化・食育のお役立ちの話題、トンデモ食育、都市伝説、フードファディズムなどを分析して解説します!(^.^)

「日本人は12歳」は愛の言葉だった。

2016年05月28日 | Weblog
昨日は歴史的一日でした。オバマ大統領が広島で被爆者と抱擁し、平和を願って演説したからです。タミアもこの出来事に心の底から感動した一人です。そこで、今回は日本とアメリカの間に横たわる「ある一つの誤解」を解消したくてブログを書きました。一般には侮辱の言葉だったとされているマッカーサー氏の「日本人は12歳」発言が、実は日本への愛情と信頼に貫かれた発言だった、というエピソードです。といっても、このブログは若い世代の方もご覧になっているので、「マッカーサーって誰?食のブログとどういう関係があるの?」という方も多いと思いますので、まずは歴史的背景からご紹介します。

日本は第二次世界大戦で敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領下に置かれたのですが、その最高司令官がアメリカ人のマッカーサー元帥です。
タミアは食品や農業の本・雑誌を読むのが好きですが、今までに3,4回ほど「マッカーサー氏は、日本人を12歳だと侮辱した。」とする文章を見かけています。総論としては反TPPだったりアメリカ産食品への不安だったりするのですが、「アメリカは日本人を見下しているので食料安全保障や食品安全などの面において信頼できない」と主張する文脈で、「日本人を12歳とした」エピソードが紹介されるのです。
ところが、外務省の在バンクーバー総領事(2004年執筆当時。)の多賀敏行氏は、著書「「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった」において、日本人は12歳という言葉は、マッカーサー氏が日本を愛するあまり、日本人をかくまうために発言したことを紹介しているのです。

日本人をかくまうとはどういうことか?話はこうです。
 まず、戦争後、日本とGHQは良い信頼関係を結びました。そのためマッカーサー氏は大変な日本びいきになりました。1951年4月19日にマッカーサー氏は、アメリカ上下両院の議員を前に、日本人を褒めちぎる演説をしました。「賞賛に足る意思と、学習意欲と、ぬきんでた理解力」を日本人は持っており、日本は今後は「決して再び世界の信頼を裏切ることはないであろう」と。

 ところが、同年5月5日、運命の日が訪れます。アメリカ上院の軍事・外交合同委員会の公聴会の席上で、マッカーサー氏はロング委員から質問を受けます。マッカーサー氏は答えました。日本人は米国の占領軍が略奪、搾取しなかったことに感銘を受けたこと、日本人は自由を知ったこと、米国が全くの善意から日本に多額の経済援助をして日本人がこれに感謝していること、日本人は自由を享受したので自ら進んで自由を手放すことはないだろうこと、などを。

 しかし、ロング委員は意地悪な質問をしました。ドイツは一時期民主主義国家だったにもかかわらず、ヒットラーが台頭したじゃありませんか?と。
どうしてこの質問が意地悪かというと、少し説明が必要かもしれませんね。ドイツはかつてワイマール憲法という、今日の視点から見ても非常に民主主義的な憲法を持っていたのですが、なんとこの憲法下でドイツ国民はヒットラーの登場を大歓迎してしまったのです。つまり、ロング委員は暗にこう言いたいのです。日本人はGHQの指導の元で自由を知り我々民主主義国家の仲間入りをしたとマッカーサー氏は証言しているが、そのうち、ドイツのようにファシズム政権が台頭して軍国化するんじゃないですか?と。

 日本を褒める発言をしていたのに、ロング氏からとんでもない横やりを受けて、マッカーサー氏はきっととまどったのでしょう。そこで例の発言が出るのです(以下は、全文は非常に長いので部分抽出してわかりやすくまとめて紹介します。マッカーサー氏の発言全文の逐語翻訳は、前出の本に書いてあるので、ご関心のある方はそちらをご覧下さい)。

 ・・・ドイツの問題は日本の問題とは違っています。ドイツ人は成熟していました。しかし日本人は指導を受けるべき状況にありました。近代文明の尺度で測れば、われわれが45歳とすれば、日本人は言ってみれば12歳の少年といったところです。日本人は柔軟で、新しい考え方を受け入れられたのです。ドイツ人は意図的に道徳をないがしろにしたり、国際的規範を破りました。日本人はある程度、うっかり、ついそうしてしまったのですが、ドイツ人は熟慮の上で軍事力を行使したのです・・・・

多賀先生によると、マッカーサー氏が言いたかったのは、日本人は封建体制下でしか生きたことがなく、自由とかが何のことかも知らず暮らしてきたので、欧米の社会の発展の度合いで見ると子どものようだが、子どもだからこそ教育が可能だ、ということだそうです。

タミアもこの本を読んで心を打たれました。マッカーサー氏は、米国議会の「日本も将来ヒットラーみたいな人物が台頭するのでは?」という意地悪な視線から日本人を守るために、あえて、心が柔軟で教育可能な年頃の12歳と呼ぶことで、日本からもう恐ろしいファシズムが生じる心配はないですよとかばってくれたのです。先に述べたように、直前の4月の演説では、日本人を賞賛していたマッカーサー氏です。12歳とは、侮蔑の言葉ではなく、民主主義国家に仲間入りしてこれから成長する若い国である、と期待と愛情を込めての言葉だったのです。

ところが、不幸なことに当時の日本ではマッカーサー氏のこの発言は日本を見下す発言だと解釈されて報道されてしまい、それまで日本人に敬愛されていた氏は途端に嫌われてしまったのです。ちなみに、吉田茂元首相は、12歳発言が、マッカーサー氏の本当の気持ちからずれて日本で広まってしまったことを昭和32年の著作の中で指摘していますが、この指摘も今では忘れられています。

農業や食の文献で見受けられる「12歳は侮蔑のことばだ」という記述ですが、このような誤解を元に議論が展開するのは残念なことです。食の安全保障も食品安全も、平和なしには実現しません。そして平和のためには、悲しい誤解を少しでも減らして、相手を少しでも正しく理解しようと努力する、その姿勢が大事ではないかと思います。

ちなみに、今回の参考文献のタイトル、「「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった」というタイトルも驚きですが、このタイトルの章もまた、読んで驚き感動する内容です。私が子どものころ、よく雑誌には「外国人は日本人をエコノミック・アニマルと呼んでいる。金に飢えた獣と見下しているのだ。」という論評が載っていた物ですし、現在ではそのように紹介している日本語辞書さえあります。しかし、この本によると、実はアニマル(animal)という英単語にはおとしめるような意味合いはなく、日本語の「獣」に対応する単語はビースト(beast)なので、つまり「エコノミック・アニマル」とは「日本人は経済活動にかけては大変な才能がある」というのが本来の意味だった、とのこと。

びっくりして、さっそく英英辞典(ロングマン現代アメリカ英語辞典)を引いたところ、確かにその通りでした。俗語としては「獣」的な意味でanimalを用いることもあるのですが、formalまたはtechnicalな用語としては、人間も含めてすべての生物(植物を除く)をanimalと呼ぶ、と記載してあるのです。そういえば、ラテン語のanima(魂)からanimalという単語が誕生し、もともとの意味は「魂が吹き込まれたもの」ということだそうです。ちなみに欧米の文化を理解するには聖書の知識が必要ですが、聖書によれば、人間は神様が泥人形に魂を吹き込んで誕生したということになっています。そうして生まれたanimalが人間だったというわけですね。

日本人への褒め言葉だったエコノミック・アニマルという言葉が、誤解された意味で広まってしまったのは残念なことです。言語の壁を越えて理解し合うのは難しいことですが、少しでもその壁を小さくできるようになりたいものです。
オバマ氏の演説文を読みながら、違う文化・違う言語でも互いに尊重し理解し助け合おうとする、その心の大切さをかみしめた今日一日でした。

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