東京五輪新エンブレムについて述べた、日経新聞4月30日朝刊春秋欄は、非常に胸のすく鮮やかな展開で感動しました。要約するとこのような内容です。
「五輪組織委員会に寄せられたパブリックコメントによると、作品への支持理由は圧倒的に『日本らしい』だった。しかし、市松に似たデザインは世界中にある。例えば英国のスカ・ブームの起点となった会社のロゴマークや、クロアチアの国旗などである。五輪は日本だけのお祭りではない。世界とつながりをもって、クロアチアやイギリスのスカ・バンドをゲストとするなどの開会式はできないものか。」
実はタミアも、新エンブレムが発表された時に「日本らしい・和風だ」という説明に戸惑った一人です。もちろん、作品の完成度はすばらしく高くてかっこよく、文句の付け所はありません。ただ、海外のお客様から見れば、市松模様が「日本らしい・和風だ」というイメージはほとんど無いのです。そういうイメージを持つ外国の方が居たら、かなりな日本通の方でしょう。
なんでこんなことを断言できるかというと、市松模様は一説によると、古代オリエント時代から存在し、古代ペルシャなどに広まったとされるインターナショナルな柄だからです。実例を挙げると、少なくとも紀元前1500年の西イランの陶器には市松模様が描かれています。その後中世ヨーロッパなどでも、市松模様、ハーリキンチェック(少しゆがんで見える市松模様で、道化師の衣装として有名。)、ダイヤモンドチェック(市松を45度傾けた模様)などが大流行します。
市松模様は、ファッション業界では古くはブロックチェックと呼ばれていましたが、現代のファッション業界ではブロックチェックのマス目の塗り分けに3色以上用いることもあり、市松とはイメージが異なってきています。そのため、古くからの明暗2色の市松を指す時は「チェッカーボード パターン」と呼ぶことが普通になってきているようです。
チェッカーボードパターンで世界的に有名なのは、カーレースのチェッカーフラッグと思います。また、スカ音楽で白黒チェックを用いるのは、人種の壁を越えることを意味しているそうです。
そこで思うのです。もしもこの東京オリンピックが10数年以上前に開催され、このすばらしいエンブレムが選考されていたなら、「日本らしい」の一言のみで賞賛したでしょうか。いやいや、多くの人が日経の春秋欄のようなこと、「外国にも似たデザインがあったよね、外国とも仲良くなれるデザインだね。」というようなことを言っていたと思うのです。オリンピックは日本だけの祭りではないのですから、デザイン選考委員会でも、デザイン史の本の1冊や2冊はひもといて、世界の市松模様の気の遠くなるような古い歴史を調べて、「日本のデザインであると同時に、海外の歴史にも通じるデザインです。」など、海外にも心配りするおもてなしの心に満ちた発言をしていたと思うのです。
もしかしたら、最近の日本は内向きになっていて、海外情報をだんだん調べなくなって、井の中の蛙になってきているのかもしれません。その一例がまさに、先週このブログに書いた話なのですが。このブログは食をテーマにしていますが、まさに食分野でそうした傾向が見られるのが心配です。
例えば、ドイツなど世界各国に優れた発酵食品文化があるのに、最近は、発酵は日本の専売特許かのような発言が聞かれるので、仰天する日々です。
あるいは、偶然海外と似てしまった和食(例えばモルディブの鰹節。)や海外文化を取り入れて和食にした例(例えば豆腐は中国由来。)もあるにも関わらず、今日和食というと、ひたすら「日本人の知恵・日本独特の文化」との紋切り型が強調されているこの頃です。しかも、近年になって急に、京都風の米と汁を中心にした食文化が「和食の基本」と呼ばれ、そのパターンに収まらない地方の伝統文化(寿司、蕎麦、うどん、ほうとう、はっと、おやき、きりたんぽ、かて飯、エトセトラ)が基本的和食ではないとされる、地方文化切捨ての動きが始まっています。
それで、今回のブログのタイトルは「一抹の不安」にかけたダジャレのタイトルなのですが(センスなくて済みません、、、。)和食文化や和風の伝統を後世に大切に伝えていくためにも、マクロ的視点(世界の文化)とミクロの視点(地方の文化)を両方学ぶ必要があるのではないでしょうか。
「この食って、このデザインって、和っぽいね。」で思考停止するのではなく、世界史や日本史や地方史の中で、その食やデザインやもろもろがどのように生まれ、どう発展し、人類のあまたある叡智の中でどのように位置づけられるのか、そこを考えて記録する方々が増えることを願っています。そうすることでこそ和の文化が後世の人達に語り継がれるのだと思います。
日本を心から愛する故に、いろいろと考えてしまうこの頃です。もっともっと世界から愛され、尊敬される国であって欲しい。そのためにも世界と地方を学びたいものです。
「五輪組織委員会に寄せられたパブリックコメントによると、作品への支持理由は圧倒的に『日本らしい』だった。しかし、市松に似たデザインは世界中にある。例えば英国のスカ・ブームの起点となった会社のロゴマークや、クロアチアの国旗などである。五輪は日本だけのお祭りではない。世界とつながりをもって、クロアチアやイギリスのスカ・バンドをゲストとするなどの開会式はできないものか。」
実はタミアも、新エンブレムが発表された時に「日本らしい・和風だ」という説明に戸惑った一人です。もちろん、作品の完成度はすばらしく高くてかっこよく、文句の付け所はありません。ただ、海外のお客様から見れば、市松模様が「日本らしい・和風だ」というイメージはほとんど無いのです。そういうイメージを持つ外国の方が居たら、かなりな日本通の方でしょう。
なんでこんなことを断言できるかというと、市松模様は一説によると、古代オリエント時代から存在し、古代ペルシャなどに広まったとされるインターナショナルな柄だからです。実例を挙げると、少なくとも紀元前1500年の西イランの陶器には市松模様が描かれています。その後中世ヨーロッパなどでも、市松模様、ハーリキンチェック(少しゆがんで見える市松模様で、道化師の衣装として有名。)、ダイヤモンドチェック(市松を45度傾けた模様)などが大流行します。
市松模様は、ファッション業界では古くはブロックチェックと呼ばれていましたが、現代のファッション業界ではブロックチェックのマス目の塗り分けに3色以上用いることもあり、市松とはイメージが異なってきています。そのため、古くからの明暗2色の市松を指す時は「チェッカーボード パターン」と呼ぶことが普通になってきているようです。
チェッカーボードパターンで世界的に有名なのは、カーレースのチェッカーフラッグと思います。また、スカ音楽で白黒チェックを用いるのは、人種の壁を越えることを意味しているそうです。
そこで思うのです。もしもこの東京オリンピックが10数年以上前に開催され、このすばらしいエンブレムが選考されていたなら、「日本らしい」の一言のみで賞賛したでしょうか。いやいや、多くの人が日経の春秋欄のようなこと、「外国にも似たデザインがあったよね、外国とも仲良くなれるデザインだね。」というようなことを言っていたと思うのです。オリンピックは日本だけの祭りではないのですから、デザイン選考委員会でも、デザイン史の本の1冊や2冊はひもといて、世界の市松模様の気の遠くなるような古い歴史を調べて、「日本のデザインであると同時に、海外の歴史にも通じるデザインです。」など、海外にも心配りするおもてなしの心に満ちた発言をしていたと思うのです。
もしかしたら、最近の日本は内向きになっていて、海外情報をだんだん調べなくなって、井の中の蛙になってきているのかもしれません。その一例がまさに、先週このブログに書いた話なのですが。このブログは食をテーマにしていますが、まさに食分野でそうした傾向が見られるのが心配です。
例えば、ドイツなど世界各国に優れた発酵食品文化があるのに、最近は、発酵は日本の専売特許かのような発言が聞かれるので、仰天する日々です。
あるいは、偶然海外と似てしまった和食(例えばモルディブの鰹節。)や海外文化を取り入れて和食にした例(例えば豆腐は中国由来。)もあるにも関わらず、今日和食というと、ひたすら「日本人の知恵・日本独特の文化」との紋切り型が強調されているこの頃です。しかも、近年になって急に、京都風の米と汁を中心にした食文化が「和食の基本」と呼ばれ、そのパターンに収まらない地方の伝統文化(寿司、蕎麦、うどん、ほうとう、はっと、おやき、きりたんぽ、かて飯、エトセトラ)が基本的和食ではないとされる、地方文化切捨ての動きが始まっています。
それで、今回のブログのタイトルは「一抹の不安」にかけたダジャレのタイトルなのですが(センスなくて済みません、、、。)和食文化や和風の伝統を後世に大切に伝えていくためにも、マクロ的視点(世界の文化)とミクロの視点(地方の文化)を両方学ぶ必要があるのではないでしょうか。
「この食って、このデザインって、和っぽいね。」で思考停止するのではなく、世界史や日本史や地方史の中で、その食やデザインやもろもろがどのように生まれ、どう発展し、人類のあまたある叡智の中でどのように位置づけられるのか、そこを考えて記録する方々が増えることを願っています。そうすることでこそ和の文化が後世の人達に語り継がれるのだと思います。
日本を心から愛する故に、いろいろと考えてしまうこの頃です。もっともっと世界から愛され、尊敬される国であって欲しい。そのためにも世界と地方を学びたいものです。