阿弖利為の意味とは?
弖は氐の古字
弖は氐の古字「一説に、氐の古字の省畫」P.691,大漢和辭典縮小版,巻四,大修館書店(昭32)
。氐は根本、底に至るといった意味があるようです。
氐は二十八宿の氐宿、ともぼし
氐は「二十八宿の一。東方の第三宿。天秤(てんびん)座のα(アルファ)星を含む。ともぼし。氐宿。 」デジタル大辞泉
「東方青龍七宿の第三宿星の氐宿」
「氏宿は天根とも名づけられ」P.445,西村甲,東洋医学序説 温故定礎,三和書籍,2017
龍の心臓部分の氐宿。西洋の星座のてんびん座にあたりますが、
氐宿の「ともぼし」という和名は、共星または友星なので、しょうか?
天の根に依って利を為す
阿~は~にコミットする、~に準拠してという意味だそうです。阿弖=阿氐。氐にコミットするとは根本や天の根にコミットするということでしょうか。
利為とは利を為すでしょうか?利によるでしょうか。前者であれば、根本によって利を為す、でしょうか。もしそうであれば、先の記事で描いた甘棠之愛の召公奭のような人物像のようにも思えます。
「天の根」と榲山=榅山
根といえば先の記事で検討した河内国榲山、榲山=榅山で榅には根の意味があります。天の根( 氐宿)でもあり大地に散った者として地中の根でもあり、統一される地方の豪族としての根でもあります。天と地をつなぐものは柱、すなわち榲(榅 )です。そして根の国とはオオナムチノミコトまたはスサノオノミコトのテリトリーで、先の記事で可能性をみた泰山府君(日本の陰陽道の祖神。赤山禅院の赤山大明神。本地は地蔵菩薩)と同一視されている神様です。
弖は氐の古字、氐の异体字(異体字)は「互」
氐の異体字は「互」。弖の異体字も「互」「弖……俗文互字。」
。氐宿の和名「ともぼし」は互星のようです。 阿弖利為は「阿互利為」、阿弖流為は「阿互流為」になります。
「互利」とは互相有利。 (互利互恵的)
阿弖利為が「阿互利為」、阿弖流為は「阿互流為」ですが、「互利」とは"互相有利(互利互恵的)"の意味です。互利互恵をもとに為す人アテルイ、でしょうか。
夷大墓公とは?
えみしの大墓公という意味でしょうか。夷を除けば大公望と一文字違いです。漢字の「望」には下部が土である異字体があるので間違えたのでしょうか。
大公望は牧野の戦いで殷を破りますが、アテルイの碑があるのは京阪牧野駅近くの宇山バス停前の牧野公園です。行政区分では坂村ですが、宇山村はすぐ隣で宇山もすぐ隣。交野ヶ原の禁野の一部でもある坂村・宇山村は昔は牧之郷(真木郷)の一部でした。
大墓とは先祖代々の墓
大墓とは「特指祖坟」 (先祖代々の墓)。意味は夷の先祖代々の墓でしょうか。異邦人の先祖代々の墓でしょうか。夷-平穏無事な先祖代々の墓でしょうか。先祖代々の墓を平らにしてしまう人でしょうか。
弖と 氐(互)と弤
弖は氐の古字で、氐 も弖も異字体は「互」ですが(類聚日本後紀の弖の文字はかなり「互」の姿を残す)、そこから感覚的には、ですが「 弤 」を想起しました。互ではなく弖という文字を図形的に使用する意味がそこにあるように思えたからです。
弤は「漆成红色的弓」(漆製紅色の弓)、「趙岐注: “弤,彫弓也。天子曰彫弓。」
彫弓(雕弓)とは天子の弓
「 雕 绘文采的弓。礼制,天子所用。」天子-日本では天皇-が使用する装飾された弓のようです。
互ではなく弖という文字を使用したのは天子の弓を表現するためではないかと思うのです。アテルイが802年没した榲山・(榅・杜山)は、杜=赤棠の山で、先の記事でも見たように弓幹にするに優れた木。赤い棠を弓幹にした漆の「紅色」の弓・天子の雕(彫弓)弤の神となったのがアテルイで、石清水八幡宮(860年~)が弓の八幡神であるのと関係があるのではないかと思うのです。
石清水八幡宮すぐ南の河内国交野郡は石清水八幡宮の領地も多い地域ですが、式内社は二社でその片方の久須々美神社も今はなくとても少ない地域で、その原因は石清水八幡宮の台所事情を支える地域だったからだと思われます。石清水八幡宮の所在地は山城国ですが、河内国交野郡は石清水八幡宮の氏子的存在で、交野神人の政治力は強かったようです。
もし宇山が終焉の地であるのならば石清水八幡宮との関連性も考えて良いと思われます。矢が宇佐八幡宮にあらわれた金鳩が鏑矢で、天子の彫弓はアテルイ、のように。
河内国は南北に長く、今現在アテルイの碑がある最北端の交野郡牧ノ郷宇山-交野ヶ原の禁野に指定された地域でもある-が該当するかどうかの確証はありません。 夷大墓公阿弖利為、宇山の古墳群(大墓-先祖代々の墓)の上に(夷-墓を平らにする)-して土葬された公である可能性も否定できません。
797年の続日本紀に延暦八年(789年)頃の阿弖流為の戦いが記録されています。840年の日本後紀に延暦二十一年(802年)の阿弖利為の処刑が記録されています。かなり時間が経過した日本後紀の記述は、神格化的な含意があるように感じられてなりません。写本で伝えられる段階でも政治的・咒的な変化があったのではないでしょうか。弓の幹に向いているという樹木・杜=赤棠のように接ぎ木の台のような根本となって護国寺の根で生き続けているように思えます。
勅祭・石清水祭放生会にお出ましになるのは延暦寺の僧侶方々。赤山禅院は京都御所の鬼門を守る延暦寺の塔頭です。
石清水八幡宮にジャンボ御神矢 京都・八幡