Life in Japan blog (旧 サッカー評 by ぷりりん)

日本に暮らす昭和生まれの猫ぷりりんの、そこはかとない時事放談と日記です。政治経済から科学、サッカー、手芸まで

原子力発電所・津波対策の見直しを

2011年03月18日 00時51分32秒 | 原発・放射能

原子力発電所の災害は、放射線物質との長期的な戦いになりそうです。ロシアの事故の炉はまだ内部で燃焼していて、隣の炉では発電を続けているというのですから、私たち門外漢にはまったく理解できない世界です。

事故の原因は詳しく調べないとわかりません。調査前の推論は往々にして外れます。責任問題など絡む色々な鞘当てもありうるでしょうが、そこにちょっとでもそういうにおいを嗅ぎ取れば今回で原子力発電の未来は途絶えると思います。

昨日は原子力発電所の設計面と点検面で問題があったと書きましたが、今日はこのような記事が出ていました。

福島原発設計 元東芝の技術者 「津波全く想定せず」(03/17 10:22)北海道新聞
東京電力福島第1原発を設計した東芝の元技術者、小倉志郎さん(69)=横浜市=が16日、東京の外国特派員協会で記者会見し「1967年の1号機着工時は、米国ゼネラルエレクトリック社(GE)の設計をそのままコピーしたので、津波を全く想定していなかった」と明かした。
 三陸沿岸は津波の多発地帯だが、津波が比較的少ない米国技術が今回の被害の盲点となった可能性がある。
 日本の原子力発電は英米の技術輸入で始まり、福島原発はそのさきがけ。小倉さんは1、2、3、5、6号機の冷却部分などを設計し「1号機は、日本側に経験がなく無知に近い状態だった。地震津波の多発地帯とは知っていたが、批判的に検討、判断できなかった」と話した。2号機からはGEの設計図を改良したが、「マグニチュード8以上の地震は起きない、と社内で言われた。私の定年が近くなってやっと、地震対策の見直しをしたが、それでも大地震は想定しなかった。責任を感じる」と述べた。

もしこれが本当ならば、女川原発が持って福島原発がトラブルを発生させたのか、その差を説明できる「仮説」を立てられるかもしれません。昨日「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震 」にて参照した2010年記事では、津波の引き波の際に冷却水が取り入れられなくなるかもしれない原発(泊、女川、福島第1、第2、浜岡、島根)のうち、女川と浜岡には取水槽があったと記載されています。それゆえ福島第1・第2と同じく津波に遭遇した女川原発ではかろうじて持ちこたえられた可能性があります。もちろんただの仮説であり、本当の原因はまったく別であるかもしれません。

設計当時の1960年代後半はまだ、今よく知られている地球科学のプレートテクトニクス理論は主流ではなかったようです。
三陸沖地震は巨大で繰り返し発生していて、とても高い津波を発生させることは知られていましたが文献が少なく、まだ研究は進んでいなかったようです。
黎明期の原子力発電所の設計で津波・巨大地震対策ができていなかったとすればとても残念ですが、巨大地震が発生した後は地震の活動がより活発になると思われますので、今ある原子力発電所、特に古い時代の建造物の構造的な津波対策の見直しが緊急で必要なのではないでしょうか。



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