河内国杜山と弓
弓幹の赤棠(杜)
先の記事達で漢語辞典から河内国榲山=榅山=杜山と書きました。杜=赤棠、弓幹に相応しい木の理を持つ木。
弖と氐は互の古字
弖と氐は互の古字、阿弖利為(阿弖流為)は阿互利為(阿互流為)。なぜ「弖」が使用されたのか?主観的ですが「弤」を想起しました。「弤」 とは雕「天子曰彫弓」「絵文采的弓。礼制,天子所用」。"漆成紅色的弓"・朱塗弓です。
片埜神社
今は道路を隔てて牧野公園内ですが、伝阿弖流為・母禮之塚と現在奉じられている塚は河内国交野郡の片埜神社境内に元々ありました。野見宿禰がひらいた片埜神社社家の岡田家は野見宿禰の末裔。菅原道真公も野見宿禰の子孫。
野見宿禰
野見宿禰は埴輪を発明した人で土師臣の祖。天皇崩御で殉死する習慣を改めたとの伝承があります。相撲で勝って国をもらった、はじめて相撲をした人です。
弓取り式と土俵祭とカヤの実
聡ノ富士 弓取り式
相撲といえば弓取り式。その土俵にはカヤの実をはじめ様々な供物が土俵祭で埋められます。
「大相撲では場所前に土俵祭りという儀式が行われ、はじめに相撲の三神への供物として、勝栗、こんぶ、米、するめ、塩、そしてカヤの実が土俵の中に封じられます。著名な石清水八幡宮や金刀比羅宮をはじめ、神饌にカヤの実が含まれる神社がいくつもあります。」 カヤについて – 飛騨のカヤの実 株式会社グリーンポケット飛騨
大相撲平成二十七年五月場所 土俵祭(フルバージョン)
弓引き神事とカヤの実
神社の弓引き神事でも、カヤの実が登場します。相撲と神事は同じ質のもののようです。
「午後二時神前での祭儀が斎行され、前夜と同様勧盃式があり、その際、福包〔折敷に黒豆・勝栗・昆布・榧の実(現在はスルメ)・田作(魚)〕が授与される。」 沼名前神社のページ, お弓神事
鞆の浦 「 お弓神事 」 広島県福山市2012年2月
「神事が終わって帰ろうとしたときに、世話人の方が「お守りどうぞ」って、え!? 最初お金いるのかと思ったら、お持ち帰りでした。…… それとこの地区にある天然記念物の「左巻きカヤ」の実(木も実も左巻きに育つそう)を頂きました。食べられるそうです。(実に左巻の線があります)」 リッチファミリー,たろたろの一日「弓引き神事」2012/1/9
弓取り神事
弓弦を鳴らしたり矢を射る儀式が多く、弓で踊る姿は少ないようです。
宇佐神宮 蟇目の儀
鶴岡八幡宮節分祭・・・鳴弦の儀
六夜祭「弓踊り」
アイヌの弓の舞
弓の儀式とアイヌの弓の舞、クリムセ。弓取り式もクリムセも大地をすくうという動作がくわわっていて、共通点も多いように思いました。
帯広カムイトウウポポ保存会「クリムセ」
自然の摂理を保つ弓引き神事
弓引き神事の目的は下記の様に論じられています。「天地東西南北」
六宇。石清水八幡宮の八幡造り・六宇の宝殿にも通じます。「三本足の烏と兎」
の三本足の烏の別名は赤烏、太陽。「牡曰棠。牝曰杜。樊光曰:赤者爲杜,白者爲棠。(説文解字)」
、アテルイ歿した榲山=杜山は从烏沒切の山・赤山、つまり赤烏沒する山、太陽歿する山も意味できると思われるので宇宙の表現となっています。
「その本来の目的は、天地東西南北というあらゆる方角や三本足の烏と兎の的に象徴されるように、宇宙を象徴するものを射ることによって村落共同体の時間と空間を更新させることにあるといえる。」波部綾乃,弓神事の民俗的機能
片埜神社がある牧ノ郷(牧野郷)は真木の郷でもありました。扶桑の樹の上に止まる太陽(赤烏)を射る弓矢-弓矢の神・石清水八幡宮と石清水八幡宮護国寺(アテルイが没した頃は石清水寺)。
「男山中腹に位置する石清水社は、霊泉「石清水」を核とした摂社で、当宮の名の由来となった本宮御鎮座以前の起源に遡り、御鎮座以前は傍に石清水寺が建立されており、本宮創建と同時に石清水寺は「護国寺」となったとされています。」 石清水八幡宮,石清水社・石清水井
カヤと宇
土俵祭、お弓神事、石清水八幡宮の神饌のカヤの実は碁盤や将棋盤の材料。盤もまた宇(宇宙)。土俵は宇宙。宇山(宇山村の宇山とは違い、坂村と宇山村と養父村に近接する小山)のアテルイの塚も宇にある、です。
「どこにどの色の房を下げるか位置が決まっていて、時計回りに、正面は黒。東は青、向(むこう)正面は赤、西は白です。この4色の房がそれぞれ象徴しているのは、黒は玄武、青は青龍、赤は朱雀、白は白虎です。また、この4色は方角も表しています。黒は北。青は東、赤は南、白は西です。さらに、この4色は季節も表しています。黒は冬、青は春、赤は夏、白は秋です。」抜井規泰,黒・青・赤・白 土俵見守る4色の房のお話
碁はよく宇宙にたとえられる。……360碁盤の目の数は361。天元を除くと360で、これは円周の度数である。 365碁盤の目の数は361。これに四辺の数4を加えれば365となり1年の日数である。 碁と宇宙
禁野の弓
片埜神社は禁野にあるので、弓で狩りができるのは帝と貴族のみでした。アイヌのクリムセも鳥の美しさに射るのをためらう舞。禁野を北上してすぐの武道神・護国神である石清水八幡宮の放生会も、殺生への戒めです。片埜神社の野見宿禰は埴輪で殉死を無くした人。不殺生は、矢を目標物へ刺す行動から留め置くものである「靫」-大国主命と少彦名命(靫明神)-や葛胡簶(つづらやなぐい)-(式内社・片埜神社のある坂村の属邑・葛上村に式内社・久須々美神社と葛上寺(九頭神廃寺。聖徳太子七寺の内不明である葛木寺の可能性もあるそうです)がかつてありました)-のようで、護国と武器と武器を不殺生な状態へと収める容器にあたる禁野という国防の逆説の世界を宇の中で表しているように思えます。
9月15日は、京都・石清水八幡宮の例祭、石清水祭が行われます。古くは「石清水放生会」と称し、8月15日に行われました。八幡大神が放生川のほとりで生ける魚鳥を放ち「生きとし生けるもの」の平安と幸福を願う祭儀として始められました。(神楽) pic.twitter.com/hdE5fBqbKk
— 神社検定 (@jinjakentei) 2014年9月11日
護国と不殺生
元寇の際、西大寺の興正菩薩叡尊上人は石清水八幡宮護国寺にて敵も味方も乗る人を損なわず、船を焼失せしめたまえと祈られました。
「南北二京僧五百六十余人、集会宝前、一味和合勤行、叡尊説戒、々々終、乍恐述懐、即以平城御宇御託宣、訴申戎難、於大菩薩、以東風、吹送兵船於本国、不損来人、焼失所乗之船御云々、即不久大風吹出、雷鳴声発、向西而去、存神諾歟、」 金剛仏子叡尊感身学正記