ユーニッヒ

仕事の話もたまには書くかもしれません。

ジョン・健・ヌッツォコンサート

2020-10-18 10:29:29 | 日記
 先日、ジョン・健・ヌッツォのコンサートに行ってきました。
 
 ヌッツォは、大河ドラマの主題歌を歌ったことから、よく知られた歌手かもしれません。私は、主題歌を歌っていたドラマ自体は見たことはないのですが、ヌッツォが紅白で主題歌を歌い、それを聴いて素晴らしい歌声だと思いました。その後少しして、ヌッツォのコンサートに行き、それから随分とたって、今回のコンサートとなりました。

 コンサートが始まると、第一声から澄み切って、かつ力強い声が聴けました。劇場で聴く音は、輪郭がはっきりし、広がりがあります。CDにはない劇場の音のよさです。ヌッツォの声にもその輪郭と広がりが加わりました。

 プログラムは、前半と後半に分かれていました。前半は歌曲が集められていて、柔らかさのある歌を聴きました。後半は、カンツォーネやアリアが集められていて、迫力ある歌が聴けました。ヌッツォの多様な歌を楽しめるプログラムでした。
後半のプログラムの最後は、プッチーニ作ツーランドットの「誰も寝てはならぬ」でした。歌の最後は、トゥーランドット姫への求愛が成功すると確信し、勝利を叫びます。この日のヌッツォも、見事な迫力で最後を歌い切りました。

 アンコールはオーソレミオでした。後半は、力のある歌が続き、アンコール自体あるのかと思っていたほどです。しかし、アンコールはあるし、そこでまた歌い切るような選曲で、聴衆の気持ちを高揚させて終わるコンサートでした。

 クラシックのコンサートではトークと言うのはあまり経験がないのですが、ヌッツォは、曲の合間にマイク片手に、日本語で、曲の説明や曲にまつわるエピソードを語っていました。これにより、コンサートに重たさだけではなく軽い楽しみも添えていました。

 コロナ禍の中のコンサートで、劇場のある階までのエレベーターは1回5人までと制限され、入り口では、チケットの半券を自分でちぎるよう指示されました。会場にはアルコールの消毒薬が置かれていました。コンサート後、余韻を楽しむために近くのホテルのバーに向かいましたが、しばらく閉店していたり、早々に閉店していたりして、バーには行けませんでした。去年までそこにあった生活は今も戻っていません。しかし、音楽会に行って音楽を楽しむと言う以前あった日常だけでも戻ったのですから、贅沢は言えません。

将棋のニュースに刺激を受けて

2020-10-03 11:12:29 | 日記
 織田作之助の「聴雨」を初めて読んだのは、もう何年も前です。「聴雨」は、昭和12年の坂田三吉と木村八段の対局を描いた作品です。昨今は、藤井二冠の活躍がニュースになっていて、将棋を題材にした「聴雨」を再度読んでみました。

 坂田三吉は、名人の呼び名ながら、長い間世間に現れませんでした。長い沈黙を破って、昭和12年に木村八段と対局することになります。伝説の名人の対局に世間は大いに注目します。「聴雨」を読むと、当時の人々の熱狂や興奮を共感します。

 坂田三吉は、家族を路頭に迷わせながら、強い将棋を目指しました。読める字は駒に書かれた字と自分の名前くらいという、将棋だけを追い求めた人生でした。

 対する木村八段は、近代将棋の使い手です。近代将棋とは、「聴雨」によると、棋譜を研究し、早い戦法を特徴とします。
 勝つのは、古い将棋か、新しい将棋なのか。坂田は奇襲を得意とするのですが、一体いかなる奇手を繰り出すのか。勝負の行方を期待をもって、読み進めることになります。

 「聴雨」の舞台は、2月の南禅寺です。南禅寺は山が近く、緑が多い景色にあります。自然、静寂、寒さ、南禅寺の落ち着いた雰囲気。一局に人生をぶつける坂田。何手も指した手の中の立った一手が勝敗を決めてしまう将棋の残酷さ。

 私も将棋の駒の進め方は知っています。しかし、全くのへぼ将棋で、私に負ける人はこの世にいないのではないかと言うほどです。将棋については、面白さが理解できませんし、興味も皆無です。しかし、「聴雨」では、しっかり将棋を楽しみました。