先日、ジョン・健・ヌッツォのコンサートに行ってきました。
ヌッツォは、大河ドラマの主題歌を歌ったことから、よく知られた歌手かもしれません。私は、主題歌を歌っていたドラマ自体は見たことはないのですが、ヌッツォが紅白で主題歌を歌い、それを聴いて素晴らしい歌声だと思いました。その後少しして、ヌッツォのコンサートに行き、それから随分とたって、今回のコンサートとなりました。
コンサートが始まると、第一声から澄み切って、かつ力強い声が聴けました。劇場で聴く音は、輪郭がはっきりし、広がりがあります。CDにはない劇場の音のよさです。ヌッツォの声にもその輪郭と広がりが加わりました。
プログラムは、前半と後半に分かれていました。前半は歌曲が集められていて、柔らかさのある歌を聴きました。後半は、カンツォーネやアリアが集められていて、迫力ある歌が聴けました。ヌッツォの多様な歌を楽しめるプログラムでした。
後半のプログラムの最後は、プッチーニ作ツーランドットの「誰も寝てはならぬ」でした。歌の最後は、トゥーランドット姫への求愛が成功すると確信し、勝利を叫びます。この日のヌッツォも、見事な迫力で最後を歌い切りました。
アンコールはオーソレミオでした。後半は、力のある歌が続き、アンコール自体あるのかと思っていたほどです。しかし、アンコールはあるし、そこでまた歌い切るような選曲で、聴衆の気持ちを高揚させて終わるコンサートでした。
クラシックのコンサートではトークと言うのはあまり経験がないのですが、ヌッツォは、曲の合間にマイク片手に、日本語で、曲の説明や曲にまつわるエピソードを語っていました。これにより、コンサートに重たさだけではなく軽い楽しみも添えていました。
コロナ禍の中のコンサートで、劇場のある階までのエレベーターは1回5人までと制限され、入り口では、チケットの半券を自分でちぎるよう指示されました。会場にはアルコールの消毒薬が置かれていました。コンサート後、余韻を楽しむために近くのホテルのバーに向かいましたが、しばらく閉店していたり、早々に閉店していたりして、バーには行けませんでした。去年までそこにあった生活は今も戻っていません。しかし、音楽会に行って音楽を楽しむと言う以前あった日常だけでも戻ったのですから、贅沢は言えません。
ヌッツォは、大河ドラマの主題歌を歌ったことから、よく知られた歌手かもしれません。私は、主題歌を歌っていたドラマ自体は見たことはないのですが、ヌッツォが紅白で主題歌を歌い、それを聴いて素晴らしい歌声だと思いました。その後少しして、ヌッツォのコンサートに行き、それから随分とたって、今回のコンサートとなりました。
コンサートが始まると、第一声から澄み切って、かつ力強い声が聴けました。劇場で聴く音は、輪郭がはっきりし、広がりがあります。CDにはない劇場の音のよさです。ヌッツォの声にもその輪郭と広がりが加わりました。
プログラムは、前半と後半に分かれていました。前半は歌曲が集められていて、柔らかさのある歌を聴きました。後半は、カンツォーネやアリアが集められていて、迫力ある歌が聴けました。ヌッツォの多様な歌を楽しめるプログラムでした。
後半のプログラムの最後は、プッチーニ作ツーランドットの「誰も寝てはならぬ」でした。歌の最後は、トゥーランドット姫への求愛が成功すると確信し、勝利を叫びます。この日のヌッツォも、見事な迫力で最後を歌い切りました。
アンコールはオーソレミオでした。後半は、力のある歌が続き、アンコール自体あるのかと思っていたほどです。しかし、アンコールはあるし、そこでまた歌い切るような選曲で、聴衆の気持ちを高揚させて終わるコンサートでした。
クラシックのコンサートではトークと言うのはあまり経験がないのですが、ヌッツォは、曲の合間にマイク片手に、日本語で、曲の説明や曲にまつわるエピソードを語っていました。これにより、コンサートに重たさだけではなく軽い楽しみも添えていました。
コロナ禍の中のコンサートで、劇場のある階までのエレベーターは1回5人までと制限され、入り口では、チケットの半券を自分でちぎるよう指示されました。会場にはアルコールの消毒薬が置かれていました。コンサート後、余韻を楽しむために近くのホテルのバーに向かいましたが、しばらく閉店していたり、早々に閉店していたりして、バーには行けませんでした。去年までそこにあった生活は今も戻っていません。しかし、音楽会に行って音楽を楽しむと言う以前あった日常だけでも戻ったのですから、贅沢は言えません。