ユーニッヒ

仕事の話もたまには書くかもしれません。

行きつけの店の閉店

2019-02-10 11:02:28 | 日記
 仕事場のそばにお気に入りのヌーベルシノワの店がありました。
ランチは10日に一度メニューが変わり、その度に行っていました。
夜も何か月かに一回行きました。夜は、ソムリエの店長さんが私に合うワインを出してくれました。
ランチに行ったとき店長さんが来て「突然ですが閉店することになりました」と言いました。
色々なことが重なって急な閉店になったそうです。そのころの店のホームページには、
8周年を迎えるがこれからもいい料理を出しますのようなことが書いてあって、本当に
急なことのようでした。

 飲食店は続けるのが難しいということはよく聞きます。開店した店が、半年後には5割は
閉店しているというようなこともきいたことがありました。焼き鳥屋で、ほんの一回焼き方の
手抜きをしたら、客はそれを見抜き、毎日来ていた客が来なくなるということもあるそうです。
客が来なくなり閉店となります。

 いい料理を出し、客はついていても、店員が年を取ったと言ってやめる店もあります。
経営者が病気になってやめてしまうこともあります。件の店は、そのどれでもないのに
やめてしまいました。

 お気に入りの店がなくなると何とも寂しいものです。浅草に30年通った店、京都に行けば
必ず寄ったイタリアンはもうありません。去年も、ひと月半に一回は通っていた洋食屋さんが
閉店しました。料理、店員、店の内装のような総合的な存在が店です。ヌーベルシノワでも
イタリアンでも他でも食べられますが、お気に入りの店の代わりは存在しません。

 ところで、件の店の店長さんは、これまで店の界隈のランチを食べたことがないので、
食べ回りたいとおっしゃっていました。ある日、ランチで入った店に、元店長さんが入って
きました。ランチを食べ回るのは、これからの新しい仕事のための勉強のためでもあり、
人生を楽しむためでもあるのでしょう。次の人生に向けて動き出している姿を見て、
店がなくなった寂しさの中に、明るい光を見る思いがしました。
 

顔真卿展

2019-02-03 12:21:51 | 日記
 東京国立博物館で開催中の「顔真卿―王義之を超えた名筆展」を観に行きました。書の展覧会です。
 
 正直言うと書にそれほど興味があるわけではありません。今回の展覧会に行く気になったのは、顔真卿の「祭姪文稿(さいてつぶんこう)」が展示されているからでした。顔真卿の甥顔季明は、安禄山の乱で犠牲になります。その追悼文の草稿が祭姪文稿です。この作品も今述べたような内容も最近知っただけですが、滅多に見られない作品であることをきくと、妙に見に行きたくなりました。
 
 見るまでに並ぶことは予め情報を得ていました。私が行ったときは、30分待ちと案内がされていました。しかし、実際には15分で見られました。

 現代語訳は、展覧会のホームページに出ています。顔真卿の悲しさ悔しさに思いを馳せながら書体を見るような鑑賞をしたいところです。作品のそばに解説板があり、見どころを説明しています。この部分の意味はこうこうでとか、ここはこれこれの感情が見られるとか書いてありました。展覧会の企画者も、きっと私が思たような鑑賞をしてほしかったのでしょう。
 
 しかし、とにかくせわしないのです。「立ち止まらないで、歩きながら見てください」と始終警備員が叫んでいます。立ち止まって見ようものなら「足が止まっていますよ」と注意されます。解説板の解説を止まって読んでいる人がいても、立ち止まらないよう注意を受けます。私は、確かに顔真卿の書の本物を目にすることはできました。数秒で作品の前を通り過ぎました。観光地の有名な建物を見た人が、写真と同じ建物が立っていると言ったという笑い話がありますが、気分はそのような感じです。実物を確認したというところです。

 静謐な環境とは程遠く、展示物の確認をする場になっているのは残念でした。もちろん大勢の人に早く見せなければという博物館の思いは、至極もっともと思います。もう二度と見られないかもしれない1200年前の実物を見ることができたことには、満足感はありました。
 
 本展では、顔真卿の書だけではなく、さまざまな書家の書が展示されていました。漢字の変化の様子がわかりました。同じ字でも書き方が様々で書き手の美意識がきれいな字を書くには必要と言うことがわかりました。全体としては楽しめる展覧会でした。