最初の作品は15歳の時の作品です。雪山での静御前と義経の二人を描いていました。大家は10代でも大いなる力量を示すものだと感心します。靫彦のこの作品は、古典的な日本画の雰囲気を出しています。やはり10代に描いた作品「守屋大連」の解説に、靫彦は、守屋大連を写実的に描きすぎたと自分で批判していることが書いてありました。10代で画力を発揮しても、まだまだ自己の画風を確立していなかったことになります。
そのあとは、淡い光を放つ絵、聡明そうな人物の絵、独特の色彩のある絵と、これまでにどこかで見たことのある靫彦らしい雰囲気に満ちた絵が並びます。
風神雷神の絵がありました。風神雷神図は、宗達、光琳、抱一が描いていて有名です。これらはいかにも鬼神と言うような顔で風神雷神が描かれていますが、靫彦の風神雷神は、かわいらしい童子の顔です。若々しい元気さ、無邪気さを感じさせます。観ていて思わずにんまりとしてしまいました。
戦時下になり、靫彦も時流に沿った絵を描いたというような解説もありました。しかし歴史画を描き、そこからは美しい気持ちよさが出ているので、国威発揚の気分は見られませんでした。むしろ、その逆を感じる絵がありました。昭和19年に描かれた「保食神」の絵です。風に任せ漂うように踊る女神と明るく優しい色が描かれていて、平和を感じさせました。暗い時代にあって穏やかで何気ない日常を希求しているような気がしてなりませんでした。
靫彦は、90歳になっても制作を続けました。晩年の作品も力は健在でした。衰えぬ意欲と創作能力に感服するとともに、年を取るならこうありたいと思いました。