ユーニッヒ

仕事の話もたまには書くかもしれません。

ふるさとの訛り

2013-05-31 11:39:53 | 日記・エッセイ・コラム

 

啄木に、故郷の訛りを聴きに停車場に行く歌があります。方言は、故郷を感じるためのいいよすがです。<o:p></o:p>

 

ところが、関西生まれの私から見て、関西弁はどうなのだろうと思います。関西人の集まり、関西人と非関西人の集まりが、関東、特に横浜には結構あります。関西人は、関西弁を手放さないので、関東でも関西弁を平気で話します。このために、関東にいても、関西弁を普通に聞くのです。実は、今朝も電車に乗っていたときに横に立っていた人が関西弁で話していました。こうなると、関西弁は、横浜にいながら普通に聞く言葉になってしまいます。<o:p></o:p>

 

異郷では普段聞くことがない方言を、たまにきくことで、故郷を強く感じるのです。関西弁は、大げさに言えば今や関東の言葉の一つでもあるのです。私だけではなく、関西人は、関西弁を聞いても故郷を感じないように思うのです。<o:p></o:p>

 

先日、東北新幹線に乗って福島に向かっていました。車内の売り子さんがコーヒーを買ったお客さんに飲み方を教えていました。「ミルクを入れて下さい」。大体共通語で話していましたが、「ミルク」を平板に発音したのです。東北式のアクセントを聞いた瞬間、強烈な懐かしい気分に捉われました。私は、東北生まれでも育ちでもありません。しかし、先祖代々福島の人間ですから、血が私に懐かしさをもたらしたのか。父方の祖父母は福島県生まれ福島県育ちでした。幼い時に聞いた祖父母の言葉が脳裏に染みついて、それが懐かしさを呼び出したのか。それとも、東北の言葉自体が、日本人に故郷の懐かしさを感じさせる力を持っているのか。<o:p></o:p>

 

啄木の詠む停車場は上野駅のようですが、私の場合、現在の東北の玄関口東京駅で故郷を感じられそうです。<o:p></o:p>

 


私の苗字にまつわる話

2013-05-30 13:24:52 | 日記・エッセイ・コラム

 

私の家は、父が一人っ子です。このために、同姓のおじやおば、いとこがいません。同姓の親戚に会う機会がありません。加えて、うちの苗字はあまりないので、同姓の人間は家族以外会うことがありません。<o:p></o:p>

 

 苗字が珍しいことから昨日こんなことがありました。父に仕事を手伝ってもらうために某所に行ってもらいました。父から呼び出されてあとで、そこへ出向きました。受付で名前を書いたら、「ええ」と受付の人が驚いたように言うのです。うちの苗字の人間を日に2人はみないだろう。してみると、今目の前にいるのは先に受付をした人である。しかし、その人がなぜまた受付を、と戸惑っているようでした。<o:p></o:p>

 

 先日同姓の親族の集まりに出ました。旅館で集まりましたので、玄関には「何々様」の文字があります。そこには私と同じ苗字がありましたが、私の苗字ではなく、主催者である親族の苗字です。初めての親族もいましたが、苗字が同じなので、下の名前で紹介し合いました。私には、普段ないことばかりです。家族以外に同じ苗字がいるという、私には非日常的な感覚を楽しんできました。<o:p></o:p>

 

 珍しい苗字ではありますが、作家と同じので、その関係にはいつも注目されます。中には勘違いして、我が家が、作家に憧れて改姓したと思っている人がいました。前にも書きましたが、我が家の苗字を作家が使ったのです。あちらは超有名な作家さん、我が家は無名ですから、あちらが本家本元と思ってしまうのでしょう。<o:p></o:p>

 


京の学生食堂

2013-05-22 13:10:20 | 日記・エッセイ・コラム

 

 「京のいっぴん物語」と言う番組で、京都の学生食堂の特集をしていました。<o:p></o:p>

 

 ハイライトという食堂が出てきました。長い間、記憶の奥底にあって忘れていた名です。名前を聞いて、クラスメートと一緒に店に行って談笑して食事をした記憶が甦りました。確かこの店はその時一回きりだったように思います。<o:p></o:p>

 

 なかじま食堂も出てきました。こちらは、大学と下宿の間にあったからなのか、他に理由があったのか、何度か行きました。注文時、自分の名を店の人に告げます。出来上がると、「何々さん」と呼んでくれて、手を挙げると席まで料理を運んでくれました。知人は、当時好きだったアイドルの苗字を名乗ったそうですが、本名でなくてもいいならと一緒に行ったその友人は「ウルトラマン」と言ったそうです。店の人は「ウルトラマンさん」と、ちゃんと乗ってくれたそうです。<o:p></o:p>

 

 食事をしている学生の姿が映されていました。どの学生も、いい笑顔でした。安い価格でお腹いっぱい食べられるということ自体も楽しいのですが、食事時に屈託のない笑顔ができるということは、学生時代を楽しんでいる証拠です。<o:p></o:p>

 

 大学に入ったときにもらった学生新聞に、大学の12か月の様子を書いた記事がありました。3月の所には、卒業生を送り、大学には新しい血が入ってくるというようなことが書いてありました。私も京都で過ごし、そして京都を去りました。私が京都を出てからも、次々と若者が京都の学生になり、そして去っていきます。そうやって楽しい学生時代が脈々と受け継がれ、今に至っています。<o:p></o:p>

 

 学生食堂を特集したこの番組を見て、学生時代の楽しさを思い起こすとともに、今の学生の楽しそうな様子を見て、こちらも楽しくなりました。<o:p></o:p>

 


白乾児

2013-05-20 19:16:28 | 日記・エッセイ・コラム

 

先日中華街で仕事がありました。ついでなので、老酒を買おうと思って中華街をぶらつきました。中華街に行くとよく寄る食料品雑貨の店に行きました。老酒を買う際、何となく蒸留酒の棚も見ました。先日テレビで中国の蒸留酒を取り上げる番組がありました。こういうのを見ると何となくその気になって、欲しくなります。どれを買おうかと思って見ているとき、「白乾」の文字が目に飛び込みました。<o:p></o:p>

 

 「白乾児(パイカル)」。音には聞く酒です。ルパン三世シリーズで「パイカル」という名の登場人物が出てきますが、明らかに白乾児から来る名です。台湾の映画を見ていたとき、村の酒場で主人公が注文するとき「パイカル」と言っていました。中国語が分からずとも、パイカルと言っていることはわかります。このように音には聞くのに、見たことがありません。いかなる酒なのか、関心を持ちつつ、長年お目に掛からずにいました。<o:p></o:p>

 

 それが売っていたのです。もちろん買って帰りました。翌日が出勤のときは、次の日が辛いので強い酒は飲まないですが、長年の夢の酒を週末までお預けなのは寂しいので、例外的に飲んでみました。度数49度の強烈な酒です。アルコールが舌を刺激しました。蒸留酒ですが、甘い味がしました。また、独特の香りがします。高粱を使っているからなのでしょう。<o:p></o:p>

 

 待てばいつかは夢がかなうものです。<o:p></o:p>

 


レーザープリンター

2013-05-15 11:39:12 | 日記・エッセイ・コラム

 

 トナーを売っている営業さんが来ました。部屋の中をさっと見て、「キャノンのプリンターの箱がありますよね」と言いました。確かにあります。営業さんの立っていた位置からは、箱の一部しか見えないのに、よくも見つけるものです。営業チャンスと思ったことでしょう。<o:p></o:p>

 

 事務所を開設したときに、複合機をリースで入れました。カラー印刷ができる機種を入れたかったのですが、白黒の複合機に比べてリース料が高かったのです。仕事があるかどうかも分からない開設時ですから、費用を抑えるために白黒で我慢しました。その代わり複合機を手配した事務機器屋さんが、安いレーザープリンターを用意してくれました。<o:p></o:p>

 

 しばらくして、レーザープリンターはカラーとは関係なしに活躍します。刑事事件を大量にこなしたことが原因です。裁判の前になると、弁護人には、事件記録が開示されます。当初は謄写してもらっていました。この謄写費用が当時確か1枚20円でした。費用を下げたいので、記録をデジカメで撮影して、事務所で印刷しました。結構な枚数を印刷せねばならず、複合機を使うとその間事務員の作業が滞るので、レーザープリンターを使って印刷しました。刑事事件の受任数に応じて、レーザープリンターは出番が増えました。<o:p></o:p>

 

 ところがです。弁護士の数が増えて刑事事件の担い手が増えたために、私には刑事事件がほとんど来なくなりました。このため記録を印刷することが激減しました。時折、カラー印刷が必要なときもあるのですが、複合機のリース期間が切れて新しい複合機を入れたら、リース料が以前よりも安いのにカラー印刷ができるようになりました。<o:p></o:p>

 

 かくして、レーザープリンターは休眠状態になりました。営業さんには気の毒ですが、トナーの需要がなくなりました。<o:p></o:p>