啄木に、故郷の訛りを聴きに停車場に行く歌があります。方言は、故郷を感じるためのいいよすがです。<o:p></o:p>
ところが、関西生まれの私から見て、関西弁はどうなのだろうと思います。関西人の集まり、関西人と非関西人の集まりが、関東、特に横浜には結構あります。関西人は、関西弁を手放さないので、関東でも関西弁を平気で話します。このために、関東にいても、関西弁を普通に聞くのです。実は、今朝も電車に乗っていたときに横に立っていた人が関西弁で話していました。こうなると、関西弁は、横浜にいながら普通に聞く言葉になってしまいます。<o:p></o:p>
異郷では普段聞くことがない方言を、たまにきくことで、故郷を強く感じるのです。関西弁は、大げさに言えば今や関東の言葉の一つでもあるのです。私だけではなく、関西人は、関西弁を聞いても故郷を感じないように思うのです。<o:p></o:p>
先日、東北新幹線に乗って福島に向かっていました。車内の売り子さんがコーヒーを買ったお客さんに飲み方を教えていました。「ミルクを入れて下さい」。大体共通語で話していましたが、「ミルク」を平板に発音したのです。東北式のアクセントを聞いた瞬間、強烈な懐かしい気分に捉われました。私は、東北生まれでも育ちでもありません。しかし、先祖代々福島の人間ですから、血が私に懐かしさをもたらしたのか。父方の祖父母は福島県生まれ福島県育ちでした。幼い時に聞いた祖父母の言葉が脳裏に染みついて、それが懐かしさを呼び出したのか。それとも、東北の言葉自体が、日本人に故郷の懐かしさを感じさせる力を持っているのか。<o:p></o:p>
啄木の詠む停車場は上野駅のようですが、私の場合、現在の東北の玄関口東京駅で故郷を感じられそうです。<o:p></o:p>