ユーニッヒ

仕事の話もたまには書くかもしれません。

講師業再び

2018-09-29 12:01:09 | 日記
 神奈川県の消費生活相談員の方の勉強会で講師をしました。今回のテーマは後見制度でした。
 
 今の仕事の前は、予備校の講師でした。公務員試験対策講座、宅建士(当時は宅建主任)試験対策講座で民法を教えることがありました。後見制度についても講義をしました。ならば、今回の講義の準備は簡単になりそうですが、そうではありません。
 
 予備校時代は予備校が発行した教科書がありました。講師は、教科書を解説するのが仕事でした。ですから、話すべき項目は自分で考える必要はありませんでした。しかし、今回は、教科書はありませんから、話すべき項目を一から考えないといけません。

 その項目も、予備校時代に教えていた項目と同じなら、考えるにしても手間はありません。しかし、そうは行きません。予備校時代は、資格試験に受かるために講義をします。何を教え、何を教えないかは、試験に出るか否かで決めます。しかし、今回は、消費生活相談員の方が、消費者問題を解決したり、予防したりする際に、その手段の一つとして後見制度を活用していこうという問題意識があります。解決、予防を考える際に必要な知識は何かという観点で講義内容を決めないといけません。

 項目を決めてからも、順番も含めてどう話すのがわかりいいのかは悩みました。生活相談員の方は、実際の問題を解決する職務をしているので、後見の実務を盛り込んだ方がわかりいいのかと思いました。弁護士が講師として呼ばれているので、実務的な話は期待されているでしょう。

 何か月も前に講師のお話をいただきながら、話す内容が固まったのは、講義の一週間前でした。自分なりに工夫しましたが、講義はどうだったでしょうか。講義は18時15分からでした。一日の仕事を終えて疲れているところで、それでも勉強しようという熱心な方々に満足していただけたか気になります。

藤田嗣治展

2018-09-23 10:58:05 | 日記
 東京都美術館で開催中の「没後50年、藤田嗣治展に行きました。
 
 藤田作品は、1、2点展示される展覧会は時々ありますが、今回の展覧会は、藤田作品を一堂に会する展覧会です。初めての大回顧展ということです。
 
 大学の卒業制作の自画像から、晩年の宗教画までの画家人生の間に描いた絵が展示されています。藤田は、卒業後パリに渡り、そこでさらに絵画を学びます。キュビスムの作品がありました。ヨーロッパに渡り、様々な技法、画風に触れて、驚き、取り入れて、自らの画風を確立しようともがく姿が見えるようです。角張った図形的な静物画で、私は好きですが、一枚しかキュビスムの絵が展示されていませんでした。実験的に描いただけのようです。
 
 藤田と言えば乳白色の絵です。他では見られない、やわらかな乳白色が魅了的です。細長い人物像は、モヂリアーニの影響を受けているということで、なるほどモヂリアーニの絵を見ている気にもなります。

 乳白色の絵が、藤田の到達点のように思っていましたが、藤田にとっては一つの技法に過ぎませんでした。実にいろいろな画風の絵を描いています。乳白色の絵の後に、写実的で鮮烈な色彩の絵を描いてもいます。デフォルメした人形のような子供の絵もあります。

 藤田と言えば、戦争画を描いたことでも有名です。今回の展覧会でも2点展示されていました。そのうちの1点、アッツ島玉砕の絵は、戦う人間の恐怖や非人間的な怒りが絵からあふれ出しています。戦争画を描いたことで、戦後戦争責任を問われた藤田ですが、あの絵を見る限り、国家のために殉じる美しさを感じるものではありません。
 
 藤田は、ただただ自分が描きたい絵を描き続けただけのように思えてなりませんでした。画家なら誰にもありそうな気持です。しかし、藤田は、それが許されず、フランスに移住し、フランス人とならねばなりませんでした。やるせない気持ちになります。


鶴見で泡盛を買う

2018-09-01 12:05:56 | 日記
 もう20年以上前のことです。雑誌に、横浜の鶴見には沖縄の店が並ぶようなところがあり、沖縄の物産が買えるということが出ていました。当時、泡盛に凝っていて、変わった泡盛が買えるかもしれない、一度行ってみたいと思いました。

 私が初めて泡盛を飲んだのは、学生時代で、住んでいた京都にあった沖縄料理屋でした。そこで飲んだのは、瑞穂の古酒(クース)43度でした。これまで味わったことのない独特の風味、香気が気に入り、以来店に行ったときは、強い酒であるのに何杯も注文していました。

 そのころは、泡盛は今ほど知られた酒ではありませんでした。神戸の大丸には、泡盛の「どなん」の60度が置いてありました。どなんをレジに持って行くと、売り子の若い女性同士で「これなんなん?(神戸の言葉で「これは何なの?」)」、「60度ある酒やねん」と会話していました。泡盛は、自分で売っていながら何かわかっていない店員さんがいるくらい知られていない酒でした。そして泡盛は、手に入りやすい酒でもありませんでした。

 件の雑誌を見たのは、それから数年後です。泡盛が買える店は増えましたが、買える銘柄が限られていました。だからこそ、鶴見に期待をしたのです。

 しかし、鶴見の沖縄タウンに行くことはありませんでした。そのうち泡盛熱は醒めてしまいましたし、沖縄タウンは駅から遠くて、行く気力が湧かなかったからです。

 それが先日行ってきました。沖縄タウンの辺りに仕事があったからです。沖縄の物産を売る店に行きました。炎天下20分以上歩いて現地に行ったために、暑さでのしんどさが勝ってしまい、20年以上前の夢が実現した感慨がありませんでした。

 ところが、並ぶ泡盛を見ると、嬉しくなりました。20年以上前に来てもこのような気持ちになったことでしょう。泡盛熱は醒めても、嫌いになったわけではありません。これから事務所に帰るので荷物は嫌だなとは思いつつも、44度と言う珍しい度数の「44」を買いました。