ユーニッヒ

仕事の話もたまには書くかもしれません。

プロの歌手はたやすくは歌わない

2022-12-25 15:24:43 | 日記
 シューベルトのセレナーデを初めて知ったのは、高校2年のときです。私が通う
高校では、2年生は音楽の授業を受けることになっていました。シューベルトの

 セレナーデは、教材として取り上げられていました。教科書には、ドイツ語の歌詞と
堀内敬三の訳詞が出ていました。先生が、訳詞を見て、「『たゆたいそ』ってなんだろうね。
難しいね」と言いながら、ドイツ語で歌おうということになりました。今では記憶に
ありませんが、ドイツ語の発音は教えてもらったのでしょう。この授業には試験があって、
一人でドイツ語でセレナーデを歌うことがその内容でした。テストでは、出ない声で、必死に
節にドイツ語の音を載せて意味も分からず歌いました。

 このときの先生は、藤原歌劇団に属する現役のオペラ歌手でした。こう書くと素晴らしい
お手本が聴けたように思いますが、実は、先生の歌は一度も聴いたことがありません。授業中は、
ただの一声も発しませんでした。シェフは家で料理をしないと言いますが、オペラ歌手は舞台の
外では歌わないということでしょうか。先生は、セレナーデを歌うことは一切ありませんでした。

 お手本を示されても、絶対に真似はできません。声楽の基礎も何もありませんでした。しかし、
お手本に歌っていただけたら、どのように歌うものなのかは分かったことでしょう。

 その数年後、映画「未完成交響楽」の中で、セレナーデを聴くことになります。「未完成交響楽」は、
シューベルトを主役にシューベルトの恋愛と、未完成交響楽はなぜ未完成になったのかを描きます。
映画の中で、シューベルトは、ハンガリーの貴族の令嬢の音楽教師となります。シューベルトが
授業でセレナーデを教えていると、令嬢がセレナーデを歌い出します。令嬢を演じたのは、
ハンガリー人の女優マルタ・エッゲルトです。令嬢と言うには容姿が妙に艶めかしいのですが、
その歌うセレナーデも艶めかしいものでした。しかし、セレナーデの歌はこのような歌なのかと
ようやくわかりました。

 ライゼフレーエンと、セレナーデの一節の音だけが頭に残っています。意味は分かりません。
この状態が、今まで続きました。細かく歌詞の意味を調べたのは、ほんの1ヶ月くらい前です。
ようやく恋人に恋心を告げる歌だと分かりました。 

 セレナーデの歌詞の意味までわかりましたが、魅力的に歌うことは今もできません。この点は、
永遠に未完成のままです。

あれ、ここって

2022-12-03 12:07:47 | 日記
 最近は刑事事件はあまりしませんが、登録して数年は多くの刑事事件を担当しました。
刑事事件を担当すると、警察署や拘置所に接見に行きます。警察署は神奈川県内にいくつも
ありますが、大和警察署に行くことが多い気がします。

 大和警察署へは、相鉄の大和駅で降り、駅前の広場を横切って向かいます。帰りは、その
広場を横切って大和駅に行きます。そのようなことを、何年もの間、何回と繰り返していたの
ですが、2年前であったか、急にあることに気付きました。「この広場のここに昔立っていた
ことがある」。

 私が大学受験生であったころ、相鉄の鶴ヶ峰駅からしばらく歩いたところにある高校で、
共通一次の受験をしました。鶴ヶ峰駅は、大和駅から5つ横浜駅寄りの駅です。共通一次は
2日連続の試験で、2日目は16時に終わったと記憶しています。会場を出て、鶴ヶ峰駅に行き、
そこで海老名方面の電車に乗りました。私は、終点海老名駅に行こうとしていましたが、乗った
電車は大和止まりでした。

 大和で下ろされ、海老名寄りのホームに立ちました。当時の大和駅は、今の地下駅と違って、地上に
ありました。冬の日暮れは早く、ホームから見る空は夜の闇でした。冷たい風が吹いました。寒さに
耐えつつ、早く海老名行は来ないかと待っていました。相鉄と小田急江ノ島線は、大和駅で交差して
います。小田急江ノ島線は、高架を走っていました。相鉄大和駅のホームからは、高架を走っていく
小田急の電車が見えました。あっちに乗った方が早く帰れるのでは、とも思ったような気もします。
小田急線にも海老名駅があります。

 相鉄大和駅は何年か後地下化されました。駅前広場は、地上駅ホームと線路がかつてあった場所でした。
今も高架を走る小田急江ノ島線を見て、あのとき見た小田急江ノ島線と結びつき、広場の由来に気が
付きました。何度も横切っていた場所の地上より少し高いところに若い時の私が立っていました。

 あのときの自分は、胸にバッジをつけて警察署に行く姿など想像もしていませんでした。しかし、
それよりも意外、否最早荒唐無稽と言っていいのは、自分が今立っているホームの底地や、目の前に
見える線路の敷地を横切って歩いていることです。想像の域や能力を超えた現実が訪れるものです。