作品名と作者は知っているものの、読んだことのない小説というものがあります。十返舎一九の東海道中膝栗毛は、その一つです。この作品は、書名と作者名だけではなく、内容も有名です。弥次さん、喜多さんの珍道中と言う内容を誰もが知っています。すべてを知ったような気がして、読むと言う発想がなかったのですが、ふと読む気になり、何年かかけて、このたびようやく読み終えました。
二人は江戸を立ち、お伊勢さんを目指します。お伊勢さんの後は、京、大坂を遊山します。各地で、二人で冗談を言いながら、そしてその冗談が発端となってちょっとした騒動を起こしながら旅が続きます。
この作品の特徴は、会話文が地の文よりも多いことです。地の文で、物語の背景を語ることもありますが、登場人物に語らせることでその場の情景も雰囲気も伝えます。ほぼ会話だけと言ってもいい書き方で、読み手には映像が浮かびます。
今でも旅番組では、食事の場面がよく出ますが、この作品でも、よく食べる場面が出てきます。旅先で、その地の物を食べるのは、旅の楽しみです。食べる際には、昼間でも、酒を飲みます。今でも、特急列車で旅行する人が、朝からビールを飲んでいることがあります。私も普段は酒は夜にしか飲みませんが、旅先で暑いさなか、駅で列車を待つ間、真昼なのにビールを飲んだことがあります。酒は、いつの時代も旅の楽しみというところでしょうか。
ギャグには、時折糞尿に絡んだものが出てきます。この手のギャグを大人が楽しむことは、今ではありません。いい大人が糞尿で笑っているところに、江戸の時代の人の、今とは違ったギャグセンスを感じます。
この作品の大いなる主題は、二人が旅先で会う人たちの間で起こす騒動です。実際の旅でも、旅先で、名前も知らない、ほんのわずかな間接触するだけの、多くの人に出会います。見知らぬ人とほんの一瞬会うことも、旅気分を作り出します。弥次、喜多の旅先の人との関係は、現実社会での出会いよりも濃密ですが、滑稽な騒動話を読みつつ、旅気分に浸れるところも、この作品の面白みです。
二人は江戸を立ち、お伊勢さんを目指します。お伊勢さんの後は、京、大坂を遊山します。各地で、二人で冗談を言いながら、そしてその冗談が発端となってちょっとした騒動を起こしながら旅が続きます。
この作品の特徴は、会話文が地の文よりも多いことです。地の文で、物語の背景を語ることもありますが、登場人物に語らせることでその場の情景も雰囲気も伝えます。ほぼ会話だけと言ってもいい書き方で、読み手には映像が浮かびます。
今でも旅番組では、食事の場面がよく出ますが、この作品でも、よく食べる場面が出てきます。旅先で、その地の物を食べるのは、旅の楽しみです。食べる際には、昼間でも、酒を飲みます。今でも、特急列車で旅行する人が、朝からビールを飲んでいることがあります。私も普段は酒は夜にしか飲みませんが、旅先で暑いさなか、駅で列車を待つ間、真昼なのにビールを飲んだことがあります。酒は、いつの時代も旅の楽しみというところでしょうか。
ギャグには、時折糞尿に絡んだものが出てきます。この手のギャグを大人が楽しむことは、今ではありません。いい大人が糞尿で笑っているところに、江戸の時代の人の、今とは違ったギャグセンスを感じます。
この作品の大いなる主題は、二人が旅先で会う人たちの間で起こす騒動です。実際の旅でも、旅先で、名前も知らない、ほんのわずかな間接触するだけの、多くの人に出会います。見知らぬ人とほんの一瞬会うことも、旅気分を作り出します。弥次、喜多の旅先の人との関係は、現実社会での出会いよりも濃密ですが、滑稽な騒動話を読みつつ、旅気分に浸れるところも、この作品の面白みです。