復活!!masaoのポジっ記 since2013

~日頃感じたことを思いつくままに(twitterの方がいいんじゃない/汗)~

へきえき

2018-09-27 08:51:30 | ひとり言
権利を主張する背後には義務がある。
下の人間の責任は上司がもつ。
個々の利益よりも全体の調和を意味する「公共の福祉」。

当たり前のことばかりと想うのは、古い人間なのか…と想ってしまうくらい、自己の利益ばかりを追い求めるニュースばかりで辟易(へきえき)するばかり。

パワハラ問題が他のニュースに打ち消されるように収束...と想われていたレスリングで、当事者による逆提訴していたり、直近ニュースでは相撲の問題やら、遺産相続の問題やら。

表立っていれば社会全体で解決に向けて議論(野次馬的なものも含めて)するんだろうけど、身近なところでも、くだらない主義主張、客観性のないこだわり、根拠のない言動、そこに群がる野次馬やらハイエナやら…。

今朝の新聞でも「学校にタイムカード導入」なんて記事があったけど、そんなことを推奨するやつは教育界から居なくなってしまえ‼︎ って想ってしまう。

国を挙げて、公務として携わる教育者が、時間の範囲内で…ってどういうこと?もちろん「必要であれば」が前提だけど、時間の限り全うするのが、公務としての教育なんじゃないの?教職の一般企業からみた「ブラック」さなんて周知の事実だし、その上でその職を選んだのは自分自身なのでは?

ただ、保護者側がこの記述を基にしたクレームを出すのもある意味問題だとも想うけど(それだけ子供が可愛いなら自身で目をかければいいだけだし、そこまで過保護では子供の社会性は育めないと想うし、どーしても…というなら納得できる私立に入れればいいだけだと想うし)...ということも付け加えてはおきたい。

譲り合う…とか、相手の身になって…などは、もはや「営利サービス」の中だけでしか存在しないのでしょうか?本来、その想いが日本人のメンタリティに根付いていて、それをビジネスに反映させたことが、日本経済発展の源(みなもと)だったんじゃないのでしょうか?

「日本らしさ」って、いったい何処に…。