今回は、津和野から萩を巡る旅を紹介します。
津和野に夜到着し、津和野の旅館「よしのや」で1泊します。
「よしのや」は、古民家を改造した小京都の趣きのする旅館です。
旅館の昔ながらのサービスを受けられます。
翌朝8時、津和野を散策します。
まず、殿町通りのコイを見ます。水路に色とりどりの大きく太ったコイが泳いでいます。
水路には、菖蒲が植わっており、5月に来れば花とコイが鮮やかです。
次に津和野カトリック教会を訪れます。
この教会は、木造で、一面に畳が敷かれています。
祭殿には、マリア様の像があり、こじんまりとした美しい教会です。
お祈りをします。
次に道の向かいにある津和野役場へ行きます。
木造の旧役場が今は、観光マップなど観光資料を置いてあります。
ここから南に向かって歩いていくと、津和野大橋のたもとに設置されている「鷺舞のモニュメント」が、見えます。鷺舞(さぎまい)は、京都の八坂神社で行われていたものを大名 大内氏が持ち帰り、津和野で受け継がれている国の重要無形文化財です。
京都では、鷺舞(さぎまい)は廃れたので貴重です。
ここで休憩して、津和野名物 源氏草子 の和菓子をいただきます。
適度な甘さのこしあんで美味しいです。
次に永明寺へ向かいます。
この寺には、津和野生まれの森鴎外、本名 森林太郎の墓があります。
本殿と反対側の石垣の上にあります。
時間がないのでお墓の写真を撮って、急いで次の乙女峠マリア聖堂へ向かいます。
永明寺から15分ほどして乙女峠マリア聖堂に到着です。
ここは、江戸時代、長崎浦上村のキリスト教信徒153名を収容した寺で、津和野藩により信徒に対して拷問が行われ、36名の殉教者を出した所です。
その際、日本国内ではじめて聖母マリアが顕現したといわれる場所です。
その後、1948年にマリア聖堂が建造され、ステンドグラスには当時の悲劇の様子が描かれています。
痛ましい状況で、胸が痛みます。
次に津和野城へ向かいます。
津和野駅から南西に40分ほど歩き、リフトに乗って山上に向かいます。
リフトを降りて、15分ほどすると城跡に到着です。
津和野城は津和野盆地の南西部に横たわる標高367メートルの山城です。
鎌倉時代に吉見頼行公が築城し、江戸時代は津和野藩亀井氏の居城です。
現在は石垣が残るのみです。城跡からは正面に秀峰青野山、眼下に津和野の町並みが見渡せます。
昼飯を津和野でいただき、津和野駅前からバスで、山口県萩へ向かいます。
JR益田から山陰本線でも行けますが、電車の便は少なく、バスが便利です。
100分ほどバスに乗るとは東萩駅に4時過ぎに到着です。
萩では、城下町を散策し、晩飯は、新鮮な日本海の魚の刺身を食べ、1泊します。
翌朝萩市内を散策します。
まず、駅前でレンタサイクルを借りて松陰神社へ向かいます。
1890年に吉田松陰を祀って建てられた神社です。
松陰神社前の大きな鳥居から入っていきます。
神社の本殿までには、吉田松陰歴史館、松下村塾、松陰神社宝物殿 があります。
吉田松陰歴史館では、松陰などを蝋人形で見れ、その歴史を勉強できます。
松下村塾は、当時の塾が小さな家として保存されています。
神社は、学問の神様です。ここで参拝します。
次に萩市の中央にある高杉晋作の生まれた家を訪問します。
建物は江戸時代のものより縮小されていますが当時の面影をよく残しています。
敷地内には、晋作ゆかりの品や句碑・産湯の井戸などがありますが、立ち入り禁止で、見れる所は少ないです。
晋作は、松下村塾に通い、我が国初の軍事組織“奇兵隊”を創設し、討幕戦を指導した人物です。1867年結核のため、29歳の若さでなくなりました。
昼飯を食べ、午後は、萩城跡を訪れます。
萩市の西端にあります。
萩城は1604年に毛利輝元が築城。現在は石垣と堀の一部が残っています。
天守閣跡、梨羽家茶室、旧福原家書院、万歳橋、東園などの旧跡があります。
関ヶ原の戦いで敗れた毛利氏は、周防国・長門国の2ヶ国に減封されたため、広島城に代わる居城として1604年に築いた城です。
指月山の山麓にある平城(天守閣、本丸、二の丸、三の丸)と山頂にある山城(詰丸)で構成されています。本丸は、250年余りの間、長州藩の中心でした。
城は明治時代に取り壊され、石垣や堀のみが保存され、指月公園(しづきこうえん)として、二の丸入口近くに旧厚狭毛利家萩屋敷長屋があり、松下村塾や侍屋敷などとともに萩市の観光名所となっています。
二の丸南門近くには、毛利輝元の像があります。この像は新しく、2004年に萩開府400年を記念して設置されたものです。
山口県萩市は、幕末から明治維新の時代に中心となった地域で、多数の観光スポットがあります。
萩市を訪れてみてください。
津和野に夜到着し、津和野の旅館「よしのや」で1泊します。
「よしのや」は、古民家を改造した小京都の趣きのする旅館です。
旅館の昔ながらのサービスを受けられます。
翌朝8時、津和野を散策します。
まず、殿町通りのコイを見ます。水路に色とりどりの大きく太ったコイが泳いでいます。
水路には、菖蒲が植わっており、5月に来れば花とコイが鮮やかです。
次に津和野カトリック教会を訪れます。
この教会は、木造で、一面に畳が敷かれています。
祭殿には、マリア様の像があり、こじんまりとした美しい教会です。
お祈りをします。
次に道の向かいにある津和野役場へ行きます。
木造の旧役場が今は、観光マップなど観光資料を置いてあります。
ここから南に向かって歩いていくと、津和野大橋のたもとに設置されている「鷺舞のモニュメント」が、見えます。鷺舞(さぎまい)は、京都の八坂神社で行われていたものを大名 大内氏が持ち帰り、津和野で受け継がれている国の重要無形文化財です。
京都では、鷺舞(さぎまい)は廃れたので貴重です。
ここで休憩して、津和野名物 源氏草子 の和菓子をいただきます。
適度な甘さのこしあんで美味しいです。
次に永明寺へ向かいます。
この寺には、津和野生まれの森鴎外、本名 森林太郎の墓があります。
本殿と反対側の石垣の上にあります。
時間がないのでお墓の写真を撮って、急いで次の乙女峠マリア聖堂へ向かいます。
永明寺から15分ほどして乙女峠マリア聖堂に到着です。
ここは、江戸時代、長崎浦上村のキリスト教信徒153名を収容した寺で、津和野藩により信徒に対して拷問が行われ、36名の殉教者を出した所です。
その際、日本国内ではじめて聖母マリアが顕現したといわれる場所です。
その後、1948年にマリア聖堂が建造され、ステンドグラスには当時の悲劇の様子が描かれています。
痛ましい状況で、胸が痛みます。
次に津和野城へ向かいます。
津和野駅から南西に40分ほど歩き、リフトに乗って山上に向かいます。
リフトを降りて、15分ほどすると城跡に到着です。
津和野城は津和野盆地の南西部に横たわる標高367メートルの山城です。
鎌倉時代に吉見頼行公が築城し、江戸時代は津和野藩亀井氏の居城です。
現在は石垣が残るのみです。城跡からは正面に秀峰青野山、眼下に津和野の町並みが見渡せます。
昼飯を津和野でいただき、津和野駅前からバスで、山口県萩へ向かいます。
JR益田から山陰本線でも行けますが、電車の便は少なく、バスが便利です。
100分ほどバスに乗るとは東萩駅に4時過ぎに到着です。
萩では、城下町を散策し、晩飯は、新鮮な日本海の魚の刺身を食べ、1泊します。
翌朝萩市内を散策します。
まず、駅前でレンタサイクルを借りて松陰神社へ向かいます。
1890年に吉田松陰を祀って建てられた神社です。
松陰神社前の大きな鳥居から入っていきます。
神社の本殿までには、吉田松陰歴史館、松下村塾、松陰神社宝物殿 があります。
吉田松陰歴史館では、松陰などを蝋人形で見れ、その歴史を勉強できます。
松下村塾は、当時の塾が小さな家として保存されています。
神社は、学問の神様です。ここで参拝します。
次に萩市の中央にある高杉晋作の生まれた家を訪問します。
建物は江戸時代のものより縮小されていますが当時の面影をよく残しています。
敷地内には、晋作ゆかりの品や句碑・産湯の井戸などがありますが、立ち入り禁止で、見れる所は少ないです。
晋作は、松下村塾に通い、我が国初の軍事組織“奇兵隊”を創設し、討幕戦を指導した人物です。1867年結核のため、29歳の若さでなくなりました。
昼飯を食べ、午後は、萩城跡を訪れます。
萩市の西端にあります。
萩城は1604年に毛利輝元が築城。現在は石垣と堀の一部が残っています。
天守閣跡、梨羽家茶室、旧福原家書院、万歳橋、東園などの旧跡があります。
関ヶ原の戦いで敗れた毛利氏は、周防国・長門国の2ヶ国に減封されたため、広島城に代わる居城として1604年に築いた城です。
指月山の山麓にある平城(天守閣、本丸、二の丸、三の丸)と山頂にある山城(詰丸)で構成されています。本丸は、250年余りの間、長州藩の中心でした。
城は明治時代に取り壊され、石垣や堀のみが保存され、指月公園(しづきこうえん)として、二の丸入口近くに旧厚狭毛利家萩屋敷長屋があり、松下村塾や侍屋敷などとともに萩市の観光名所となっています。
二の丸南門近くには、毛利輝元の像があります。この像は新しく、2004年に萩開府400年を記念して設置されたものです。
山口県萩市は、幕末から明治維新の時代に中心となった地域で、多数の観光スポットがあります。
萩市を訪れてみてください。
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