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『ゲキxシネ五右衛門ロック』『The Musical AIDA』など、ミュージカルの話題作に出演の青山航士さんについて。

ルドルフ RUDOLF The Last Kiss/119年前の今夜、マイヤーリンクで

2008-01-29 | RUDOLF The Last Kiss
 1889年、1月29日深夜から30日にかけて、皇太子ルドルフと男爵令嬢マリー・ヴェッツェラの二人は彼岸へと旅立ちました。
 健康を損なったうえ、政治的な挫折によって精神的にも追い詰められたルドルフは、87年3月には遺書を書いています。89年1月の地中海旅行から帰ると彼の心身の状態はますます悪化し、皇太子妃ステファニーは従僕にとりつぎを頼んで、思い切って皇帝フランツ・ヨーゼフに相談をしました。が、心配はない、といなされ、彼女の勇気をふりしぼっての接見は早々に切り上げられたといいます。
 ルドルフとステファニーの夫婦仲は良いとはいえず、事件直前にもルドルフが教皇に離婚許可を求めていたことが記録に残されています。が、この時ルドルフの変化に気付いた「家族」は彼女だけなのだそうです。在位中、朝5時に起きて夜11時に就寝というリズムをまったく崩すことなく皇帝としての執務に専念していた父帝と、ウィーンを離れることの多かったヨーロッパ随一の美女である母后の二人を、ルドルフは敬愛していたようなのですが・・・。
 もうひとり、ルドルフとマリーを引き合わせたラリッシュ夫人も、一片の嘘をはさみながらも、皇太子が自殺しようとしている、と警察に事前に報告していたといいます。そして前にも触れたように、ルドルフの愛人ミッツィー・カスパーもルドルフの自殺願望について帝国警察に報告しているのです。もしも誰かひとりでも彼女達3人の言うことに耳を傾けて全力で対応していたら、マイヤーリンク事件は起きなかったかもしれません。女性というものが社会的に軽んじられていた時代だったこともありますが、それ以上にルドルフが王宮で味わっていた孤独が痛いほど感じられるエピソードです。
 ルドルフが外出する際、いつも手綱を握ったブラットフィッシュは、119年前の今夜もルドルフの側にいました。事件後、とある出版社が彼に膨大な金額を提示して事件のいきさつを語るように持ち掛けたそうですが、忠実な彼は一切口を割らなかったそうです。ルドルフもまた身分を越えて心からの信頼を寄せていたというブラットフィッシュは、その夜、何を想ったでしょうか。 


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