PLANET LULU GALAXY!

ルルの日記

グッディとビリー

2020-10-07 13:18:27 | 

 

 

イーサン・ホーク兄貴演じるグッディ(GNロビショー)と、イ・ビョンホン様演じるビリーの黄金⚜コンビ🔫🗡🍒(馬が愛すぎ🐴🐴 馬だね〜〜🥕🥕🤤🤤 漢と漢の友情、大好物 ブロマンス的な要素も含めて…❤️)


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ブライアン・ウィルソンとベッドと熊楠と布団

2018-07-21 10:55:22 | 伝説

 

ポール(・マッカートニー)の訪問で、ビビってベッドの下に隠れたブライアン・ウィルソン、というエピソード、伝説があったけど、どうやら、南方熊楠先生🐻にもそんな伝説があるらしい…💭

 

もう、既に濃ゆい頻度で往復書簡✉️✍️にてやり取りしてた(オタク同士の馬のアイ🐴🐴💞っぷり尋常でなし🐴🐴😳 海馬という名の馬🎠🎠)、民俗学者の柳田國男氏の自宅への訪問を受けて、怖気付いて、大酒飲んで🍶布団の中で隠れて待ってたとか天才のメンヘラっぷりやべー☜ちょっと褒め言葉😅  だいぶシンパシー…✨) この前、上野に南方熊楠展を観に行った👀時に知ったエピソード…


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椿鬼奴 初号機/椿鬼奴Band×BON JOVI

2017-11-17 18:39:25 | Make 'em laugh!

椿鬼奴 初号機

豹柄動画はなかったけど💦☜今まで探してた😅、鬼奴さんのエヴァ初号機(今まで書いたエヴァンゲリオンに関してのシーケンス🌟)の真似発見👀💫(コアなヲタクっぷりでも有名な?栗山千明嬢も大喜び 今まで書いた千明ちゃんに関しての日記のシーケンス・・・

 

椿鬼奴Band×BON JOVI

椿鬼奴Band×BON JOVIも貼っておきますね

Woah~~ we're half way there~~🎵
Wo~ah~~~ livin' on a prayer~~☜バリ島のスミニャックにあるliveバー“ザッパス”で、たいへんだんなさんと馬が合ってた🍒オエオエ声の男の子が歌ってた曲及び上の動画☝︎椿鬼奴Band×BON JOVILIVE大トリの曲。。。☞livin' on a prayer🎼

 


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インスピレーション 想念

2017-10-13 11:05:31 | 心象風景

馬が合う🎵


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袂を分かつ

2014-08-04 15:10:47 | 心象風景

S君”には、お世話になった部分も馬が合った部分もあったけど、言葉が(シャレにならないレベルで..)キツすぎて、友情に未来を感じられなくなり、縁を断ち切ったことを思い出した。(今だから落ち着いて話せる... で、断ち切ったら相手への感謝も回想という形で想い出すことができるようになったので、結果的に良かったのだと思う。)


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Nick Cave and PJ Harvey - Henry Lee

2014-02-12 11:05:46 | 音楽
NickPollyのコラボ...


Nick Cave and PJ Harvey - Henry Lee


わたし、はじめて聴き(観)ました・・・・・

なんだかとても馬が合ってるご様子。。。。似たもの同志??

兄妹みたいにも見えるけど。。。


Henry Leeの歌詞&訳検索して見つけました....



Henry Lee
クリエーター情報なし
Mute


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KL空港→KLセントラルに・・・

2013-06-04 16:46:08 | マレーシア旅行

マレーシア旅行記に戻ります(人生はバランスが大事ですな &リズム...

 

私がプリチーな看板にやっほーいとか言ってるあいだも、いろんなことをぜんぶ背負ってる(旅行の計画とか... まるで娘のようなオクサン←ダンナさん・談 のための危険回避とか... ダンナさん、たいへん。。。 ...娘みたいなオクサンってハナシ、平子理沙ちゃんの旦那さまの吉田A作氏もしてたな....)ダンナさんは、はじめての場所で考えて行動しなければならないので、緊張感がありあり。。。 「アナタ広告ばかり観てはしゃいでるんじゃないわよ 危なっかしいわね またリュックの後ろ開けっ放しなんじゃない??(←よくやる) 気をつけなさいよ(なぜかオネエ言葉。。)」みたいなこと言われて怒られちゃいました

 

KL空港の電車に乗って、KLセントラル駅まで向かいます~~

 

チケット、カード型でした 先端っぽーい←時代の

 

世界の車窓から・・・ 実は、私、海外で電車に乗るのはじめてなのです....(バリ島は鉄道が通ってないし ハワイもレンタカーだったし、オーストラリアはバス移動だったので...

「なんか、東海道線でうちの実家に帰るみたい~~(景色、というより、距離感が。。。 大体乗ってた時間が40分くらいだったので...)」とかいつかと同じようなことを言ってましたが...

 

イスラム調の建物をダンナさんがパチリ

 

KLセントラル駅に到着

マレーシアはイスラム系の人が多いので、ショールをまとった人がたくさんいました~~

 

ダンナさんにお願いしてとってもらった絵

 

スタバで一休み

ノートパソコンに向かってる人がたくさんいました

 

次は、とても親切なマレーシアの地元っ子、ダンナさんとFacebookのお友達になった“ルークスカイウォーカー”こと、ルーク君(本名ルクファン君だっけ?? ダンナさんとおんなじIT業務 だからか?とても馬が合ってました)についてお話したいです~~~←彼ともめちゃくちゃ“縁”がありました

 

&、ちゃんと“おでかけ”じゃなくて、マレーシア旅行のカテゴリー作りたいです~~~ 実は枠がもういっぱいいっぱいなんだだけど~~(どこかをまとめるか...)


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草枕 一章 夏目漱石

2012-05-10 03:56:58 | 心象風景

青空文庫から・・・ ルビの部分はあとで(次の日)直します

 

 

山路を登りながら、こう考えた。
 

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
 

人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
 

越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。
 

住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。着想を紙に落さぬとも※(「王+膠のつくり」、第3水準1-88-22)鏘の音は胸裏に起る。丹青は画架に向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自ずから心眼に映る。ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁の俗界を清くうららかに収め得れば足る。この故に無声の詩人には一句なく、無色の画家には尺※(「糸+賺のつくり」、第3水準1-90-17)なきも、かく人世を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点において、かく清浄界に出入し得るの点において、またこの不同不二の乾坤を建立し得るの点において、我利私慾の覊絆を掃蕩するの点において、――千金の子よりも、万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福である。
 

世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日はこう思うている。――喜びの深きとき憂いよいよ深く、楽みの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片づけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖れば寝る間も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支えている。背中には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足らぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……

 

余の考えがここまで漂流して来た時に、余の右足は突然坐りのわるい角石の端を踏み損くなった。平衡を保つために、すわやと前に飛び出した左足が、仕損じの埋め合わせをすると共に、余の腰は具合よく方三尺ほどな岩の上に卸おりた。肩にかけた絵の具箱が腋の下から躍り出しただけで、幸いと何なんの事もなかった。

 

立ち上がる時に向うを見ると、路から左の方にバケツを伏せたような峰が聳えている。杉か檜か分からないが根元から頂きまでことごとく蒼黒い中に、山桜が薄赤くだんだらに棚引いて、続ぎ目めが確と見えぬくらい靄が濃い。少し手前に禿山が一つ、群をぬきんでて眉に逼る。禿げた側面は巨人の斧で削り去ったか、鋭どき平面をやけに谷の底に埋うずめている。天辺に一本見えるのは赤松だろう。枝の間の空さえ判然している。行く手は二丁ほどで切れているが、高い所から赤い毛布が動いて来るのを見ると、登ればあすこへ出るのだろう。路はすこぶる難義だ。
 

土をならすだけならさほど手間も入いるまいが、土の中には大きな石がある。土は平らにしても石は平らにならぬ。石は切り砕いても、岩は始末がつかぬ。掘崩した土の上に悠然と峙って、吾らのために道を譲る景色はない。向うで聞かぬ上は乗り越すか、廻らなければならん。巌のない所でさえ歩きよくはない。左右が高くって、中心が窪んで、まるで一間幅を三角に穿くって、その頂点が真中を貫いていると評してもよい。路を行くと云わんより川底を渉わたると云う方が適当だ。固より急ぐ旅でないから、ぶらぶらと七曲りへかかる。
 

たちまち足の下で雲雀の声がし出した。谷を見下ろしたが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。せっせと忙しく、絶間なく鳴いている。方幾里の空気が一面に蚤に刺されていたたまれないような気がする。あの鳥の鳴く音には瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句は、流れて雲に入いって、漂うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡に残るのかも知れない。
 

巌角を鋭どく廻って、按摩なら真逆様に落つるところを、際どく右へ切れて、横に見下ろすと、菜の花が一面に見える。雲雀はあすこへ落ちるのかと思った。いいや、あの黄金の原から飛び上がってくるのかと思った。次には落ちる雲雀と、上る雲雀が十文字にすれ違うのかと思った。最後に、落ちる時も、上る時も、また十文字に擦れ違うときにも元気よく鳴きつづけるだろうと思った。

 

春は眠くなる。猫は鼠を捕る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分の魂の居所さえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く望んだときに眼が醒める。雲雀の声を聞いたときに魂のありかが判然する。雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。
 たちまちシェレーの雲雀の詩を思い出して、口のうちで覚えたところだけ暗誦して見たが、覚えているところは二三句しかなかった。その二三句のなかにこんなのがある。

  We look before and after
    And pine for what is not:
  Our sincerest laughter
    With some pain is fraught;
Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.

「前をみては、後えを見ては、物欲しと、あこがるるかなわれ。腹からの、笑といえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極みの歌に、悲しさの、極みの想い、籠るとぞ知れ」
 

なるほどいくら詩人が幸福でも、あの雲雀のように思い切って、一心不乱に、前後を忘却して、わが喜びを歌う訳には行くまい。西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よく万斛の愁などと云う字がある。詩人だから万斛で素人なら一合で済むかも知れぬ。して見ると詩人は常の人よりも苦労性で、凡骨の倍以上に神経が鋭敏なのかも知れん。超俗の喜びもあろうが、無量の悲しみも多かろう。そんならば詩人になるのも考え物だ。
 

しばらくは路が平らで、右は雑木山、左は菜の花の見つづけである。足の下に時々蒲公英を踏みつける。鋸のような葉が遠慮なく四方へのして真中に黄色な珠を擁護している。菜の花に気をとられて、踏みつけたあとで、気の毒な事をしたと、振り向いて見ると、黄色な珠は依然として鋸のなかに鎮座している。呑気なものだ。また考えをつづける。
 

詩人に憂いはつきものかも知れないが、あの雲雀を聞く心持になれば微塵の苦もない。菜の花を見ても、ただうれしくて胸が躍るばかりだ。蒲公英もその通り、桜も――桜はいつか見えなくなった。こう山の中へ来て自然の景物に接すれば、見るものも聞くものも面白い。面白いだけで別段の苦しみも起らぬ。起るとすれば足が草臥れて、旨いものが食べられぬくらいの事だろう。
 

しかし苦しみのないのはなぜだろう。ただこの景色を一幅の画として観、一巻の詩として読むからである。画であり詩である以上は地面を貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて一儲けする了見も起らぬ。ただこの景色が――腹の足しにもならぬ、月給の補いにもならぬこの景色が景色としてのみ、余が心を楽ませつつあるから苦労も心配も伴わぬのだろう。自然の力はここにおいて尊とい。吾人の性情を瞬刻に陶冶して醇乎として醇なる詩境に入らしむるのは自然である。

 

恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。しかし自身がその局に当れば利害の旋風に捲き込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩んでしまう。したがってどこに詩があるか自身には解しかねる。
 

これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居は観て面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害は棚へ上げている。見たり読んだりする間だけは詩人である。
 

それすら、普通の芝居や小説では人情を免かれぬ。苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。見るものもいつかその中に同化して苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。取柄は利慾が交らぬと云う点に存するかも知れぬが、交らぬだけにその他の情緒は常よりは余計に活動するだろう。それが嫌だ。
 

苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通して、飽々した。飽き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる詩である。いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少かろう。どこまでも世間を出る事が出来ぬのが彼らの特色である。ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌の純粋なるものもこの境を解脱する事を知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世の勧工場にあるものだけで用を弁じている。いくら詩的になっても地面の上を馳けてあるいて、銭の勘定を忘れるひまがない。シェレーが雲雀を聞いて嘆息したのも無理はない。

 

うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。採菊東籬下、悠然見南山。ただそれぎりの裏に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が覗いてる訳でもなければ、南山に親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。独坐幽篁裏、弾琴復長嘯、深林人不知、明月来相照。ただ二十字のうちに優に別乾坤を建立している。この乾坤の功徳は「不如帰」や「金色夜叉」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てた後に、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。
 

二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ呑気な扁舟を泛うかべてこの桃源に溯るものはないようだ。余は固より詩人を職業にしておらんから、王維や淵明の境界を今の世に布教して広げようと云う心掛も何もない。ただ自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりもありがたく考えられる。こうやって、ただ一人ひとり絵の具箱と三脚几を担かついで春の山路をのそのそあるくのも全くこれがためである。淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間までも非人情の天地に逍遥したいからの願い。一つの酔興だ。
 

もちろん人間の一分子だから、いくら好きでも、非人情はそう長く続く訳には行かぬ。淵明だって年が年中南山を見詰めていたのでもあるまいし、王維も好んで竹藪の中に蚊帳を釣らずに寝た男でもなかろう。やはり余った菊は花屋へ売りこかして、生えた筍は八百屋へ払い下げたものと思う。こう云う余もその通り。いくら雲雀と菜の花が気に入ったって、山のなかへ野宿するほど非人情が募ってはおらん。こんな所でも人間に逢う。じんじん端折の頬冠や、赤い腰巻の姉さんや、時には人間より顔の長い馬にまで逢う。百万本の檜に取り囲まれて、海面を抜く何百尺かの空気を呑んだり吐いたりしても、人の臭いはなかなか取れない。それどころか、山を越えて落ちつく先の、今宵の宿は那古井の温泉場だ。

 

ただ、物は見様でどうでもなる。レオナルド・ダ・ヴィンチが弟子に告げた言に、あの鐘の音を聞け、鐘は一つだが、音はどうとも聞かれるとある。一人の男、一人の女も見様次第みようしだいでいかようとも見立てがつく。どうせ非人情をしに出掛けた旅だから、そのつもりで人間を見たら、浮世小路の何軒目に狭苦しく暮した時とは違うだろう。よし全く人情を離れる事が出来んでも、せめて御能拝見の時くらいは淡い心持ちにはなれそうなものだ。能にも人情はある。七騎落でも、墨田川でも泣かぬとは保証が出来ん。しかしあれは情三分芸七分で見せるわざだ。我らが能から享けるありがた味は下界の人情をよくそのままに写す手際から出てくるのではない。そのままの上へ芸術という着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき悠長な振舞いをするからである。

 

しばらくこの旅中に起る出来事と、旅中に出逢う人間を能の仕組みと能役者の所作に見立てたらどうだろう。まるで人情を棄すてる訳には行くまいが、根が詩的に出来た旅だから、非人情のやりついでに、なるべく節倹してそこまでは漕ぎつけたいものだ。南山や幽篁とは性の違ったものに相違ないし、また雲雀や菜の花といっしょにする事も出来まいが、なるべくこれに近づけて、近づけ得る限りは同じ観察点から人間を視てみたい。芭蕉と云う男は枕元へ馬が尿するのをさえ雅な事と見立てて発句にした。余もこれから逢う人物を――百姓も、町人も、村役場の書記も、爺さんも婆さんも――ことごとく大自然の点景として描き出されたものと仮定して取こなして見よう。もっとも画中の人物と違って、彼らはおのがじし勝手な真似まねをするだろう。しかし普通の小説家のようにその勝手な真似の根本を探ぐって、心理作用に立ち入ったり、人事葛藤の詮議立てをしては俗になる。動いても構わない。画中の人間が動くと見れば差し支えない。画中の人物はどう動いても平面以外に出られるものではない。平面以外に飛び出して、立方的に働くと思えばこそ、こっちと衝突したり、利害の交渉が起ったりして面倒になる。面倒になればなるほど美的に見ている訳に行かなくなる。これから逢う人間には超然と遠き上から見物する気で、人情の電気がむやみに双方で起らないようにする。そうすれば相手がいくら働いても、こちらの懐には容易に飛び込めない訳だから、つまりは画の前へ立って、画中の人物が画面の中をあちらこちらと騒ぎ廻るのを見るのと同じ訳になる。間三尺も隔てていれば落ちついて見られる。あぶな気げなしに見られる。言を換えて云えば、利害に気を奪われないから、全力を挙げて彼らの動作を芸術の方面から観察する事が出来る。余念もなく美か美でないかと鑒識する事が出来る。
 

ここまで決心をした時、空があやしくなって来た。煮え切れない雲が、頭の上へ靠垂もたれ懸かかっていたと思ったが、いつのまにか、崩れ出だして、四方はただ雲の海かと怪しまれる中から、しとしとと春の雨が降り出した。菜の花は疾とくに通り過して、今は山と山の間を行くのだが、雨の糸が濃こまやかでほとんど霧を欺あざむくくらいだから、隔へだたりはどれほどかわからぬ。時々風が来て、高い雲を吹き払うとき、薄黒い山の背が右手に見える事がある。何でも谷一つ隔てて向うが脈の走っている所らしい。左はすぐ山の裾と見える。深く罩める雨の奥から松らしいものが、ちょくちょく顔を出す。出すかと思うと、隠れる。雨が動くのか、木が動くのか、夢が動くのか、何となく不思議な心持ちだ。
 

路は存外広くなって、かつ平らだから、あるくに骨は折れんが、雨具の用意がないので急ぐ。帽子から雨垂れがぽたりぽたりと落つる頃、五六間先きから、鈴の音がして、黒い中から、馬子がふうとあらわれた。

 

「ここらに休む所はないかね」
「もう十五丁行くと茶屋がありますよ。だいぶ濡れたね」
 まだ十五丁かと、振り向いているうちに、馬子の姿は影画のように雨につつまれて、またふうと消えた。
 糠のように見えた粒は次第に太く長くなって、今は一筋ごとに風に捲かれる様までが目に入いる。羽織はとくに濡れ尽して肌着に浸み込んだ水が、身体の温度で生暖かく感ぜられる。気持がわるいから、帽を傾けて、すたすた歩行あるく。
 

茫々たる薄墨色の世界を、幾条の銀箭が斜めに走るなかを、ひたぶるに濡れて行くわれを、われならぬ人の姿と思えば、詩にもなる、句にも咏まれる。有体なる己れを忘れ尽つくして純客観に眼をつくる時、始めてわれは画中の人物として、自然の景物と美しき調和を保つ。ただ降る雨の心苦しくて、踏む足の疲れたるを気に掛ける瞬間に、われはすでに詩中の人にもあらず、画裡の人にもあらず。依然として市井の一豎子に過ぎぬ。雲煙飛動の趣も眼に入いらぬ。落花啼鳥の情けも心に浮ばぬ。蕭々として独り春山を行く吾の、いかに美しきかはなおさらに解せぬ。初めは帽を傾けて歩行た。後にはただ足の甲のみを見詰めてあるいた。終りには肩をすぼめて、恐る恐る歩行た。雨は満目の樹梢を揺かして四方より孤客に逼る。非人情がちと強過ぎたようだ。


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スミニャックの夜 ZAPPAZの夜

2012-01-17 17:40:47 | バリ旅行

 

人は何故踊るのだろう 唄うのだろう 曲を奏でるのだろう

 

そして、なんで音楽があればこんなにもご機嫌になれるのだろう

 

そしてひとたび音楽が流れ出すと、知らない人同士が手を取り合って笑顔になってこんなにも情熱的に踊りだすのか!!!!!

魔法を信じるかい? 魂を燃やせ~~~~

 

 

ということで、スミニャックのクライマックス、ライブバーのZAPPAZであります☆☆

 

トラットリアでごはんを食べた後、通りかかって、魂を呼び込む?音楽に誘われ、一回通り過ぎたものの、戻って、入ってみました・・・

 

 

 

ピナコラーダ&変わった味のカクテル(名前失念)を注文

 

 

レディオヘッドmeetsベートーベン(Creepと運命)とか、ロックとクラシックの融合

そして、時々ラグタイムバイシクルピアノっぽい

 

そんな音楽をピアノで奏でてたのは、後で知ったのですが、ZAPPAZのオーナーさんでした

 

 

オーナーさんの気まぐれライブ(気まぐれに出演されるそうなので...)が終わると若手バンドの登場(そしてなにげにみんなうま過ぎだったり。。。)

曲目は、王道的にストーンズ、エアロスミス、ボンジョヴィ、U2とか・・・ ABBAとかも。。。(マザコンルル、大盛り上がり。。。

 

エドガー・ジョーンズもびっくりのオエオエ声の(喉奥から捻り出すシャウトが炸裂)ボーカルの男の子(ボーカルは男の子二人女の子一人で代わる代わる歌ってました 炸裂シャウトの男の子は左側の子 のたうってシャウトしまくって 客席は静まり返ったあとに喝采)と炸裂する大和魂?アクロバティックでアーバンなステップを魅せるダンナさん(この二人たいへん馬が合ってました。。。 ←二人で同時にクネクネしてた。。。)

 

なんと、お客さんが飛び入りで歌ってます~~~ これがけっこう聴かせる系だったり。。。

(ちなみにオーナーさんがZAPPAZと店の名前を付けたのはフランク・ザッパからだと思いますが、柱の影をよーく見るとザッパのパネルがかけてあります~~

 

お二方ともオーストラリアから来たみたい 

 

お客さんだと思ってたらプロ!?って感じの歌唱力&リズム感

 

うちのダンナさん大人気

 

 

 

第一幕でボーカルの女の子に連れられてフロアで激踊りしたものの

皆さんの芸達者ぶりにまだまだおいら修行が足りねーっすと第2幕は席でまったりしてたのですが、

 

また 後ろの席の女の子にカモン一緒に踊ろーぜぃと誘われる私。。。

 

 

 

 

 

最後の方はもうわけわかんない感じ

 

ZAPPAZの門構え♪

 

 

お父さんとお母さんと一緒に来てた赤いロングドレスの長い髪(ブロンドウェーブ)の美少女(ご両親と一緒にお酒飲んでたから20代前半ぐらいかな??ちょっと春香クリスティーンちゃんに似てた)が「あなたとあなたのボーイフレンドが一緒に踊ってるの、わたくしがお撮りしますわ~~!!」(興奮しながらもあの上品な物腰は訳するとたぶんそんな感じ)と、ダンナさんが踊ってるときに私が撮ってた動画をそのまま引き継いで二人を撮ってくださったり(彼女も第一幕で可愛らしく激踊りしてました)、白いピン留めのグラマラスなオーストラリアの奥さん(彼女の旦那さんがノリが悪いのにじれて、彼女は夫君に対してF○ck o~~ffとか言ってましたが。。。そうかと思うと熱烈にディープキスしたりね ほんとに音楽大好きでしょー???って感じで終始踊りまくりの奥サマでした)と抱き合ってほっぺにKissし合ったり  音楽って、ほんと色んな垣根(人見知りの垣根とか)を取り払ってくれるなーと思います☆☆

 


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キャミー☆フルスロットル!!!

2009-06-29 11:34:55 | Girls
昨日は雨の中、ダンナさんと7時間ほども吉祥寺の街をショッピングしたり、いろいろ見て回ったり...

AMO's styleでダンナさんに前から約束してた部屋着(可愛い)を買っていただき、自分では、ROXYの2weyワンピ(めちゃ気分が上がるプリント)を買いました


たくさん歩いて家に帰ってきました

ひどく馬が合う(喧嘩も馬並みにするが。。)ダンナさんとの時間は穏やかで楽しくて本当に幸せだけど、心のどこかでいつも何かを心配したり悲しさを抱えていたりするのも確か


でもそんな時にこんな映像を世界から(?)もらったよ

昨日帰って来て歩き疲れでグッタリしながらTVを観てたら

チャーリーズエンジェルフルスロットルをやってた

私はキャミーが大好きなんだよ

胸が高鳴り過ぎて涙が出るよ

世界を幸せにする笑顔だね


キャミーのへんがお&ダンスがもうサイコーー!!!(泣)



音楽はドナ・サマー

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愛と希望とニンジンのための円舞曲

2007-03-05 15:06:56 | 家庭
外は風が強くて少し怖いけど、前向きになることを決心

今年になってから(も)いろいろな問題で悩んでるけど、それらの問題の解決方法はもうわかってるのだ。
いろいろな問題を解決する唯一の希望は、“私が稼ぐ”ってことだ。。。
(ライターの他にも副業をせねば。。)

おとといから(母の病気に関して)一番最悪のパターンを考えてしまって、パルコの前でまた涙が出てきてしまったり・・・、ダンナさんに心配かけてしまったけど、不安要素を消すには、“知識を得る”ことと、“自分の出来ることをする”こと。

・・・土曜日に、家の近くのパスタ屋さんで、ダンナさんとランチを食べてて、「実家に居た時は下着を三組くらいしか持ってなかった。」という話をして、驚かれる。「しょうがないじゃん。お金なかったんだもん。。」と返すと、「お金が全くなかったわけじゃないでしょ?持ってたお金を全部CDとか本につぎ込んでたんじゃないの??」と言われ、「あっ、そうかも。」と答えると、「ルルちゃんは変わってるよ。ほんとに。」と言われる。「普通の女の人は、たいてい下着とかにお金かけたりするもんなの?」と聞くと。「そりゃそうでしょ。他に使うところないもの。」と返され、「そういうのは消耗品だから、お金かけても意味ないと思ってた。合理的ではないよね?」、「CDとか本から得たものは、自分の中の財産になるもの。」と話す。

・・・いつからそんな価値観になったんだっけ?・・・と思えば・・・。
たぶん、人生において、すごく悔しいことがあって、意固地になっていたんだと思う。取り憑かれたように物事を知りたがって・・・・・。

「あーぁ...ルルちゃんってほんと勿体なかったなぁ~・・。」・・とダンナさんにシミジミ言われる。。
昔(10代~20代前半くらいまで)はそれなりにオシャレだったんですけどね。。。(というのか、一時期お洒落バカだったくらい。。)(・・・下着までは頭がまわらなかったけど。。おこちゃまだったから・・・色気づいた下着なんか着てたらお母さまからはげしいツッコミが入るし。。)

・・その後、吉祥寺で旅行のためのグッズを見て、パルコの中のカリフォルニアガールのようなイメージのお店で、キャンパス地のスニーカーとバッグを買ってもらう。あと、旅行のためのインナーも下着屋さんで買ってもらってしまった。。(ゴールドのちょうちょのモチーフが付いてるシフォン地の上品な感じのもの。色はアイボリーとピンク。)

あと、Design Tshirts Store Graniphで、アジアンな感じのTシャツも買う。(これは自分で。)
ダンナさんはフォントがポップで可愛い長袖ロゴTシャツを買ってました。
10日間もある旅行なのだけど、コンドミニアムにランドリーが付いてるから、必要最低限の衣類を持っていって、洗って着回すみたいな感じになると思う。

日曜日は、ダンナさんは今週の仕事を楽にするためにまたも休日出勤・・・。
私は、家で家事。(その日の朝ごはんに作った鴨南蛮そばがめちゃくちゃ美味しかった☆アドリブでいろいろ出来るようになって、嬉しい♪)

家事が終わった後、恵比寿まで行って、PM9:30頃ダンナさんと一緒に夕食を食べる。
ここのお店なのですが、ものすごく美味しい&びっくりするほど安い!です♪
代金の端数をおまけしてくれたり、どんぶり勘定なところもおおらかでいい感じでございます・・。(実は前行った時に、松本潤のような美形の店員さんにびっくりしちゃうようなサービスをしていただき。。)ただ無意味に高いお店とかじゃなくて、こういうお店が人気出てほしい・・というのか、人気が出るんだろうなぁ...(^_^;)今回は2回目だけど、また行きたくなります☆

土日は、やっと夫婦間の調和が戻ったことを実感。(今までごめんなさい。。)
“唯一の希望”のニンジン(馬が走る動機?そしてご褒美。)はお母さんを安心させることと、オシャレしたい!(今までの勿体ない人生を取り戻すために!)ってことだ!
一度だけの人生だから、めいっぱい(愛して)楽しむ!!!


ワルツ&アリア集
シュトライヒ(リタ), ベルリン放送交響楽団, J.シュトラウス, ゲーベル(クルト), サン=サーンス, ヴェルディ, ゴダール, アルディーティ, スッペ
ユニバーサルクラシック

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↑“おすすめ投稿”で円舞曲(ワルツ)を調べてたら、可愛いジャケのものが見つかりました

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