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『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

コンサート

2021-01-26 01:12:21 | 音楽・フルート
コロナ禍となって早一年。

自粛期間などはあったものの、幸いなことに、音楽教室での感染はなかった。

これは一重に、お店のスタッフの皆様が最新の注意を払って対応策を講じてくださっているからだと思う。

さらに感染者数、そして変異したウイルスが増えている昨今、安心はできないものの、さらに注意して、リアルレッスンが続けられるように、こちらも配慮していきたいです。

また、かつてはその殆どが中止となってしまったコンサートも、再開の兆しが。

とはいえ、こちらも、新たな感染拡大を受けて、合唱などは、さらに中止となってしまっているものもある。

でも、フルート、それも少人数のものは、今回は中止となることもなく予定されていた殆どのものが開催予定だ。

主要オーケストラなどもそれは同様で。

やはり、この一年感染対策を徹底してきて、ある程度コントロールをしつつ、開催する、という方向が定着してきたのではないか、と思う。

とはいえ、客席はまばらな様子で、寂しい限りではあるけれど。

それでも、全てが禁止されてしまったドイツに比べれば、まだ、今のところではあるけれど、日本には「日常」がある。

私自身は、まだ自主企画のコンサートを開催することに逡巡がある。

というのも、「コロナ」をいつも感じながらの本番、というのが自分で想像つかないから。

実際ステージに上がってしまえば音楽に集中して演奏できるのかもしれない。

でも、まばらな客席、マスク姿の聴衆、奏者同士のディスタンス、換気休息、などなど、コロナを思い出さずにその場で過すことは難しい。

昨年自粛期間開けの音楽家講座が始まる前に甲野先生にフルートを聴いていただいた。

曲はシリンクスだったか。

私としては、自粛期間中に変化、進化したあれやこれやの成果披露というつもりもあったのだけれど、先生は

「・・ああ、相当怖がってますねえ・・」

と想定外の感想。

その演奏の中に、今よりも得体が知れず、よくわかっていなかった新型コロナへの恐怖がありありと刻まれていたようなのでした。

「?え??」

「・・まあ、そうした心の内が伝わる演奏が出来るようになってきたということでもありますが・・」

と続いたけれど、シランクス吹いて「コロナ怖い」が伝わってしまったのではしょうがないな、と思ったのでした。

その後、講座の中ではオーストリア大使館で友人の受賞記念のパーティーで演奏するはずだった、フレーダーマウスのアデーレのアリアを吹いたけれど、多分、あのコーミッシュなアリアも「コロナ怖い」と甲野先生には聴こえていたのではないかなあ、と思う。
自分の中でもかなり無理があったのは否めない。

で、正直、今もコロナはとても怖い。

誰かに感染させてしまうこと、自分や家族が感染してしまうこと・・

やはり、よくわかっていないということに変わりはないし、誰がいつどこで罹患してもおかしくない程の状況下。


・・・・・・

そんな中、2つのフルートコンサートのご案内をいただいた。

今の状況を認識しつつも、その中で演奏をしていく矜持を持つことに、自分がまだ出来ないだけに憧れと尊敬の念を抱きます。

一つは太田嘉子さんの5年ぶりのリサイタル。3月16日(火)銀座・王子ホール。
本当は昨年開催するはずだったものが延期となり、ようやく今回開催の運びに。

もちろん、すぐに伺う旨の返信を。
この結論に至るまで、どれほどの心労、逡巡を重ねたかは、舞台に立つ人間であれば、誰もが感じられると思う。

「延期した分、作品に向き合う時間が多くできました。」
という前向きなメッセージに、こちらも元気になりました。



そしてもう一つはお電話でのお知らせ。

「あ、あのね、一応連絡しとこうと思ってさ」

といつもの気さくな調子で、大学時代の恩師・青木明先生。

「僕がずっとやっている小さいコンサートなんだけど、今度は164回目でさ。コロナのせいで、ここんとこずっとできなかったけど、もうやることにした。いつもやってる9人のアンサンブルは小さい会場なのでやめて、かわりに送ってもらったあなたの作品を吹かせてもらうことにしたよ!」

きゃ~~!?

生徒さんが吹いてくださったのをこのあいだレッスンで初めて聞いて感動していたのですが、自分以外の方の演奏による自分の作品が聴ける歓び、というのは格別でした。

それが、恩師の演奏で聴けるとは??

こんな幸せなことはありません。

もちろん、うかがうお約束をしました。


・・・・・・・・


高松の受験校で、勉強についていけず、恰好つけられそうな音大受験を急遽決め、高校2年で、初めて習ったフルート。

それまではブラバンで自己流で吹いていただけでした。

高校3年からは、月に一度、東京の青木先生の御宅にレッスンにうかがうように。

「まあ、一浪は覚悟しなさい。武蔵野音大は難しいよ。他のところも油断大敵だよ。」

まだ瀬戸大橋はない昔。

連絡船に乗り、在来線を乗り継いで新幹線で東京に。

元々、母は東京出身で、叔母の家が洗足にあり、そこでお世話になっていました。

・・で、そこには一歳年上の従姉もいて、レッスンの後は成城学園に通う彼女といつも遊ぶのが楽しみでした。

原宿のキディランド、アンとアンディーのお店(ランチボックスを買った!)、そして成城学園前の喫茶店で、当時はやり始めたコーヒーゼリーを初めて食べた時の感激は今もありありと浮かぶ。
確か「ハニーコーヒー」という名前だったと思う。

ま、ともあれ、何しに行っていたんだ?という感じで。

小澤征爾指揮の新日フィルのリハーサルも成城学園在住の方、学園関係者には無料開放されていて、それを聴きにいったことも。

レッスンよりも、「月に一度、東京で従姉と遊ぶ」というのがメインの受験生活でした。

今は知らないけれど、私立音大の学科は当時は中学生レベルで充分対応できるくらいではないかと思う。

なので、なんというか、本当にフルートさえ吹いていればよかったという夢の様な日々だった。高3なのに。

とはいえフルートも、当時はそれほど好きという訳でもなく、今よりも何も知らず、ただただ受験曲と足りない基礎練習の突貫工事。

こんな不真面目な子供に声を荒げることもなく、よくご指導いただけたと思います。

それでもタファネル・ゴーベールの日課練習の4番がちゃんと吹けなかったときは、さすがにあきれられ、

「はいはい。じゃあ、出来るようになるまで、この部屋から出てきちゃだめだからね。」

と別室に通された・・

武蔵野音大も、他の音大も現役合格できたのは、青木先生のお陰である。

その後、先輩後輩の青木門下生に、別室に閉じ込められたことはなかったか?と話を聞いたけれど、誰もそんなことはなく、どうも私が唯一の閉じ込められた生徒・・って自慢してどうする・・

その後私は播博先生の紹介でドイツに行き、植村泰一先生のロットと出会い、甲野先生と出会い古武術奏法という異端?に足を踏み入れ、と勝手し放題なのを、いつも笑顔で見守ってくださった。

そんな、ある意味、青木門下の外れ者の曲を吹いてくださる、というのだ。

ギターは後輩の鈴木大介。

バークレー音大でジャズフルートに磨きをかけ、さらにギターの腕も半端ないらしい。

恩師と後輩による自作品の演奏が聴ける日が来るなんて・・

daisukeが最初はギタリストとして登壇し青木先生と「水月・浮雲」を演奏し、その後フルートに持ち替えて、というのも面白そうです。

こちらは、2月19日(金)18時開演・新宿ドルチェ楽器・アーティストサロンです。


嘉子さんのリサイタルも、青木先生のコンサートも、華やかな春の着物と帯で伺おうと思います。



・・・・
嬉しいお知らせが続いたのと、今日はお天気も良かったのとで、生徒さんが帰った後、久々にシューベルトの楽譜を手に取りました。

最後の歌詞を思い出したので。

昔も吹いたけれど、ここまで共感できたのは、この状況下からこそだろう。
今の気持ちに一番しっくりとする曲。

中身はとても暗くてヘビーな「しぼめる花変奏曲」。
失恋した若者は川に身を投げて自死してしまうのだから。

でも、このミュラーの詞の最後には「希望」がある。

10年前のリサイタルで吹きましたが、今から思えば酷いものだっだ。
技も中身も。

いつか、8回目となるリサイタルを開催することが出来たら、この曲をやりたいなと思います。

フリッツ・ヴンダリッヒのCDを久しぶりにかけました。


Dann, Blümlein alle,Heraus, heraus!
Der Mai ist kommen,Der Winter ist aus.

そうしたら、花たち、みんな出ておいで!
五月が来て、冬は去ったのだ。





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