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『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

着物

2021-03-26 01:41:37 | 着物
3年近く遠ざかっていたリバウンドからか、着物がまた楽しくなってきました。

とはいえ、もう何か欲しいという感じはパタっと消えて、今は手元にあるものを、とにかく、せっかくなので、なるべくみんな着てやろう、という「使い切り」の構え。

ずっとしまわれっぱなしの着物はなんとなくいじけていて、哀れな気配が漂う・・

そんな、しまわれっぱなしの一枚に袖を通すことに。

母が白大島と同じ時に、購入したのは覚えているけれど、なんだかちょっとガチャガチャしていて私の趣味ではなく、やはり2,3回40代の頃に着て、あとはしまいっぱなし。

紫の地に絞りと紅型風・紅型?(よくわからない・・)のカラフルな染めの小花の総柄。

両方だと、ちょっとくどい。



でもバブル当時、この手の着物は流行っていたらしいです。

この着物を最初に来た時の強烈な想い出がある。

銀座の小さなとあるクラブに集う法曹界関係者ばかりで組んでいるバンドがあって、最初はゲスト出演でフルートを吹いていたのだけれど、そのうち、「私も歌わせて!」と結局はメンバーになって遊んでいた時期がありました。

「夜のクラブ活動」というやつです。

ママがとても音楽好きで、特別料金で遊ばせてもらっていました。
リサイタルの時には大きな花束もくださった・・
徐々に仕事が忙しくなって、「退部」してからは、ずっとご無沙汰してしまいましたが、この状況下、どうなっているのか?と案じられます。


着物マイブーム真っ盛りの頃だったので、一度、この絞りの着物を着て行った。

まだまだ元気で、終電を逃すこともあり、タクシー乗り場に向かって歩いていたら、

道端に占い師のおじさんが居て、

「お疲れ様!」

と声をかけられました。

咄嗟のことだったので、

「お疲れ様~」

と返したのですが、後で考えると・・

もしや、銀座のお姉さまに間違えられたのかしら?

着物姿、そんなに決まってた?

と上機嫌になりました。

なんて良いおじさん・・でも、占い師としては、失格かもね。


今回の帯は、自分で買った洒落名古屋。



大和の駅ビルに入っていた庶民的なお店を冷やかしていて、便利そう、と見つけたものです。

40代の頃は重宝していたのだけれど、今回はちょっと後悔。

やはり、この年で、これを締めるとちょっと格落ちする。

値段というよりも、帯の生地が薄いので、進化してしまった胴体の貫禄に負けるのね。
昔はこの薄さと軽さが丁度良かったのに・・

母はこの着物に枝垂桜の袋帯をしていてたのですが、それだと改まりすぎるので、外してみたのだけれど、ちょっと失敗。

帯締めは秋に葡萄をイメージして締めていたものですが、初めて春にしてみました。
菫に見立てれば良い、と思いつき。

帯揚げはちょっと外しの差し色で明るい水色に。



そしてコンセントを狙うピピ。



着物は着物部屋の蛍光灯の下で写したので、ちょっとくすんでしまいましたが、もっと鮮やかな菫色。









着物

2021-03-18 01:11:34 | 着物
銀座の王子ホールなのだから、やはりお洒落していきたいよね、と、今回はもう絶対に着物と決めていました。

音楽家講座では、山葡萄の下駄と籠に合う紬、小紋、ですが、せっかくなので、畳表の草履にオーストリッチというちょっとおばさん・・じゃなかった、落ち着いたセットに合わせて訪問着に。

もうおばあさんの年なんだから、たまにはこんな感じも良い。

でも、この訪問着も紬。

多分、母が持っていた着物では、これが一番上等ではなかったかと思います。

母は4人姉妹で、みな仲良しで、よく一緒に買い物にいったり、旅行したりしていました。

「これはね、繭から糸を紡ぐところから、こつこつと手織りするまで、全部田舎のおばあさんが一人で作った白生地からあつらえたのよ。」

ということは聞いていた。

通常は紳士用の反物なのを半分こして、婦人用の着物が2着出来る、ということで、仲良く4人で2反購入し分けて、それぞれに好みの色に染め、柄なども古代友禅?で描いてもらったのだそう。

4姉妹といえば、若草物語や細雪があるけれど、4姉妹って華やかでちょっと憧れる。

母は次女。姉妹で今も元気なのは一番末っ子の叔母一人になってしまって、もうみな逝去してしまったけれど。

最初に逝ってしまったのは、3番目の叔母で、胃癌だった。

葬儀の時には、この紬を纏って旅立ちました。
一番仲良しの叔母で「ちゃま、ちゃま」とおばちゃまのちゃまということで呼んでいた。

ちゃまの紬は無地のきれいな薄紫で、とても似合っていました。

まだ私が大学生の頃のこと。

念のためにと、その時はまだ元気だった母に聞いてみた。

「ママも、あのお揃いの紬にする?」

「あれは、もったいないから、真理にあげる。私は、青海波の紫の江戸小紋でいいわ。
そんなに良いものでもないけれど、あれは、若い頃最初にパパに買ってもらった着物だから。」

ということで、2000年、母が仙骨の癌で逝った時は、実際、そのように取り計らった。

・・・

紬なのに訪問着、というのはいわば掟破りで、そういうのが好きだったのか、とちょっと意外な気もしましたが、石庭の絵柄がちょっと渋すぎる気もして、2回、結婚式に来ただけ。





その1回目は甲野先生の武術関係で親しくなった編集者と私の生徒さんとの結婚式。
その2次会の乾杯の時、なんと赤ワインをザブンと浴びてしまいました。

でも、その時参加されていた史上最強の呉服屋の若旦那が、

「大丈夫!落ちます!!」と断言してくださって、実際、翌日すぐにお預けし、見事に蘇って戻ってきて、ほっとした、というエピソードも増えました。


そして、仕上がったものを届けていただいた際に初情報も。

「そうじゃないかなあ、とずっと気になって見てたんですが、あの着物はやはり加藤改石のものなんですね。」

「それは誰?」

とここで、色々と御教えいただいたのでした。
母はおばあちゃん、といっていたと思うのだけれど、私の記憶違いでおじいちゃんだったのかしら?

二匹の蚕が作る丸くて大きな繭から作った糸なので、とても丈夫な紬。
牛首紬というのがあるのは、着物の雑誌で知っていましたが、これがそうだったとは・・とその時、初めて知りました。

・・ワインをこぼしたお陰で・・

https://www.daimon-ya.jp/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%94%B9%E7%9F%B3-%E7%89%9B%E9%A6%96%E7%B4%AC/

釘も通さないので「釘抜紬」とも言われているそうです。

確かに、大島や結城とは全く違う、いかにも紳士ものに相応しい弾力と艶のある丈夫な生地。

着物熱に浮かされていた40代の頃にはあまり似合わなかったのですが、今の年齢には丁度良い。

螺鈿の袋帯を合わせました。



袋帯を締めるのは5年ぶりくらいで、ちゃんと出来るか不安だったのですが、手が覚えていてくれて無事に完了。

帯締めと帯揚げで春の色に。








着物

2021-03-02 00:21:06 | 着物
今回はくすみピンクの無地の結城紬と塩瀬の染め帯で。

本当はこの時期にしか着られない母の形見のしだれ梅の付け下げを、と思っていたのですが、やはり付け下げとはいっても、講座には改まり過ぎるか、と思い当日になっての変更。

とりあえず講座で着る着物の自分なりのドレスコードの基準は、「下駄で着る着物」にしようかな、と思案。

紬か、柔らかものでも小紋や総柄までなら山葡萄の下駄と籠のセットにも合う。

下駄は着物暮らしが始まった頃は畳表のものを使っていたのですが、3年くらいするとけば立ってだめになってしまうので、6年程前に、ネットで山葡萄のものを購入。
鼻緒は紺で葡萄柄の印伝。高額なものだったので数年悩みましたが、思い切って良かった。籠とお揃いにもなったし。

この下駄が、とても優れもので、籠同様に使い込むほど、馴染んでくる。

ただ、下駄の底に張ってあるウレタン素材が柔らかすぎて、すぐに砂利などが食い込んでしまうので、ミスターミニッツで硬いものに張り替えてもらったところ、そのストレスもなくなり、より履きやすくなりました。
夏にはサンダル替わりに素足で履くことも。

着物も帯も、20年程前に小田急デパートの中にあったリサイクル着物のお店でみつけ、一目惚れして購入したものですが、その後、いざ着てみると色見が甘すぎて似合わないような気がして、出番が少なかった組み合わせです。

今回、本当に久々に着てみたら、なんだかしっくりくる。

年数が経って、草木染の色見がより落ち着いてきたのかもしれません。




また、こちらが年齢を重ねて甘やかさが減った分、着物の色見で補ってもらえるのかも。

そういえば、最近は洋服も明るい暖色系が増えている。

昔は殆ど、寒色系ばかりだったのに。

帯締めと帯揚げは、今はもうなくなってしまったけれど、スーパーの2階の片隅にあった呉服コーナーのワゴンセールでみつけて買ったもので、とても安かったと記憶しています。



どちらも1000円だったような記憶が。

最近は、こうした庶民的な着物の小物を売っているお店もすっかり見かけなくなり、寂しい限りです。別珍の足袋とか、割烹着とか、すぐに買えて重宝していたのに。

一応、絹は絹ですが、帯揚げはやはりちゃんとしたものに比べると若干ペラっとしているし、丸組の山吹色の帯締めも、素性の良いゆるぎの組紐のようなシックさはないけれど、これはこれで元気でよろしい!ということで色で遊ぶためのチョイス。

桜餅っぽい色の組み合わせとなりました。



着物

2021-01-31 16:51:40 | 着物
洋服であれば、5分あれば身支度できるし、冬は特に、もう部屋着の上からコートを羽織ってしまえば、大丈夫なこともあるので、手間いらずです。

着物は自己流でサクサクと着るけれど、それでも事前の準備が色々あって、最低でも30分、失敗した時のやり直しにも備えて1時間は身支度の時間を組みます。

今回、直前までどうしようかなあ・・ととても悩んだ。

だって、洋服であれば、その分、ピピと遊べる時間が増えるから。

一昨年は、フルートを吹きたくて、着物を着なくなっていたのですが、今は猫・・・

でも、やはり、せっかくの「音楽家講座」なので、ヨイショっと重い腰(ああ、本当に重くなってる・・)を上げ支度をしました。

淡いグレー地の梅柄の小紋は、気負い過ぎず、でも華やかな着物で重宝していて、いつもお正月の集まりに着ることが多かったものです。

これも母のものなので、もう50年以上経っているのにとても状態が良い。



ものによっては、裏地が酷いことになってしまって、使えないものもあるのに、これは、とても奇麗。何が違うのかな??と思う程です。

帯は自分でエイッと20年程前に購入した川島の吉野間道。


小紋をググっと格上げしてくれる優れものですし、何より締めやすい。

葉裏色の帯揚げも最初に自分で買ったものですが、好きな色と質感なので、ついついこればかり使ってしまいます。

帯締めは同じ色見のものと迷ったのですが、明るいクリーム色に。



いざ着てしまえば、やはり気分も華やぎ、気持ちもシャンとする。
着物は暖かく、底冷えのする日本の冬には最適。

家を出たらすぐに、通りがかりの見知らぬ初老の男性が帽子をとってにっこりと挨拶してくださいました。こんなことも、洋服ではあり得ない。

いつもはリビングに居る夫が2階でピピと遊んでいたので、部屋の前で写してもらいました。



・・・

大学時代の恩師、青木明先生のコンサートもこのいで立ちでうかがうつもりだったのですが、先生から「・・中止になっちゃったんだよ・・」とがっかりされたご様子のお電話が。

私も、しょんぼりしてしまいましたが、この状況下では致し方ありません。
でも、いつか必ず「水月・浮雲」を演奏してくださる、との嬉しいお約束を。

その折には、この小紋でうかがいたいと思います。


ピピもお手伝い 着物あれこれ

2020-12-17 02:11:10 | 着物



「御着物、選んであげるにゃ!」

と、ピピが着物選びをお手伝いしてくれました。。。

というのは、もちろん嘘で、桐の箪笥から着物や帯を出して、帯締め、帯揚げなどを選んでいたところ、ふと気配を感じると、いつの間にかピピが侵入してきて・・

時間がかかるので、ガラケイ持参で2階の着物部屋に居たので、それでパチリ。

いつもレスポンスの遅いガラケイでのピピの写真は失敗ばかりなのに、これは偶然ですが、動かぬ証拠写真となりました。


本当に、油断も隙もない・・・

今回は白大島に紙布の帯。


甲野先生と出会った頃、NHKTV,「人間講座」の収録に招いてくださって、私も手裏剣を初体験ということで登壇させていただいたのですが、その折に着ていたのが、この白大島。

当時、養老先生つながりで、甲野先生に関心を持っていた弟がこの番組を観ていて、いきなり画面に白い着物を着た姉が登場したのをみて、驚いて、電話をかけてきた。

「・・お姉ちゃん、何やってるの?!」

母は「着ようと思うと雨降っちゃって・・」と大切にしていて結局袖を通さぬまま、癌で臥せることに。

しつけのついたまま残された、一番思い出深い着物です。


日経新聞の取材の時にも、他にもいろんなメディアで取り上げていただくときも、いつもこの白大島でした。

母の分も着倒そう、と決めた白大島は、裾の裏地が擦り切れてしまったので、10年くらい前に、呉服屋さんで裏を張り替えてもらうことに。

最初は母の好きな紫だったのですが、私好みのセージグリーンに。

この呉服屋さんは、甲野先生の門人だった方で、今は韓氏意拳の指導者になられた若旦那のUさん。

先生の門人には「史上最強の呉服屋の若旦那」という凄い?人達が二人いて、一人は丸亀のMさん、そしてこの目白のUさん。

でも、御二人とも、今は代替わりされて若旦那ではなく、「西と東の史上最強の呉服屋さん」に。・・怪しい・・

合わせた紙布の帯も、帯締めも、Uさんに見立てていただいたもので、これまた気に入っている。


全て母のもの、という組み合わせもあるのだけれど、やはりなんとなく古臭い感じは否めない。

塩瀬の染め帯もはんなりしていいな、とは思うけれど、やはり今の気分にはそぐわない。

紬にも織りの帯、という合わせ方が好き。

なので、帯や帯締め、帯揚げは自分で購入したものを母の着物に合わせることが多い。

とはいえ、この帯も、もうかれこれ10年になっていて、良い感じにこなれてきてとても締めやすくなっていました。

・・・・・・・・・・・・


本日は、早速久々の着物暮らし。

とはいっても、昔のように、ちゃんと着て割烹着というのではなく、かなりラフに。

木綿のタートルネックとスパッツ、べっちんの足袋に紬の着物と半幅帯。



子供の頃、父は帰宅後はスーツから着物に着替えて寛いでいた。
冬はタートルセーターに着物ということもあった、というのを思い出して。

この着物は義母の母、つまり夫のおばあちゃんから伝わった久米島紬で、裾には他の着物時で補修がしてあります。おそらく日常に着ていて、自分で繕われていたのでしょうか。細かい縫い目に驚かされます。
ほつれかけていた箇所に白い地があり気になってひっぱってみたら、なんと家紋!?


夫に見せたところ、その家の家紋だそう。こうやって、色々とやりくりして補正していたのだなあと呉服屋さん任せにしかできない我が身を振り返る・・

100年近く経っているものだろうに、今も鮮やかで、天然染料ならではの、着こまれた布独特の艶がある。
よそ行きでも良い紬なのですが、残念なことに若干身幅が狭い。

なので、これを普段着にすることに。

半幅帯は骨董市で1000円で入手した昔の帯をクリーニングに出してから自分で仕立て直したもの。とはいっても、手芸用両面テープでチャチゃとですけどね。

本当に簡単な、いで立ちですが、ラクで暖かいことにびっくり。

ガーネット、ターコイズ、ラブラドライト、琥珀などの天然石系のアクセサリーなんかも映えそうで、ちょっと怪しい人の気配になるのも楽しい。

この格好で外に出る勇気はまだ(!?)ありませんが、ご近所に回覧板を渡しにいくくらいなら大丈夫か。

急に寒くなりましたが、嫌な感じの足先の冷えも全く感じることなく過ごすことができました。

家事の時にはこれに割烹着。割烹着も久々の出番。

フルート、杖、抜刀のお稽古も、これで。
色々と気付きもありましたが、それはまた後日。