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『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

甲野陽紀先生の個別講座 6回目

2022-06-24 22:44:53 | 甲野陽紀先生の個別講座
先月は日程が合わず、お休み。
久々の個別指導となりました。

本日の一番の相談は・・
来年3月3日(金)の渋谷・伝承ホールでの演奏に関して。

毎月音楽家講座で使用していて、ここでのコンサートも何度も開催(おそらくもう10回以上はやっているのでは?)している鶴見区民文化C.サルビアH.3階音楽ホールは、100名キャパで、響きもとても良い。

もちろん、アンサンブルなどでは、立ち位置など色々な工夫も必要で、使いこなすのは難しい会場ではあるけれど、フルートにとっては最適な広さ。

王子ホールは315席。
コンサートに特化している素晴らしい会場なので、その響きは国内外の折り紙付きで
一流ホールの一つ。
演奏した2019年当時は今程、私もロットも響いてもいなかったけれど、良いステマネと共演者、そしてこのホールの響きのお陰でバランスの良い本番となった。


でも、伝承ホールは345名のキャパで、鶴見の3倍。
そして依頼されたコンサートなので、演奏という意味では常に同列ではあっても、やはりその責任は重くなる。

おまけに一度も、ここでは演奏したことはなく、人様のコンサートを数回聴きにいったという程度で、殆ど馴染みもない。

伝承ホール、という名前が示す通り、能・狂言なども上演される多目的ホール。
昔の芝居小屋の様な雰囲気もあり中々味わい深いし、もちろん反響板も設置するのだけれど、やはりフルート1本にとってはそれなりの響きを持っていないと厳しい会場だろうな、と思う。

聴き手も、音楽家や生演奏に馴染みのある愛好家であれば、ある意味、自分の耳をその会場に応じて調整、編集するようなところもあるので、それほどは気にはならないかもしれないにしても、やはり諸条件が整った一流ホールと同じという訳にはいかない。

さらには、出演者も観客も殆どがオペラ歌手やその卵・・
ゴージャスにビンビンと、それこそ「響き渡る」声の持ち主ばかりだ。
音量のレンジがフルートとは桁違いな種族だ。

果たして、そのような中で、ロットと私は、皆さまに満足し喜んでいただける演奏が出来るのか?と急に諸々心配になってきている。

鶴見の音楽ホールは100名キャパで、ようやく「会場中に響き渡った」と評していただくことができたけれど、そうなるまでに植村先生、甲野先生と出会ってから約20年かかった。フルートを吹き始めてからはざっと半世紀が過ぎている。

なんとか蛇に怖じずで。あまり深く考えずに進んできたのだけれど、ここに来て、欲が生れた分、怖さも味わっている、という次第です。

つまり「失敗したくない。失敗出来ない。」という気持ちが付きまとうようになってしまった訳で。

過去にもそういう依頼のお仕事はもちろん多々経験してきたけれど、不思議なことに、
そんなことを考えたことは一度もなかった。出来ると思うから引き受ける訳で。

それが、前回のコンサートの評判があまりに良く、「ザ・フルート」のレビューだけでなく、様々な笛吹き関係者からも褒めていただき、コンサートを聴いていない笛吹きからも質問されたり、レッスンや共演の依頼なども受け、音楽家講座のお問い合わせも増え・・

実際、来年のコンサートも、この本番を聴いて感動してくださったからこその依頼。

こうしたプチお祭り状態が今もダラっと続いているので、「もっと」という欲とそれと同時に「次で失敗できない」という恐れが生れた、という次第です。

一番良くないのは。「あわよくば、もっと褒められたい」というもの。

吹き過ぎず、同じ様にやれば大丈夫、というのはわかってはいるものの、いざその場に立ってみなければ、自身の状態はわからない。

少なくとも、今の様な、迷いや不安や欲のある状態で、ゾーンになど入れるはずもなく、良い演奏など出来るはずない、というのはわかる。

そんな煩悩だらけの心への対処方法をうかがってきました。

色々とあるのですが、
これくらいは書いても良いかな・・
陽紀先生の言葉としてリアルに紡ぎ出されるものと、ここで私が記したものでは、そのクオリティは似て非なるものくらいに変わると思うので。

いわば、この記録は出汁殻的なものですが、自身のためにも覚書。

「やらなければならないという具体的な目標があるのは良いことですね。来年に345席の会場の本番がある、と思うのではなく、2年先に1000人規模の会場で演奏する、と思ってやりましょう!」

「自分と他者が直接対決するのではなく、その間の『間』を意識して。その間をどう攻めるか・」

「対峙する他者と価値観のグレードを変える。住む(棲む?)世界を変える」

「自分の方向と空間」

「目的をまず具体的に明確化する。でもその目的をかなえようとすると、大概ダメになる」


さらには、昨日気付いたばかりの左手の問題に関連してもみていただく。

その中で、楽器の保持の問題浮上。

まだまだ手首に難がある、ということは、甲野先生や陽紀先にフルートを構えていただく時にいつも感じていた。

なんて、フルートが居心地良さそうなんだろう?と。
絶対に、私に持たれている時よりもご機嫌は良いと思う。

そして、の解消方法は・・
陽紀さんのオリジナルの稽古法での木刀の持ち方。メウロコだった。

また、手首をなんとかしたい時に手首ばかりに働きかけるのは、まさに冒頭の「目的をかなえようとすると、大概ダメになる」である。

そうではなく・・・
前脚の力みを抜くには、後ろ脚。
こちらを変化させれば、前脚、手首も結果として変化。

腕先にもおそらく連動する肘裏。


以下、学びの記録

1回目・・「フルート体」・末端から動く
2回目・・足 、「ヒトデとウニ」(これは私のイメージ)
3回目・・下駄・目・置く
4回目・・足先・呼吸(間の呼吸)
5回目・・「感じる」と「生じる」の違い・「自分を失くす」・ショートカット
6回目・・「間」、「目的」の取り扱い方。手首、肘裏、歩行、蹲踞


次回がまた楽しみです。



甲野陽紀先生の個別講座  5回目

2022-04-22 21:06:29 | 甲野陽紀先生の個別講座
今回は、3月26日のコンサートのご報告。
こちらにも記した、本番での生まれて初めての体験や変化をお話しました。

最近、銀の5代目ロットも新たな響きとなってきて面白いので、こちらを持参。

「・・・いつもの初代とは違う笛なのですが・・」

と前置きしてからシランクスを吹きました。

陽紀先生からも、

「仰っていたことがよくわかりました。本当に大きく変化されましたね。特に下半身が安定してきました。」

との言葉をいただく。

今後の悩みとしては、やはり、新たな「欲」との葛藤。

「我ならざる我」をいつも発動できるようにしたい。
毎回ゾーンに入れる演奏ができるようになりたい。

これに尽きる。

これは道元が説いている「自分をなくす」にも通じているのかもしれないけれど、自分をなくしたら、じゃあ私は誰?何故私は私として生まれてきたの?

という素朴な問いにも繋がり、これもまた長年の悩みにも通じる。

何故フルートか?何故音楽か?

まあ、面白くてやりたいからやっているのだけれど、それもまた「私」であって、という堂々巡り。

昔、師匠から「ハイデガーの『存在と時間』を読みなさい。」と言われたけれど、ようやく、その領域の話が一番の課題となってきた感もある。

最初から年齢は関係ない、と思ってはいるものの、自身の子供世代に近い陽紀先生の深い見識をうかがえたのは、良かった。

巡り巡れば、自分の為なのかもしれないけれど、それが、その自他の境界がなくなり全部のためになる、という発想は私には皆無だった。

これは「心即理」という陽明学の教えにも通じている。

・・ああ、私は還暦越えても私欲まみれ・・
私と他者との境界線は、線というよりも壁に近いかも。

このあたりを乗り越えるためにフルートで修行しなさい、と何者かに言われてやっているのかもしれないなあ、とぼんやりと思う。

そして感覚という曖昧な言葉に関しての知見。
前回は「呼吸に関して研究しているんですよ~。」
ということで、「間の呼吸」をお教えいただき、これがお守りの様に、本番の時に役立った。

そして今回は「最近は『感じる』ということを研究しているんですよ~。」
ということで、お教えいただいたのは「感じることと生じることの違い」

これは、「自分を失くす」にも通じて来るもので・・・

やはり陽紀先生の教えは一言でポンと通じる人には通じるものなので、詳細は書けないけれど、これもまた日々のフルートとの付き合い方、稽古の仕方の大きな柱になる教えとなった。

そして「我ならざる我の発動」「自分はアシスタントに徹する」ための準備として、今、私はざっくり数えても

・コモドドラゴンの手の内
・羊座りの立ち方
・首
・四肢の圧
・間の呼吸
・目の呼吸
・抜刀の構え
・鯉口の手の内
・浮き構え
・手と反対側の足指操作
・より下にあてる

・・・などなどの確認をしてからようやく一音出す、というのをやっていて、少しずつそれが「普通」の身体にはなりつつあるけれど、ここが雑だとやはり「主役」は来てくれない。

でも、状況によっては、ここまで丁寧に出来ないこともあるし、おそらくこの「準備」の要素はこれからも増え続けていく・・・

なんていう話をしたら、

「ショートカットメニューを作ればよいのでは?」

なるほど。

これだけは外せない、というものに絞り込む。

これは、また今後の進展に伴って変化していくものではあるけれど、以下の3つに絞りました。

「1.コモドドラゴン、2.四肢の圧、3.手と反対側の足指操作」

これを忘れなければ、他のことは付随してくるような気もする。

羊座りや目の呼吸、間の呼吸は、もちろん大事だけれど、意識しなくてもやるようになってきているので。

以下、学びの記録

1回目・・「フルート体」・末端から動く
2回目・・足 、「ヒトデとウニ」(これは私のイメージ)
3回目・・下駄・目・置く
4回目・・足先・呼吸(間の呼吸)
5回目・・「感じる」と「生じる」の違い・「自分を失くす」・ショートカット


甲野陽紀先生の個別講座 4回目

2022-03-04 18:51:09 | 甲野陽紀先生の個別講座
前回から9日しか経っていませんが、本番直前にモデルチェンジしてしまうのは、なるべく避けたいので、本日、レッスンの前にうかがうことに。

前回の眼球操作は私にはとても効いて、まず、目が以前よりも見えるようになり、疲れなくなったことが大きい。

それまでは微妙に疲労していたようで、この目が修正されてからは、より良いコンディションで暮らしている。

そして何よりも、フルート!

前回、就寝時に、この眼球操作を行っている時に発見したのだけれど、呼吸にもとても良い影響を与えるものだった。

ハチミツ容器で金属の蓋部分をスーっと引いて出すものがあるけれど、鼻腔周辺が、スーっと空いて、勝手に空気が入ってくる感じ。

既に花粉も飛んでいて、先週から漢方薬も飲み始めていたのだけれど、この眼球操作によって、鼻奥が炎症し詰りがちだったのもなくなってスッキリ。

3月26日のコンサートを決めた冬には、うっかり失念していたのだけれど、花粉症でベストコンディションではないので、過去に3月に自主企画のコンサートをやったことはなかった・・ということに先週気付き、「あらまあ、どうしましょう?」とちょびっとだけではあるにしても、うろたえたのだけれど、これも、この眼球操作で、解決。

本当に凄い。

これ以上、何を私は欲張っているのだろう?・・

という気持ちで出かけた本日は・・

1.腰と足先
2.呼吸(3種類)
3.呼吸・・何処を意識するか

全く異なる次のステージに行けたかも??
というくらいの違い。

達人の技の秘儀をわかりやすくポンと放り出してくださるようなお話の連続に、本日も圧倒されたのでした。

前回からのものをまとめると・・

1回目・・「フルート体」・末端から動く
2回目・・足 、「ヒトデとウニ」(これは私のイメージ)
3回目・・下駄・目・置く
4回目・・足先・呼吸

もちろん、この根底にあるのは、それまで培ってきた抜刀の構えであったり、羊座りだったり、鯉口を切る手の内だったり、と色々一言では言えない前提条件があるのですが、今回の新たな息の操作により、なんというか手でせっせとスリスリして火を起していたのを、カチャっとライターで一瞬にしてつける、というくらいの差がある。

しっかり踏ん張って、腹式呼吸で、とやっていた20年前までの過去の自分を「原始的だったなあ」とあざ笑っていたけれど、まだ火打石レベルくらいだったかもしれないなあ、と今回本当に驚いた。

本番までに、これらが、無意識の内でも使えるようにしたい、というか、使おう!

3月になってからのウクライナの戦禍報道はさらに悲惨さを増し、シンパシーを感じている国なだけに、逆流性食道炎になってしまったのだけれど、今回の呼吸は胃にも良い作用を及ぼすのだそう。

情報遮断するのが一番良いのかもしれないけれど、それは無理。
気にしているのに、気にしないふりをしていることが気になるじゃない?

コロナ禍報道も含めて、現実をみな受け止めつつも自身がダメージを負わない心身を保つ。

前回、甲野先生が仰っていた

「波ひとつ立たない静かな水面」のような境地。

これは、そのままステージでの構えにも通じている。

そこまでの距離はまだまだ遠いだろうけれど、2年前の本番の時よりは、かなり近づけるのではないか?と。


甲野陽紀先生の個別講座 3回目

2022-02-23 16:59:41 | 甲野陽紀先生の個別講座
例によって、「言葉」によるご指導内容がとても多いので、詳細は書けないのですが、

今回も、メウロコの時間でした。

自身の覚書のためにも、キーワードをまとめておくと・・

1回目・・「フルート体」・末端から動く
2回目・・足 、「ヒトデとウニ」(これは私のイメージ)
3回目・・下駄・目・置く

何のことやら、で申し訳ないのですが、私の現在のレベルでは、とても下駄に助けられていることもよくわかった本日の講座でした。

「目」と「置く」は、夜、眠る時にも役に立ちそう。
「目」の操作で、ホワイトボードの色までがより白く変化して、字がくっきりと見えたのも不思議な経験でした。

元々、2.0の視力なので、今もメガネは無しで文庫本も新聞も読めるのですが、それでも、夜になると字は読みにくいし、関心のない記事を読むのは億劫になっている。

それが、この「目」の操作でよりピンとが合うし、なんというか、気持ちのピントも合う。

フルートの為にうかがっていますが、コロナ禍で鬱々としがちな、気持ちまで晴々となる心地がしています。

来月も楽しみ!


甲野陽紀先生の個別講座 2回目

2022-01-28 22:11:05 | 甲野陽紀先生の個別講座
前回の「フルート体」によって、大きく変化したフルート。

これにより、楽器こみの心身の釣り合いが取れるようになった、ということが大きな要因だけれど、それ以上に「自分が抜ける」という感覚に近付けたことの変化が大きかった。

でも、今回、その進展と反比例するようにフルートを吹く、という意欲がかつてないくらいに減衰。

以前、出来なかったことがサラっと出来るようになったり、より響きも増して、と良いことばかりなのに、このあたりが不思議でした。

おそらく「自分」の愉しみの中で吹いていたので、その「自分」が抜けてしまうと、何やっているんだかよくわからない、というちょっとした戸惑いと混乱があるからかもしれない。

さらには、「こんなに進展しても、この程度の音しか出ないの?」という絶望感がより増す。

もともと、自分にはかなり甘い方だと思うのに、こんなに「あ~~~あ」と思ってしまうのも、かつてなかったことで。

これはやはり、心の問題か?

『天狗芸術論』や『猫の妙術』、そして『願立剣術物語』にしても、語られているのは心。

こうした教えを読む時、いつも感じるのは、頭ではなるほど、と納得しても、到底、自分には、そのような境地は縁がないなあ、という情けなさ。

これはもう、限界なのかもしれない?

こんな心境をお話してから、レッスン開始・・

前回の「フルート体」となることで、上半身は本当に抜けましたね、とお褒めいただき、
でも、足はどうですか?と、今回の修正は足とそれに関連しての腰。

これでまたさらに別世界に。

「ああ、下半身が上半身の変化に伴っていなかったから、違和感を感じて、こんな音じゃいやだ、という気持ちになっていたのだなあ」と納得。

これまた「言葉」のご指導なので、ここに記すことはできませんが、かなり変化。

指先、指、足裏、夫々をどのように取り扱うかで、腰の安定が大きく変化する。

帰宅してすぐに試しましたが、もうびっくりするくらいに変化して気味が悪い程でした。

エネルギー効率がより増している。倍増どころじゃない程に。

そうそう。欲しかったのはこの音なんだよね、とまた意欲がフツフツと・・