王様の絵日記

猫好き漫画家の毎日のあれこれ

ウェブマガジン ウィングス

2009-09-30 01:18:52 | 日記
ウェブマガジン ウイングス
開設されました。(クリックしたら飛べます)


こちら、ダンナさまのPCからアクセスしてみたとこ。

オイラのノーパソはとってもちっちゃいので、新書サイズのコミックス(ジャンプとかのコミックスサイズ)ぐらいのちっこサイズに見えます。

比べてダンナ様のディスプレイは結構大きいので、拡大するとかなりでっかく見えます。
仕事場のimacちゃんで見たらどうなんだろう、ものすごく大きいだろうな…と思ったけど、考えたらこの漫画を描いた時の画像まんまかもしれないのでやめときました。

開設日当日の一昨日の夜は多分アクセスが多かったのかなかなか繋がらず、あまりの遅さにダンナさまも挫折(たった3ページ読むのをですね…)してましたが、そろそろスムーズになってる頃かと思われます。

感想や応援メッセージを送れる欄もくっついてるので、書いてやってくれたらたぶんそのうち碧也のところに来ると思います。
「天下一!!」の感想なら、雑誌の感想でもOKだそうです。


えーと今から予告しておきますが、来月はどーっしても時間がとれず、描き下ろしできませんです。
…ので、以前から「どっかに載せてください」という声の多かった、書店ペーパー漫画を再録していただく予定です。
手に入れ損ねた皆様は、どうぞこの機会に。


ちなみに、漫画はその月に読まないと読めなくなってしまうそうなので、読みに行ってやって下さいましね。
今は時間ありませんが、そのうちキャラ紹介のカット等もカラーで描き下ろす予定になってます。


ではでは。
「天下一!!」ネームに戻ります。


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あだまがいだい…

2009-09-27 19:02:14 | お仕事
戊辰戦争一から勉強しなおしてます。
一応の流れは分っていても、仕事で描くのでそれではいかんのです。

ぶっ続けで本を読んでて、頭が痛い…。
一気に詰め込んで理解して行く過程ではよくあるんですが、すごい頭痛と知恵熱が…。
しかしここをクリアせねば、見えないものもあるんであります。

そうこうしてるうちに次の「天下一!!」のネームに入らねばならない時期が来ますし。
中世→近世、近世→近代、2つの転換期を行ったり来たり。

うぎゃー!


しかし昨日の夜は元アシで漫画家の猪川朱美嬢(土方ファン)と、深夜まで土方さんについて熱く語り合って、かなり面白かったです。

今日は今日とて、ケーキと関係資料持って来てくれたし。
ありがたいです助かります。

ダンナ様に頼んでわっさり図書館で借りてきて貰った本と合わせて、今夜もまだまだどんどん読むぞのすけ。
…ノーシン飲んで、頭痛と闘いながらだけどな…



読者様から情報を頂きまして、「週刊ダイヤモンド」というビジネス雑誌に、「天下一!!」の記事を掲載して頂いていた事を知りました。

担当さんもご存知なかったみたいですが、早速調べてバックナンバーをゲットして送って頂きました(9月12日号)。



「キャラクタービジネスとして再開発が進む『武将』の世界」という切り口で、雑誌の対象であるところのビジネスマン向けにご紹介頂いてるようですが、「女性向け作品ながら男性でも抵抗感なく楽しめる内容」「スピーディーで力強い」等、内容面で気持ちよく好意的なレビューを頂いていて、有難く拝読させて頂きました。

男性向けの場合、「歴女向けイケメンパラダイス」的な部分だけ強調されちゃう事もよくありまして、いやそれでも全然間違いじゃないんですが、やっぱ読み物としての部分で褒めて頂くと、物描きとしては嬉しいんであります。

ご紹介、どうもありがとうございました。
教えて下さった読者様も、どうもありがとうございました。





明日はスピカ「デアマンテ」、ウェプマガジンウィングス「信長様とお小姓boys」配信日です。

ウィングスが隔月刊になって、「天下一!!」が毎月読めない事を寂しがって下さってる読者の皆様も多いのですが、この短いページのお馬鹿漫画を眺めつつ、来月をお待ちいただけると嬉しいです。


私も、毎月虎や乱丸を描けないのは、本当はちょっと寂しいんでありますけどね。
仕方ないよね。


頑張りますんで、これからも応援よろしくです。

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戻ってまいりましたぁ

2009-09-24 16:35:58 | 日記
3泊4日、京都~滋賀、史跡めぐりとお墓参りの旅、という感じでした。
19~22日の日付で日記をアップしてますので、詳しくはそちらをご覧下さい。

よく頂き物をする会社の人のお土産にと、彦根地酒(※石田三成家紋入り…)を持って行ったダンナ様。
「何しに行ったの?」と訊ねられ


「織田信長の墓参り。お彼岸だし」


…と答えて大笑いされたそうです。
「その前に自分家の先祖の墓参りせにゃ~!(岡山弁)」…と。


…ごもっともで、ございます…。




取材の時はいつもなのですが、とにかく4日間、時間の許す限り駆け回り、撮れるだけ写真を撮ってくるというハードな旅でありました。


朝御飯はパン・パン・パン、お昼ごはんは団子・蕎麦・団子という、超チープな食事だったので(時間のロスを減らすため、ですね…)、晩御飯だけは美味しいものを食べてきましたよ。

…と言っても、初日は京都に泊まるたび必ず一度は夕食をとってる、おばんざいバイキングのお店でしたが。
2日目は大津のホテルで懐石、3日目は念願の近江牛、4日目は彦根のお店で軽めの懐石と、鮒鮓。

鮒酢は一応、お土産やさんで自宅用にも買って帰ったのですが、真空パックされているハズのその袋が…既に……

に、臭う…


懐石と鮒鮓を頂いた彦根のお店の若女将のおっしゃるには、そこのお店ではすごく気をつけて、臭いすぎない自家製鮒鮓を作ってらっさるとの事。


「お土産もの屋さんの真空パックのとかはね、かなり危険なものもありますよ…」

と。

時既に遅く、もう買っちゃってたし。

本当は湖北の有名なお店の鮒鮓茶漬けが食べたかったんだけど、時間が無くて行けなかったのです。


「とても栄養価が高いので、滋賀のおばあちゃんは、風邪を引いたらこれを食べろって言うんですよ」

と、若女将。


一緒にメニューに並んでいた「へしこ」は、更にパワフルなお味だそうです。


「へしこ」って確かアシか××よ姉が、お歳暮にどこかから貰って

「開けた瞬間、家中がう×この臭いになっちゃってっっ!!」

…結局誰も食べなかったっていう、アレだな…、なんて思い出したりしながら鮒鮓を頬張ってました。


いや、美味しかったですよ鮒鮓。
信長様もお好きだったというし、うちの乱丸も好きという設定だし。
是非、お茶漬けで頂いてみたかったです。



彦根城の内堀近くを歩いていた時

「あっ!あれ欲しい!あれどこで買ったんやろ!?」

と、1人のお兄ちゃんを見たダンナ様。


お兄ちゃんは、肩口に織田木瓜の紋が入ったかなりかっこいいデザインのTシャツを着てました。
ぬぬぬ。
確かにかっこいい。


「本当は長浜の『時代屋』ってお店に行ってみたかったんだよなー」

…とダンナさま。


…戦国武将グッズ、ですか…

欲しかったんですか…。


「でも、ひこにゃんで我慢するよ。」

…うん、そうして。
あなた元来好きなんだよね、食玩とか。



…で、彦根のキャラグッズのお店で買いました。
ちなみに真ん中の鶴丸シールは…オイラのです。




…何だか、だんだん近づいてきましたね…リアル歴女に…。



コメント、拍手コメント、メール等で、ペーパーのご感想下さったみなさま、ありがとうございました!
嬉しいんで、またまた引き続きありましたらよろしく!

これからの展開がますます楽しみになった、読んでなかった方の作品を読んでハマった、というお言葉等、嬉しかったです。
作った甲斐があるというものでありますよ!


届いてない…というメールもぱらぱらっとやってきましたが、その後無事に届きましたでしょうか?(一応発送チェックはしてみました)

最初に戻ってきたメール添付の方だけは、未だご連絡頂いてないのですが…



先日編集部から返信ありました。
ウェブマガジンウィングスは、28日にサイトオープンだそうです。
もうしばらくお待ち下さいませ。
なお、「信長様とお小姓boys」は、ペーパーにも書きました通り、不定期連載の予定ですので、毎号載っているわけではないと思います。
ご了承下さいませ
(今月配信号は載ってます!)


…では、これから幕末関係仕込みに入ります。
まだ頭は戦国時代をふらふらしてるよ自分…。
き、切り替えが大変だーー


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滋賀・4日目

2009-09-22 04:26:52 | 日記
ホテルをチェックアウトして、安土へ。
途中、瀬田の唐橋を取材。



「唐橋を制するものは天下を制す」
といわれた有名な橋で、現在の位置に移したのが信長様だったり、本能寺の後、唐橋を守っていた山岡氏(前日に見た光浄院もこの山岡氏ゆかりの寺院)がこれを落として安土に向かう明智軍を止めた…と言われる橋であります。

信長様が船で琵琶湖を突っ切って上洛する時の、上陸コースのひとつでもあったりするので、このあたりは一度見ておきたいところでした。

その後、4度目となる安土へ。
特別展を見た後、安土山の周りをぐるっと車で走ってみました。


例えば安土山をバックにした馬場なんかを描いて貰う時

「この角度の山の形が分んないんすよ!!」

…などと、アシさんズによく文句を言われていたので、想定できる安土の町やら馬場やらからの角度から、撮れる写真を撮ってきました。

その後、ふと思い立って、古地図と現代の地図の山の形を合わせつつ、「七曲り」と呼ばれる登り口を探してみる事に。

唯一現存するという、安土山の家臣団の家の配置まで入った古地図は、江戸期に描かれたものなので信憑性はイマイチはっきりしないのだそうですが、それによるとこの七曲の真上あたりが乱丸の屋敷跡なんであります。

車で移動しつつ、地図の地形と照らし合わせ、降りては歩いて探していると、古い五輪の頭をお地蔵さんのように祭った一角を発見。
その上に、古い野面積みの石垣。




「もしかして、このあたりじゃね?」

…と、木の間を透かして見れば、山肌に古い石垣や道らしきものが見えるような。

「多分このあたりだよ、きっと!」

と、2人でぐるぐるとそのあたり一帯をいったりきたりして。


平成元年から20年計画で進められていた安土山の発掘調査は、結局安土山の一部を調べたのみで、昨年でその計画を終えてしまったのだそうで。

見学できるコースやルートもしっかり決められていて、搦手や七曲道を見たり、その道に入ったりする事はできません。
ペーパーにも少し書きましたが、馬廻たちの武家屋敷があったのはこの七曲道を下って安土の町に続く辺り、乱丸の屋敷があったと言われるのは七曲を昇った先の、長谷川さん家の下辺り。

素人的に勝手に想定したり、想像したりする事しかではないんだけど、きっとこの上辺りに乱の屋敷があったんだよなあ…と、石垣の上の山をしみじみと眺めてきました。


こうやってね。
その場所に立って、色々考えたり想像したりするうちにね。

そこがだんだん恋しい場所へと変っていくのが、歴史の面白くも素敵なところなのです。

さよなら安土、また来るねと、安土山を眺めながら彦根へ移動。


時間があれば本当は長浜まで行って、国友鉄砲資料館を見たかったんですが、安土で時間をとられすぎたので、彦根城見学に予定変更。


ちょうど開国150年展をやっていたので見て、時間の許す限り城内を回ってきました。


城前のお茶屋さんの色々お団子。
どれも全部美味しかったです。


今回の旅で、どーーしても食べたかったけどまだ食べられてなかった鮒鮓。
念願かなって、夕食でようやく食べられました。
例によって写真を撮るのを忘れてしまったので、麹の一部だけ。

パワフルなお味でしたよ。
でもニューヨークチーズケーキ好きな虎なら、きっと行ける…ハズ(本当か?)。
ちなみにオイラは好きでした。

渋滞が少し緩和された高速道を走って、岡山に着いたのは午前一時半。
運転手のダンナ様、ご苦労様でありました。

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3日目・滋賀

2009-09-21 21:48:30 | 日記
ゆっくり朝食をとる時間は無いので、ホテルの部屋でコーヒーとメロンパンを詰め込んで、いざ出陣!

今回の取材旅行のメインは、本日午前の部。
以前から葉書で申し込んでいた、園城寺にある二つの客殿、光浄院・勧学院の拝観であります。

園城寺は天台寺門宗の総本山。
ものすごく巨大かつ色々なお寺の集合体で、敷地内には国宝、重文の建物がゴロゴロゴロと。

その中でも2つの客殿は、まさに関ヶ原の頃、戦国末期に建てられた、書院造の原型(お寺の方は「試作品」とおっしゃってました)のような建物なのであります。


信長様が建てた本能寺の客殿は、この光浄院に近い構造であったらしいという事で、是非一度見たい見たいと思いつつ、なかなか時間が取れませんでした。

その願い叶ってようやく拝観実現。

国宝という事で写真を撮る事はできませんでしたが、隅々までじっくり見て、思いっきり色々と質問をぶつけてきました。
他の方々と一緒に10人ぐらいの団体で見せて頂いたのですが、その中で一番しつこくねちっこかった奴は、きっとこのわたくしでありましたよ。
変な質問ばかりしてすみませんでした、お坊様。

しかしもんのすごく面白かったです。
目からウロコが落ちまくりだったし。
嘘ばっか描いてんじゃん、自分と思ったり。

建物自体は本能寺変の10年ほど後に建てられたものだそうですが、その前身の客殿は足利義昭を報じて上京する際、信長公が使っていたそうでして

「この庭は室町期のものなので、信長が眺めたそのままですよ」

と、お坊様。


スゲー!なんだかスゲーッ!!


もう1つ凄いのはこの二棟の客殿、襖絵も全部ホンモノでして、光浄院は狩野山楽、勧学院は狩野光信(永徳の嫡男、「天下一!!」にもちらっと出てる少年)の手によるもの。

普通なら美術館のガラス越しに見るような襖絵を、自然光の元で、殆ど顔をくっつけんばかりにして眺める事ができちゃったりするわけです。

スゲーッ!!めっちゃ楽しいいーん!!


勧学院の、この光信の襖絵の前では、松嶋奈々子の生茶のCM撮影や、B’zのジャケ写撮影なんかも行われたそうで、初期書院造や狩野派の絵なんかどーだっていいやって方々には、そっちの方がよほどスゲーッって感じだったみたいですが。

とにかくとっても面白くて、とっても有意義な時間でありました。



勧学院のお坊様のにゃんこ。
拝観の間ずっと外で待ってて、拝観が終わって帰られるお坊様にくっついて帰っていきました。

「襖絵や柱で爪とぎなんかされたら大変な事になっちゃいますからね…」

とお坊様。

国宝で爪とぎ…ふふふ。
うちの猫どもなら…やる。
きっとやる。

この子は大変に賢い子で、けっして中には入らないようですが。
ソマリに見えるけどミックスだそうで、人懐こい美人さんでした。



お昼ごはんは園城寺門前の食堂で、京都近辺に来たら必ず一度は食べたいにしんそば。
うどん圏の人間なので、蕎麦はあんまり好きじゃないんですが、にしんそばだけは大好きなんですよね。


園城寺を出て、坂本へ。
やはり去年は行き損ねてしまった明智様の坂本城址。



安土の方角を眺めてみました。


その後。琵琶湖大橋を渡って安土へ。
3回目ですよ。安土。

「や、もう安土城址はいいわ…あんな、山のてっぺん…」

と言いながら、桑実寺へ。
先月発売号でちょうど桑実寺事件(?)の前半を描いたところですが、やはり去年行き損ねて、資料本の写真を参考に絵に起こして貰っていて。
しかしやはり臨場感が足らぬので、後半を描く前に一度行っておきたかったのであります。

「六角氏の城があった観音寺山の麓にあるんだって」

と、いいながら、軽い気持ちで参道に車で突っ込んだら、突然行き止まり。
駐車場に車を入れたら「山門まであと××丁(忘れた…)」という表示。


悪い予感…。


…は、的中して、坂道を登った先の目の前に現れたのは…

…石段。
ちょっと、安土城の百々橋口(総見寺側昇り口)を思い出す感じの。


「…ふ、ふもと、なんだよ…ね?」


と、言いつつ続く石段。

そしてようやくたどり着いた山門に置いてあったのは…


…杖!


何故にこんなところに杖…
いやなんとなく分るけれども…考えたく…ない。





山門から先、足場のますます悪くなった石段を、昇れども昇れども本堂は見えず。
…いやもう、罰ゲームですよこれ。

「安土こんなとこばっかーー!!」

…と、ひいひい言いながら昇り続ける事30分ぐらい。
ようやく本堂の屋根が見えてきました。

「お疲れ様でした」

…と、お坊様に頂いたのは「思いやり梅」と書かれた梅干し。
汗で塩分随分流れちゃったしね。
ありがとうございますです。


本堂は、想像していたよりずっと小さくてびっくり。
写真じゃ大きく見えたのになあ。
こういう事があるから、実際見てみないと分んないんだ。
室町期開祖以来、一度も戦禍に合っていないお寺なのだそうで、おそらくはここも当時のまんまであります。
でも後半は、これでもっとリアリティ持って描けるハズ。


帰りはまたふらふらしながら石段を下る下る。


それにしても当日、安土山を降りて長浜まで馬、竹生島まで船のコースを日帰り往復して、また安土山に登って降りて、更にこの本堂まで駆け上がってきた筈の信長様とお小姓ズ。


「信長様のお小姓は、ぜっっったい体育会系でないと勤まらんっっ!」


と、ひいひい言いながら下って行きました。
…良かった。
虎を体育会系女子高生に設定しておいて。


後で調べたら、桑実寺と安土城天守の標高は、ほぼ同じ位の高さでした。

…かんのんじやまの、「ふもと」…。

つまり観音寺山は、安土山の何倍もでっかい山なわけで。

信長は最初、安土城を観音寺山に建てようとしたけど、家臣の大反対にあって安土山に変更した…という話を、資料本のうちのどこかで読んだ気がするんだけど…分るよその気持ち。…うん。



観音寺山の山裾に建つ資料館、「信長の館」。
「戦国の城・安土城まで」という特別展が開催されていると知り、急遽予定変更して明日もう一度安土を訪れる事に。

それにしても、去年も同じ時期に来たせいか、安土は田を焼く香りと煙の棚引く、静かな土地という印象。

信長様の安寧楽土。
落ち着くなあ。好きだなあここ。
しみじみと夕暮れの安土を眺めて、帰りは近江八幡「毛利志満」へ。


去年食べ損ねて、夢にまで出た近江牛。
刺身~石焼~握りのコースで頂きました。
出されたポン酢ではなく、テーブルに備えてあった塩で食べてたら、気づいたお店の方がわざわざゲラントの岩塩を出して下さいました。

初めて食べた近江牛は、霜降りでもあっさりしたお味でした。
美味しかった~。

とにかくメインの取材を無事終えて、ホッとしましたの事。

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京都・1日目午後の部と、2日目

2009-09-20 18:49:36 | 日記
食事の後は、現本能寺にGO

現本能寺は、天正十年に消失した信長の頃の本能寺とは場所が違ってまして、去年はそっちの旧本能寺跡は訪れたのですが、こっちには来てませんでした。
ですが信長様やお小姓ズ、馬廻の皆さんの廟があるというので、今年はお参りにと。


信長様廟。
大きくて立派です。

隣には、本能寺の変の時、本能寺と二条御所で亡くなった家臣の皆さんの供養塔。



すらり並んだ名前の中に、乱や森兄弟、虎松や松寿、お小姓の皆さんの名前もあります。
しっかりと手を合わせてきました。

本能寺宝物館でちょうど「本能寺と町衆文化」という展示会が開かれていたので、そのまま覗いて来ました。

狩野永徳の絵や乱丸の陣太刀、三足の蛙の香炉なんかが展示されていたので、ダンナ様と2人あーだこーだと話しながら見ていたら、出口で受付のオジサマにとっつかまりました。


オジサマ、信長について語る語る語る。


面白かったんですが、他にお客さんが沢山いたのに、何故にわたくしたち夫婦のみに語りかけて来られたのか。
多分、会話を聞いて「このモノドモは話せる筈!」と思われたんでしょうかね。
そういえば去年も安土山で、こんな事あった気がするよ。


やけに熱いオジサマファンがいるのは、信長ファンの特長なんでありましょうか。



その後、寺町阿弥陀寺にあるという、信長公本廟へGO

拝観料も必要なければ受付もない小さなお寺に、うろうろしながら入っていくと、墓地の一角に小さくて古い二基のお墓。
近づいてみると、信長と信忠の名前。


衝撃でした。
こんな小さなお墓が、信長様の本廟とは。


周りには森三兄弟や、本能寺の変で亡くなった、誰ともしれない家臣たちのお墓。
五輪の墓石には、よく見ると確かに「天正十年」とか「六月二日」という字が刻まれてるのですが、とにかく古くてその他の字が殆ど読めず。

五輪の頭の部分とか、落っこちてたり、石もあちこち割れてしまってます。

なんとも古くて小さく、でもその分、立派な廟や供養塔よりはるかにリアルなお墓に圧倒されて、しばし沈黙。


このお寺と信長様との関りや、このお墓がここに建てられた経緯についての言い伝え、その後の阿弥陀寺の立場の変遷等を聞くに、とにかくこれはお線香を持って明日もう一度来よう、と話し合って、一度お寺を後にしました。


その後は、相国寺の普段は未公開のあれやこれやを取材。
欲しい写真をたっぷり撮ってからホテルに戻りました。



翌日20日、朝からお線香と蝋燭を用意して、阿弥陀寺へ。お線香とお水を上げて、信長様やお小姓の皆に手を合わせて来ました。



このずっと奥にお墓があるのですが、写真を撮ってはいけないような気がしたので、入り口の石碑のみ…。
京都を訪れた際は、またお参りしたいと思います。





お昼ごはんがわりに、下賀茂神社前の「みたらしだんご発祥の店」で、みたらし団子3本。
黒糖蜜のタレは甘く、炭火で焼く小さなお団子の焦げ目も香ばしく、すんごく美味しかったです。


2日目の午後は建仁寺、四条を回り、そのまま大津へ。

腰と股関節の調子があまり良くなくて、途中で傷む脚を引きずりながら四条川原町を歩く派目になってしまったので、少し早めに予定を切り上げてホテルに向かいました。


今回の取材のメインは21日ですからね、と。
ここでへばってしまっては大変ですから。


しかし、生まれながら持ってた股関節脱臼の後遺症に加え、仕事で酷使して傷めてしまった腰のダメージは、自分にとって時々爆弾です…。
辛いのぅ。

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1日目・京都

2009-09-19 18:03:01 | 日記
朝5時半出発。
運転手はダンナさま。
怖れていた渋滞も無く、8時半には京都に着きました。

駅ビル駐車場に車を預けて、いつものレンタサイクル屋さんにGO。
シルバーウイーク初日とはいえ土曜日なんで、あっさり自転車も借りられました。
翌日はもう予約でいっぱいなので延滞はできません、と言われたけど。

そのまま午前・新撰組の部に突入で、壬生に向かってGO。

途中、たまたま西本願寺の横の道を通りかかって大発見。


「唐門どわーっ!!」

「お西はん」こと西本願寺は、もんのすごいイイモノ(桃山時代・聚楽第移築の建物とか見事な書院とか)を裏っかわに隠していて、拝観料も取らないかわりに見せてもくれないのです。
正面からしか入った事無かったから、横道から唐門だけでも見えるとは知らなかった!
ばちばちと写真を撮りまくり、浮かれた気分で壬生にGO

壬生ではまず光縁寺で、山南さんとソージィ縁者の女性、その他隊士の方々のお墓参り。
本堂でご焼香をあげ、ノートにもちょこっと一筆書いてきました。



それから、ショップになってる前川邸


続けて八木邸の両屯所を覗いてきました。


…いやあ。アレですね。

数年前、大河の直後に壬生を訪れた時、そのあまりの変りっぷりにぶっとんで…
ぶっとんで、そのまま逃げ帰った記憶があるんですが

本当に、壬生は柔らかい町にならはりました。

アタイの記憶にある壬生は、びくびくと息を潜めて静かに周り、しっかりと門が閉まった八木邸の前でぱっと記念写真を撮ってすごい勢いで逃げた…

そんな場所だったもんで。

その頃、唯一、お線香代100円で新撰組ファンを受け入れてくれていた光縁寺さんだけが、今はむしろひっそりとした印象で、変らずお線香代100円でお墓参りのファンだけを受け入れて下さってました。


初めて実際の内部を見た八木邸はとても楽しかったです。
京町屋と武家屋敷、両方のつくりを持った建物は、京都ならではでしょうか。
他では見たことが無い構造でありました。

それにしても、新撰組ファンは相変わらず本当に若い!
自分もかつてそんな年齢の頃、熱心なファンだったワケですが、なんかこの齢で訪れるとちょっとくすぐったい気がするほど、若い方ばかりがぞろぞろと歩いてました。


最後に壬生寺を覗いてから、三条にある池田屋跡にGO

ここ、以前通りかかった時はパチンコ屋さんでした。
そして実はその更に前は、ピザ屋さんでした。
ピザ屋さんの頃に、一度訪れてピザを食べた事があるんですが…

今は海鮮居酒屋さんになってるんですねえ。
しかも、新撰組隊士や龍馬なんかの名前がついたメニューがあったり

せっかくだから「土方歳三定食」を食べようと思ったのですが、なぜか歳さん定食は

オカズが天ぷらオンリー

さらに「沖田総司定食」は

オカズが刺身オンリー

…で、近藤勇さんはなんだっけ…天ざるうどんだっけ…とにかくあまりツボにはまらないメニューだったんで


「池田屋定食」なるものを食べましたのすけ。

味は、普通のよくあるこんな感じのお店にありげな定食味でした。
まあね。
食べてみる事に意義があるっていうかね。
うん。

そして食事の後、午後は「織田信長と天下一の部」に突入いたしたしました。

続きは20日の日記にて。

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取材行ってきます

2009-09-18 21:15:39 | お仕事
ペーパー郵送分は昨日夜郵便局に出し、メール添付分も昨日中に送信終わりました。
これでペーパー企画の作業は全て終了しました。
郵送分の方は、早ければ明日頃からお手元に届く筈です。
もうしばらくお待ち下さい。

コメントや拍手コメント下さってる方がぱらぱらといらっしゃいますが、よろしければまたペーパーのご感想等も聞かせて下さいね


ところでペーパー関連で、2点ほどお問い合わせとお知らせです。


※メール送信分で、何度送っても戻ってきてしまう方が一名いらっしゃいます。

添付ファイルが重いのかと思って、メールでお問い合わせ出してみたのですが、そのメールも戻ってきます。
送って頂いたアドレスにそのまま返信しているのですが、もしやメールを受け取れない設定等になってませんでしょうか?

お心当たりの方(未だペーパーファイル添付メールが届いてない方)は、お手数ですが、メール設定やアドレスをご確認の上、再度ご送信下さいませ。

よろしくお願いします。


※「信長様とお小姓boys」について

ウェブマガジンウィングスの創刊は9月28日の予定ですので、まだアップされていないと思います。
一応編集部に問い合わせてみたのですが、未だお返事頂けてないので詳しい事がわかりません。
配信日をお待ちになって、アクセスしてみて下さいませ。
ペーパーに配信日等書いておりませんでしたので、混乱させてしまってすみませんでした。


一応、ペーパー関連は以上です。
何日経っても届かない!って方は、事故かもしれないのでまたご一報下さいね。
大型連休が挟まっちゃうので、郵便事情もちょっと分りにくいのですが…。



明日からちょっと数日間、取材に出てきます。

京都と琵琶湖周辺をくるくるっと回ってきます。
ちょうど去年の今頃、「天下一!!」連載準備時に続き二度目の取材なのですが、その時回りきれなかった場所を回ったり、新たに必要になった箇所を色々と見て来るつもりです。

去年はまず安土山に登ったり、京都で古地図+現代の地図を照らし合わせながら信長様の馬揃えコースを自転車で走ったりしました。

今年はどうしても一度見ておきたかった書院造の建物が、ようやく見られそうなので楽しみです。
写真資料じゃ分らない部分も多いんですよね…。
広さとか高さとか、そういう感覚的な部分とかは、絵やお話を作る時に意外と必要だったりするんで。

長崎や角館や函館は、そう簡単には行けない距離なんですが、幸い京都や近江近辺なら割と気軽に足を伸ばせますから。
…車で行くんで、渋滞がちょっと恐怖なんですが…


絵が無いのも寂しいので、お蔵になってたビビちゃんの恥ずかしい姿をご覧下さい。



…でぶ…。


じゃあ、行って来ます!


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お待たせしましたー!

2009-09-16 23:59:41 | お仕事

妹が朝日新聞関係の方からもらってきてくれた広告。
新聞の折込広告ではなく、厚手の紙に印刷されたもので、書店関係のチラシかな?って感じです。


新聞広告では裏は一色印刷だったのですが、こちらはフルカラーです。


「先生…なんかむっちゃ浮いてます…」


…と、アシさんズに言われたのですが、私もそう思います。
だって周りが青年誌の超大御所先生ばかりなんだもの…。
何とも恐れ多い状況でございます。

選ばれた50人の歴史上の人物の大半が男性だからか、執筆陣の中に少女漫画家さんがほとんどいらっしゃらないんですよね。
そんな中で、きっとオイラは女子担当。
将来の歴女…じゃない、歴史好きの女子を1人でも増やせるように頑張りまっす。



昨日、無事今月配信号の「デアマンテ」が上がりましたので、本日は1日かけてペーパー送付作業やってました。




完成したペーパーをプリント。
封筒の宛名は結局全て打ち込みで作りました。
本日新書館から転送されてきた最後の数通だけは、間に合わなかったので手書きしました。
腕の疲れが抜けてないせいで、ヘロヘロ字の宛名ですが、お許しください。



「キャラペーパー」「デアマンテ」「天下一!!」ペーパーをそれぞれ1枚ずつ。
3枚1セットにして、ひたすら折る、折る、折る。




どんどん、封筒に詰めて行きます。
最後に、封をして出来上がり。



明日、ダンナ様に仕事の帰り、夜間も開いてる郵便局に持って行って貰うつもりです。
連休までには、皆様のお手元に届くんじゃないかと思います!


メールで頂いたお申し込みのうち、半分弱の方が郵送ではなくメール添付のご希望だったのですが、そちらは明日夜からの発送になります。

他の方のメルアドが同時に出てしまうのを避けるため、一括送ではなく一件ごとに返信モードでお送りする事になると思います。
少し時間がかかると思いますが(と言っても明後日中には届くでしょうけど)、順次お送りしていきますので、明日夜以降、時々メールチェックしてご確認下さいね。



メール送信が終わったら、ブログ発特製ペーパー企画関係の作業は、全て終了です。



ほぼ全ての作業を1人で片付けたので、かなり時間がかかりましたが、私的にもとっても楽しい企画でした。
何しろ、こんなにどっさりと沢山のご感想を頂く事が、普段はありませんから!


一通一通のお手紙やメールを、楽しく大切に読ませて頂きました。
2本の連載のこれからの展開や、キャラクター達の関係について、皆様が本当に楽しみにして下さってるのがよく分って、とても嬉しかったです。


特に虎。

私が今まで描いたヒロインの中でも、虎はとりわけ皆様に可愛がって頂いているんじゃないかしら、と思います。
おバカでKYな娘ですが、これからも彼女の体当たり戦国ライフをどうぞ応援してやって下さいませ。

デアマンテも、残すところあと4話になりました。
こちらも最後までしっかり頑張ります。



と、いうわけで、ペーパー関係ご報告でした。
早くお申し込みを頂いた皆様には特に、本当にお待たせ致しましたが、遠からずお手元に届きますので、あともうほんのちょっとだけお待ち下さいね!

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オシゴト行きます

2009-09-08 23:30:53 | お仕事
ペーパーの宛名、メールお申し込み分は、皆様のメールから直接コピペして宛名カードを作りました!
書く手間省けた!オイラ賢い!

残るはお手紙で頂いた分の宛名ですね。
これも打ち込んじゃった方が早いかしら?
それとも誰かに手伝って貰ってばーっと書いちゃうか…。


メール添付用のペーパーのファイルも完成しました。
こちらも後は発送するだけです。

明日からアシさんが入るので、送付はもうしばらくお待ちください。
この仕事が明けたら早々にお送りできるよう頑張ります




「週刊マンガ日本史」第35号、土方歳三の漫画を担当させていただきます。


そろそろ、色々とオープンにしても良いらしいので、ちょくっと。


以前から何度か話題にはしていますが、私が日本の歴史好きになったきっかけは、新撰組であります。

中学に上がったぱかリの春、宝塚の「星影の人」を観たのがきっかけで、新撰組って何?もうちょっと知りたいんだけど、と思って、森満喜子さんの小説を読んだらどっぷりハマリまして。

それから毎週末、自転車を飛ばして表町の書店に通い、エスカレーター下の歴史コーナーに何時間も居座って、選びに選んだ本を1冊ずつ集めました。
中学生の少ないお小遣いで買うハードカバーの本ですから、舐めるように何度も読みました。

10冊集めた時、厚紙で浅葱のダンダラの箱を作って飾りました。
毎日小説や関連書籍を読むのが楽しくて楽しくて仕方なかった。
その頃、集英社、講談社、と同じ位親しみのある出版社が「新人物往来社」でした。

そんな感じで気づいたら7年。
7年目に再燃して、関西の新撰組サークルに入って漫画や小説を描いてました。
光縁寺の土方さんの法要に参加して、散華の色紙を貰って帰ったりもしました。

今も京都に行く度に、壬生には必ず立ち寄ります。
光縁寺にあったノートには、プロになってからも何度かこっそりイラストを描いてます。



そんなどっぷり青春な過去を持ちつつ、それでもここ15年ぐらいは新撰組の創作物にはノータッチで、仕事のためにどんどん入れる新たな情報のため、古い情報は頭から押し流され…。


…つまり、色々と程よく忘れた頃に、このお仕事を頂いたわけなんであります。



普段、歴史上の人物を描く時、小説や漫画等の創作物は極力読まないようにしているのは、以前も書いたとおりですが、新撰組の場合はもうどうしようもなく沢山読んじゃってるわけで。
程よく忘れてるのはこの場合むしろラッキーかと思われます。

我が家にある新撰組関係書籍は、趣味の本として納戸の奥深くに眠っていてぶっちゃけ探せません状態だし、比較的新しい情報を選んで、また新たに頭に詰め直す作業が必要になります。

ましてや箱館戦争。ぬう。軍備も足らぬわ。
火縄と鎧と日本刀は任せとけって感じなんだけどなあ…。


この漫画のために与えられたページは24ページ。
「天下一!!」の1話のページ数が平均34~36ページである事を考えたら、その短さがお分かりかと。


「歴史上の人物の人生のある時の、さらに一瞬を漫画にする」


…という、とても難しいテーマを提示されているのですが、この方法は子供たちに見せる方法として、ある意味正しいのでは、と思ったりしています。


昔の自分がそうだったように、興味があれば子供たちは自分でどんどん調べるわけで。
こういう企画の場合、作者個人の思想や人物像を押し付けるのではなく、ただ興味や想像の種を与えられたら、それで良いのではないかしらと。
そこから子供達が自分で調べて、その人個人や社会的背景を理解していく事が、「歴史って面白い」という感覚に繋がるんじゃないかと思ったりしてます。


それにしても、新たに資料に目を通しつつ、この方の目線をまた見つめなおしていると、何だか随分印象が違うのは、自分がこの方の享年をすっかり超えたからなのかな。

総司が子供と遊んでる姿なんて、今想像したら目頭が熱くなりますわよ。
昔は子供好きの優しいお兄さんだと思ってたけどな。
子供やんけ。ホンモノの。
くぅ

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