「BLIND GAME」文庫1巻の発売の前に、12月発売の文庫2巻の表紙の色校が上がってきました。1巻2巻と並べるとこんな感じです。黄色の腰巻は全巻統一。びしっと緊張感があってかっこいいレイアウトっすね。デザイナーさんたちが作品を面白いと思って下さったらしいという話。時々感じる事なんですが、制作に関わるスタッフの方々が気に入って下さると、何やら世界観が生きたものが上がってくるような気がしますね。「B・G」は以前一度CDになった事があるんですが、その時も脚本の男性、一部声優さん、マスタリングの方等が気に入って下さったらしく、ありがたくも生きた世界観の作品になってました。その逆もまたあるんですけどね。碧也だって理解できないものはうまく再現できないのでそれもよく分かります。尤も、「ガラスの麒麟」みたいに、大好きなんだけど再現が難しく、もどかしかったのもありますけど…。
ところで表題についてなんですが、何やらついに法廷闘争になってしまうらしい松本零士先生と槇原敬之さんの例の歌詞問題について、ちょっとだけ。
「夢は時間を裏切らない 時間は夢を決して裏切らない」(槇原氏)
「時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない」(松本氏)
最初にこの報道を聞いた時、ちょうどテレビをつけっぱなしの修羅場中で、アシさんともども「うう~~~ん」と唸ってしまいました。
「非常に微妙。よく分かんない」
「でも『夢』が『時間』を『裏切る』っていうのは普通使わない言葉の展開じゃないかな」
「あーでもマッキーの「世界でひとつだけの花」って…(略)」
と、様々に論議を交わしつつさくさくと仕事しつつ、ではこの2つの歌詞、意味は全く同じなのか、と考えてみたりしました。
槇原さんの歌詞ですが、意訳すると「時間をかければ夢は絶対叶うよ!」となりますね。もうきっぱりと言い切ってる。で、松本先生の方ですが、こちらはもう少し広義な気がするのです。「諦めず頑張れば夢は叶うよ」と言っているようでもあり、「夢を諦める原因が時間であってはいけないよ」と言ってるようでもある。少し含蓄が深く、少し分かりにくく、その分だけ重みがあるように思えるのです。
私は「時間をかければ絶対夢が叶う」とは思わないのですが、「夢を諦める原因が時間であってはならない」とは思います。自分が納得いくところまで行けと。そして晴れ晴れとした気持ちで道を選べと、自分に対しても思います。かけた時間は「無駄」ではなく「誇り」であって欲しいと。結果はあくまで結果だと。
そんな事を考えていると、槇原さんの歌詞には素直に頷けないけど、松本先生の台詞の方がピンとくるなあというのが実感です。
尤も、槇原さんは槇原さんで色々あった上で時間を乗り超えてまた夢を叶え、その上でそう歌っているんだから、あながち綺麗事で言ってるわけでもないだろうと思います。最初に彼が言ったという「もしかしたらどこかで聞いたかもしれない」というのもおそらく本当で、偶然耳にしたか目にしたそれを、一度飲み込んで忘れ、その上で彼の言葉になって吐き出したものが「時間は夢を決して裏切らない」だったんじゃないかなという気がするのですが…。
作為的なパクリっていうのはもっと悪意があり、もっと筋の通らないものじゃないかと、私などは思うんですけどどうなのでしょう。そしてもっと巧妙で狡猾。もっともらしいようで、中身は何もない。そんな印象を受けるのです。
今回泥沼化したのはむしろ周りの人間の、変に大人な事情が原因のような気がするんですけど…。「じゃあもういっそタイアップしましょうよ」と槇原さんに断りもなく松本先生に持ちかけた大人とか、「先生だって某有名小説のパクリじゃないですか」と言ったらしい大人の発言とか、何というか、ものを作る人ではなく、ものを売る人たちの作意が、創作者たちの心を傷つけたのが一番大きな原因ではないかと。
シェアの大きさは比較になりませんが、描いたものを商品として扱われ、擦り減ったり傷ついたりする辛さは、ものかきのはしくれとしてしっかりと知っています。そういう部分が拗れに拗れて生んだ悪い結果のように思えます。
法廷闘争…。しんどそうですね。何だろう、もっと何とかならなかったのかな。お二人ともの意地とプライドと大切なものを守りたい気持ちは、とてもよく分かるのですけど。
あくまで私見で私論です。すみません。