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ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】行動学入門

2006年07月10日 22時27分38秒 | 読書記録2006
行動学入門, 三島由紀夫, 文春文庫 124-1, 1974年
・三島由紀夫のエッセイを三編収録。『行動学入門』、『おわりの美学』、『革命哲学としての陽明学』。『行動学』と『陽明学』は革命だの戦闘だのマルキシズムだの小難しいのに対して、『おわりの美学』は易しく、非常に楽しめます。その内容と文体と空気の切り替わりっぷりが見事。
・「ほんとうの危険度は、危難に瀕するまで高まらず、火山の上で踊っている人の群れのように、いつ噴火するかわからぬものを脚下に踊っているのが人生である。」p.36
・「賭けとは全身全霊の行為であるが、百万円持っていた人間が、百万円を賭け切るときにしか、賭けの真価はあらわれない。なしくずしに賭けていったのでは、賭けではない。」p.37
・「行動とことばとの乖離が行動を失敗させるように、ただことばや観念で待機に耐えようとする人間は必ず失敗する。」p.40
・「だからプラトンは「美はすばやい、早いものほど美しい」と言うのである。そしてまたゲーテがファウストの中で「美しいものよ、しばしとどまれ」と言ったように、瞬間に現象するものにしか美がないということが言える。」p.46
・「二度と繰り返されぬところにしか行動の美がないならば、それは花火と同じである。しかしこのはかない人生に、そもそも花火以上に永遠の瞬間を、誰が持つことができようか。」p.50
・「どうせのことなら、結婚式の時と同じお客をもう一度、同じ会場へ招待して、同じご馳走をだし、フィルムの逆回しみたいな式を行ない、ウエディング・ケーキをまんなかから二つに切る代りに、両方から半分ずつもって来てピタリと合わせ、お仲人の代りにお離れ人とでもいう人を頼んで挨拶をしてもらい、お互いにリングを取り返し、お色直しで平服に着かえ、別々の出口から、盛大なる拍手に送られて、バイバイ、というふうに出て行ったらよさそうなものだが、そんな会をやったという話をきいたことがない。」p.74
・「夫婦であること自体が夫婦の目的なんであって、 「一緒にいるために一緒にいる」 というのが、本当のところでしょう。」p.75
・「すべての流行は、桜の花のように、いさぎよく散って行きます。」p.85
・「もし童貞学校というものがあり、卒業式の夜一せいに童貞を失うことになっていて、その朝の卒業式に蛍の光を歌い、手をとりあって童貞に別れを惜しみ、ハンカチを濡らす、……というようなことがあったと仮定したら、そのバカらしさにだれも入学の応募者がなく、全国唯一の、試験地獄なき学校ということになるでしょう。」p.88 この発想はなんだろう?どこからわいてくるのか?
・「日本ではOL生活というものが、長い晩餐を何時間かあとにひかえた、お茶の時間のように考えられていることはたしかです。」p.94
・「近くへ寄ればアラの出ない人間はいない。むしろ「あの人は私と同じレベルの人間だから、尊敬する」と行きたいものですね。」p.102
・「はっきりいってしまうと、学校とは、だれしも少し気のヘンになる思春期の精神病院なのです。 これは実に巧みに運営されていて、入院患者(学生)たちには、決して「私は頭がヘンだ」などと気づかせない仕組みになっている。(中略)本当の卒業とは、 「学校時代の私は頭がヘンだったんだ」 と気がつくことです。」p.104
・「人生で、いちばん空しく、みじめなことは何でしょうか? それは「かつては……だった」「かつては美しかった」「かつては強かった」「かつては有名だった」等々、生きながら、自分の長所に過去形をつかうことです。」p.108
・「個性とはなにか?  弱味を知り、これを強味に転じる居直りです。鼻が大きすぎたら、世間をして「鼻が大きいほど魅力的だ」と言わせるまで、戦いに戦い抜くことです。」p.135
・「人間のダイヤを保つには、純潔な死しかないのです。」p.157
・「「良知の他にさらに知なし、知を致す他にさらに学なし」というときの「学」とは、前にもたびたび繰り返したようにただ本を読むことではなくて、体験をもって心理に到達することである。これは、王自身の人生体験から出た結論であった。(中略)このように、王陽明自身が征伐につぐ征伐の生涯を送り、一方では宦官の中傷讒謗によって人間社会の醜悪な裏面に度々傷つけられつつ、自分の思想にますます磨きをかけて、「真理は自分の中にあり」という神秘的な体験に到達したことが陽明学の起りであった。」p.222
・「こういう軽い形で自分の考えを語って、人は案外本音に達していることが多いものだ。注意深い読者は、これらの中に、(私の小説よりもより直接に)、私自身の体験や吐息や胸中の悶々の情や告白や予言をきいてくれるであろう。」p.230
以下、虫明亜呂無による解説より
・「考えようによっては、三島由紀夫は文壇登場から自決するまで、全力をあげて自らの告白に終始した詩人であったと定義してもよいかもしれない。」p.233
・「小説というのは、一言でいえば、ディテールの描写でなりたっている。小説の読者は数多くいるが、ディテールまで目がとどく読者はたいへんすくない。粗い表現をすれば、その目のとどく人こそが、ほんとうの小説の読者である。」p.234
・「僕自身、たまたま三島由紀夫の口述筆記のかたわらに立ち会ったことがあるが、彼の口述は、まるで目録を読み上げるように、淡々と、迅速に、苦渋のあとものこさずに、簡潔にすまされた。紅茶一杯、たばこ一本をのむあいまのあっけなさで終った。」p.235 同様のエピソードが太宰治にもあります。非常に興味深い。
・「司馬氏の『殉死』から陽明学についての部分を引用させていただく。「自分を自分の精神の演者たらしめ、それ以外の行動はとらない、という考え方は明治以前までうけつがれてきたごく特殊な思想のひとつであった。希典はその系譜の末端にいた。いわゆる陽明学派というものであり、江戸幕府はこれを危険思想とし、それを異学とし、学ぶことをよろこばなかった。(中略)陽明学派にあってはおのれが是と感じ真実と信じたことこそ絶対真理であり、それをそのようにおのれが知った以上、精神に火を点じなければならず、行動をおこさねばならず、行動をおこすことによって思想は完結するのである。(中略)陽明学にあっては身をほろぼすことによって仁と義をなし、おのれの美をなすというのがこの思想であった」」p.238
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?えんよう【衍用】 ???
?モッブ(英mob) 群集。特に暴徒をいう。
?かいけん【開顕】 仏語。天台宗で説く法華経の主意。とらわれを開き除いて真実を顕わし示すこと。
?燎原の火 勢いが盛んで防ぎとめられないこと、また、はなはだしい勢いで広がってゆくさまのたとえ。
?そきゅう【遡及・溯及】 過去にまでさかのぼって影響をおよぼすこと。「遡及力」
?スノッブ(英snob) 社会的に認められた専門家、文化人の意見に追随することで、自分も教養人であるようにふるまおうとする人。通ぶる人。にせ神士。
?ばいしょう‐ふ【売笑婦】 =ばいしゅんふ(売春婦)
?むこ【無辜】 (「辜」は「罪」の意)罪がないこと。また、その者。「無辜の民」
?かくせい【革正】 改めただすこと。改正。改革。
?ちょうしん‐るこつ【彫心鏤骨】 心にきざみ骨にちりばめること。非常に苦心すること。また、詩文などを苦心して練りあげること。

《チェック本》司馬遼太郎『殉死』

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