ペパキャンのサバイバル日記

円形脱毛症で髪の毛がなくなりました。今はスキンヘッドライフ満喫です。
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西宮酒蔵巡り

2012-10-27 11:15:05 | 日記・エッセイ・コラム

少し前に西宮に酒蔵があるということで、ちょっと訪ねてきました。

地図を見ると酒蔵は京都伏見のように密集していないし、かなり広い地域に点在しているようなので、最寄駅の阪急今津ではなく、西宮北口で降りてレンタサイクルを借りました。

真夏にレンタサイクルで一駅以上走るとかすると、罰ゲームか拷問のようになりますが、今の時期なら比較的楽に乗れますので。キンモクセイのいい香りの中を走るのは気持ちいいです。

しかし、西宮北口界隈も阪急西宮ガーデンズが出来て、ずいぶん印象が変わったように思います。基本、西宮北口はターミナル駅なので、乗り換えには使いますが降りることはめったにありません。そのせいかも知れないですね。ずいぶん久しぶりな感じ。

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まずは今津六角堂から。これは酒には特に関係ないですけど。歴史を感じる建物ということで。

明治15年創立だそうですが、戦禍、震災にも耐え、現在も小学校の一部として利用されています。地域の人や企業の支えがあってここまで持ちこたえているのですね。

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大関のショップを冷やかして、梅へのお土産を買った後、立ち寄ったのが「日本盛 酒蔵通り煉瓦館」。ガラス工房やレストラン、会議場、各種お土産コーナーを見た後、利き酒。

大吟醸、吟醸、しぼりたて原酒を利き酒させていただきました。お料理には吟醸酒が、食後酒にはしぼりたて原酒が合いそうなので、そちらを購入することに決めたのですが、冷蔵しておかなければならない上に10日間しか持たない生酒なので、とりあえずお支払いだけして、お酒を預かってもらうことに。昼間持ち歩くのは重いし、何より日光に当てるのが嫌だったので。

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展示コーナーには歴代のテレビCMに出演された方々の写真がありました。子どもの頃よく聞いた「日本盛はよいお酒~♪」はまだオンエア中とのことですが、昔ほど頻繁に聞かなくなったような気がするのは私だけでしょうか?

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これが灘五郷の絵図です。江戸時代から全国に名前を知られていた灘のお酒は五つの郷から成り立っていたのですね。その郷を分けるのが川でした。実際に自転車で回るとああ、ここから次の郷やねんなとわかります。こうやってみると名前も聞いたことのないような酒蔵も沢山あって興味深いです。

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次は「白鹿記念酒造博物館」。こちらは有料の博物館で立派な建物でした。

中に展示されているのは西宮市の花でもある桜に関する笹部桜コレクション。笹部新太郎という方が一生涯をかけて桜に関する資料や美術工芸品を集めたものでした。桜の植樹などにも大層寄与された人みたいで、水上勉の小説「櫻守(さくらもり)」のモデルになった方らしいです。1976年にはその「櫻守」がNHKでドラマ化されたとか。ひょっとしたら今でもオンデマンドで見ることができるかもしれませんね。見てみたいな。

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こちらが明治の酒蔵「酒ミュージアム」の入口です。ちなみに白鹿は中国の故事にもとづいた縁起のいい動物の象徴で「長寿」を祈願してつけられた名前だそうです。

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トラックなどがなかった時代にはこうやって大八車に載せてお酒を運んでいたのですね。

大してお肉も食べていなかった当時の日本人の肉体労働者って相当強かったんだろうなと思います。中の展示物を見てもそれはとても感じました。全て手作業で、人海作戦のみですからね。毎年、お米の出来や気候の変動もあっただろうに、その年ごとに発酵の具合も違うと思うのですが、電気もエアコンもない中、昔の人は五感と自分自身の身体のみをフル稼働させて清酒造りに励んでいたのかと思うとやはり頭が下がります。現代人にはまず無理じゃないかな~。

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一番奥に写っている建物は阪神・淡路大震災以降に建てられたものです。それまでは立派な煉瓦造りの酒蔵があったそうなのですが、震災で倒壊したのだとか。震災前のパンフレットをいただきましたが、写真で見る限り本当に立派な建物だったので、残念といえば残念ですね。

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これが当時、お米を蒸していた窯の一部です。思ったよりも小さくて簡素でした。火加減なんかも全部勘でやってたんだろうなと思うとやはりすごい。

日本酒って清酒になるまでの工程がとても複雑で繊細なのですよね。どこか一つでも手抜きしたり失敗したら美味しい日本酒にはならないわけで、これも日本が世界に誇る文化の一つだと思いました。私も最近になって日本酒美味しいなと思い始めましたけど、若い頃は全然飲まなかったし、興味もなかったので、いやーー、日本人、もっと日本酒のこと好きになろうよ~って思いましたね。

ここ、灘で美味しいお酒ができた条件は

1.六甲山から吹き下ろす「六甲おろし」と呼ばれる冷たい風にさらされる地理条件のもとで

 「山田錦」というお米が栽培できたこと。

2.六甲山系から湧き出る西宮水(後に宮水(みやみず))と呼ばれる質のよい水があったこと。

3.その宮水を使って米を精米するのに水車を使っていたが地形がそれに適していたこと。

4.丹波地方の人が農閑期に杜氏として活躍したこと。

5.海沿いの地域であるため、最終的には樽廻船という形で日本酒だけを運ぶ船ができるほど生産できたこと。そして港が近かったこと。

他にもいろいろな条件が重なったのだと思いますが、江戸から明治あたりのにぎわいを想像するとワクワクしました。今みたいにビールやカクテルもなかったでしょうし、日本酒は冠婚葬祭や神事などにも使われていたわけですからね~。そういえば今津の駅近くで「○○酒店 外商」と書かれた看板も見ました。お酒(しかも日本酒)の外商があるってすごいなと。

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ずらりと並んだおちょこの数々。これも伝統工芸品ですよね。

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お昼を挟んで次は今津灯台へ。ここ、地図には載っているのですが、行く道がわかりにくかったです。周りはプレジャーボートがたくさん係留してある場所なので、まさかその先に灯台があるとは思えず。迷いながら辿り着きました。いわゆる西洋の灯台とは趣が違いますね。

今はこの灯台と碑があるのみですが、当時はここから船一杯に積んだ樽廻船が東京や大阪まで運んでいたのでしょうね。

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水面がキラキラ光って、磯の香りがして気持ち良かったです。向こう岸、両岸に見えているものも当時はなかったでしょうから、海が広がっていたんでしょう、きっと。

最後に預けていたお酒を受け取りまた西宮北口まで帰ってきて、阪急西宮ガーデンズをひやかそうと思って行ったのはよかったのですが、ここで問題発覚。

連れが夫でした。

彼とはウィンドーショッピングは無理!

これは結婚する前からわかっていたのに・・・・・。うっかりしていました。

夫曰くは「俺じゃなくても男は皆無理だよ。目的もなくお店をウロウロするなんて。」と。

でもそんなことないと思うんですけどね。

ま、とにかくあの人とは無理なので、ガーデンズはまた今度年齢の近い女友達と来て洋服や雑貨を見て楽しむことにしましょ。

灘の五郷は地域的にも広いですが、なんていうのかな。住宅地や商業地域の中にポツリポツリと酒蔵が点在しているので観光では少し巡りにくいなあという印象を受けました。お土産屋さんや食事どころもまだまだ改善点はありそうだし、本当にお酒だけを作っていて、全然見学できない酒蔵の方が多いのです。もっと開放的にして誰でも訪れることができるようにしたら、もっとたくさんの人に日本酒の良さをわかってもらえるのになと思いました。また、海外からの観光客を呼び込んだり、海外展開などももっと積極的にやってもいいのになと。チリワインなんかは安価で質のよいものをどんどん先進国に売りつけてその地位を獲得しているわけだから、そういう手法も見習えばいいのにな・・・なんて素人の私が欲深いだけかな?こんなに歴史があって伝統的な技法で作られているって美味しさ倍増だからね~~。

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本日のお土産。一番左のコスメトライアルキットは大関のショップで「今、酒コスメ来てるんよね~」って言いながらじーっとコスメを物色しているとお店の方がくれました。サービスもよかったよ。今度はもっと西の方の酒蔵を責めるぞ~ということで本日これまで。


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2 コメント

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ぼく、ウインドウショッピング大好きで~す! (湘南坊主)
2012-10-28 23:08:51
ぼく、ウインドウショッピング大好きで~す!
それにしても、酒蔵の見応え読み応えあるブログ、ご馳走さまでした。
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Ωさん (ペパキャン)
2012-10-29 06:23:38
Ωさん
ですよね!男性の方でもウィンドウショッピング好きな方もいますよね!!

灘の酒蔵はまだまだありそうなので
また機会があれば訪れたいと思います。生酒は美味しかったです。
ありがとうございました[E:note]
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