ぺんぺんぐいん

ぺんぎん歩きは卒業したよ。

Global Capitalism - Local Value?

2008-02-02 01:20:47 | いろいろ
はい、いそがしさを理由に2000語英語レポートを避け続けてきたせいで、
結局一夜漬けで書かねばならなくなるという。

しかも明日午後は面接なのだけれども。はて。終わってるわー

++

まず第一にびっくりしたのは、

「グローバル資本主義に基づいたビジネスは、いまや地域のごとの障壁の前に行き詰まっている」

ことが課題の前提になっていること。

こんなこと日本で言われてるっけ?

++

まあたしかに。

ネット検索産業にこのテの問題がつきまとっていることは、
ニューズウィークだか何かで読んだ。

中国なら「百度(バイドゥ)」がGoogleより圧倒的に強いし、
日本では"Yahoo Japan"がGoogleより断然シェアを獲得してるらしい。(数字は忘れた。)

韓国には韓国のポータルサイトがあり、シェアが一位なんだとか。



しかし、それがほかの業界にも当てはまってるの?わからん。



それでもひとつ言えることは。



金融にせよ情報にせよテクノロジーの発達とともにインフラが整い仕組みが整備され、
グローバルに伝達されうるものの質と量は圧倒的に増えた。

グローバリズムはアメリカ帝国主義という見方すらある。
マクドナルドが、ハリウッドが、世界を席巻する。
パン食が流行り「洋」服が流行り。

世界が、一元化していくように見える。



しかし、その中でのcounter awarenessとして、「文化多様性」の議論が広がっていること。

これは、単に文化多様性の重要性を訴えかける動きではない。

経済合理性の名の下に全てが収斂されていくかのように見える中で、
それでもどうしても譲れないもの、どうしても守り抜きたいもの、まずもって捨てられないもの、
これが露わになってくる。



言い換えるとそれは「人間観」の変容を伴う動きであるといえる。

人間とは何か--これに対する答えが古代からある中で、例えば近現代に絞って言えば、
人間らしさ、人間の特徴、が、経済合理性と対置されることで、
「人間」に当てられるスポットの照準が変わってきているはずだ。



では具体的にどういうことかというと。

はい、

stop writing in Japanese and just start to write your essay in English

ですね>< I'd rather do so.

というわけで今夜は徹夜です><

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