親と子、つまらない話を少し

2015-02-27 18:13:04 | Weblog
このところ、TBSの連続ドラマ、流星ワゴンをくりかえし何度も見ている。評価は人それぞれだと思うが、当方にとっては一雄と忠雄の親子のすれ違いが一番ピンと来る。父親も母親もどちらも自分の子供にたいしては自分がこの子供の製造者で、生まれる前から子供の生殺与奪の権を握っているのは自分だと思うところがあるから子供が次第に成長し、自分というものを持ち始めてもまだ子供は自分の一部だと思って、子供が自分の思い通りにならないのが理解できなかったりする。

我が家のつまらない例で言うと、父は娘の二十歳のお祝いに結構高価だったプラチナ台の真珠の指輪を買ってくれたが、こちらは真珠より赤や青の光る石の指輪がほしかったのだ。結局その真珠の指輪は友達にあげてしまって親をがっかりさせた。だっていやなものはいやだったのだ。

当方も死んだ妹も不思議と金銀、プラチナ、宝石といったものには執着があまりなくて、おメダイと十字架のついた鎖がひとつだけ残っているが、それは安物は金属アレルギーを起こすからで
あった。信じてもらえるかどうかは知らないが後は人にあげてしまったり、売ってしまったりで手元に残ったのはこれだけだ。

我が家は言いたくはないが経済的には決して貧しい家庭ではなかったし、子供を大学に行かせるお金がなかったのではない。ただ父の考えとこちらの希望が合わなかったのだ。こちらは日本史を学びたかった。考古学に夢を持っていた。然るに父はそんなものでは食べていけないからだめだと反対ばかりした。結局それで進学自体がいやになってしまったのだ。行きたくもない学部、いやだった。

そういえば父方の親類にも一人似たような人がいたっけ。もう死んでしまったけれど、売れない作家志望で、期待していたのは伯母くらいだったかもしれない。奥さんに先立たれてやけになってどんどんぼろぼろになっていったから、こちらもあそこまではならないようにしようと思っている。しかし、いやなものはいやだでいくと、どうもねえ。

それはとにかく、今わかることは親は子供の人生を代わりに生きることなどできないのだ。子供に自分の夢を託そうとしても、子供は子ども自身の人生を生きていくのだ。失敗しようとなんだろうと親と子供はそれぞれ別の人生を生きるしかないのだ。

一卵性母娘とか、父が影になって子供が枯れて自滅してしまうようなケースもあるわけだが、とにかく親と子は一生をかけてそれぞれ自分になることが、大いなる存在から求められているのではないかという気がする。

いや、たぶん夫と妻という関係でもそうなのだろう。今の時代の離婚率の高さ、再婚の増加はその辺に関係しているのではないかとも思う。

ただし、自分を生きる、ほかの誰のものでもない自分の人生を生きるというのは楽でも、簡単でもないのも確かだ。