記録ー12

2010-10-20 15:50:10 | インポート
『ゴールはこの世にはない』 


生意気なようだが実を言うと、私の部屋の壁に貼ってあるのはこれだ。


  何ものにも心乱されず
  何をも怖れるな
  すべては過ぎ去る
  神のみ変わらず
  耐え忍ぶ時
  すべてをかちえる
  神に生きる人には
  欠けるものはなし
  神のみにて足りる

これはカルメル会の大聖テレジアの言葉だ。

このところ、キリスト教界のSNS、キャンドルズ(Candles)で少々ややこしいことになり、こちらはちゃんと理由を言いたいのだが、向こうにアクセス拒否をされてしまった。一応紹介者にはメールで伝えたが果たしてお読みになったかどうかはわからない。まあ、これ以上とやかく言っても仕方のないことなのだろう。しかし、さすがに考えさせられ、結局辿り着いた結論はこれだった。

それぞれの人、一人一人の置かれた場面は違うから、同じ理想を追いながら理解しあえないということもあるわけだが、かまわないではないか。

ゴールはこの世にはないのだから。

記録ー11

2010-10-20 15:46:32 | インポート
so-netブログ 「戻ってきました」の中から一部抜粋

月2回は上野毛教会の中川神父様の講座に行っています。本日はカルメルの霊性について。(最近は思うところあって行っていません。)

練馬に近い杉並区の端から横浜方向の世田谷区まで出かけるので、時間も交通費も結構なものですが、それでも惜しくはないだけの内容です。

現実のカルメル会のシスター方を見るとがっかりしたりしますが大聖テレジアの生きた祈りに惹かれています。

こことは別に毎週土曜日の午前中は関口の聖書の集い(幸田司教様)に行き、こちらは聖書を通しての分かちあいによって、心のエネルギーを頂きます。この二つの集まりは私の信仰生活にとって大切な時間となっています。

朝は時間がないので、後からまた書き加えようと思います。

さて、後半です。

今日の中川神父さまのお話をうかがって、昔、まだお若かったころのリバス(sj)神父様から黙想学校という講座で教わったはなしともやっとここで一致し、しかも、生きた人間としてこの世に来られた神、キリストという点で正直なところ、いままでずっと日本人にとってなんというか神に対して恋人に向かうようにかかわる、愛するなどという感覚はとても掴みきれない、幼きイエズスの聖テレジアの教説なら非常によくわかるけれど、大聖テレジアのスペイン的、ヨーロッパ的な神への愛は今いちだと思っていたのが実はそうではなくて中心にあるのは人となられた神とのかかわりという点が問題なのだとわかりました。

それだったら、プロテスタントの信者だったころ、カトリックの求道中にイエスの小さい姉妹の友愛会の聖堂で見てハッとした赤ちゃんの姿のイエズスさまも、幼きイエズスの聖テレジアの教説もすべてが一つに繋がり、まとまります。人となられたキリストはまたパンの形にもなってくださってこの世の私たち人間の傍にいつもいてくださっています。そう信じていますよ、固く固く。

昔、リバス神父さまは三位一体の神の交わりの中で人間はではどこに位置しているのかということで、ミサの式文の、キリストによってキリストとともにキリストのうちにと唱えているように、われわれは、キリストの内にあって父である神に向かっていくのだとおっしゃっておいででした。今日、中川師が大聖テレジアの自叙伝を引きながらおっしゃったことも要は同じ意味で、キリスト教の信仰の中心は神が人となってこの世に来られ、私たちと一緒にいる、どんな人でも怖がらずに近づけるように、小さな赤ちゃんになり、パンになり、今も私たちと一緒にいて、父である神のところに連れて行って下さろうとしているということだと思います。

これ、実は「公園のお風呂ダヌキ」という童話の形で昔、書いています。知っている方は知っていて昔、さるお方もお読みになったという作品です。あれが結構、評判が悪くなかったのは、読んでそこがお分かりになった方が評価なさったのでしょう。書いた当人のこちらはやっと今頃全体の意味やつながりがわかったところなのですけど。やっぱり、あれは私が書いたというより心の中から生まれてきたのだというのが本当のようです。


記録ー10

2010-10-20 15:41:48 | インポート
吉祥寺在世フランシスコ会

こちらも動かない石にはなりたくないので、とりあえずまずは吉祥寺教会の在世フランシスコ会の例会に参加してみました。同じ在世フランシスコ会野グループといっても田園調布や三軒茶屋では遠くてカルメル会の上野毛教会と大差ありません。長続きするにはなるべくなら近い距離と考えました。

もちろん、六本木や、聖母病院や立川教会あたりにもあるそうですが、どちらも不便です。吉祥寺ならすぐ隣の駅です。上野毛にいくときはここで京王線に乗り換えて渋谷にでて、二子玉川、上野毛です。とにかく遠いし、交通費もかかります。中川神父さまの講座なら交通費がかかってもそれだけの価値がありますから行きますけど、東急沿線はやはり大変すぎます。(最近は思うところあって行っていません)

なぜ急にフランシスコ会? 以前にリバス(sj)師の講座で大まかに観想の祈りを分けると、心の中に入っていって神と出会うカルメル的な観想と自分の外の世界を通して神と出会うフランシスコ的な観想に分けられると聞いたことがあり、そのことがずっと心にあります。

そして、この前、中川神父さまの大聖テレジアの霊性の説明で、人となった神、キリストの人性への注目、そしてカルメル会の幼きイエスへの信心の話をうかがい、そのむかし、イエスの小さい姉妹会の聖堂で初めて出会ったねんねしている赤ちゃんのすがたのキリスト像を思いだし、さらにはフランシスコ会のパドヴァの聖アントニオに抱かれている幼いキリストにまで連想が広がり、これは、人となられた神というキーワードで、カルメルでもフランシスコ会でも他の会の霊性でも互換性があるのではないか、と感じたことからでした。

もちろん、それ以外の生活様式の違いは問題ですが、キリスト教の信仰による神への道という点では中心は「人となられた神』、「キリストの人性」という点に集中するように思われます。であれば、上野毛教会ばかりではなくて、フランシスコの会のことももっと知りたい、自分の場を探すにしてももう少し探求の幅を広げたいと考えたわけです。

上野毛もさらに続けて参加しますが、なにがなんでもカルメルの精神でなければとは思いません。互換性のきくものはそれなりに実生活に合うものでいくのが現実的でしょう。祈りの生活自体が問題なので、身なり、形はなんということもないのです。形だけで中身がないことだってあります。

この辺でやめておきますが、とにかくいろいろ見てみたいと思います。

記録ー9

2010-10-20 15:37:52 | インポート
五島の教会

さて、次はまじめな話しになります。

日本のキリスト教界(カトリックもプロテスタントも正教会も聖公会もみんな含めて)にもSNSがあります。どちらかというとプロテスタントの方が多いようですが、カトリックの方もいらっしゃるのです。そこで、長崎教区のこともちょっぴり知る機会がありました。というのは長崎教区の神父様がSNSに週に一度くらい、ご自分の小教区のことを書いていらっしゃったのです。今年は転任で今度は上五島の教会の司牧をなさるようです。

東京にいると、想像もつかないような生活です。長崎のことは昔、「スタバトマーテル」という物語を書いた時、浦上教会や隠れキリシタンのことを書くのに多少調べたのですが、今でも五島の島の教会は隠れキリシタンの子孫の方々の信者を中心に存在しています。ただ、何処の土地でもそうですけど、若い人たちが都会に出てしまっているようです。五島には隠れキリシタン発見以後、地域ごとに立派な教会堂が建てられて今も多くは現役で使われています。けれども、使われなくなった教会、人のいない教会もあります。

それらの教会を世界遺産にしようという呼びかけもあって、以前四谷の教会でその写真展や講演会もあって聴きにいったこともあります。東京にいると、生活と信仰が別々にもなりがちですが、代々の島の方々の信仰はちょっと違います。よいとか悪いとかではなくて、土地に根付いた信仰というものがあるわけです。

五島で働かれる神父さまは東京のようにXXXXXXXXXな生き方はおできになりませんね。本当に大変なことだと思います。しかし、せっかくですから、五島の信仰や見事な教会建築という素晴らしい遺産が都会の教会や一般の方々にももっと知られていくといいなあ、と思うのです。どんな風にしてかはまだわかりませんが。


記録ー8

2010-10-20 15:35:15 | インポート
ご紹介など


キリスト教界(カトリックもプロテスタントも聖公会、正教会、全部含めての)のSNSにcandles(キャンドルズ)というのがあります。カトリックの方も結構参加しておいでですので、それがきっかけで読むようになったweblogもあります。

これは長崎の上五島の中田神父様のweblogなのですが、目の見えない方のためにその週の教会での説教の音声も付いています。(聞くにはパソコンにプレイヤーを入れる必要があります)音声の説教も、目で読むものも、とてもよいお話です。よかったらご覧ください。

     http://blog.goo.ne.jp/knkouji/

これの全体は神父さまのホームページ『話の森』に入っています。キャンドルズは招待制ですが、申し込んで待合室で待てばそのうち招待も来るはずです。(どのくらいかかるのかは知らないのでごめんなさい)

記録ー7

2010-10-20 15:30:30 | インポート
『考えてみると』

当方、今年還暦世代に当たります。そこで思い出してみれば、はるか昔、当時は盛んだった和文タイピストとして就職し、社会に出た頃というのは日本の経済もどんどん右肩上がりに伸びていく時代で、働く側の労働条件も年々向上していた、今から思えば夢のような時代でした。

一生懸命に働けば、必ず夢はかなうものと信じていられた時代でした。しかし、ちょうど今から20数年前あたりから状況が変わり始め、和文タイプはワープロに変わり始めた時期でしたが、軽印刷業界は転換期で、それまでのような仕事がなくなり、残業もなくなった代わりに昇給もなくなり、実に暇な毎日を過ごしていた記憶があります。

そのあたりから、労働者の側も働き方が変わってきて、正社員としてではなく、パートタイマーで勤める奥様社員が登場し、若い知人の口から、派遣という言葉が聞かれるようになったのも覚えています。

筆者自身は奇妙な運命に流されっぱなしで、あまり一般的でない生活を送るようになって、企業の主流の職場の状況などは知人、友人たちから耳にするばかりで、実際の体験がありませんが、働く側の労働条件などは、こちらの若い頃よりもどんどん悪くなっていっているという感じは持っていました。

つい、2,3年前に再び働きに出ることになり、仕事探しを始めた時、ふと気がつくと世間の状況は、派遣やパートの募集が圧倒的で、正社員の募集は条件が厳しくなっています。毎日、出かけるようになって見ると、連日のように中央線等では人身事故が続いています。

職場で見聞きしたところでも、昼間仕事をして、それでも生活が厳しいために夜も別の仕事をして、子供の学費を作っているお父さんたちも珍しくありませんし、共働きの奥様も珍しくなくなっています。昔、子供の頃、近所の奥様たちに誘われて週2日だけアルバイトをしたいと言い出した母に父がものすごく怒っていたのを思い出し、時代は本当に変わったのだと実感したのでした。もはや、妻は家庭を守り、夫は仕事に出るという図式では生活が成り立たない時代になっています。

いや、ゆとりのあるご家庭であっても、奥様が家にだけ閉じこもっている時代ではなくなっているのも確かです。

そして、それでも充足感の持てない収入、生活苦、精神的な不安、病などで、年間3万人もの人が自殺してしまう、とんでもない時代になっていたのでした。

派遣労働は20年前なら、花形でした。しかし、現在の派遣はそれしか選びようがないから、他にないからその形で働くというだけのことであり、しっかりとした生活の保証のない労働形態、労働量に見合わないような低い収入での生活は、いやでも人の心を蝕み、自分に自信を失わせ、周りの人たちとの関係を正常なものでなくしていきます。

蟹工船が売れているというのも、むべなるかなです。ただし、共産主義ソビエトの崩壊を見てきた世代でもありますから、夢や理想と現実の大きな差もわかりきっていて、いまさら社会主義に夢を持てるわけもないのです。

一つだけいえるのは、現代の日本はアメリカ流の資本主義は取り入れながら、日本古来のやり方をすべて捨ててしまい、かといって、資本主義の裏にあるキリスト教の博愛の精神は取り入れず、ただのお金儲け優先の国になってしまったようです。正直・清浄・慈悲は本来の日本人の根本に生きていた精神だったのに、

昔の日本の企業の生涯雇用の制度も本来そこから出ていたのに、あまりにも、昔からのものを切り捨てすぎている今の日本は果たしてどんな方向に進むのでしょうか。















記録ー6

2010-10-20 15:28:19 | インポート
『少し付け足しなど』

えっとねえ、うちのおばはんが朝書いた自分の記事が気に入らなくて直したかったんだけど、直せなかったんだって。それでもって削除しちゃおうとしたけど、それもできなかったんですって。だから、あたしにちょっと出て行って、もう少し説明をしろっていうのよねえ。面倒なおばはんなのよ。

お前は誰だって?

あ、あたしはケータイのマリーっていいます。うちのおばはんのお手伝いをしてるケータイよ。携帯電話のケータイ。

あのひとに任せていると、まずいことでもなんでもぺらぺらしゃべるくせに言葉足らずなのよ。あれじゃあ説明不足で、どうしてそう思うのかなんて読む人はわからないじゃないの。だけどこの話はうちのおばはんももう少しまとまった物語の形で書きたいと思っているものだから、詳しく話しすぎるわけにもいかないのよね。

だからごく簡単に付け足すんだけど、あのひと、あれでも今は亡き遠藤周作先生を見習って、日本とキリスト教について少しは勉強してたの。それでねえ、日本人の元々の宗教性を考えていくとどうも、神道とか仏教とかを抜きにして考えるわけにはいかないってわかってきたらしいの。 何しろ、あの人の本当のおじいさんはお寺さんだったってはなしもあるくらいだから、小さいときからのお父さんの影響を考えたっておかしくはないんだけどさ。

でねえ、ある時たまたま何かの拍子で、三井住友の歴史を調べたの。だってさ、こんなに有名な大企業で間接的には何かとお世話になっていても何にも知らないじゃない。それで好奇心を発揮して調べて、住友の家祖の「住友政友」という方に出会ったの。そしたら、還俗した元お坊さんだったこの政友さんが常々教えていたことというのが、なんと、うちのおばはんが日本人の宗教性の中心じゃないかって思っていた「正直とか、慈悲とか清浄」とかっていう徳目そのままだったのがわかったの。

世界にも名前の通った大企業の始まりにこの考え方があったのが日本なのよ。

時代も人も背景も変わってくればそのままでは通用しないけれど、でも、本来の日本人はそういう精神で生きていたのよ。お金も物もなかった時代にしか通用しない考え方なのかしら。でもお金や物を追い求めて今の日本人は本当に幸せになったのかな、年間3万人も自殺しちゃうって、やっぱりどこかでおかしいんだと思うんだけどなあ。

と、こんなことをあのひと思って書き始めてとちゅうで、何を書いてるのかわかんなくなっちゃったの。遅くなっちゃったけど一応説明ね。ほんじゃよろしく。

記録ー5

2010-10-20 15:23:52 | インポート
『この話は続きをきちんと書く必要があると思う・・・・莚旗と幟 』

おっはようございま~す。お久しぶりのマリーで~す。

珍しい、何でこんなところに出てきたって? それがねえ、うちのおばはんがさ、知り合いの人がこのごろの台風や地震のことで、古代中国の易でいえば天変地異は革命のしるしだとかって言ったの。うちのおばはんの生活も天変地異みたいなの。20何年もずっと待っていたことが夢幻だったらしいとわかったり、そうなると今後のことも本気できちんと考え直さなくてはだめじゃない。人頼みじゃなくて自分で行動しないとこのままではあっというまにおばはんから、おばあさんになっちゃうってつくづくと考え出したのよ。

基本的な方向は変わらなくても、待ってるだけじゃおばはんの現実を知らない人たちは面白がって見ているだけで、ほったらかしじゃない。ここはちょっと実際に動かなくちゃ。他の人たちに自分の今の状況を伝えなくちゃって思ったらしいの。革命では大きすぎるけど、おばはんも叛を起こすことにしたのよ。おばはんらしく、ムシロ旗や幟を掲げてみたの。

あたし、知らないよぅ、どんな結果になっても責任持てないわよぅ~。っていったんだけど、あの人、相当に怒ってるんだもん。撃ちてしまんじゃい、玉砕覚悟じゃいって騒いだと思ったらパパパっと動き出しちゃったの。

ああ、もう、知らないからねえ。えっ、ムシロ旗や幟、どこにあるって、さすがにここでは言えないの。自分で探してほしいわ。個人の愚痴に総アクセス148だって。読んだ人たち、まじめになんとかしてほしいわ。

間違ってもらっちゃ困るけど、あのひとのほしかったものはお金じゃなかったからこんなに年月がたっちゃったのよ。お金には代えられないもののためのムシロ旗なの。わかってくれないかなあ。

記録ー4

2010-10-20 15:19:22 | インポート
この辺はここに載せてある全体を読まないと何を言いたいのかわからないことと思います。


『つづき・・・・どうでもよい相手なら文句などいわない 』

ムシロ旗といってもいまどきの若い方にはわからないかもしれないなあ。大体ムシロを知っているのかしら。農家でも今時ムシロは編まないのだろうか。その昔、貧しく、弱い立場にいた農民たちがどうにもならなくなって一揆を構えるときの旗印は、いつでもすぐそばにあったムシロだ。農家の庭先や土間でさまざまな雑用をこなしてくれる、便利で、でもあまり見た目のよくないムシロだ。

ムシロ旗や幟にたとえたほうの話は、まったくの真実だが、正直な話、情けないみっともない話だ。内々だけの話にしておきたいような話だ。それをあえて出したのは真実だからだ。ここは真実を全面に出さないわけにはいかなかったのだ。だが、単に真実を何でもかんでも出してよいなどとも思わないぞ・・・・・・・

ほらほら、うちのおばはんがまたわけのわかんないことをいいだしたわよ。あたしに説明させたいのよね。

おばはんがいいたいことってのはさ、キリスト教では「愛」、相手を大切にすることを教えているからなの。「愛」というのは大変な代物で、テレビや映画で男女が出会って惚れたはれたの場面を繰り広げるのが「愛」だと思ったら大間違いなんだからね。

昔、公園のお風呂ダヌキっていう、お話の中で、お風呂ダヌキさんがいっていたけど、人間だけでなくて、物や機械でさえ愛されていないと、大切に扱ってもらっていないと存在していられなくなるって。人間が他の人から優しくされたり暖かく取り扱われないと正しく生きていけなくなるように、お皿やお茶碗でさえ、大事に扱われないとすぐにこわれちゃうし、機械もいつも丁寧に大事にあつかっていなければ寿命が短くなるんだって。

「愛」は目には見えないけれど、すべての生きとし生けるもの、形のあるもの、そのすべての存在を支えている大きな不思議な力なのよねえ。でも、自分の好きな人たちを大事にするのは簡単だけど、このや.ろうと思っている頭にくるようなやつは愛さなくていいのかというと、キリスト教では、それはだめなのよ。なぜかっていうと、イエスさまが他の人のこともじぶんのことと同じように大事にしなさいって教えてるんだもん。

実際にはものすごくむずかしいのよ。はるか大昔のご先祖様のアダムとエバが悪魔ちゃんの誘惑に負けて、神様の言いつけに背いて以来、人間はだれでもみんな、自分が世界の中心で、この世の主人公だとおもうようになっちゃってるの。だからどんなえらい人でもとんでもない失敗をするのよねえ。

だからさ、罪を憎んで人を憎まずでなくちゃいけないんだって。その面で「愛」とおなじく罪にというか、悪にたいしては「正義」だって大切なのよ。もっとも、うちのおばはんにはもうちょっと頭を冷やしてもらってからその話にしたほうがいいかもね。あの人、思い出すとまだカッカとしちゃってるから。それでもとにかく、その正義ってやつで、真実だからなんでもかんでも口に出していいってわけじゃないんだって、あの人もわかったんじゃないの。真実は「愛」と「正義」と両方から語られなければいけないのよね。

うちのおばはんも普段は人任せで生きてるくせに、変なところで強情になるの。どうでもいい相手ならはじめから何も言わないんだって。どうでもよくない、きっと本当に重要な相手なのよね。ムシロ旗を翻して騒ぐくらいじゃ。


記録ー3

2010-10-20 15:09:14 | インポート
これを書いたのが去年の秋。友人がこれを読んで、やたらなところに出してはあなたを利用しようとする人が出てくるといけないから、もっときちんとした形ではじめから名前もはっきり出して覚えている限りを記録として書くように勧めてくれたので、それはすでに別に書いてしまってありますし、一部の方々はお読みになっています。しかし、おかしなことに肝心の責任のある方々の手には届いていなかったらしい形跡が感じられます。

『生活保護費不正受給』

生活保護費不正受給の問題が昨今数多く取り上げられているように思えます。それでちょっといわせていただきたくパソコンを開きました。

某杉並区に一人のおばはんが住んでおります。今年の11月になると還暦のおばはんです。
この人が実は生活保護を20年以上も受けているのです。20数年前にチェルノブイリの事故を予知するような発言をしてしまったばかりに、それが本当に起こってしまったために、巫女だのカリスマだのとマスコミに付きまとわれて、まともに会社で働いていられなくなってしまい、生活保護になったのが始まりです。

このおばはん、そのころは若くて世間知らずで、人を信じやすかったのです。そしてカトリックの信者でした。実はおばはん生活保護を受けるように裏工作したのは政治家とつながりのある某教会兼大学での実力者でした。その人物はおばはんからの情報を政治家に流して20年以上も権力を握っておばはんについての真相を一手に握りつぶしてきたのでした。でも今は80にもなって病気。

その人が元気だったときはおばはんは、本当にどこにも勤められなかったの。ものすごい大変な生活をしながら、書いた「公園のお風呂ダヌキ」そのほかのおはなしもぜんぶ権力者が勝手に利用するばかりでおばはんはずーっと一文無しだったの。

それでおばはんも考えてパソコンを買うことにしたんです。書くのは慣れていますから、機械の操作さえおぼえれば、インターネットは絶対この状況には役に立つはずだっておもったの。

ただねえ、そのためにはどうしても福祉事務所に内緒でアルバイトをしなくちゃならなかったの。そうしないといつまでたっても必要な金額にならないからね。パソコンと周辺機器と、40万の借り入れの一部をやっとこさ返しておばはんは高血圧や心肥大に、若いころからの神経痛があって疲れ果てて仕事をやめたの。

その2年のあいだに受け取ってパソコンや借金の返済に充てたお金が福祉事務所に報告してないから返せっていうの。

これっておばはんの責任かね。おばはんを自分でずっと利用してきた権力者のような人は放って置かれて、あいかわらず一文無しのまま、一応パソコンのおかげで、今までは一部に人にしか読んでもらえなかったものが外部に流れるようになって教会でもマスコミや政財界でも知っている人は知っているようになったけど、おばはんは本当にお金がないの。

このおばはんみたいな人にも不正受給だ規則違反だっていうの?法律とか規則ってのは人間のためにあるので、人間が規則に振り回されちゃっていいのかねえ。

おせえてたもれ、マスコミや政治家さん!!